145話 ドライアドの森
翌日、何かに舐められてる感覚があって、目が覚めた。
猫姿のミーシャが俺のほっぺたをぺろぺろ舐めていた。
「何してるんだ……?」
「おはよう、ご主人様」
猫のミーシャは心なしかドヤ顔だ。
「レナと手をつないでたから、私もこれぐらいいいかなって思ったの」
そんなこと言いながら、ミーシャは人の姿に変わった。変化魔法はけっこう高度なことのはずなんだが、ミーシャにとっては、もはや日常茶飯事なので、いとも簡単にやってのける。
「レナとのことはお前も認めてくれたんだろ?」
「うん。だから、レナとの邪魔はしないわ。その代わり、私もご主人様に愛してもらえるようにもっとぐいぐい行くってこと。ああ、愛してもらうって言うより、もっと愛するってほうが正しいかしら」
「だな。ミーシャだとそのほうが正しい気はするな」
受け身なところはミーシャには似合わない。
「でも、恋愛っていうのは押すだけじゃダメっていうか、相手もいるところっていうのが難しいわね。うん、本当に難しいわ……」
ミーシャが、ふぅとため息をついた。そんな心の機微みたいなことを気にするぐらい、ミーシャも大人になったってことなのかな。猫の年齢的にはすでに大人だったのかもしれないけど。
すでにヴェラドンナは起きていて、昨日買った粉っぽいパンをかじっている。俺はレナをゆすって起こした。
「あ、旦那様……おはようございます……」
「いや、今は旦那でいいよ」
その旦那様って呼び名は二人きりの時だけのほうがしっくり来る。
「は、はい、わかりました、旦那!」
レナの元気な声で横穴の洞窟に反響した。
俺たち一行は再び目的地のケルティンの森を目指した。
森までの道のりはそれなりに長いが、荒野での戦闘なんてものはないし、全体的に単調だった。
「ゲームだと荒野を歩いててもモンスターとエンカウントしたんだけどな」
現実的に考えれば、モンスターも荒野のど真ん中では生活自体ができないから、そんなところにはいない。
「ゲームぐらい簡単に移動できれば楽なんだけどね。歩くのは疲れるわよね」
「お前がそのセリフを吐くな……」
今日もミーシャは猫になって俺のふところに入っている。
「だって、私、飼い猫だからしょうがないわよね」
それ自体はウソじゃないけど、飼い猫と妻とを使い分けるからズルいよな……。
その日のうちにケルティンの森に入れそうだったが、森の中で日暮れになると面倒なので、また洞窟で一夜を明かすことにした。
冒険者というより、冒険家という表現のほうがしっくり来るかもしれない。
●
次の日、朝のうちにケルティンの森が見えてきた。
原野のある所から先がずっと黒っぽい緑で覆われている。たしかに大半は松林らしい。
「着きましたね。モンスターが出てくるかもしれませんし、準備をいたしましょうか」
ヴェラドンナがコートを革袋にしまった。
「私はこのままでいくわ!」
ミーシャは俺のふところから顔だけ出すスタイルでいくらしい。
まあ、ここから飛び出せば敵に対して奇襲になるかもしれないし、別にいいかな。
森の中は先ほどまでの荒野と大差ないぐらいに静まりかえっていた。
あまり見慣れない二メートルぐらいはある丸々した鳥が歩いていたが、足音も立てていなかった。
「あれはケルティン鳥という鳥ですね。モンスターではありません。ちなみに食べられるようですが、逃げ足も速いそうです」
ヴェラドンナが事前にそういう情報を仕入れておいてくれるのでありがたい。
「寒いから動物も大型化してるな。でも、一見すると何の変哲もない森なんだけど」
松の木はかなり背が高いものが多く、木の棒が突き立てられた中を歩いているような気持ちになる。
すでに三十分は歩いているが、モンスターとのエンカウントは一切ないぞ。
しかし、ちょっと油断していると、大きな声が飛んできた。
「うわあぁっ! 人だ!」
声のしたほうに顔を向けると、不思議なものがそこに立っていた。
緑色の髪をした人間なのだけれど、姿が微妙に半透明なのだ。弓矢みたいなものを持っていたが、殺気みたいなものがないから、戦闘というより狩りじゃなかろうか。
「あなた、もしかしてドライアドなの?」
ミーシャが俺のふところから尋ねた。
「うわっ! 猫がしゃべったぞ!」
「なんで、そっちに驚かれるのよ!」
ミーシャが文句を言ったが、たしかにドライアドからしたらそっちのほうが不思議なのかもしれない。こんな寒いところじゃ野良猫すらいないだろうし。
「わ、わたしはドライアドです……。なんで、こんなところに人が来たんですか……? 魔族に見つかったら殺されちゃいますよ……」
ということはやっぱり魔族がいるんだな。
「その魔族を倒しに来たのよ」
ミーシャがかっこよく言ったが――
「また猫がしゃべった!」
やっぱりドライアドに驚かれていた。




