責任
8話一時間毎に投稿です(7話~14話の9話目です)
クルドックはベッドに近付くとその小さな体の腕を取った。細い小さな腕は冷たい。大量に血を失ったためだろう。既に止まっている脈を確認する。
「…、クルドック」
縋る目をしたガリレイに黙って首を横に振る。
ここまで酷い怪我だとは思わなかった。あの時すぐに駆けつけていても…、無理だったかもしれない。だが、何か出来ることはあった。解雇覚悟で来るべきだった。
「クルドック…せんせい…」
少年―カイルはギッと睨み付けた。
「なぜ来てくれなかったのですか! ノアが、ノアが…」
カイルの服は所々黒く汚れていた。時間が経って黒くなってしまったノアの血だと確かめなくても分かる。ぶつけてくる拳を何をせずにただ受け止める。そうされるだけのことをクルドックはしてしまった。
「止めなさい、カイル」
ガリレイがカイルの手を取って止めた。ガリレイもクルドックと同罪だ。面倒になるからとクルドックを行かせなかった。ガリレイもノアを見に来なかった。ノアを見殺しにしてしまった。
「あなた、またノアのきょうげ…、なんですの?」
肩を怒らせてラミラはノアの部屋に来た。いくら皆の気が引きたいからと死んだことにするなんてと怒っていた。
ノアの部屋に来てみると重々しい雰囲気になっている。
「は、ははうえ、ノアが死にました。ノアが怪我をしたのになぜクルドック先生を来させてくれなかったのですか?」
ラミラはベッドに横たわるノアに初めて目をやった。土色の顔、血塗れの体。
「クルドック先生、ノアが怪我をしているみたいですわ。早く診てください」
ラミラは娘の変わり果てた娘の姿に眉を潜めた。本当にいつもいつも問題ばかり起こして、ノアは困った子供だった。
「ラミラ、もう遅い。最初に報告が届いた時に動いていたら…」
ラミラは首を傾げた。夫ガリレイの言うことが分からない。何が遅いというのか。ラミラは今知ったのにノアが怪我をしていることを。
「何を仰って…。ミアが大変な時に怪我など、全く困った子ですこと」
ラミラは呆れた息を吐いた。こうやってノアは皆の気を引こうとするのだ。ミアと違って健康なのだから大人しくしているべきなのに。
「ノアは死んでしまった。私たちが死なせてしまったのだ!」
ガリレイは声を震わせた。近くにいながら医師もいるのに何もしてやらずに死なせてしまったのだ。
それがラミラには分からない。何故自分達がノアを死なせたことになるのか。それなら怪我をしているノアを診ないクルドックが悪いのに。
「奥様、俺が屋敷に呼ばれたのはこちらのお嬢ちゃんを診るためだった、ということですよ」
成り行きを見守っていた町医者が口を開いた。
「奥様が俺に医者が必要ないお嬢ちゃんを診させている間にこっちにいる本当に医者が必要お嬢ちゃんが息を引き取った、というわけです」
「なっ、何を。ミアが苦しんでいたのですよ。きちんと診ていただくのは当たり前でしょう。あなたはミアのために呼んだのです」
ラミラは責められるようなことは一つもしていない。なのに息子カイルの視線は氷のように冷たい。それが何故だか分からない。
「いいや、俺は怪我人を診てほしいと言われて来た」
町医者はそういうが、迎えにいった者が怪我人と病人を言い間違えただけ。ラミラが悪いわけではない。言い間違えた使用人が悪い。
カイルはノアが死んだというのに困惑の表情しか見せないラミラが信じられなかった。クルドック先生か、誰かが連れてきた医者がノアを診てくれていたら、ノアは助かったかもしれないのに。それをさせなかったのはラミラなのに。自分は悪くないという態度を取っているのが許せなかった。
「は…」
「坊っちゃんが看取ったのか?」
町医者はラミラには何を言っても無駄だと感じた。医者では治せない不治の病にかかっている。今、救わなきゃいけないのは一人で死を受け止めている少年だった。
ポンとカイルの肩を叩きノアの傷を診る。酷い傷だ。
「適切な処置がされている。みんなで頑張ったんだな」
応急処置は完璧だった。だが、怪我をした場所が悪く傷が深すぎた。医師が適切な治療をしていたら助かっていたかもしれない。だから、医者としてやるせない。何も出来ずに死なせてしまったのが。
「わた…、ぼくは…、ぼくは…」
カイルは悔しかった。ノアを助けることが出来なかった自分が。自分ならミアの所から無理矢理クルドックを連れてくることが出来たんじゃないかと思うと余計に。ウォルフが無理だったのだからと諦めてしまった。そんな自分も許せなかった。
「カイル、すまなかった。ありがとう。ノアの側にいてくれて」
ガリレイは肩を震わせている息子の肩を抱き寄せ、周りを見た。カイルと同じく服を黒く染めたウェンター、お湯の入ったポットを持って、汚れたタオルの山の側に、新しいタオルを持って、ノアのために出来ることをしていた者たち…。
「皆もありがとう」
ガリレイの言葉にラミラは使用人たちが遊んでいることに気が付いた。ミアの介護で忙しいのに何をしているのだろう。ノアは健康なのだ。怪我の手当てに人数なんて必要ない。
「あなたたち何をしているの? 早くミアの所に…」
「おかあさま、どう、したの?」
「ミア、こんな所に来てはいけないでしょう」
ここに侍女に支えられ歩くのも辛そうにミアが現れた。
直ぐ様、ラミラが甲斐甲斐しく介抱をしている。
町医者は呆れた息を吐き、ガリレイとクルドックは眉を寄せた。
カイルはガリレイから離れる水差しを手に取った。ノアがニアのために取ってきた水だ。だから、ニアには飲んでほしい。
「…ニア、月の水、ノアが探してくれた…」
カイルは宝物のように水差しを胸に抱きニアに近付いた。
「そのような得体のしれない物を飲ませられるわけないでしょう」
ラミラはニアを抱き締め、そんなこと許さないと首を横に振る。
「ノア様のコップに月の光が集まるのを見ました!」
ウェンターが堪らず叫ぶが、ラミラはニアの頭を抱き締めて拒んでいた。
「僕が一口飲むから、ニアも」
カイルは大丈夫な水だと教えたくて水差しから少しだけ飲んだ。ニアも舐めるだけでいいから、と水差しを差し出した。
ガッシャーン
ラミラはニアに水差しを近付けまいと手を払い、水差しは飛んで床に落ちゴナゴナに砕け散った。床に黒い染みが広がる。
「ノアが、ノアが、ニアが元気になるようにって…」
カイルは茫然と床に広がっていく黒い染みを見ていた。
「ニアが体調を悪くしたのもカイル、あなたがピクニックを強要したからでしょう。」
「ラ、ラミラ!!」
ガリレイが叱責の声をあげるがラミラには届かない。
「だ、だから、ノアはそのような得体のしれない水を探しに行ったのよ!」
ラミラは自分が何を言っているのか分かってなかった。ただ、皆が自分を責めるような目で見てくるのが許せなかった。責められるべきは怪我をしたノアでその怪我の原因を作ったカイルなのに。
「そ、そうよ、おにいさまがわるいのよ」
ニアもわけが分からないがラミラの機嫌を取るためにカイルを責めた。
「ラミラ! ニア! 止めないか!!」
ガリレイの怒声が響く中、カイルの体はゆっくりと倒れていった。
「…、ノア…、ごめん…」