第42話『命は、お金じゃ買えませんから』
森で遭遇したゴブリンとの戦闘後、リウスとユキは町へ向かって歩いていた。
使うのは行きと同じ道。違うのは、一切の会話がないこと。そして、繋がれていた手が離れていることだ。
理由は2人とも分かっている。
しかし、リウスはあえてこの現状を改善しようとはせず、ユキは改善したいとは思いつつも、きっかけを掴めずにいた。
どう声をかければ良いのかわからない。
助けてくれたことを感謝するべきなのか、リウスの身を案じるべきなのか、それとも労うべきなのか。
きっとそれはどれでもよくて、行動を起こすことの方が大事なのだと思う。
けれど。
血に塗れながらゴブリンを屠っていくリウスの姿は、怖かった。
逃げ切るのが難しい状況だったのは分かる。しかし、例えばあの場にユキが1人だったとして、戦って殺すという選択肢は取れなかった。
だってそんなこと、普通出来るはずがない。
小さな羽虫を殺すのとは訳が違う。
あんな、小学生と同じぐらいの大きさで、武器を持って襲いかかってくる生物を、ゲームみたいに殺すなんて、出来るはずがない。
この世界にはまだ慣れなくて、現実感はないけれど、確かに現実だ。
そんな、普通出来ないことを平然とやってのけたリウスを、ユキが反射的に拒絶したのは正常な反応だった。
リウスは、ゴブリンだったから殺すという選択肢を選んだのか。
それとも、相手が人でも、同じように殺したのか。
考えても、答えは出ない。
「ユキ」
「は、はいっ」
唐突に話しかけられ、妙に畏まった返事をしてしまうが、リウスはそれに突っ込まなかった。
「着いたぞ」
「え……?」
気が付くと、目の前には冒険者ギルドがあった。
薬草の入った籠を背負ってギルドに入るリウスに、ユキも続いた。
◇◇◇◇◇
「――はい。確かに依頼品を受け取りました。ただいま換金いたしますので、少々お待ちください。お疲れ様でした」
受付をしていたのはミュエだった。ミュエは受け取った薬草を別の職員に渡すと、手元にある書類に何かを書きながら、リウスの服に付いた血のシミと切り裂かれた跡に目を付ける。
「何か、ありましたか?」
リウスは森で遭遇したゴブリンとの戦闘を報告した。
ミュエはその話を黙って聞きながら、紙に細かく記録していく。
話を聞き終わると、そうですか、と呟いてミュエはペンを置いた。
「やはり、生息域が変わっているようですね……。報告ありがとうございます」
ミュエはすぐにでもゴブリン討伐に動くと言い、隣に立つ手の空いていた受付職員に、討伐依頼の準備をするように指示を出した。
「リウス様、ゴブリンの討伐を証明するものがあれば討伐数に応じた報酬をお支払いできますが、どうでしょうか」
「ああ、そういえば……」
そういえばそんな説明が書かれた紙を読んだと、言われて思い出す。尤も、仮に覚えていたとして、討伐証明用にゴブリンの体を剥ぎ取ってきたかといえば、正直怪しいところだ。
「であれば、後ほどこちらで確認できた分だけ、お支払いさせていただきますね」
「よろしくお願いします」
そんなやり取りがちょうど終わったところで、報酬金が確定したのか、薬草を受け取った職員が戻ってきた。
「お待たせいたしました。報酬金は青銅貨20枚となります。ご確認ください」
リウスは青銅貨の入った袋を受け取り、形だけ中身を確認してアイテムボックスにしまう。
「お部屋にお戻りになりますか? でしたら、ゴブリン討伐の報酬金が確定し次第、お伝えに上がります」
「分かりました。ありがとうございます」
そういってリウスは部屋へと歩き出す。その後をユキは無言でついていった。
◇◇◇◇◇
出来るか出来ないか。その違いは具体的で明確だが、世の中の事象が全てそれで説明出来るわけではない。
要は、可能だが出来る限りしたくないこと。やらなくていいならやりたくないこと。疲れるからしたくないこと、などもあるわけだ。
リウスにとって何かを殺すというのは、『疲れるからしたくないこと』に含まれるものだった。
そう。疲れるのだ。肉体的にも、精神的にも。
自分の手で何かを殺すのは辛い。幾らリウスが壊れているといっても、何も感じないわけではない。
もう壊れているから、それ以上壊れないというだけだ。
まだ、辛いと思える。それだけが救いだった。
部屋に戻ってすぐ、リウスはメニュー画面から服を着替えると、ベッドに座り込む。
まだ、ゴブリンを斬り付けた感触が残っていた。
昔何処かで、人を切るのは豆腐を切る感覚に似ていると聞いたことがあった。流石にそれは誇張だということが分かったが、なるほど確かに、想像していたよりは抵抗が少なかったように思う。きっと、腹などの柔らかい部分に刃物を突き立てた場合であれば、豆腐を刺しているようだ、といっても相違ない感触ではあるだろう。
「はぁ……」
思わずため息を吐く。
こんな経験をしてここまで冷静にいられることが、少し悲しかった。
異常であることを、まざまざと突きつけられた気がして。
「……リウス」
今日は早めに寝てしまおうか、なんてことをリウスが考えていると、森からギルドに戻ってくるまでほとんど何も話さなかったユキが口を開いた。
「ちょっと……出かけてくるね」
「……そうか。分かった」
きっとユキは、リウスの返答がなんであろうと、それ以上何も言うつもりはなかったのだろう。
リウスが「分かった」と言い終わる頃にはドアノブに手をかけ、もう既に、部屋の中にユキの姿はなかった。
ユキは、どこへ行くのかをリウスに伝えなかった。
リウスも、どこへ行くのかユキに尋ねなかった。
「……流石に、嫌われたかな」
別に好かれたかったわけじゃない。
それでも、当然のように自分と過ごす未来を語っていた彼女の期待を、こんな風に裏切ってしまったことについては、申し訳なく思った。
躊躇いなく他の動物を殺せる人間と、同じ空間では暮らせない。
だって、次に殺されるのは、自分かもしれないのだから。
◇◇◇◇◇
出かけてくる、と言ってユキは部屋を出たものの、別に用事があるわけでも、行き先が決まっているわけでもなかった。
ただ、リウスと同じ部屋にいるのが、少し辛かった。
今の精神状態でリウスと一緒にいれば、きっと、酷いことを言ってしまう。そんな自分が嫌で、一度冷静になりたくて部屋を出た。
閉めたばかりの扉にもたれ掛かり、ため息を吐く。
リウスの目が届かないところに来たことで、少しだけ気が抜けた。そして同時に、自分の行いに嫌気が差してきた。
まだ、ゴブリンから助けてくれたことのお礼を言っていないこと。
黙ってずっと下を向いて、分かりやすく拒絶のアピールをしていたこと。
そして何より嫌だったのは、自分からこんなにも拒絶しておいて、「1人でいるのが怖いから」という自分勝手な理由で、まだリウスのことを利用しようとしている自分の浅ましさだった。
今回のことでリウスに嫌われたらどうしよう。
突然別れを告げられたらどうしよう。
1人きりになってしまったら、どうしよう。
ただただ、それが怖かった。
もし、自分が少し出かけている間に、リウスが部屋からいなくなっていたら?
そう考えると、部屋の前から離れることが出来なかった。
「…………っ」
ドアノブに手を伸ばしかけて、止める。
今戻っても、きっとリウスの顔を見て話すことは出来ない。
それに、出かけてくると言った手前、数分で部屋に戻るのは気まずかった。
かといって、このまま部屋の前で立ち尽くしていてはただの不審者だ。
ユキは迷った挙句、冒険者ギルド一階の休憩スペースで時間を潰すことにした。
誰も使っていないテーブルにつき、深くため息を吐く。
「……私、何やってるんだろう」
心も体も、思い通りにならない。
時間が解決してくれる。なんて言葉があるが、今のユキには、時間をかければかけるほど事態が悪い方へ進んでいく気がしてならなかった。
自分の思いをリウスに伝えたい。そう考える心とは裏腹に体は動かず、そんな体に引っ張られて気分も落ち込んでいった。
何度目か分からないため息を吐く。その時、不意に声を掛けられた。
「お連れの方とはご一緒じゃないんですね」
「え……?」
顔を上げると、そこにはミュエが立っていた。
「お席、よろしいですか?」
「は、はい、どうぞ……」
ミュエはユキの向かいに腰を下ろす。
「休憩時間なのでどこかで休もうと思っていたのですが、ユキ様の姿を見かけたものですから」
手に持っていた水筒で喉を潤すと、ミュエは話を続ける。
「今日は災難でしたね。あの辺りは普段、ゴブリンは出ないはずなんですけど」
「……そうなんですね」
「何はともあれ、お怪我がなくて何よりでした。ゴブリンは新人冒険者の天敵ですから」
「……」
ユキには、ミュエがどんな意図を持って話しかけてきたのかが分からなかった。
分かりやすく落ち込んでいる様子だった自分を心配してくれたのかも知れないし、本当にただ、昼間ちょっとした事件に巻き込まれた新人冒険者を見かけたから声を掛けたとか、別に意味はないのかも知れない。
ミュエは、リウスからゴブリンを殺したとの報告を受けた時、驚きもせず、嫌悪もせず、淡々と事務的にその事実を処理していた。
日本で育ち、日本で常識を育んだユキにとっては、そんな会話でさえも異常に見えた。
だからだろう。不意にこんな疑問が口をついて出たのは。
「ミュエさんは、ゴブリンを殺したことがありますか?」
ミュエは、その質問に間を置かずに答えた。
「直接殺したことはありません。ですが、殺してもらうよう依頼を出すことはあります」
続いてユキは、この世界で異常なのは誰かを知るために質問をした。
「ゴブリンを殺すことについて、どう思いますか?」
ミュエは、今度は少しだけ間を置いてから答えた。
「私個人に、ゴブリンを殺したいと憎むような気持ちはありません。憎んでいる方も大勢いらっしゃいますけど。
ですので、何処かでひっそりと暮らしているゴブリンを探し出してまで殺す必要は無いと考えています。
ですが、ゴブリンは人を襲います。私たちが活動する領域に彼らが立ち入ってきた場合は、人を守るために、ゴブリンを殺さなければなりません。
これまでも人は、そうして活動範囲を広げて、それを守り抜いて来ましたから」
といっても、これはゴブリンに限った話ではないですけどね。とミュエは付け加える。
「生きるためには仕方がない、ということですか?」
「はい。ゴブリンが人を襲うのも、生きるためですから。ですから私たちも、生きるためにゴブリンを殺します。
それと、彼らは繁殖力が強いですから。増えすぎると森の動植物を食い荒らしてしまうんですよ。
バランスを保つためにも、必要以上に増えすぎた生物は、それより強い生物が殺さなければいけません。私たち人類も含めて」
そう話すミュエを見て、ユキはこの世界の在り方の一端を知ったような気がした。
向こうの世界では、人類は生態系の頂点に君臨していたが故に、自然界の厳しさを知る機会などほとんどなかった。
人間だけが住む社会の中で生きていくことに精一杯だった。
しかし、この世界の人類は他の生物と同様に、弱肉強食の自然の中に生きているのだった。
「ですが、今回に関しては、ゴブリンたちにも少しは同情します」
「……どういうことですか?」
「この町から少し離れたところに、焼き払われた森があるのはご存知ですか?」
ユキはその森に心当たりがあった。
自分とリウスが目覚めた森であることは、ほぼ間違いない。
「この辺りのゴブリンのほとんどはあの森に生息していたんです。ですが、先日の出来事で森が焼き払われてしまったために、町の近くの森まで逃げてきたんだと思います」
「あの事件、というのは?」
「ご存知ではないですか? てっきり私は、これが目当てでリウス様とユキ様はこの町を訪れたのだとばかり。実は――」
その時、冒険者ギルドの扉が大きな音を立てて開かれた。
ギルドに入ってきたのは、血に塗れた10代後半ぐらいであろう少年2人と少女1人。
その内、1人の少年は他の2人に肩を貸されながら何とか歩いているといった状態で、一目見て只事ではないのが理解できた。
血塗れの少年たちの姿を見て、ユキの脳裏に昼間の光景がフラッシュバックする。
まとわりつくような血の臭いと、鼻をつく吐瀉物のような臭い。
赤く染まる草木と大地。
その中心にしゃがみ込む自分と、血塗れのまま佇むリウス。
現実感がないのに、その光景はひどくリアルだった。
少年たちを見て固まってしまったユキとは対照的に、ミュエの行動は素早く的確だった。
「どうされました?」
「森でゴブリンにやられて! 俺たちは大したことないんですけど、こいつが……!」
肩を貸していた2人も無傷というわけではないのだろう。しかし、肩を貸されていた少年の傷は特に深いようだった。
「すぐに医務室へ運んでください。それと、駐在している教会員に連絡を」
きっと、こんな光景は珍しいものではないのだろう。ミュエは冷静さを保ったまま、的確にギルド職員へ指示を飛ばしていく。
「第五等級冒険者の森への立ち入りを禁止。手の空いている実動職員はゴブリンの動きを監視、必要であればそれを処理してください。討伐依頼の用意は――まだですか。細かい手続きは後回しで良いです。今すぐ準備してください」
ミュエ主導のもと、ギルド職員は自分の仕事をこなすため駆け出していく。その様子を見て、ユキはようやく体の硬直が解けた。
何か自分にも出来ることはないか。
そう考え出した時にはもう、怪我をした少年の元へ走り出していた。
用意された椅子に座り担架を待つ少年。着用する革鎧は血で赤く濡れている。昼間のリウスと違うのは、それが返り血ではなく、自分自身から流れ出る血であることだろう。
駆け寄ったは良いものの、ユキは回復魔法を使えない。
それでも何か、とにかく力になりたかったユキは、アイテムボックスからかつての仲間が作ってくれたポーションを取り出す。傍からは何もない空中から突然ポーションが出現したように見えただろう。
「これ、良ければ使ってください」
「これって……ポーションじゃないですか! 受け取れません、こんな高価なもの!」
先ほどミュエに状況を伝えていた少年がユキにポーションを返そうとする。
「良いんです。友人がくれたものですから。怪しいと思ったら使わなくても大丈夫です。でも、危ないと思ったら飲ませてあげてください」
「ですが……!」
「命は、お金じゃ買えませんから」
そういって、半ば無理やりポーションを少年の手に握らせる。
そんなことをしているうちに担架が到着し、怪我をした少年は医務室へ運ばれていった。
付き添って医務室へ向かう少年と少女は、去り際にユキへ深く頭を下げると、駆け足で運ばれていった少年に続いた。
「命は……お金じゃ買えないんですよ……」
自分にしか聞こえない声で呟くユキ。
そのユキの姿を、ミュエは少し離れた位置からジッと見つめていた。




