コミカライズ開始&書籍2巻発売記念/冥府の元王女-⑩
最終話です。
三日ぶりの玉座の間。
魔王に謁見すると、アクアマリンはガイルの無実を説明する。
「ガイルが突然あなたを襲った原因は、ワインにジョッキの鉛が溶け出したことによる中毒症状だったの。中毒の件は今に始まったことではなくて、被害の範囲が限られていただけで昔から起こっていたはずよ。ガイルに罪はないわ」
「ごきげんよう、魔王陛下。ブラッドレイン一族のヴィオレッタだ。特級医師として彼女の説明に誤りがないことを保証する。大型の魔物や上級種は代謝のほうが早いから問題ないが、小型中型の魔物は中毒を起こしやすい。鉛のジョッキは避けたほうがいいだろう。ガイルに治療が必要ならば私の病院に送ってくれ」
頬杖をついてゆったりと説明を聞いていた魔王だが、ひざまずく二人に向かって頷いた。
「――まさか鍋と酒の容器に原因があったとは。鍛治職につくドワーフたちに至急通知せよ。飲食を扱う者たちにも使用制限の触れを出せ」
「ははっ」
「ガイルの身柄を解放しろ。しばらく仕事は休みだ。ヴィオレッタの病院に通院させるように」
「牢に伝えます」
侍従が出ていくと、魔王は面白そうにアクアマリンを眺めた。
「……貴様はどうしようもない性悪だと思っていたが、心を入れ替えたのか?」
「どうでしょうか。自分ではわかりませんわ」
「無実の罪で大切な部下を処刑せずに済んでオレも安堵している。褒美が欲しければ一つ叶える。何でも言え」
するとヴィオレッタは目を輝かせ、嬉々として願い事を申し出た。
「美しい人間を一匹いただきたい。いや、いっときの血液袋にするのではなく、きちんと世話をして、愛でて、長く一緒に暮らすつもりだ」
ちらりとアクアマリンに視線を移す魔王だが、その仏頂面を見てクッと口角を上げる。
「冥府で暮らしたいという奇特な女がいるかどうかわからんが、今度ルビーに相談してみよう。手配ができなかったら最上級の魔牛の血を与える」
「ありがたき幸せ」
約束を取り付けるとヴィオレッタはホクホク顔で出ていった。臨時休診にしていた病院に戻るのだろう。
「――貴様は何を望む? 遠慮はいらない」
「別に、欲しいものなんてありませんわ。今の暮らしは不自由ばかり。たった一つぽっちじゃ何にも変わりませんもの」
「どうした。謙虚だな」
「褒美目当てでやったと思われるのも心外なの。ガイルには良くしてもらったから、借りを返したまでよ」
「……」
「そういうわけでガイルが助かればもう用はないわ。わたくしは仕事があるから、これで失礼するわ」
正直に言ってこの魔王はどこに地雷があるか分からないので付き合いづらい。姿かたちだけは絶世の美丈夫だが、そういうことに興味を失った今は関わりたくない存在のナンバーワンである。
日々の仕事をこなしながら冥府の森で静かに生涯を終えることが、今のアクアマリンの小さな望みだった。
「――待て」
帰ろうとしたアクアマリンに魔王が声をかける。
「まったく似ていないと思っていたが、オレの思い違いだったな」
魔王はどこからか黄金のネックレスを取り出してアクアマリンに差し出した。
「これは?」
「瘴気から永久的に守護するネックレスだ」
「……どうして」
「その昔、炎の大聖女カイヤナイトがここに来る時に使っていたものだ。父の部屋に残されていたものだが、貴様に貸し与えよう」
「…………わたくしは別に、いつ死んだって……」
言いながらアクアマリンは目の奥が熱くなる。
人間界を追放され、冥府でも異物扱い。自分の居場所はどこにもない。そう自覚していたからこそ、負けないように、侮られないように、せめてクリスタルが完全に黒くなって死ぬまでは。背筋を伸ばして生きようと決めていた。可哀想だと思われるなんて絶対に御免だった。
「ガイルと小型の魔物たちを救ったんだ。カイヤナイトの首飾りもある。今後は誰もおまえを馬鹿にしたりしないだろう」
うつむいて動かないアクアマリンに魔王が歩み寄る。腕をとって手のひらにネックレスを握らせた。
「貴様は貴様らしく生きてみろ。冥府は弱肉強食。人間の悪女がどれほどのものか、皆に見せつけてやれ」
「…………」
手のひらの中で光り輝くネックレス。
かつて炎の大聖女が身につけていた偉大な装具だ。
自分にはとても似つかわしくない品物のはずなのに――ここにいてもいいのだと、確かにそう言われた気がした。
◇
広間をあとにすると、知った顔のメドゥーサが通りがかった。いつも更衣室で絡んできてガイルの調査協力を放り出したネリッサである。
彼女は馬鹿にした表情で唇を開きかけたが、アクアマリンの胸元を見ると表情を変えた。
「そのネックレス……。あんた、もしかして証明できたの?」
「ええ、そうよ」
「あ、あたしのこと、魔王様には……」
「告げ口なんてしないわ。だってあなたは三流だもの。これ以上落ちぶれたら見てられないわ」
「なっ……!!」
ネリッサは気色ばんでアクアマリンに詰め寄る。壁に肩を押さえつけ、頭の蛇と一緒にすごんだ。
「あんたねえっ! いい加減にしなさいよ!」
目と鼻の先に蛇の牙が迫っても、アクアマリンはもう怖くなかった。
ネリッサと真っすぐに目を合わせ、彼女の細い顎に指をかけ、サファイアのように美しい瞳で微笑んだ。
「ねえ。今度うちにいらっしゃいよ。その汚い爪、磨いてあげる。髪も油をぬって似合うように結ってあげるわ。あんたみたいに真正面から悪口を言ってくる人、わたくし案外嫌じゃないことに気づいたの」
「――――!」
あっけにとられて石のように固まったネリッサの横を、アクアマリンはゆうゆうと通り過ぎる。
ガイルが元気になって戻るまでは仕事が大変だ。でも、夜にはあのバーで美味しいシードルが待っている。休みの日は景色の良い海羊亭に足を伸ばしてもいいかもしれない。
(アシュレイに頼んだら、料理を教えてもらえるかしら?)
アクアマリンの穏やかでない毎日は、これからも続いていく。
コミカライズ開始記念特別番外編 冥府の元王女 (了)




