第9話『二つの名前』
しばらくの休息の後、秋斗とユキは再び歩き始める。
向かう先は未だ決まっていないが、細心の注意を払って使用した二回目の【空間把握】のお陰で森を抜けることは出来そうだった。
枯れた木々が乱立する森を並んで歩きながら、二人は他愛のない会話を交わしていた。
「ところで、さっきから気になってたんだけど」
そんな中、ユキが秋斗に尋ねる。
「リウスって、外国人……なの?」
人生で何度聞かれたか分からないその質問に苦笑いで返しつつ、秋斗は口を開く。
「日本人だよ。日本生まれ日本育ちのね。母親がドイツ人とのハーフなんだ」
「それじゃぁ、クォーター?」
「そう。たまたま俺はドイツ人の血が濃く出たみたいでさ。変な感じだろ? この顔で日本語を喋ってるのってさ」
「ふふっ、確かにちょっと不思議な感じかも」
なんてことのない会話。しかし秋斗は、こんな些細なことにさえ懐かしさを感じていた。
こんな風に、ただ人と言葉を交わすための会話をするのはいつ振りだろう。部屋に閉じこもり、会話をする相手といえばスーパーやコンビニの店員か、生存確認をするかにように電話をかけてくる友人のみ。
ひたすらに無為で無価値で無意味な時間を過ごしていた。
そんな、そんな俺が。
今ここで会話をしているのは本当に俺か? 本当に羽川秋斗か?
何で普通に会話なんかしてるんだよ。
――疫病神が。
「……リウス?」
「ん……ああ、どうした?」
「なんか、ぼーっとしてるように見えたから」
「ちょっと……考えごとをしてただけだよ」
それ以来、会話が途切れる。
秋斗は僅かな気まずさを感じながらも、会話の糸口が見つからず、結局何も言葉にしないまま二人は並んで歩いた。
「そういえば」
再び口を開いたのは、ユキだった。
「リウスって、どう呼んだらいいかな?」
「……というと?」
「だからその、本名で呼んだ方がいいかな、って」
「ああ、そういうこと」
確かに、考えてみればそうだ。
秋斗にとって『ユキ』は『ユキ』でしかなく、ユキにとって秋斗は『リウス』な訳で。本名ではないこの名前は、しかし、自分の名前だ。
何の抵抗もなく『リウス』と呼ばれることを受け入れていた秋斗だが、果たしてこの場にいる“自分”は、『秋斗』なのか、『リウス』なのか。その二つの名が指す人物は、果たして同一人物なのか。
答えのない哲学みたいだ。
終わりのない思考を頭の隅に放り投げると、秋斗は一先ず自己紹介をすることにした。
「羽川、秋斗」
「そう。それが俺の名前」
「……」
「ユキ?」
「あ……ごめん。リウスの名前を聞くっていうことが、すごく不思議な感じがして」
それは、秋斗も感じていたことだった。
秋斗はかつて、ユキを含めて3人のプレイヤーとアポカリプスをプレイしていた。とは言っても、同じチーム(複数のプレイヤーで構成されるグループのようなもの。ゲームによってはクランやギルドなどとも呼ばれる)に所属していたわけではない。パーティーを組んでクエストに行くことはあっても、ゲームのシステム上同じ組織に所属している訳ではなかった。
それに特別な理由は、特にない。しかし、秋斗自身は個人的な理由でギルドに所属するのを躊躇っていた。
他の三人に同じような“理由”があったかは定かではないが、誰からもギルドを作ろうと言い出すことはなく。
結果として、一緒にゲームをプレイしていた――それもかなりの頻度で――にも拘らず、ギルドを立ち上げることも、ギルドに所属することもなかった。
それでいて、他のプレイヤーが作ったギルドなどよりも遥かに関係性が長続きしていたりもするのだから、今思い返してみても不思議なものである。
そんな曖昧な集まりだった秋斗たちだが、ひとつだけ、明確なルール――他者を敬うとか、そういった常識的なものは当然理解している前提だ――があった。
それは、仮想の中では現実の話をしないこと。
と言っても、例えば「最近こんな事件があったよね」だとか、「この前行ったこのお店の料理は美味しかった」とか、「仕事で理不尽に怒られた」など、そんな世間話すら禁止するものではない。
全員が全員、これが仮想であることを理解し、お互いの現実に干渉しない。
この関係はアポカリプスの中だけのもので、実際に現実で会うことはしない。
相手の素性を詮索したり、無理矢理聞き出すことはしない。また、聞かれても教えない。
要は、相手の個人情報の一切を詮索せず調べず気にしない。その代わり自分も個人情報を伝える必要はない。例えそれが、性別などの個人情報とすら言えないような些細なものであったとしても。
そんなルールが秋斗たち四人にはあったのだ。
それを踏まえれば、秋斗の『自己紹介』は完全なルール違反にあたる。
だがしかし、現在秋斗のいるこの場所、この空間、この世界は――秋斗の主観によるものではあるが――仮想ではなく、現実だ。
「私も、自己紹介、しなきゃいけないよね」
いや、嫌ならしなくていいよ、とリウスが口にするよりも先に、ユキは自身の名を名乗った。
「大原柚月。それが私の名前です」




