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コミカライズ開始&書籍2巻発売記念/冥府の元王女-⑧

 ガイルが魔王を襲った朝議に居合わせた魔物たちに話を聞きに行ったものの、「突然性格が変わったみたいに襲いかかった」「朝から少し体調は悪そうだった」という話ばかりで、新しい手がかりは得られなかった。


 夜を迎え、アクアマリンはいったん家に帰っていた。

 戸棚を開けるが、昨日干し芋を食べてしまったため、中は空っぽだった。


(……さすがにお腹が空いたわ。軽く済ませに行きましょう)


 どうせ家にいても事件解決の役には立たないのだ。いつものバーで夕食をとり、頭に栄養を補給して、もう一度調べてきた内容を整理しようと考えた。


(もし明日の朝になっても分からないままだったら……急いで人間界に行って、お姉様に頭を下げるしかないわ)


 アクアマリンは分かっていた。

 この事件を解決する、もしくは魔王を説き伏せられるのは姉しかいない。

 姉に何かを頼むのは死ぬよりも辛いことだったが、ガイルを助けるためにはもうこれしか方法は残されていない。

 ガイルが助かるのであればやる覚悟を決めていた。


 ◇


 いつものバーに向かうとアクアマリンの胸中とは正反対に賑わいをみせていた。

 ワインのジョッキ片手にガハハと唾を飛ばし合い、一方では早くもゴブリン客が喧嘩を始めている。


(毎日毎日浴びるように酒を飲んで喧嘩して……よく飽きないわね)


 魔族の辞書に【学習】もしくは【反省】という言葉はないのだろうか。

 アクアマリンは呆れながら一番端のカウンター席に腰を下ろし、さりげなく目の前に現れたいつもの吸血鬼バーテンに注文する。


「シードルと軽いものをちょうだい」

「いつものですね。かしこまりました」


 酒を作ろうとしたバーテンだったが、アクアマリンは彼を呼び止めた。


「やっぱりワインをちょうだい。みんなが飲んでいるのと同じものを」

「……珍しいですね」


 バーテンが片眉を挙げると、アクアマリンは大鍋でぐつぐつと音を立てる赤黒い液体を眺めた。


「ここ最近色々あってね。美味しいワインを飲みたくなったの」

「そうですか。それならぜひ」


 微笑んだバーテンはジョッキにワインを注いでアクアマリンの前に置いた。


「……やっぱりこのジョッキは重いわね」

「人間は非力なのですね。移し替えますか?」

「結構よ」


 ごつごつした金属のジョッキは近くで見てもやっぱり可愛げの欠片もない。

 両手で抱えるようにして口元に運び、一口ごくりと飲むと――。


(――――!? 毒だわ!)


 急いで口を離しハンカチで押さえる。

 まさかここのワインにも毒が入っているなんて!

 心臓がうるさいくらいに音を立てている。


(どういうことなの?)


 カウンターの中の湯気を立てる大鍋を見つめるアクアマリン。

 ワインを用意してくれたバーテンの動きはずっとなんとなく眺めていたが、妙なところはなかったように思う。


「……ねえ。このワインの生産者はどなた?」

「生産者、ですか。オーガのオランという者ですが」

「黒闇の丘の?」

「彼は確か雷が丘の工房です。それが何か?」

「……いえ」


 サイオスのワインとは産地が異なっている。

 それなのに、ワインから感じた毒はまったく同じだった。


(やっぱりワインそのものには原因がない……? 納品されて提供までの過程に理由があるということ?)


 酒場が組織ぐるみで毒を混入している可能性もあるが、不特定多数を狙うようなことをするのは不自然だ。だいいち客が体調を崩せば酒場の経営はあがったりなのだから。

 海羊亭では、倉庫にしまわれていた未開封の樽に異常はなかった。


(樽を開けて、あの鍋に入れて温めるのよね)


 海羊亭でもこのバーでもほぼ同じ大鍋を使っている。天上から太い鎖で吊るされた人間が五、六人は入れそうな巨大な金属鍋だ。それを下から業火で煮立たせている。


(だいたい誰か鍋のがそばにいて、かき混ぜたり補充をしている……)


 食糧危機が開け、初めてとれたぶどうでつくる新しいワイン。客の魔物の胃袋は底なしだ。次から次へと樽があき、あたためられ、ジョッキで提供されていく様子をアクアマリンはじっと観察する。

 そしてふと気がついた。


(……鍋かジョッキに毒が含まれている?)


 そうであれば樽を開ける前のワインに毒が見つからない説明がつく。

 金属製の道具――鍋やジョッキを製造しているのはドワーフだと耳にした。製造過程で故意かそうでないかは別として、なにかよくないものが混入しているのではないか?


(それはどうやったらわかるかしら)


 今の自分の力では、口に入れたものが毒かどうかしか判別できない。

 ドワーフの工房を訪ねて鍋を舐めたらわかるものなのか?

 試しに手元のジョッキの金属部分だけを恐る恐る舐めてみる。


(――よくわからないわ。毒のような、そうでないような……)


 もやもやしていて判然としない感覚だった。いよいよ姉から吸い取った力が尽きかけているのかもしれなかった。


(まずいわね。あと何回力が使えるか……)


 手のひらに嫌な汗が滲む。

 この力さえなくなってしまったら、いよいよ調査は進まなくなってしまう。


(代わりに毒を判別できる魔族はいないのかしら……)


 冥府には毒を持つ魔物が多くいる。他の毒を判別できるかまではわからないが、そういう種族が一つくらいいてもいいのでは――。

 ふと目の前でジョッキを拭いている男が目に入る。


(――吸血鬼? もしかしたら――!)


 これだ、とアクアマリンは閃いた。一縷の望みをかけて唇を開く。


「ねえ。あなたは吸血鬼族なのよね? 血液以外も嗜むのかしら?」


 突拍子もないことを話しかけられたバーテンは困惑する。いつも一人で静かにシードルを飲むアクアマリンが今日はやたらと話しかけてくる。


「いえ……、そういう仲間もいますけど僕は基本的に血液しか飲みません。味覚が敏感すぎて、とても飲めたものではないです」

「それなのに酒場を経営してるなんて、珍しいのね」

「友人が開いた店なんです。食糧危機を乗り越えられずに彼はいなくなってしまいましたが……潰すのも忍びないので。それに、敏感な味覚を活かして仕入れをしてますから、この体質も少しは役に立っているんですよ」

「そう……。それは大変だったわね」

「お気遣いなく。魔族は弱肉強食。脅威に淘汰されるのは仕方ないことです」

「そのおかげで救われる命が一つあるかもしれないわ」


 アクアマリンはおもむろに彼の手を握った。

 驚くバーテンの前でアクアマリンの身体が淡く光る。

 そのままジョッキのワインを飲むと、蒼い瞳が大きく見開かれた。


「――鉛だわ。これが原因だったのね!」


 ワインにはジョッキの金属である鉛が溶け出していた。

 つまりワインの成分とジョッキの鉛が反応して有害な成分に変化していた。

 いくら魔物とはいえ、これを大量に飲めば体を壊す。

 アクアマリンの中で点と点が繋がり始めた。


(海羊亭のマスターは小型の魔物がトラブルを起こすと言っていたわ。このバーで見かける喧嘩も同じだわ。つまり身体の小さい魔物から症状が出始めていたのよ!)


 ガーゴイルも身体の大きさとしてはゴブリンとそう変わらない。加えてガイルはそれなりに年もとっている。

 長い食糧危機の間は満足に酒も飲めなかったようだから、症状が出なかったんだろう。

 ワインが作れるようになり、初めてのシーズンを迎え、嬉しさもあってたくさん飲み始めたから――。

 アクアマリンには確かな光が見えた。


「医学や病に詳しい医師を紹介していただけない? 時間がないから、できれば近くに住んでいる方がいいわ」

「具合が悪いのですか?」


 バーテンはいきなり掴まれて離された手を触りながら訝しむ。今日のこの人間は、なにか様子がおかしい。


「わたくしのことではないの。とあることについて医師の意見がほしいだけ」

「そういうことなら僕の従姉が医師をしてるんで紹介できますよ」

「近くかしら? あまり時間がないの」

「この森です。玄霧谷近くの村なんですけど――」

「そこなら分かるわ。行って聞いてみる」

「営業があるんで案内できなくてすみません。僕――アシュレイ・ブラッドレインの紹介だと伝えれば話が早いはずです」

「ありがとう、アシュレイ」


 アクアマリンは飲食代をカウンターに置いて立ち上がる。


「ワインよりもあなたが目利きしたシードルのほうが美味しいわね。次からはまたそれでお願い」


 アシュレイは真紅の瞳をぱちぱちとさせる。

 豊かに輝く金色の髪がドアの外に消えるのを見届けると、ため息とともにぽつりとつぶやいた。


「僕のことを怖がっていたんじゃなかったのか? ……変な人間」


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