51話 泳ぐ特訓
泳ぐための特訓と言っても、別に特殊なことはない。
「まず、水を怖がらないための練習だ。水の中で目を開ける」
目をつぶって進んだら危ないからな。
「えっ……そんなことできないわよ……」
いきなりミーシャが怯えたような顔をする。
これ、思った以上に重症かもな。
「慣れればたいしたことない。ほら、このプールを家の風呂だと思え」
「わ、わかったわ……」
おそるおそる顔に水をつけるミーシャ。
これはクリアしたらしい。
「じゃあ、次は水にぷかっと浮いてみようか。体の力を抜いて、水面に寝転ぶ」
「ええと、こうかしら……わわっ! 水が鼻に入ってきたわ!」
すぐにミーシャは浮くのを中止する。
「何よ、これ……。拷問なの……?」
「いや、そんな部分は一切ないんだけどな。鼻の水は鼻から息を出していれば入らない。試してみろ」
「わかったわ、挑戦する……」
少し怯えが残っているし、足のほうが沈んできているが、一応成功するところまで来た。
「じゃあ、今度は体を裏返して、頭を水面に向けて浮いてみよう」
これは仰向けで浮けたおかげか、割とあっさりと成功した。
「続いて、バタ足の練習だな。俺の手を持って、足をバタバタやってくれ」
ちょっと足が沈みすぎている気がするが、不格好なのは許容範囲だろう。
「よし、ミーシャ、泳ぐための基本はすべて教えた」
「そうね、我ながらよくついてきたと思うわ」
慣れないことをずっとしてきたせいか、ミーシャはけっこう疲れていた。
疲れているミーシャを見るって、割とレアだな。
さて、俺たちは対岸が比較的短いところに移動している。
ここから直線で進めば対岸まで15メートルぐらいしかない。
「最後の試験だ。ここから泳いで、あっちの岸にまで行く」
「そ、そんなの無理よ……」
ぶんぶんとミーシャは顔を横に振った。
「途中で沈んで溺れちゃうわ……。私にはできない……」
「それなら心配いらない。俺が横を泳いで、力尽きたらすぐに助けてやるから」
レナとヴェラドンナも真ん中ぐらいで待機している。
ミーシャがギブアップしてもすぐに救出できるようになっている。
「もう、泳げないままでいい……」
ううむ、泳がせて成功体験を与える作戦なんだけどな。
よし、ここは使えるものは何でも使おう。
俺はミーシャの耳に顔を近づけて、耳打ちする。
「もし、あっちまで泳ぎきったら、ご褒美をやる」
「ご褒美? どんな?」
「今夜、お前の好きなこと、どんなことでもしてやる」
ミーシャの耳がぴんと立った。
「その言葉に二言はないわね? 私は猫だから、とことん尽くしてもらうわよ」
「俺のお嫁さんが泳げるようになることのほうが大切だからな」
「わ、わかったわ! やるわ!」
これで、やる気になってくれたな。
「じゃあ、ぐだぐだ水に入ってても体も冷えるし、ふやけちゃうわ、行くわ!」
そして、ミーシャの挑戦がはじまった。
勢いこんでスタートした割には――遅い。
足も沈み気味なので、水しぶきはまったく出てない。
体の足の側が沈んで、頭が上に出気味という、典型的な泳ぎの苦手な人のスタイル。
なので、前への推進力も小さい。
これは途中でへばっちゃうかな……。
しかし、ミーシャはやっぱりすごかった。
ちょっとずつだけど、確実に前に進んでいくのだ。
足の動きが止まることは全然ない。
「姉御、頑張れ! 行ける!」
レナもミーシャの補助者の役目を忘れて、純粋に声を出して応援していた。
そして、じわり、じわりと対岸に近づいていって――
ぐいっと最後、手を伸ばして――
ミーシャは岸にたどりついた。
「ほら、これが私の実力よ!」
疲れた顔で、強引に、ミーシャはにやっと笑った。
「ミーシャ、お前、本当によくやったよ」
「だってご褒美があるんだもん」
ミーシャが俺にぎゅっと抱きついてきた。
◇
そして、その夜。
「ああ、そこ。うん、もっとやさしく撫でて」
俺は家で猫に戻っているミーシャの全身をゆっくりと撫でていた。
なんというか、猫流のエステみたいなものだ。
「いい? 全身全霊をこめて、丁寧に撫でるのよ。ほかのことも何も考えちゃダメよ」
「わかってるって」
猫はご主人様の時間を消費させるのが一種のステータスなのだ。
結局、一時間ぐらい、これに時間を使ってる気がする。
「うん、それじゃ、撫でるのはこれでいいわ」
「そっか、ようやく終わったな」
「部屋を出て、10分休憩してて。そのあと、戻ってきてね」
まだ、後半戦があるのか……。
そして、お茶でも飲んで10分後、部屋に入ると――
なぜか水着姿に着替えたミーシャが立っていた。
しかも、顔を薄紅に染めながら。
「ご主人様……今日はこの格好でいちゃいちゃしたいな……」
一気に気持ちがたかぶるのを感じた。
「わかった。今日は命令に従わないといけないからな……」
その日はいつもより激しく愛し合った。




