森林脱出10
「ユズ先輩。ケーキ食べていいですか?」
私は記憶の中の自室に居た。
「キミが買ってきたケーキなんだから自由に食べていいよ」
この記憶がいつのものであるか把握している。記憶と異なることをすると後輩は消えてしまうので、台本のセリフのように記憶通り話した。
「先輩の部屋って包丁ないですよね。」
当時のままの返しがあったので、しばらく茶番を続けることにした。
「料理しない人間には必要ないよ。宅配で貰ったプラスチックのナイフあるからそれ使って」
テレビからはコーラのCMが流れて来る。
「そういえば飲み物買ってなかったですね。先輩確かダースでコーラ備蓄してましたよね?」
後輩の遠慮のなさはブレない。いつも安定のクオリティだ。
「廊下にある箱のやつなら飲んでいいよ。この時期はその辺に置いといても良く冷えてるから丁度いいでしょ」
切り分けたケーキを紙皿に取り分けていた後輩の動きが止まる。
「こたつから出たくないです。ユズ先輩。」
「知らねーよ!」
いつものやり取りが繰り広げられる。何か食べてゲームして、合間にどうでも良い会話をする。後輩に上がり込まれたときのパターンだ。特別何かある訳でもないが懐かしい。
しばらく茶番を続けたが、後輩も寝てしまった。
こいつが出てきたということは、寂しいという感情が強いのだろう。
あの世界の地表を探し尽くし、動物一匹いないという事実が、確かに私の心を暗くしていた。
寂しさを埋める手段はない。脱出する他ないのだ。
こたつの中にある後輩の体を押しのけて、空いたスペースに滑り込み目を閉じた。
ーーー
夜明け前に目が覚めた。世界で最も高い位置で日の出を見るつもりだ。特に意味はないが記念だ。
テーブル状になっている枝の先端に移動した。途中ギシギシと音が鳴ったが、何とか重みに耐えているようだ。
先端で待機し、東の空をぼんやりと眺めた。
そのうち空が茜色に染まり始め、東に広がる森の輪郭を明らかにした。オレンジ色の塊が徐々に大きくなり藍色の空を私の後ろに押し込んでゆく。
今日が始まってしまった。もはや信じた道を進むしかない。
言葉通り重い腰を上げた瞬間、バキっという破壊音と共に枝がへし折れてしまった。
自由落下に晒されて、私の体はどんどん加速する。ただ、普段走っている速度に比べれば、大したこと無いので、至って冷静だった。
以前、一世一代の決心で飛んだこともあったが、最早過去の事だ。
今はしっかりと落下位置を見て、足から着地できるように体制を整えられるほど余裕がある。
私の体が地面に着弾すると、凄まじい勢いで地面にめり込んだ。土を掻き分けて弾丸のように進み、5メートルは沈んだようだった。私が開けた丸い穴から小さな空が見えている。
通常であれば、地面は即座に元どおりになるが、異物を含んだ場合はその限りではない。
異物を押し戻すように再生する筈だが、一向に再生しない。異物である私が重すぎるせいだろう。
以外に困ったことになった。穴から這い出ようにも、壁面が重さに全く耐えられないので、1ミリも上昇することが出来ない。
上への脱出が困難なので、横を攻めることにした。足は歩く姿勢のまま、手はクロールのように土を掻くことで、水中のような感覚で進むことが出来た。もはや地中でさえも私の行く手を阻むことは出来ない。
途中、呼吸は大丈夫かと思ったが、既に音速に近い速度でも呼吸に支障がないのだった。前人未到の肺活量を得ているのか、低酸素状態に適応しているか不明だが、地中でも呼吸できた。
やがて、地中移動で奇岩まで到達し、そこからは大樹を登ったユズカドリル法で地上に戻った。
随分と不便な体になってしまったものだ。小人の国に迷い込んだ気分だ。
地上は制覇したが地中は全然なので、今後の調査対象に地下を加えることにした。地球に於いて地表という人間の生活圏はごく一部でしかない。地下には膨大な世界が広がっているのだ。この世界の地下も結構あるはずだ。
地下の調査は重量が増えた方が効率的なので、優先して加速を行う。
地上に動物がいないと分かった今、遠慮なく加速出来る。とりあえず行けるところまで行きたいので、昼夜を問わない長時間加速を敢行する。私の活動限界がどの辺りにあるのか調べることも含め、一石四鳥くらいある試行だ。
地面の強化を待たず加速を継続した。かなりの悪路を高速移動するので、神経を研ぎ澄ましていると、自身の感覚の認識が深くなる。
高速移動の姿勢制御は、進行方向からある反響音を認識する聴覚と、足から得られ振動を解析する触覚が重要であると分かった。
各種感覚の強化は、加速によって均等に進んでいるようだ。
極音速の世界でも支障なく生活できるように適応する必要性はないが、このガバガバ設定の世界が許容しているので仕方ない。
未調整のβ版で、無茶の限りをするのほんとスキ。早く管理者が止めないと、バランスが無茶苦茶になることを早く理解してほしい。
ーーーーー
何日か加速を継続したままだ。不眠不休だが私のスタミナに限界はこない。もしかしてスタミナも強化され続けているため、エンドレスなのだろうか?
加速による速度は、一周1秒を切ってからよくわからなくなってしまった。
私の周りの空気は常に燃焼しており、炎が発生している。熱さは感じない。
炎に視界を阻まれ、轟音にさらされ、焦げ臭い匂いに包まれているが、どういうわけか周囲を知覚できるようになっていた。
共感覚というやつだろうか?五感が複合され、もう一つの感覚になった感じだ。言ってみれば物体の質量を感知できる能力が発現した。頭の中に世界の模型があって、それを客観的に眺めることが出来るイメージだ。
もはや、私は異常といっても良い存在に成り果てているのではないだろうか?今だに強化をストップしないのは何故なのか。
さらに悪いことに、地面の強化が進まなくなってしまった。どうやら強化上限設定はされていたようだ。
際限なく抉れる地面は、これ以上の加速を許してくれない。一旦停止するために奇岩に進路を向けた。これだけ早いと簡単に止まれないので、大きな質量の物体に受け止めてもらうつもりだ。
若干恐怖心があるので、奇岩にはキックをするように足から突っ込んだ。
次の瞬間、奇岩は大樹もろとも、跡形も無く吹き飛んだ。




