第13話 男と女 孤独と情
「はい」
返事が返って来たが、声は口調は、とても硬い。
続き閂を外す音、そっと開いた隙間から目だけをのぞかせる。
一瞬、大きく目を見開くが恐る恐ると尋ねる。
「どのような、ご用件ですか。」
女の突き放すかの様な口調。
選択を間違えたかと悩むも引き返す選択肢は無い。
「今晩は、自分、一人旅をしております。生憎と路銀もつき陽も暮れてしまい途方に暮れおります。どうか納屋の隅で構ません。一晩泊めていただけませんか。」
心底困り果てたと表情と声にだし頭を下げる男。
女は戸惑っていた。
当然である、目の前の男が物盗りの類で無い保障はない。
しかし、微かな期待が女の胸にわだかまる。
女の心の隙を突くかの様に男は言葉を続ける。
「どうかお願いします。初めての土地で困っております納屋の隅で良いので。」
再度頭を下げ頼み込む男、この瞬間も戸口隙間から屋内を観察していた。
家人は、この女独りのみ、薄暗い室内をわずかに照らすのは素焼きの油灯。
目星い物もない。
「納屋の中には山羊がおります。何もお構いなくできませんが、どうぞ。」
女の期待が警戒を上回った。
三度、頭を下げ、幾度も礼の言葉を口にする男。
しかし、女は知らない、男が頭を下げた時、言いえぬ程のドヤ顔になった事を。
異世界!!楽勝かよww
男に生まれりゃイージーモードww
うはww (・∀・) 勝ったな!!
「外は寒かったでしょう。今、火を熾しますので、お掛けください。」
「失礼します。」
木製の机と椅子が二つ。
調理用の竈兼暖房器具の横には薪が積まれる。
鍋、釜、数枚の木製皿。
簡素なベット。
床は土が剥き出しの土間。
部屋隅には二つの麻袋。
男からすれば何も無い室内。
いや、男の自宅は物が有り過ぎなのだろう。
この世界、この時代、独り者の農婦の生活。
女は湯を沸かす。
何も喋ろうとしない女、男は自分から話を振る。
「自分、ヨシツネといいます。お名前、うかがえますか?」
特に理由無く男の口からさらりとでた偽名。
「ラキです。珍しいお名前ですね。」
「ええ、遠い地から来ました。ラキさんは、ここにはお一人で?」
女は竈から鍋を降ろすと麻袋から大麦粉を掬い鍋の中の湯に投入する。
「ええ。母が亡くなってからは、ずっと。」
鍋の中、素手で大麦粉をこねながら答える女、彼女は男を見ようとしない。生地を練りながら。
「遠くとは、タリアですか、バレス、マルトゥクス。」
「自分、海を渡って来ました。遠い東の国から。」
女は作業の手を止めた。大麦粉生地を短時間休ませる為に。
「海の先に国があるんですか?」
女の半信半疑の表情に男は微笑で頷く。
「海の先は滝だと聞いてます。」
男が誰からと尋ねれば、女は旅芸人からと答える。
「その髪も、、、地毛ですか?」
「地毛ですよ。僕の国では、皆、黒髪です。」
異国の地から来た男は珍しい黒髪。
なんともロマンチックだと。
女は男に背を向け、生地薄く伸ばし火にかける。
「旅は楽しいですか?私、この村から、ほとんど出た事が無いんです。」
農婦の一生は土地に縛られて生きる。
旅人、それは川原者、無法者と同義。
女の麦生地を焼く背中は、何処か煤けて。
男は女に語り聴かせた。語るのは日本の四季風景と風物詩。
良いですね、彼女からでた言葉は諦観と憧憬。
「熱っ!」
男が出来る事は女の前で大仰に喜び大仰に礼をいい大仰に反応するだけ。
男が演じるは道化。
饗された粗末な食事。
大麦粉を湯で練り塩で味付け薄く延ばし焼いただけの物。
(チャパティに近い?大麦?)
焼きたての生地を手掴みした、熱さに叫び手を引っ込めれば机を挟み対面する女がクスと微笑した。
「はぁ〜ホクホクですね。美味しいです。」
当たり障りのない感想も笑顔で伝える。
久方振り、麦の香りと味覚、やはり美味いのだろう。
「酸っぱ!!」
(定番食だろうな。)
キャベツの塩漬けは乳酸菌発酵が進み食べ頃。
貧者の夕食、大麦粉の平焼きとザワークラウトを完食し。
「ラキさん、よろしければ一杯淹れさせてください。」
食後、持参の煎り野草茶を淹れる。
木製カップにシナモンスティックを添えて。
立ち昇る湯気を鼻腔に吸い込む女。
その香りが脳内で幸福物質を分泌した。
茶に口づけ頬を緩める。
女は言葉なく今を味わう。
喫茶とおしゃべり。
相手との距離を詰めた。
物見遊山に来たのでは無い。
男は諜報に来たのだ
女王都を目指している。
次の行き先も決めたいと相談を持ちかける。
女は村に来る商人、興行師の話と前置きしながら。
「バレス、マルトゥスクはお隣、タリアはタリア帝国、海を挟んだ南の大国。」
女の話をウンウンと頷き聞き役にまわる男、
「お茶のおかわり淹れるよ。」
そろそろ女の話の種も尽きた頃あい。
「レキ女王国の北は?ほら家の前の道を北上した先に国は無いのかな?」
「無いですよ。」
「じゃあ、此処より北は、何処の領土で、住んでる人は?」
「山向こうは蛮地、レキ女王国の領地で、極々たまに貴族が大仰な人数で狩りをするわ。」
竈の火が燃え尽きる。
「休みましょうか。ヨシツネさん、そこのベッドを使って。」
一台の藁を中敷きにした簡素なベッド。
この先、どうなるか、何が起こるか理解しながら、只礼を述べベットに入る。
女が油灯の火を落とせば暗闇。
一つのベッド、男と女。
「寒いね」
女を背後から抱きしめる。
回した手が、ひび割れ男以上に節くれ立つ手を握る。
酷く痩せた身体を抱きしめた。
女のうなじに顔を寄せる。
体臭と土の匂いがした。
寒村、独り生きる農婦の人生を想い、男は女を抱き寄せる。
寒さに目を醒ます。
女はハッと居敷を急覚醒させ上半身を起こし周囲を見回す。
男が消えた。
室内、盗まれた物は無いかと視線を彷徨わせ机の上に男の麻製背負い袋が置かれている事に安堵する。
“カン” “カン”
外から音が。急ぎ女は服を着る。
玄関を抜け音のする裏手に回れば。
“カン”
女の気配に振り返り男は手にした斧を下ろす。
「おはようラキ。」
「これ全部あなたが。」
一宿一飯の恩がえしと、男は薪を割っていた。
「ああ、もう少しで全部終わる。寒いだろ、家の中に居てくれていいよ。」
“カン”
「私も山羊の乳搾りを済ませるわ。」
地平の先、朝陽が昇り初める。
「お疲れ様。さあ召し上がれ。」
木椀の中で大麦の山羊乳粥から湯気を立ちる。
木匙で掬い一口。
「うん、あったまる。ありがとう。」
女は男が食事をする様を終始眺めていた。食後、男が淹れた野草茶を飲む。
「ヨシツネ、良かったら、その」
「ラキ、本当に助かった。僕は女王都に向かうよ。ありがとう。」
女の言葉と想いを遮る男の言葉。
女は両膝の上でぎゅっと拳を握りしめ俯いた。
熊皮外套、フードを深く被りでて行く男。
「さよなら」
「うん」
女から別れの言葉は無い。
遠ざかり一度振り返り男は大きく手を振った。
ラキは遠い男に向かって胸元で小さく手を振る。
「これ以上は情が移る。」
もう振り返らず、早足にて街道を進む。