四日目-4-
その後は、詳細条件の確認などを簡単に行っただけで、その日の会談は終了した。
外交長官は怒りをあらわにしたまま、迎えにやってきた蒸気自動車に乗り込んだ。
書記官たちや官吏たちも、誰も言葉を発しなかった。
ルドウィクも、蒸気自動車の中でもずっと無言のままだった。
マリエルもなにも言えず、じっと振動に耐えていた。
ルドウィクは、ただぼんやりと窓の外を眺めている。
窓の外を、港湾都市の風景が流れてゆく。
いつもであれば日差しが海面を照らしている時間帯だが、今日は雲が厚いらしく、空も海もどんよりとしている。
この場でなにを言うべきなのか。どうすればルドウィクの力になれるのか。
────答えはまだでないままだった。
ホテルに戻ると、帝国からの電信が何通も届いていた。
マリエルが暗号解読の用意をするのを横に見ながら、ルドウィクはため息をついていた。
「……どうせ、内容は分かっている」
マリエルは電信を読み上げる。その内容はどれも似たようなものだった。
議会からは休戦条件についての文句や不満、抗議。議長からは『帝国議会としては休戦条件を到底容認しえない。宰相閣下には再度の条件交渉を要望する』とまで書かれていた。
さらに軍部からは無理筋な訂正提案や非現実的な反抗作戦、はては再度の決戦構想まで含まれていた。
継戦派の議員からは連名で、交渉が無理なら講和会議を中断して引き上げるべき、という意見書が送られてきていた。
ルドウィクは机に手をついたまま、しばらく動かなかった。
どう声をかけていいのかわからず、マリエルもしばし無言だった。
「共和国側の意図は、だいたいわかっている」
少しして、ルドウィクはこぼすようにつぶやいた。
「無理筋な条件を提示して、こちらがある程度譲歩するまで待つ。
本当の狙いであるフリジア地域は確保したままで、それ以外の部分に交渉余地があると思わせる。
しかも、圧力をかけつつ、だ」
マリエルは黙ってうつむく。
ルドウィクの沈痛な表情が、心に刺さる。
「こちらとしては、なるべく時間をかけつつ、列強の介入をちらつかせていくしかない。
……一応、手は打ってあるが、間に合うかどうか」
マリエルは、ぎゅっと手に力を入れる。
このお方が背負っている荷物の、ほんの一部でも、肩代わりして差しあげたい。
「返信文を、作成してくれ」
少ししてから、ルドウィクは顔を上げた。マリエルはすぐに手帳を取り出し、電信文の暗号化の用意をする。
そしてマリエルは、ルドウィクが口にする返信文の内容を筆記していく。
「議会宛の返信は『現状で二要塞放棄は妥当、もしこのまま戦争を続けていればすべての要塞の陥落は確実』。
軍部宛は『共和国の監視官にもし危害を加えるようなことがあれば即時休戦は終了し、今度こそ帝都は陥落する』。
……そして継戦派連盟宛には『講和については皇帝の意志でもあり全権委任されている』。……以上だ」
そこまで言い終わると、ルドウィクは疲れた表情で、ドカッと椅子に腰かけた。
そして無言のまま、天井を仰ぎ見る。
いつも以上に疲労している様子に、マリエルは不安を覚えた。
しかし、返信を急がなければならない。
マリエルは急いでそれらの文章を暗号化し、元のメモを灰皿に置き、火をつけた。
それが済むと、ルドウィクは官吏を呼び、電信を送るように命じた。
官吏が出て行ったあと、ルドウィクは悲嘆にくれて深いため息をついた。
「どうせ、議会からは現実的な回答は戻ってこないだろう」
マリエルはそっと隣に寄り添った。
ルドウィクのつぶやきは、重たく、沈んでいる。
(閣下のお力になれるなら……なんだって……)
そう思ったとき、自然と口が動いていた。
「閣下……私に考えがあるのですが」
怪訝な顔をして、ルドウィクはマリエルを見る。マリエルは、そのまま続けた。
「共和国側は、私を『あくまでカレドニア語の通訳』だと思っています。昨日の反応を見ても、私がラバルナ語がわかるとは気づいていないはずです。
なので、私が────」
「だめだ」
言葉の途中で、ルドウィクはさえぎった。
最後まで言わずとも、ルドウィクには、マリエルの言いたいことなどわかってしまっているのだろう。言い聞かせるように、ルドウィクは言った。
「会談場は警備が多い。少しでもうかつなことをすれば、すぐ怪しまれる」
「決して、閣下にご迷惑はおかけいたしません」
それでも、マリエルは必死に言った。
「もし発覚した場合は、私が勝手にやったことにして切り捨てて下さって構いません。どうか────」
「そんなことできるわけがないだろう!」
言いながら、ルドウィクはマリエルに振り向いた。
思ったよりも、強い口調。マリエルは思わずビクッとして、口をつぐんだ。
ルドウィクはハッとしたように口を押える。
それから、今度はすこし優しい口調で言った。
「何度も言っているが、君はもっと自分を大切にするべきだ。捨てられて構わないなどと、軽々しく口に出すな」
「ですが……」
急に、視界がゆがむ。知らぬうちに、目から大粒の涙が零れ落ちていた。
そのことに、マリエル自身が驚いていた。
ルドウィクはぎょっとして、マリエルの顔を見つめる。
「私は、ただ閣下のお役に立ちたいのです。どうか、私に閣下のお仕事のお手伝いをさせてください」
声が震えてしまう。
涙を止めようとしても、どうしても止まってくれない。
「君は、もう十分役に立ってくれている」
ルドウィクは、低い声で言った。
「足りません」
マリエルは首を横に振る。
「この程度では、閣下からいただいた御恩を、まるでお返しできません」
「そんな……ことは、いい」
震えるような声で、ルドウィクは言った。
ルドウィクはそっと立ち上がり、手を伸ばして親指でマリエルの涙をぬぐう。
指先が触れた瞬間、心臓が跳ねる。
(違うのに────)
鼓動の強さに耐え切れなくなり、マリエルはうつむいた。
(こんな、みっともないところを見せるつもりじゃなかったのに────)
そのまま────ルドウィクの両手が、マリエルの肩を優しく抱き寄せた。
あたたかくて、とても苦しかった。
(こんな……私には、優しくしていただく資格など────)
そう思うと、また涙があふれてしまう。
「君が居なくなったら、困るんだ」
耳元で囁くような声に、体温が上がる気がする。
「だから────恩返しなど考えなくていい」
それだけ言うと、ルドウィクは名残惜しむかのように、ゆっくりと肩を離した。
涙を見せてしまった恥ずかしさもあって、マリエルは顔を上げられなかった。
ルドウィクは、諭すように、優しく言った。
「頼むから、危ないことはしないでくれ」
「…………はい」
ルドウィクの、まるで泣き出しそうな、か細く震える声。
マリエルは、そう小さくつぶやくのが、精一杯だった。




