表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

26/30

七日目-3-

 二人がホテルに戻ってきたときには、すでに日が暮れていた。


 すでにぐったり疲れていたが、まだ今日は終わっていない。

 マリエルは、部屋に戻るとすぐに外套を脱ぎ、クローゼットにしまっていたいつもの衣装を手に取った。

 手早く着替えを終え、髪をまとめようとして、ふとベッドの上に置いた紙袋に手が止まる。


 マリエルの心臓が、優しく跳ねた。

(違う────)

 マリエルは、ぎゅっと拳を握り締めた。


 今日は、ルドウィクに休んでもらうつもりだった。

 このままホテルに居たら、また執務をはじめてしまうかもしれない。いや、きっとそうしていた。

 だから。

(不遜な、ワガママを、申し上げた)

 周辺の散策をしよう、などと。


 はじめは、すべてルドウィクのためだった。

 敵だらけのホテルから連れ出したのも、普段は着ないような柔らかい服を選んだのも。

 全部。


(それなのに────)

 喜んでしまった。

 また優しさを頂いてしまった。

(なにをやっているの)

 昨日、決めたばかりだというのに────。


 閣下は、ずっと自分を見守ってくれていた。

 私がうっかりあの露店に目を留めてしまったとき、すぐに気づいてくださった。

 そして、私からは欲したりしないことを見越して、閣下が自ら選んでくださった。


 その横顔。優しい目つき。柔らかい声。

 髪飾りを持たせてくださったときに触れた、暖かい指先。

 それを思い出して、胸が苦しくなる。

(覚悟が、揺らいでしまう)

 ────このまま、ずっと一緒にいたい、などと。


(違う)

 そうじゃない。

 それでは、今までと変わらない。


 マリエルは、紙袋から手を離した。

(閣下のために────)

 たとえどれだけ嫌われようとも。どれだけ自分の手を汚したとしても、

 ────自分の命を、すべて使ってでも。



※※※



 執務室に戻ると、ルドウィクはすぐに机の上に書類を広げた。

 扉が閉まる気配に顔を上げると、マリエルと目が合った。

 マリエルは静かに一礼して、隣へやってくる。

 ────その動作一つ一つが、どこかいつもよりも距離を感じる。


(遠い……)

 普段よりも、一歩。マリエルの立つ位置が遠い。

 胸に、まるで小さなとげが刺さっているかのような痛みが走る。

 それを表情に出さないように、ルドウィクは柔らかな笑みをマリエルに向けた。


 その視線は、ついマリエルの髪を探るように動く。

 ────露店で買った、あの髪飾り。

 そこに無い、と気づいた瞬間、わずかに心が沈む。

 そして、それに気づいてしまった自分に、ルドウィクは戸惑う。

(なにを期待しているのだ、私は)

 チクリ、と痛みが増したような気がする。

 ルドウィクはそれを笑顔でごまかして、視線を書類へと戻した。


 そこへ、官吏が電信を持って入ってきた。

「議会から返答がきたのか?」

「いえ、閣下宛の私信です」

 ルドウィクの問いに、官吏は事務的に回答する。

 私信────。

 その言葉に、ルドウィクはイスから勢いよく立ち上がった。

「見せてくれ」


 電信を渡して、官吏は退出していった。

 受け取った電信文を、すぐにマリエルに預ける。


 胸に走る、緊張。そして、希望。

 マリエルは暗号をすぐに解読し、読み上げていく。


「電信は……カンパニアからのものです。『講和会議に対する仲介を前向きに検討している』……とのことです」

 その言葉に、ルドウィクの頬は自然と緩んだ。


「間に合った……いや、間に合うかもしれない」

 希望的観測を抑えながらも、ルドウィクは力強く手を握り締める。

 続く文面には、仲介使節が現地に向かうことが記されていた。

「ラバルナのカンパニア大使館から、この講和会議の議場までお越しになるそうです」

「いつだ?」

 思わず食い気味に、ルドウィクは尋ねていた。

 マリエルはさっと文面を確認してから、答える。

「……到着は、明日の予定だそうです」

「そうか……そうか!」

 ルドウィクは右の拳を左手に打ち付ける。

 まだ、安堵していいような段階ではない。手放しに喜べるわけではない。

(それでも────)

 状況を、変えることができる。


 ルドウィクは、深い安堵のため息をついた。

「これで、次の手が打てる」

 そう言って顔を上げて、隣にいるマリエルへ微笑みかける。

 マリエルは、ただ黙って一礼した。

 ────その表情は、どこか硬く、重い。


(……まただ)

 胸の奥に、説明のつかない感覚が広がる。

 不安。疑念。まるで締め付けられるような、冷たい感触。


 問いただす権利など、自分にはない。してはならない。

 ルドウィクは気づかぬふりをして、再びイスに腰を下ろした。



※※※



 夜。

 マリエルは、ベッドの上で静かに考えていた。

(私が、閣下のためにできること────)

 邪魔者を殺す?

 そんなマネは自分にはできないし、それではルドウィクにまで迷惑が及ぶ。

 ハニートラップ?色仕掛け?

 ……やったことないし、そもそも顔を知られている相手には難しい。

(焦るな、私)

 マリエルは、自分に言い聞かせる。

 急に大きな成果を上げようとするのが間違い。今はできることを一つずつ。

 それだけだ。


 そして、マリエルはそっと目を閉じた。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ