13.新婚夫婦の第一歩
「それで、まずは何をしましょうか?」
ルクスが期待を込めて、私をまっすぐに見ている。その視線を避けるように、私はあおむけに寝転がった。今日もよく晴れていて、青空が目にまぶしい。
私を堕落させる、というか私が堕落したと周囲に認めさせるために、二人一緒に存分に好き放題する。そう方針が決まったのはいいけれど、具体的に何をすればいいのかはさっぱりだった。
なので私たちは、朝食の後こうして一緒に庭に出ていた。のんびりくつろぎながら、じっくりと話し合うために。お気に入りのクッションを持ち出して、芝生の真ん中に寝転がって。
ウェルは、宣言通り朝一番に帰ったらしい。らしい、というのは、その現場を誰も見ていないからだ。私たちだけでなく、使用人たちですら。
もしかして彼は、悪魔の力でそっといなくなったのだろうかとルクスに尋ねてみたら、いえ、彼は気配を消して動くのがうまいんですよという答えが返ってきた。
そんなやり取りを思い出しながら、ううんと大きく伸びをする。
頭の下にはふかふかのクッション、辺りに降り注ぐさわやかな日差し。朝っぱらから庭でごろごろしているというのは、立派に堕落した行いだと思う。このまま二度寝してしまえばさらに良いと思うけれど、今は話し合いをしなくては。
「そうね……できれば、周囲から見てはっきりと分かる事柄がいいと思うの」
「でしたら、分かりやすく見た目でしょうか」
ルクスが身を乗り出して、横たわる私の髪を一房すくい取る。くすりと笑って、ミルクティー色の髪に口づけた。
「えっ、ちょっとあの、いきなり何?」
「どうしました? 僕は貴女の夫ですよ。これくらい、当然でしょう」
彼は初めて会った時から、私を甘やかし、愛をささやいていた。しかしなんというか、今隣に座っている彼は、それまでとは雰囲気が変わってしまっていた。
穏やかな物腰、柔和な表情、そういったところは前と変わらない。けれどその笑顔が、ほんのちょっぴり明るくなったというか、なんだかなまめかしいというか。
「……あなたって、そういうふるまいをする人だったかしら? 前はもっと、遠慮がちだったような……」
「ええ、そうですね。貴女を不幸にしなければという思いと、貴女を苦しめたくないという思いの間でずっと揺れていましたから。でももう、迷いません。僕のために堕落すると、貴女はそう言い切ってくれた。ならば僕も、覚悟を決めなくてはいけませんよね?」
にっこりと笑った顔を見ていると、なんだかそわそわする。危険な感じはしないのだけれど、こう、心の奥のほうがくすぐったくなるような、そんな気分だ。恋心のどきどきとは、ちょっと違う気もする。
「僕は全力で、貴女を甘やかします。二人一緒に幸せになって、一緒に堕落しましょう。他の全てを敵に回しても、僕だけは貴女の味方でいます」
そんなことを甘くささやきながら、さっそくルクスは次の行動に移っていた。彼は私に半ばほど覆いかぶさるようにして、私の肩のすぐそばの芝生に片手をついた。そして、もう片方の手でそっと私の脇腹に触れている。
背筋がぞわぞわする。嫌な感じではない、むしろ嬉しい気もするけれど、ものすごく落ち着かない。ルクスはそんな私を見てまたくすりと笑ってから、静かに口を開いた。
「この服は、胴のところがゆったりしていますよね」
「そうね、これは部屋着だから。たぶんみんな、屋敷の中でだけこういう服を着ているのだと思うわ。お母様は、屋敷の中ですらこんな格好をすることを許してはくれなかったけれど」
そう答えながら、腹のところの布を軽く引っ張ってみせる。まだ心臓がばくばくいっているが、ひとまずそれは無視だ。
「普通の令嬢なら、外に出るときはきっちりとしたドレスを着るの……胸から腹をコルセットで締め上げて、スカートの中には膨らませるためのフープ。とどめに、やたら小さくて歩きにくい靴。きついし重いしかさばるし、油断していたらスカートをあちこちに引っ掛けるし。もう最低の着心地よ」
「でも先日一緒に町に出かけた時の貴女は、そういった服を着ていましたね。僕のせいで苦労をかけて済みません。僕が悪く言われないようにという貴女の気遣い、とても嬉しかったです」
「私がそうしたかったから、いいのよ。お母様に命じられて嫌々着るより、ずっとずっとましだったし」
そう説明すると、ルクスは嬉しそうに、くすぐったそうに笑った。
「そう言ってもらえると気分が楽になります。けれどこれからは、噂を積極的に立てていかなくてはなりませんね。あそこの夫婦は、とんでもない格好で出歩いていると」
「気のせいかしら、まるであなたまでとんでもない格好をするような口ぶりだけれど」
「はい。どうせなら、僕も好き勝手な格好をしようかと。そうすれば貴女一人が恥ずかしい思いをしなくて済むでしょうし、夫婦の絆も深まりそうな気がします」
今度は、彼の気遣いに私が心打たれる番だった。思わず胸の前で手を組む私に、ルクスはうきうきとした口調で語りかけてくる。
「せっかくですから、新しい服を作りましょうか。貴女が今着ているものと同じくらい着心地が良くて、それでいてもっと華やかな、可愛らしいものを。とっても風変わりで、みんながあっと驚くような、そんな素敵な服にしましょう」
「いいの?」
「もちろんですよ。さっきも言ったでしょう? 僕は貴女を、うんと甘やかしたいんです。実のところ、悪魔としての使命とは関係なしにね。ふふ、婚約ではなく、結婚にしておいて良かった。夫なら、堂々といくらでも甘やかせますし、その先の運命も共にできますから」
とても嬉しそうにルクスは笑い、私の隣にごろんと寝転がった。
「ああ、空が青いですね。まるで、僕の心を映しているかのようです。……ウェルとの会話を聞かれたことに気づいた時は、生きた心地もしませんでしたから」
「でもあの時は、ウェルが私の記憶を消す予定だったのだし、そう心配する必要はなかったんじゃない?」
「逆ですよ。もしあの時貴女の記憶を消すことに成功していたら、僕はもっとやるせない気持ちで日々を過ごすことになっていたでしょう」
「そういうものなの?」
重ねて問いかけると、ルクスは寝転がったまま腕を伸ばした。まるで太陽をつかもうとするかのように、まっすぐに、真上に。
「……あの時、貴女は恐れ、おびえ、戸惑っていました。無理もないですよね、悪魔なんてものを目にしてしまっては」
確かにそうだ。昨夜のウェルは、確かに人とは違うまがまがしい雰囲気をまとっていた。だから私は、気おされまいとして精いっぱい強がっていたのだ。どういう訳かルクスのほうは、少しも怖いとは思えなかったけれど。
「だからもし貴女の記憶が消えたなら、それからの僕はより慎重に、より厳重に自分の正体を隠して生きることになったでしょう。おびえていた貴女の表情を、いつも胸の片隅に抱きながら。ばれてしまったら、またアウロラはあんな顔をするのだぞ、と自分をいましめながら」
「ええと……でも私、あなたのことは怖くなかったわ。悪魔にこんなことを言うのもどうかな、とは思うけれど」
寝返りを打ってルクスのほうを向き、手を伸ばす。ほんの少しだけためらってから、彼の手をぎゅっと握った。ルクスはびくりと身を震わせて、そろそろとこちらを見返してきた。
「僕、角が生えていますよ」
「とっても綺麗だった」
「魔法だって使えます。ウェルほど得意ではありませんが」
「すっごく気になるわ。今度、また見せて?」
「僕は貴女を堕落させるんですよ?」
「どんとこい、よ。好きな格好で、好きなことをできる、それもあなたも一緒に。……考えただけで、最高に胸が高鳴るの」
ルクスもこちらを向いて、困ったように、しかし嬉しそうに笑った。
「僕の負けです。……まったく、貴女は強いなあ」
彼の若葉色の目が、ゆっくりと細められる。彼は私の目をまっすぐに見たまま、とても静かにつぶやいた。
「……噂なんて、当てになりませんね。最低の女性の噂を聞きつけて来てみれば、そこにいたのは変わってはいるけれど、とっても素敵な女性でした」
「そうかもね。悪魔はとっても怖いものだって言われている。でもそんなものは存在しないんだって、みんなそう信じてる。けれど悪魔はこうして存在しているし、とっても優しくて素敵な人だった。やっぱり、噂って当てにならないわね」
芝生にごろりと寝転がったまま、手を取り合ってくすくすと二人で笑う。昨夜は本当に色々なことがあったけれど、どうやら良い方向に動き出しそうだ。
家を追い出されてから一番晴れ晴れとした気分で、空を見た。青く澄み渡った空を背景に、近くの庭木の枝がさわさわと揺れている。
その生気に満ちた明るい緑色は、ルクスの優しい目の色と、とても良く似ていた。




