第41話『透明な壁』
目的地の森に着いたリウスとユキは、早速薬草採集を始めることにした。
植物で編まれた籠を背中に背負い、薬草の特徴を書き記したイラストを見ながら薬草を探す。
採集地点のここは薬草の群生地らしく、そこまで苦労することなく発見出来た。
土を軽く掘り起こし、根本の部分から引き抜いて籠へ入れる。
「こうして土や草に触るのって、なんだか久しぶり」
「確かにな……」
土よりもアスファルトの方が身近なあの世界で、素手を土で汚すことなんて滅多にない。
「私、向こうでは家庭菜園やってたんだ。ミニトマトとか育てたりして。もうすぐ、収穫だったんだけど……」
その前に、この世界に転移してきてしまった。
突然の出来事だったからこそ、誰にでもやり残したことはある。
大きなことも、小さなことも。
「そういえば、母さんが家庭菜園やってたな」
◇◇◇◇◇
親を亡くすのは辛い。
しかし、たとえ親の死がきっかけで大切なものを無くしてしまったとしても、その死を受け入れられるようにはなる。
受け入れたところで、何も変わらなかったとしても。
母を亡くしたばかりの頃は、月に何度もお墓へ足を運んだが、1年もすれば墓参りの頻度は2ヶ月に一度行くかどうかになった。
父の時もそうだった。
きっと、徐々に忘れていくのだろう。楽しいことも、悲しいことも。
「そうだ、野菜、実がなったよ」
生前母さんが家庭菜園で育てていた野菜は、俺が引き継いだ。どうせならお供物として持ってきたかったが、生憎と収穫するには少し早かった。
することが何もない自分にとって、植物を育てるのはいい時間潰しになった。
本格的な農業をするのはこの体では難しいが、家庭菜園程度なら問題ない。
脚が片方無くとも、何も問題はない。
「それじゃあ、そろそろ帰るよ、母さん。父さんたちも、また来るから」
荷物をまとめて、重たい義足を引きずりながら歩く。
もう一度墓参りに訪れることは無かった。
◇◇◇◇◇
「リウス、手止まってるけど、大丈夫?」
「――ああ、大丈夫」
過去に向けられていた思考を現在に戻し、リウスは作業を再開する。
2人とも黙々と作業を続け、カゴの半分ほどが薬草で満たされた頃。
最初に異変に気がついたのはユキだった。
何かを探すように周囲を見回すユキにリウスが声を掛けた。
「どうかした?」
「何か聞こえる……。なんだろう、足音?」
「何処から聞こえる?」
「向こうから」
ユキが指差すのは森の奥。町とは真逆の方角だった。
種族的な特技なのか、リウスには聞こえないような音でも、ユキの耳は敏感に拾いとる。そんなユキによれば、風で木々がさざめいたのとは明らかに違う、何かが動いた音を現在進行形で聞き取っているとのことだった。
「野生の動物、とかか?」
「かなぁ。すごくいっぱい、10匹以上はいると思う」
「変に刺激しても面倒だし、この辺りの薬草を採り終わったら町に戻るか」
「そう、だね」
何処か不安そうなユキの返答を不思議に思いながらも、リウスは作業を続ける。
その行動を後悔したのは、それから5分もしない頃だった。
「……リウス、ちょっと不味いかも」
「何が不味いって?」
「足音がさっきより増えてるの。それに、こっちに近づいてきてるみたい。もう切り上げた方が良いんじゃないかな……?」
リウスの耳にはそれらの音が聞こえていないことから、それほど近いというわけでもなさそうだ。しかし、不安げなユキの意見を却下してまでこの場に留まろうとは思わなかった。
「分かった。もう帰ろう」
手にしていた薬草をカゴの中に放り込むと、立ち上がって足元についた土を払う。
歩いてきた方向はどこだったか、周りを見回して確認していた時だった。
「――っ! 何か飛んで来る!」
大きな声でそう告げたユキの言葉が耳に届くとほぼ同時に、リウスの耳も空を切るような音を捉える。
ドスッ、という硬く鈍い音が真横から聞こえてくる。そこには木の幹に深く突き刺さる矢があった。
直後、リウスの耳にも聞こえるほどの大きさの、そして複数の足音が近づいてくる。
足音は瞬く間にリウスとユキを取り囲み、音の正体は次々に茂みから姿を表した。
「これって……」
1メートル程の小さな体躯。
薄汚れた緑色の肌に、不自然に尖った長い耳。
気持ち悪く釣り上がった口角と、口の中に収まりきらないほど長く伸びた犬歯。
リウスとユキを取り囲むそれらは、棍棒、弓、剣などの武器と呼べるものを持った者から、木の棒や石など、一般的に武器とは呼ばないものを持った者もいる。しかし確かなのは、手にしているものが武器であろうと武器でなかろうと、目の前の獲物を傷つけるために使うという点において、大した差はないということだ。
「……ゴブリン、だろうな」
地球上には存在しなかった、架空の生物。
それでいて、ファンタジーやゲームの中では頻繁に登場するメジャーな生物。
ほとんどの作品においてゴブリンは群れを作って生活し、そして、人を襲う。
それは、アポカリプスでも変わらなかった。
今目の前にいる生物は、リウスがイメージするゴブリン像と合致していた。
邪魔だからとアイテムボックス内に仕舞っていた剣を取り出す。
選んだのは通常より短めな直剣。森の中での振り回しやすさを考えて、ゲーム内でよく使っていた大剣は選択しなかった。
ジリジリと睨みあいの時間が続く。何かきっかけがあればすぐにでも状況は動き出すだろう。
ユキは不安げにリウスの服を掴む。一緒に戦える、といった雰囲気ではなさそうだ。
リウスは動かない現状を好機と捉え、【対象解析】をゴブリンに使っていく。
種族は想像通りゴブリン。レベルは最低で5レベル、最高でも15レベル。
全てのゴブリンからの攻撃を【弱者蹂躙】で無効化できることを確認してから、リウスはユキに耳打ちする。
「今から5つ数えたら、目を瞑ってその場にしゃがんでくれ」
「えっ……どういう――」
「ごお」
ユキの疑問には答えず、リウスはカウントダウンを開始する。
「よん」
見たこともない生物に囲まれたら怖いのは当然だ。ましてやそれが武器を持っていたのなら尚更だ。
「さん」
日本に生きていて暴力が必要になる機会はほとんどない。不審者に襲われて、逃げずに立ち向かうのはただの蛮勇だ。
「にい」
であれば、暴力以上のことなど、一度も必要とされる機会がないまま生涯を終える人もいるだろう。
「いち」
冷静なまま人や動物に刃を振り下ろせる人間は、ほとんどいない。いてはいけない。
「ぜろ」
戸惑いながらもカウント終了と同時にユキはその場にしゃがむ。同時にリウスは背中に背負っていたカゴを地面に落とした。
状況が動き出すきっかけとしては十分だった。
ゴボゴボと奇妙な声を上げて襲いかかってくるゴブリン。
リウスはその場から動かず、【弱者蹂躙】を発動。それに加えて範囲を小さく設定した【気配察知】と【空間把握】を使い、周囲の状況を把握する。
そして、自分の間合いに入ったゴブリンを、一体ずつ、丁寧に、切り裂いていく。
赤黒い血が吹き出し、周囲を赤く染め、吐き気を催す生臭さが充満する。
剣を振り上げるゴブリンを腕ごと切り裂き、棍棒を振り下ろすゴブリンの腹を蹴り飛ばし、飛び掛かってくるゴブリンの顔面に拳を叩き込む。【外見偽装】によりステータスが下がっているとはいえ、ようやくレベルが二桁に到達した程度のゴブリンを殺害するのには、リウスのステータスは十分すぎた。
しかし、迫ってくるのはゴブリンだけではない。辛うじて弓と呼べるものから放たれた矢や、ゴブリンが力一杯投げてくる石など、防がなければいけないものは多い。
リウスは、自分に向けて放たれたそれらは避け、ユキに向かって放たれたものは全て自分の体を使って防いだ。
【弱者蹂躙】の効果により、当たった感触はあるものの、痛みやダメージは一切ない。恐らくは、【弱者蹂躙】がなくとも、ステータスの差により無効化できていただろうが。
恐らく、10体以上のゴブリンを屠った頃だった。
数が半分近くにまで減り、ようやく勝てないことを悟ったゴブリン達は、蜘蛛の子を散らすように逃げ出していった。しかしそれでも、身軽になるため武器を捨てることをしなかったゴブリンは、どこまでも強欲というか、愚かというか。
別にゴブリンを殺すことが目的ではなかったリウスは、逃げていったゴブリン達を追うことはせず、その場で小さく息を吐いた。
最初は面白いぐらいに切れ味の良かった剣も、ゴブリンを2体ほど斬りつけた後は血に塗れ鈍器としてしか使えなくなっていたし、足や手はゴブリンの体液で悪臭を放ち、全身返り血で血みどろになっていた。しかしその甲斐あってか、ユキにはほとんど血が付かず、矢も石も当たらなかった。
嫌な思いをするのは自分だけで済んだというわけだ。
「ねぇ……リウス……? 音が、遠ざかっていったけど……」
「ああ、もう終わった、大丈夫だよ。――あーでも、目を開けるのはちょっと待っ――」
「ひっ――」
「……遅かったな、悪い」
ユキも辺りに立ち込める臭いから、周囲がどんな状況かはある程度察しがついていたが、目に飛び込んできた光景は、完全に想像以上だった。
「全部……リウスがやったの……?」
「……ああ」
ユキの顔にははっきりと恐怖が浮かんでいた。
リウスに対する恐怖が。
「とりあえず、もう帰ろう」
しかしその前に、少しやることがあった。
いくら何でも、血に塗れたこの状態で町に戻りたくはないし、何よりリウス自身も辛かった。
魔法で血を洗い流そうと、手のひらを自分の顔に向け、水属性の中でも最も弱い魔法を発動する。
「〈水球〉」
魔法名を唱えると同時に、手のひらに大きな水の塊が生まれる。
無重力空間での水のように綺麗な球状になった水は、凄まじい速度で発射され、リウスの顔に叩きつけられた。
「…………」
某あんぱん頭のヒーローのように、顔がバイバイキンするかと思った。
どうやら水の塊を発射するまでが魔法らしく、発射せずに維持することは出来なかった。
出来ないことに文句を言っても仕方がないので、〈水球〉で各所の汚れを洗い流す、というより、吹き飛ばしていく。
服についたシミはどうしようもないので、取り敢えずは放置することにした。
ふとユキを見ると、未だに周りを見つめたまましゃがんでいたので、リウスは綺麗になった手を差し出す。
「ユキ、立てるか?」
「……うん、大丈夫」
そう答えたユキはしかし、リウスの手を取らなかった。
2人の間にある透明な壁は厚さを増して、手を触れ合うことすら許さないほど、強固なものとなっていた。




