第9話 開幕の合図
「どういう事だ?」
至極当然。しかし極めて意味のない言葉を僕は無意識に発していた。
そう分かっていても言わずにはいられなかった。それほどまでに理解の外側の出来事が起きている。
「あーそっかそっか」
そいつは気にもしていないらしい。
「ごめんごめん、これは君の姿を借りているだけなんだよ」
「借りている?」
「そ。事情があって他人に姿を見せることができないんだ。だから君の姿を借りてこうして出迎えたというわけさ」
「どうしてそんな面倒な事を?」
そう言うと不思議そうに首を傾げた。
「面倒? それは違う。君にとってもこの方が受け入れやすいし、出迎える上での誠意を示すことにもなる」
「……すみませんがよく分かりません」
満足そうに頷く。
「そう。そういうことさ。ではもし、こうして姿も動きもなく声だけの存在が君に何かを語りかけて来たとしたら? 今のこの状況と比べてどうだった?」
「そんなの想像できません。そこまで変わったようにも思えませんけど」
そう言うと、フッと笑った。
「ああ、それはそうだ。起きてもいない事に対する結果を想像するのはあまりに意味が無い」
のらりくらりとして捉えどころがない。会話に中身があるのかと思えば中身がない。しかしそれほど不快にはならない。何とも不思議な存在だと思った。
この人物は何者なのか──
「いったいこいつは何者なんだろう」
「!」
心臓が跳ねた。
「そんな疑問が湧いて来るのは当然の事だ。君の心が読めないとしてもね。と言ってもこの発言すら疑われるかもしれないが」
そう。この状況でそう思うのは当たり前の事だ。だがこの思考すらも誘導されているのではないか。そう疑い始めると話が進まない。
「さて、その答えについてだけど──」
僕の姿を借りたその人はどこか愉快そうに笑った。
「今はまだ自分で考えるしかない。続きはまたいつか。全てが終わった後にでも。と言っても二度と会うことはないかもしれないが」
「それってどういう──!」
そう聞こうとした時にはもう暗闇にいた。
目の前にあったはずの家も無くなっている。……とりあえず戻るか。
元来た道を戻ろうと後ろを向いた時、異変を感じた。
何かが……そこにいる。視界に広がる黒の中に。
それが見えた瞬間、なぜだか僕の全身には鳥肌が立っていた。
なぜだろう。嫌な予感がする。
『二度と会うことはないかもしれないが』
その言葉が妙に心を掻きむしる。その意味を考えずにはいられない。
嫌な予感がする。今から何か良くないことが起きる。そんな感覚。
まるでこれが全ての始まりであり、開幕の合図とでも言うような、正体不明の恐怖に全身を締め付け、思考を支配される。
考えたくない。でも不可能だ。
心臓が、鼓動が警告している。
逃げろ、と。
そこにいたのは──
エミリーさんだった。