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そしてぼくは道を踏みはずす (一)  作者: まふおかもづる
第四章

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二十一

 夜明け前、大きな背嚢(はいのう)を携えコウジはシティを出て森へ入った。上司にあたる馬頭の頭領と家主の牛おっさんには行き先を言っておいた。てくてくと歩き続けてしばらく、もしかしたら道を間違っているんじゃないかという不安を現実のものと認定しようかというところでようやく目的の場所に辿り着いた。暗いうちに出発したのに日がずいぶん高いところにある。コウジは泉へ行って水を汲んだ。

 見覚えのある大きな石に泉の水をかけたのち、コウジは地面に胡坐(あぐら)をかいて座り込んだ。


「やっと来れたよ。――柚子」


 心の中で何度も繰り返すのと、実際に声に出してその名を呼ぶのとではずいぶん違う。


「十一年経ったんだね、あれから。ぼくの時間ではちがうんだけれども。――きみのお母さん、亡くなったよ」


 黄三家老当主の死因は新型水痘でなかった。長年患っていたのだという。死期を予感して老当主は三頭犬の名づけと言い聞かせのノウハウも含め他家に犬舎の長の仕事を引き継いだ。新しい長は「黄三家の若衆にいずれお返しする」と言っているという。そのとおりになるとしても、黄三家が長の仕事を務めるのは橘で最後になるだろう。


――我が黄三家は断絶することになった。


 とうとう黄三家は橘一人になってしまった。

 老当主の死は新型水痘終息宣言前でもあり、はっきりと発症しなかったコウジは最後まで看病や感染症関連の後始末に追われ別れを告げることもかなわなかった。冬の祭り、狩りの前に表門で視線を交わして以降、橘とも会っていない。


 森の縁、地面を這うようにして生える丈低い木に、釣鐘のような小さな白い花が頬を寄せ合うように咲いている。木々がまばらになったあたりにたくさん咲くその花々が風に煽られ一斉にしゃらら、と音を立てるような気がする。

 森の中にぽっかりと空いた日当たりのよい広場のような場所で、コウジはぽつねんと独り座っている。


「ごめん柚子、きみの世界でぼくは結局何の役にも立たなかった」


 黒く()かれた跡の残る墓石を撫で、泉の水をかける。


「きみの大事なお母さんやた……娘さんに迷惑かけてばかりで」


 それだけではない。新型水痘の出現により人類拡散連盟から惑星ナラクの宇宙港建設の計画延期が言い渡された。もとより囚人を受け取るほかに惑星外との行き来はないといっても再度惑星ナラクは封鎖され、ナラク王国の連盟での政治的地位はより低くなった。

 墓石は渇き飢える者のように清い泉の水を貪欲に吸い取った。黒々と湿りが残るだけのざらざらとした墓石をコウジは撫でた。


「この世界にぼくがいると、みんながつらい思いをする。――さようなら、柚子」


 コウジは大きな背嚢を引き寄せた。中には一年前に牛おっさんに没収されたスーツやかばん、粉ミルクなどの日本から持ち込んだ荷物が入っている。


――忘れ物や落し物は厳禁だ。元の時空に戻りたければ、な。


 幼いころに聞いた派手ないでたちの男の言葉が甦る。あとは帰り道が開けば、自分は日本に帰れる。その帰り道がない、見当たらないとコウジは思い込んでいた。そうではなかった。コウジの頭上高く、縮こまるようにそれは存在していた。


「強く念じれば帰れると思うんだ、元の世界に」


 コウジは立ち上がり、大きな背嚢を肩にかけた。そして右手を高く掲げる。ぐぐ、と腕を伸ばし指がそれに届きそうになったその時、


 ど、どど、どどど。


 森の奥から大きなものが飛び出した。

 吹雪丸だ。白い毛にグレーの隈取模様、青い目がらんらんと輝いている。巨大な三頭犬は三つの頭すべてをこちらへ向けはふはふ、と荒く息を乱している。そして吹雪丸が牽くバギーが後輪で大きく円を書きながら滑り、車体を揺らし停止した。少女が降り立つ。

 透き通った色白の頬。ふっくらとした唇、すっきりと通った鼻すじ。切なげに顰められた眉。まぶたの裏に刻まれた美しい面影そのままのひと。


――会いたかった。

――会わずに帰りたかった。


 (こじ)(よじ)れて背反する感情に揺さぶられる。


「吹雪丸」


 橘より先にコウジは口を開いた。巨大な三頭犬が三対の青い目をすべて向けている。


「橘の言いつけをしっかり守ること。橘の家族を守ること。――任せたよ、吹雪丸」

「――わふ」


 分かっている、と言いたげだ。吹雪丸はいつもコウジの気持ちを先回りして理解しているように見える。くふくふ、ぴすぴす、と甘えず吹雪丸は青い目で静かにコウジを見つめた。

 頭上高いところからずるずると降りてきたそれが背後、少し離れたところで(わだかま)っている。先ほどからコウジを蟠る何かがぐいぐいと後方へ引っ張っている。声のない何かに呼ばれている。振り向けばきっとがさがさとして粗く質感の違って見える道のようなものがあるだろう。それが森の縁、苔や釣鐘のような白い花の咲く地を這う低木の茂みに続いているに違いない。


「マレビト、どこへ行く」

「来ちゃだめだ、橘」


 はちみつ色の瞳を(みは)り、美しいひとが息を呑んだ。

 また会おうとは言えない。好きだとも言えない。本当は一緒にいたいと言えない。動かないコウジに向かって、道が伸びてきた。


――ぶ……ん。


 身体のまわりで空気が渦をつくる。


「橘、きみのことは忘れない」


 身体のまわりで小さく渦を巻くように何かが振動する。渦の向こうで美しい人が腕を伸ばす。


「私をひとりにしないでくれ、コウジ」


 幻聴だ。橘は強がりで、弱音なんか吐かない。橘は名を呼ばない。心残りが都合のよい幻を聞かせているに違いない。コウジの胸が痛んだ。


――ぶ……ん。


 振動同士が共鳴し合い揺れが大きくなりがくり、と膝から力が抜ける。空気が震え、コウジはがさがさとした道のようなものに呑み込まれた。


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