七日目-2-
歩きながら、露店を眺めていく。
マリエルの視線に気を配りながら、ルドウィクは歩幅を合わせる。
ふと、マリエルの目が一つの露店に吸いよせられた。
小さな木箱が並び、その中に手掘りの髪留めが、まるで宝石のように整然と並んでいる。
ルドウィクはその露店の前で足を止めた。
「店主、見てもいいか?」
露店の老婆は、にこやかな笑顔を向ける。
「どれにしようか、マリエル」
「えっ」
ルドウィクが顔を見ると、マリエルは驚いた表情のまま固まっていた。
「その……違うのです」
「……なにがだ?」
「いえ、あの……今日は、閣下のお疲れを癒していただくために……」
困惑というより、混乱。言葉を探すように、目が泳いでいる。
その姿が、いつも通りのマリエルに感じられて、ルドウィクはふっと笑った。
「なら、君に選んで欲しい」
ルドウィクは、優しく言った。
「君がそれをつけてくれたら、きっと癒されるから」
「……っ」
マリエルは肩をピクッと震わせた。
そのまま、真っ赤になってうつむいてしまった。その横顔に、ルドウィクの胸がじわりと暖かくなる。
「これなどは、いかがでしょう」
老婆が、装飾品を一つ差し出す。
小さな銀細工の、海鳥をかたどった髪飾りだった。
「それは、想い人への贈り物として定番の髪飾りなんです」
「お、想い人?」
何気なく受け取ったルドウィクはその言葉に声が裏返った。
老婆がおかしそうに笑う。
「若いお二人にはお似合いですよ」
「そ、そうか……」
戸惑いながら、ルドウィクは髪飾りを眺める。
隣をちらっと見る。マリエルは顔を赤くしてうつむいたままだ。
その姿がたまらなく愛しくて、知らずにルドウィクの鼓動が早くなる。
ルドウィクは、深呼吸した。
(これは────想いの強制ではない。ただの、普段の仕事に対する報酬。という名目なら……)
自分にそう言い聞かせてから、意を決して、ルドウィクは髪飾りをマリエルに見せる。
「……どう、だろうか?君がよければ────」
「その……」
マリエルは、震える声で言った。
泣き出しそうな、苦しそうな声。
「こんな……もの、頂いてしまったら……お返しなんて、でき────」
そこまでつぶやいて、マリエルはハッと口をつぐんだ。
「……?」
ルドウィクは、マリエルの顔を見つめた。
マリエルは一度目を閉じ、すっと息を吐いてから、顔を上げた。
その瞳には、どこか張りつめたような、あるいは強い決意のようなものが見えた。
「いえ。このご恩は、必ずお返しいたします」
その声は……どこか苦しそうで、悲しそうで。
ルドウィクは、理由がわからないまま、胸の奥が妙にざわつくのを感じていた。
二人は、無言のまま港町の大通りを歩いていた。
いつの間にか日は傾きはじめ、海はオレンジの日差しを受けて波が輝いて見えた。
小高い丘の上にある公園。
そこに置かれたベンチに、なんとはなく腰掛けて、海を眺める。
すぐ隣に座っているはずのマリエルが、今はなぜか遠く感じられる。
ルドウィクは、そっとため息をついた。
公園からは、港湾都市が一望できた。
出入りする船、道を走る荷馬車。さっき立ち寄った広場も見える。
(今日の、マリエルは────)
やはりどこか、いつもと違う。
少し軽やかで、重荷を下ろしたような、でもどこか頑なな……そんな雰囲気を感じる。
(理由を知りたい)
そう、思ってしまった。
知りたい、という単純な願いですら、危うい衝動だということは、自覚している。
ルドウィクの立場であれば、マリエルを縛ることも従わせることも、できる。できてしまう。
だからこそ、絶対に踏み越えてはならない線を、自分に課している。
そこを超えてしまったら、彼女の自由も、誇りも、簡単に奪えてしまう。
(……それでも)
いつか。
自分がマリエルに向けている想いを、彼女が気づいてくれる日が来るだろうか。
そんな淡い期待を抱くだけなら、許されるだろうか。
横目で、そっとマリエルを見る。
夕日が髪を照らして、横顔の陰影を柔らかく作っている。
その表情は沈んでいるようにも、なにかを噛みしめているようにも見える。
……どちらかまでは、はっきりしない。
ただ、さっき贈った髪飾りの包み紙を、まるで宝物でも守るように、両手でぎゅっと抱えている。
大切にしてくれている。
胸の奥が、甘くうずく。
(今は────)
それだけで、十分じゃないか。
ルドウィクは、自分に言い聞かせるようにそう思った。
ふと、ルドウィクは遠くへ目を向けた。
あのあたりは軍港エリアだったはず────。記憶の中の地図をたどりながら、目を細める。
倉庫や作業機械、そして灰色の装甲艦。
その奥に見える光景に、ルドウィクの目は吸い寄せられた。
ここから見える海岸線沿いに、ずらりと同じ形の船影が並んでいる。
見た感じでは、武装はついていない。しかし幅広で平たい船体。
(輸送船?)
それも、ものすごい数。小高い丘で遮られて見えないが、その向こう側まで船の列は続いているはずだ。
ハッとして、ルドウィクは立ち上がった。
「あれは────」
視界の中で、規則正しく動いていく人の列。
荷役夫でも、港湾労働者でもない。
統一された灰色の軍服、小銃をかけた隊列の影。
(共和国の陸軍歩兵部隊。それも)
数千、数万。
船の中にどれほどいるのだろうか。ここからでは、推し量ることすらできない。
彼らは整然と隊列を組み、次々と輸送船に乗り込んでいく。
その後方では巨大なクレーンが、無骨な木箱やコンテナを船に積み込んでいく。
箱の形状、サイズ。あれが弾薬や野戦糧秣であることは、容易に想像がついた。
潮風が、鉄や火薬の匂いを含んでいるような錯覚を覚える。
いつの間にか、ルドウィクは体をこわばらせていた。
「閣下、あれは……」
マリエルが、震える声でつぶやいた。
目の前で、現実が動き出している。
「ああ。間違いない」
ルドウィクは、低い声で、拳を握り締めながら答えた。
「ここからベハイト港へ向かう、輸送船団だ」
ベハイト港。
今は共和国の手中にある、帝都までたった三日の距離にある港。
ギリッ、とルドウィクは歯を鳴らした。
────この光景が、ここから見えたことは、決して偶然ではない。
共和国が会談の場所をここに選んだ理由。
(それは、この光景を見せるためだ)
このまま休戦が終わったらどうなるか。講和できなかったらどうなるか。
それが、容易に想像できるように。
すでに、事態は動きはじめていた。




