手当て
8話一時間毎に投稿です(7話~14話の8話目です)
「ウェンター、みずを。ノアにこの水を」
やっと、ノアの部屋に辿り着いたカイルはノアの手当てをしているウェンターにコップを差し出した。部屋にはウェンターしかいない。
ウェンターは割れたコップに視線を合わせると首を横に振った。
「カイル様、このままではノア様に飲ますことはできません。硝子の破片が入っているかもしれませんので」
顔色の無いカイルを見てウェンターは言葉を続ける。カイルは何か出来ることをさせないと崩れ落ちてしまいそうだった。
「ですから、新しいコップに綺麗な布をかけ水を移し替えて硝子を取り除いていてだけますか?」
カイルはコクと頷くと割れたコップを机に置き、新しいコップと清潔な布を取りに部屋を出ていった。
ウェンターは走り去る小さな影を憐憫の籠った視線で見送った。
「ウォルス様、何故、クルドック様がこちらに来ていただけないのですか!」
カイルは歩みを早めた。開いた扉の隙間からウェンターの悲痛な声が聞こえる。
「奥様が必要ないと」
ウォルスの震える声が聞こえる。
「!! だ、旦那様は? こちらにノア様を見には…」
「それも奥様に…。ともかく、ウェンター。出来る限りのことを」
「してますよ! 応急処置では無理なんです。専門の方でないと」
「それでもだ。私は清潔な布とお湯を準備してくる」
カイルは心の奥が冷えていくのを感じた。
廊下を慌ただしく歩く使用人たち。全てミアのために動いている。怪我をしたノアのためじゃない。
母がラミラがノアのために誰一人動かす気もないことに心が冷えていく。
「カイル様、扉を開けていただけますか?」
使用人の一人が部屋の前で立ち止まってしまったカイルにそっと声をかける。その使用人はタオルを抱えていた。
「ウェンター様、新しいタオルです。お湯は準備でき次第お持ちします」
カイルが扉を開けるとサッと中に入り、タオルを机の上に置きすぐに出ていきミアの部屋に走っていく。
カイルに頭を下げて大きな桶を持った使用人が部屋に桶を置いていく。
「カイル様、危のうございます」
ポットを持った使用人が申し訳なさそうにカイルに声をかける。ポットの中のお湯を桶に入れるとその使用人も足早に部屋を出ていく。
その間にもラミラの金切声は屋敷中に響いている
「遅い」「足りない」「何をしているの!」叱責の声が響き、使用人たちが忙しなく動く中、それでもノアの部屋に必要な物を運び込んでくれている。
カイルも部屋に入って、新しいコップに布をかけ割れたコップからそっと水を移した。
「ノア、飲んで! 月の水だよ」
浅くて速い呼吸。土色の顔。死の気配が強くなっていた。
カイルは使用人が持ってきてくれた病人用の水差しに月の水を移し、苦しそうなノアの口元に当てていた。薄く開いた口にそっと流し込もうとするが、ほんの少しでも飲んでくれない。唇の端から流れ落ちるだけだ。
「ノア、ノア…」
カイルは必死に呼び掛けるが、苦しそうに閉じた目は開くことはない。だが、ふいにその目元が緩んだ。浅く速かった呼吸もゆっくりと小さくなっていく。
「ノア!」
「ノア様!」
小さく速く上下していた胸は動かなくなり、ギュッと握りしめていた手はゆっくりと開いていく。
水の交換に来た使用人が足を止める。汚れたタオルに手を伸ばしていた使用人も。
「ノアー!」
子供の悲痛な声が響いた。
バタバタと音が聞こえ、駆け込んできた大人たちが見たものは、ベッドに横たわる小さな身体、その側で表情を失っている少年の姿だった。