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七日目-1-

●講和会議 七日目

「閣下」

 軽い朝食の後。

 ルドウィクと一緒に部屋に戻ってきたマリエルは、いつもよりいちだん軽い声でルドウィクを呼んだ。


「本日は、お休みなのですよね?」

「あ、ああ……会談はない、が」

「でしたら、周辺を散策しませんか?」

「え?」

 いつもと違うマリエルの雰囲気に、ルドウィクはすこし戸惑った。


 ────さすがに、心配をかけすぎてしまっただろうか。

 そんな思いが、ルドウィクの胸をよぎる。

(昨日はちゃんと休めたから、安心してくれているのか?……いや)

 それにしては、どこか吹っ切れたような、むしろ危ういような、そんな感じを覚える。

(だとしても、マリエルが喜ぶのなら……)

 ルドウィクは、うなずいた。

「ただし、夕べやり損ねた、電信の処理だけは先に済ませておきたい」

「はい閣下」

 マリエルはさわやかに笑った。


 朝のうちに、その日の電信の確認と返信文の作成を終わらせる。

 そのあと、ルドウィクとマリエルはホテルの外に出た。


 ホテルを出た瞬間、潮の香りを含んだ風がふわりと吹き抜け、マリエルのショールの裾を軽く持ち上げた。

 薄いアイボリーのワンピースに、紺の短い上着。

 肩に巻いたショールが朝の光を受けて揺れ、普段マリエルが着ている帝国式の侍女服よりも柔らかい印象に見える。

 隣を歩くルドウィクは、濃紺の軽いフロックコートに淡金色のウェストコート。

 朝の散策にぴったりの軽装だというのに、やはり品格がにじみ出てしまうのは彼の持ち前なのだろう。


「良い天気ですね、閣下」

 マリエルが微笑む。

「そうだな。……風も心地よい」

 そう言いながら、ルドウィクは彼女の横顔をちらりとうかがった。

 ────微かな、違和感。

 すっきりしたような、どこか無理をしているような。

 しかし、その変化はうまく言葉には出せない。


 丘陵の上から緩やかに続く坂道を、ゆっくりと下っていく。

 白い漆喰の迎賓館やホテルが連なる通りは、午前の光を受けてまぶしく輝いている。

 遠くの鐘楼に止まっていた海鳥が、甲高い声をあげて飛び立った。

「きれいな街並みですね」

「そうだな。……共和国の港町はどこも整備が行き届いている。が……ここは特に美しいな」

 石畳を踏む音が、二人の歩幅に合わせてコツ、コツと響く。

 坂道を下りきったあたりには、レンガ造りの倉庫が立ち並んでいた。

 行きかうのは荷役夫や商人、漁師たち。

 そして、並ぶ露店には多くの人が集まっている。

(帝国にはない、活気────)

 ルドウィクは、帝都の港街を思い出していた。

 薄暗く、汚れて危険な、港湾エリア。

 活気はなく、人通りと言えば犯罪者か浮浪者ばかり。

 こんなに明るくきれいな港町なんて、想像したこともなかった。


 湾の向こう。

 灰青色の海に、巨大な軍港の設備が影絵のように並んでいた。

 複数の乾ドック、鉄製クレーン、そして装甲艦の巨体。

 汽笛の音にまじって、クレーンの動く、重たい金属音。そして、号令の声。

 その手前を商船や帆船がゆっくり往来し、この港湾都市が交易だけではなく、軍港でもあることを示している。


「あんな……大きな船があるのですね」

「共和国でも拠点となる港だからな。世界中から、船が集まってくるのだろう」

 話しながら、ルドウィクはマリエルが足元の細い段差につまずかないよう、そっと彼女の肘に手を添える。

 マリエルは一瞬こわばったような表情をして、そしてすぐに微笑んだ。

「恐縮です、閣下」

 ルドウィクは、一瞬言葉を飲み込んだ。

 普段と変わらぬ口調。

 しかし、ルドウィクはその言葉がなぜか『距離を開けている』ように聞こえた。

(なんだ……この違和感は)

 表面的には、明るく、むしろはしゃいでいるようにすら思える。

 それなのに、踏み込もうとするとすっと遠ざかる────。そんな、印象だった。

 それを上手く呑み込めないまま、二人は坂の下、石畳の道へ出た。


 石畳の隅には小魚が散らばり、魚の匂いが強く漂っている。

 続く広場には、取れたての魚や干物、他にも様々な果物や農産物が所狭しと並び、商人たちの呼び込みの声が賑やかに響いていた。

「あ……」

 マリエルが小さく声を上げる。ルドウィクがその視線を追うと、その先に雑貨を扱う露店が並んでいるのが見えた。

 見慣れぬ銀細工や帆布の小物入れ、貝殻を使った装飾品などが置かれている。

「見てみるか……?」

 ルドウィクが声をかけると、マリエルは一瞬ビクッとした。

 そして少し逡巡したあと、ルドウィクを見上げる。

「私などには、もったいない品物です」

「そんなことはない」

 ルドウィクは、慌てて言った。

 そして、マリエルの声に潜む、どこか冷めたような響き。

 言葉遣いは普段と変わらないのに、にじみ出るような違和感。

(なにかあったのは間違いない。でも、なにが────)

 疑念を押し殺して、ルドウィクは続けた。

「今日は休みなんだろう?なら、のんびりしよう」

「……はい」

 マリエルは、にこやかにそう答えた。




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