第34話『その無関心に、ありがとうを』
一度ギルドの部屋に帰ったリウスとユキは、日が完全に落ちる前に公衆浴場へと向かった。
そして、その帰り道。
二人は並んで歩く。まだ少し髪が湿っているユキからは、何処か甘いような香りが漂っていた。香水とも、石鹸とも違う香り。女性特有のものなのか、ユキ個人の体臭なのか。どちらにしろ、リウスにとって不快な匂いではなかった。
後10分も歩けばギルドに着くといった頃。ユキはぽつりと、小さな声で呟いた。
「リウスってさ、私に、興味ないよね」
「……どういうこと?」
「こっちに来てから、いつだって話し掛けるのは私から。話したいこととか、聞きたいこととか、私には色々あるのに、リウスは、そうじゃないみたいだから」
「…………」
リウスは、何も答えなかった。否、答えられなかった。
その指摘があまりにも核心をついていたから。
否定させないほどに、確信を持っていたから。
否定できないほどに、正しかった。
「リウスが突然ゲームにログインしなくなって心配したんだよ? ずっと一緒に遊んでたのに、何の連絡もなしに突然だったから。確かに、ネット上の文字だけのやり取りだったけど、友達だと思ってたのは……私だけ、だったのかな……」
「…………」
「その、迷惑だったら言って? この世界でも、何とか生きていけそうだし。私も子供じゃないから。邪魔なら……いなくなるから。だから……だから、勝手にいなくなるのだけは、やめてほしい……かな。さよならは、言いたいよ」
どう、答えるべきなのだろう。
ユキに対して興味がない。それは否定のしようがないほど明確な事実だ。けれどそれは、ユキだからこそ興味がないのではなく、ユキであっても興味がないだけだ。
例え今隣を歩いている相手が、一切関わりのない何処の馬の骨ともしれない赤の他人であったとしても、リウスの抱く感情に変わりはない。
しかしそれを、今ここで説明するつもりはないし、説明する必要もない。きっと、ユキが求めているのは、この類の答えではない。
だからリウスは、まず初めに、事実だけを、ただ淡々と告げた。
「俺も、あの時は別に、ゲームを辞めるつもりはなかったんだ。本当に、少しだけ仕事が忙しくて。ただその頃に、色々なことが重なって、何をやる気にもなれなくて」
そして次に、思ってもいないことを、さも真実かのように告げた。
「だから、ユキのことは別に、迷惑とか思ってないから。ただ、この世界に来たばかりで、ちょっと余裕がないんだと思う。だから、気にしないでくれ」
嘘は言っていない。けれど、本当のことも言っていない。
迷惑とは思ってない。ただ、何とも思っていないだけだ。
「……そっか」
一言、ユキはそう答えた。
そこからの帰り道。一言も言葉を交わすことはなかった。
◇◇◇◇◇
何処か気まずい空気が流れたまま、二人はギルドの部屋に帰る。
もしこれが昨日だったなら、今日はちょっと別の部屋で寝ようか、なんて提案がどちらか一方から出てもおかしくはなかったが、昨日は昨日であり今日は今日。人は現在に生きていて過去も未来も存在しない。詰まるところ、戻るべき部屋は一つしかないのだった。
いくらリウスが他人に興味がないからといって、それは他人からの影響を無視できるという意味ではない。気まずいものは気まずいし、こんな空気を作ってしまった原因が自分にあるとなれば、多少なりとも罪悪感は覚える。
今回の件に関していえば、悪いのは十割リウスである――とまではいかなくとも、九割九分ぐらいは悪いと思っている。だからといって、じゃあ謝ればそれで済むのかといえばそうではないし、そもそも何に対してどう謝ればいいのかなんて見当も付かない。
こんな時は早めに寝るに限ると、リウスはそそくさと自分のベッドへ向かうが、そのまま飛び込むようにベッドに倒れ込むことはなかった。その直前に、服の裾を引っ張られたからだ。
そんなことをするのは当然この部屋でただ一人。部屋には二人しかおらず、当然リウスではないのだから、残る人物は一人のみ。
そんな遠回りでうざったいほどに回りくどい長ったらしい説明なんかなくとも、リウスの服を引っ張ったのはユキ以外にはあり得ない。
何故ユキがそんなことをするのか、リウスには心当たりがあった。ただ、この状況で、この空気感で、それが行われるとは思わなかっただけで。
少し気まずそうに俯いているユキと向かい合い、リウスは小さなその体を抱く。
「…………」
「…………」
無言の時間。
リウスが、そろそろ良いかなと思う程度の時間が経過した頃、今までただ抱き締められるままだったユキが、リウスの背中に手を回した。
そして、きつく抱き締める。腕に込められた力は前回よりも遥かに強く、息苦しさを覚えるほどにきつく、混ざり合うほどに近かった。
数分後、ふっと背中に回されていた腕の力が抜けたかと思うと、ユキの手はそのままリウスの顔へと伸ばされ、見つめ合う状態のまま停止する。
互いに相手の目を覗き込む。
ユキの瞳には、何かを探るような意思が。
リウスの瞳には、何もなかった。
見つめ合っていた時間は僅か数秒。それだけの短い時間で何かを読み取ったユキは――否、何も読み取れなかったユキは、パッとリウスから離れた。
「――そっか。そうなんだ」
ユキは何かを確かめるかのように呟いた後、リウスに向き直る。
「確かに、リウスは私のことを迷惑とは思ってないんだね――ううん、迷惑だけじゃない。喜怒哀楽、苛立ち、好意、嫉妬、同情心、差別、同族意識、嫌悪感、優越感。普通、人間が人間に対して抱くはずの感情が、リウスには一切ないんだ」
そう、ただ事実のみを述べた。
一つの誤解もなく、一点の勘違いもなく、一切の間違いもない回答。
その通り。曇りのない雲ひとつない青空の様な無関心。リウスは、自身が他者に対して感情を抱くことを許していない。――否、感情を抱くことに耐えられない。その先に存在する恐怖に、耐えられない。
そういう意味では、リウスは他者に無関心でありながら、他者をこれ以上ないほど恐怖している。
ユキが孤独に恐怖し耐えられないのと同様に。
リウスの本性――というほど大袈裟なものでもない。隠されていた真実ではなく、ただそこにあった事実。見たものを見たままそのままありのまま説明しただけだ。
自分から教えるつもりはなかった。だがしかし、知られたくないというわけでもなかった。勝手に気付くのであれば、それはそれで構わない。
「――全部、その通りだよ」
だから否定しない。否定できるはずもない。こんな間違いだらけの正解を。
人として間違っているのは、誰に言われるまでもなく理解している。
だから、昔はそうじゃなかった、なんて弁解はしない。
今も昔も、人が生きているのは今この瞬間なのだから。
「俺は、ユキが思ってるほど良い奴じゃない。いや、そもそもそんなことを思ってるか知らないけど、まぁ、どうでもいいか。とにかくそういう奴なんだよ、俺は。失望したか?」
「――ううん。むしろ、感謝してる」
その返答は、リウスにとって意外なものだった。否、意外とは違う。意外というのは、何か予想や予測を立てた状態で、それが覆された場合に感じるものだ。無関心故に予想も予測も希望もなかったリウスにとってその返答は――そう、面白いものだった。
「私に無関心でいてくれて、ありがとう。無関心なら、私がどんな人間だったとしても、リウスはそれを否定しない。まぁ、肯定もしないだろうけど。でもそれは、私にとっては凄くありがたいことなんだよ。私はずっと、私であることを望まれて、願われて、強要されてきたから。けどここでは、リウスの前では、私が私である必要はない。私はようやく、自分の意思で選択して、自分の気持ちで振る舞える」
そう話すユキの姿は、声は、表情は、仕草は、今までで1番生き生きしているように見えた。
「だから、ありがとう、リウス」
感謝の言葉と共に浮かべた笑顔は、とても、綺麗だった。




