馭者見習いの後悔
8話一時間毎に投稿です(7話~14話の10話目です)
マルクは後悔していた。
なんで正玄関に馬車を付けてしまったんだろう。
なんで医者を連れてきたと言ってしまったんだろう。
なんで? なんで?
後悔は尽きない。
カイルが割れたコップを持って走り去った後、マルクは馬屋に走った。早朝の仕入れのため、荷馬車は馬さえ付けたら出すことは出来る。
あの奥様がノア様にクルドック先生を回すはずがない。下町に腕のいい医者がいる。酔っ払った怪我人をよく診ている人だかから、きっとノア様の怪我も。
マルクは急いで荷馬車に馬を繋ぎ、町に向かって走らせた。赤く染まっていくタオルが目に焼き付いて消えない。
大丈夫、大丈夫と言い聞かす。奥様も鬼じゃない。クルドック先生に診てくれもらっている。マルクのすることは無駄になる。けれど、不安は消えない。出来るだけ速くと馬を走らせる。間に合いますように、と祈りながら。
町医者はちょうど最後の患者を見送っているところだった。
「お前、怪我人か? それにしても元気そうだな」
マルクを一目見て、町医者はニヤリと笑いそう言った。
「ノア様、お嬢様が怪我をしたのです。一緒に来ていただけませんか?」
マルクをジロジロ見て町医者の顔が変わった。
「準備してくる。いつでも出られるようにしておけ」
町医者は部屋に引っ込むとすぐに大きな鞄を持って荷馬車に乗り込んで来た。
「清潔な布とたっぷりなお湯を着いたらすぐに準備しろ」
時間が勿体ないとも言いたげに屋敷に着いたら必要なことを次々と言いつけてくる。マルクはそれを忘れないようにしながら、馬を走らせた。
マルクは使用人の出入口も考えた。遠回りになりノアの部屋からも遠い。叱られるの覚悟で屋敷の正玄関に荷馬車を付けた。
「マルク、その人は」
「お医者さんだよ、馬車を頼めるか?」
「分かった、他には?」
「ノア様の部屋に布とお湯」
「清潔な布だ! 必要なのは」
玄関にいた守衛に荷馬車を頼み、町医者の荷物を持って急いでノアの部屋に案内しようとした。
「お医者!」
嫌な声がした。守衛も苦虫を潰したような顔をしている。その後のことは悪夢だった。
マルクはその日もいつも通り馬車の手入れをしていた。馬車には小さな箱が置いてある。ノアの死を知った町の人たちがマルクの家に来て色々な物を置いて行った。旦那様に許可を取ってノアに供えたい。
馬に乗って誰かが出ていった。マルクはまさかと思った。そしてやっぱりと思った。ただ、葬儀が無事終わることだけを祈った。
馬車がこちらに向かってくる音がした。バカなと思った。やっぱりとも思った。すごく悔しかった。
この時間に戻ってくる馬車はないはずだった。立派な家紋がついた馬車。まだ墓地の馬車止めにいるはずの。
それが何故戻ってきたのか、誰が乗っていたのか、マルクには分かっていた。
「まったく、ラミラ様は…」
ため息混じりに馬車から降りてきた馭者の言葉にやっぱりかとマルクは思う。マルクに気が付いた馭者はばつの悪そうな顔をして、用意されている部屋に足早に去っていく。
馬車を専用の場所に移し馬を外す。親方が出てきてマルクから手綱を引ったくると代わりに篭を渡してきた。
「わしは、黄色い花でいい」
「俺は薄紅色で」
「僕は白で」
マルクの同僚や馬丁たちが色を言いながら肩を叩いていく。馬車はいつでも出られるようにしておく、と。
マルクは篭を抱え頭を下げて庭師の元へ走った。その間に会う人会う人に色を言われる。マルクは頷き走った。
早く早く。終わらないうちに行かないと…。
「次は赤い花を十五本、黄色を二十本…」
庭師のジョンたちがウェンターの言葉で花を切っていた。
「僕たちの分もお願いします」
マルクの言葉に庭師のジョンは片手を上げた。
屋敷の方からは楽しそうな笑い声が聞こえていた。




