四日目-5-
その夜。
ルドウィクのためにお湯をもらいに行きながら、マリエルはさっきの会話を反芻していた。
喉の奥がきゅっと詰まる。
ルドウィクの言葉が、まだ耳に残っている。
(『恩返しなど考えなくていい』────)
私からの恩返しなど、きっと閣下にとってはなんの価値もないこと────。
そんな思いが、胸をよぎる。
(違う────)
閣下は、そんな風には考えていらっしゃらない。
あのお優しい方のことだから、私を気遣ってくださっているのだ。
でも。
(閣下に必要とされない私に、なんの意味がある?)
閣下のお慈悲とやさしさに甘え、縋るだけの自分など。
ふと、窓から外に目をやる。
暗い前庭を走っていく人影。
はっとして、マリエルは窓のそばに寄った。
(あれは────)
人影は、一瞬見えた服装からして帝国の官吏に違いない。
あの方向から考えて、裏口から出て行ったのだろうか。
裏口に目を向ける。そこに立っていたのは、外交長官だった。さっきの人影を目で追ってから、中に入っていくのが見える。
(今のは────?)
胸がざわつく。
個人的な電信だろうか?
でも普通の電信なら、さっきのルドウィクの返信と一緒に持っていけばいいはず。
なのに、わざわざ別に送る意味がわからない。まして、こんな誰も来ない時間帯に?
人目を避けているのは確かだ。
────嫌な予感がする。
どう考えても、ルドウィクに味方するような行動には見えない。
外交長官は、そのまま館内に戻っていく。
つい、足がエントランスへ向かう。
今なら、あの官吏に追いつける。この暗闇の中なら後をつけることもできるはず。
足早に、マリエルは急いだ。
(でも)
ふと、マリエルは躊躇した。
後をつけてどうする?問い詰める?それとも電信の内容を奪う?
どちらも、マリエルには難しい。
それに、もし見つかったら?
閣下にも心配をかけてしまうかも知れない。余計なトラブルを引き起こしてしまう危険だってある。
それでも────。
(『頼むから、危ないことはしないでくれ』────)
ふと、ルドウィクの言葉が浮かぶ。
マリエルの足が止まる。
ルドウィクの、泣き出しそうな声。
(だめだ────)
マリエルは、手をぎゅっと握りしめた。
こんな方法では、閣下のお役に立てたとは言わない。言えない。
すっと息を吐いて、肩の力を抜く。
マリエルは、廊下を給湯室の方へ戻っていった。
窓の外には、夜の闇が静かに世界を包んでいた。




