98話
夜天の空に向けて轟音轟いた。マリアが放った魔術が城の外壁を破壊したのだ。ロイは背後に見える夜の空を見て、冷や汗を流しつつ、ゾッとするわなと一人でぼやいて見せる。
ロイが右手に抱えるアダマンティア製の剣は、時に魔術を吸収し、ある時は断ち切りと少なくない貢献をしてくれている。だがそれ以上にマリアが優秀すぎた。どれだけ放っても底を見せぬ程の魔力に、そしてあらゆる魔術法則を捉える金色の瞳。どうにかのらりくらりと躱してきたが、これ以上に剣に魔術を吸わせると壊れる――そうロイは直感的に悟っていた。
「あら、追いかけっこはもう終わりですか? こう見えても私、このような児戯には憧れを抱いておりましたのに」
「血涙流して狂った笑顔で殺そうとしてくる奴が鬼やってる追いかけっこが児戯ィ? バカも休み休み言え。ついでに俺もいい加減に見逃せ!」
「それはお断りさせて頂きます。早くその力の源……ッ!」
唐突に振り向いたマリアが手を向けた先には、刀を鞘に入れ腰から吊るしたエリシアが立っていた。廊下の先、距離は数十メートル程だろうか。奇しくも、ロイを助けにきてくれた時と状況が似ていた。
「ヴェルハイムも耄碌しましたわね。それとも貴女が異常なのでしょうか、エリシア・ダナン」
「どちらでもいいさ。あの騎士が耄碌していても、私が異常でもどっちでもいい」
赤いパーティドレスがふわりと翻る。破壊された壁から入る夜の風がエリシアの髪を揺らした。その青い瞳は真っ直ぐにマリアを見つめ、凪いだように穏やかな色をしていた。ロイは見たことあるタイプの瞳だ、と少しずつ少しずつ慎重に、エリシア身体が向いているの直線から自分の身体をズラしていく。
「……問題はお前だよ、聖女様。まだ、ここで、ロイを相手に何をしていた?」
「ロイ様とあんなことやこんなことを――少しばかり激しくて、燃えましたけどね」
ああ、確かに燃えた。物理的にだけど。お前が炎の魔術で燃やしたんだろうがクソメンヘラ適当なこと言いやがって、と心の中で怒りを燃やしながら、ロイはふんと鼻を鳴らす。ちょこちょこ足が動いて位置をズラしている姿は、なんとも情けないものであるが。
「……いずれにせよお遊びにも飽いて来たところなのです。貴女も混じりたいのであれば、ご自由に――……」
不意にマリアの言葉が止まった。弄ばんと悪辣に笑っていた表情からは色が消え去り、真っ直ぐに、ただ真っ直ぐに、エリシアの背後に立つ少女――リリィ・クルーシャを見ていた。
それに気づいたエリシアが振り返る。何かが異常だ、と飛びのこうとした瞬間――その身体を漆黒の霧のような何かが薙ぎ払った。異常なほどに無音で振るわれたそれは、エリシアの吹き飛ばされていく音と共に、溶けるように消えていった。エリシアの身体は壊れた外壁から放り出され、城の外の暗闇へと消えていく。
「……あ? いや、お前……違う、エリシア?」
頭がついていかなかった。目の前の少女は確かノアと一緒にいたロリだ、とロイは理解してた。だがそれが何でいまここで暴威をふるっているのかが分からない。もっと言えば、強烈な才能を備えて自分よりも数段上のレベルにいるだろうエリシアが何にも出来ずに吹き飛ばされていったのも、混乱を招く一因になってしまっていた。
――ロイ・ローレライは決して天才ではない。
だからこそ、その隙を突かれる事となる。
「脇が甘いねぇ。こんなんじゃまだノアやヴェルハイムの方がマシだった、牙を抜かれてもあれは噛みつこうとして来たから」
打ち出された漆黒の礫がロイを捉える瞬間―ー差し出されたマリアの左腕から放たれた魔術が、礫を破壊した。ばちばちと轟く紫電迸らせ、マリアは何でもないことのように言葉を漏らす。
「……夜天の方のリリィですね。お初にお目にかかるところ申し訳ないのですが、この方は私が弄ぶと決めていまして。リリィやノアに感謝はしていても、貴女には何の感情もないんですよ。邪魔をせずに消えて頂けると、非常に助かるのですが?」
「ほう、私から生まれた残りかすが随分と偉そうに……って、お前、まさか」
少し驚いたような顔をしたリリィ・クルーシャは、改めて確認するかのようにじっとマリアの姿を見つめると、再度、間違いないと頷いた。
「マリア、お前は残りかすの癖に黒の魔力の供給を断って生きているな!? 傑作だ、素晴らしい! 魔素を取り込んで活動限力にしている、魔素が尽きない限り――事実上の不死だ! 黒の宝玉も形無しだよ、これは!」
銀の髪をなびかせてけらけら笑うその姿は、口さえ開かなければ年相応の幼ささえ垣間見える物だった。一瞬で本質を当てられたマリアだったが、表情を一切崩すことなく、ただただ突き放す。
「えぇ。なので貴女は、私の何でもない存在です。邪魔をしないでください」
「ひっひっ……この夜はいい日だ――玩具が三つに増えた」
そう再度指先をロイとマリアの方向へ向けたリリィ・クルーシャ。
それにマリアが反応した。ロイに向けていた弄ぶ程度のものじゃない。完全に殺してしまおうと膨大な魔力が迸り、明確な殺意と共に術が組み上げられていき――リリィ・クルーシャの身体が不意に、エリシアを突き落とした城の外側を向いた。
「……ひっ!?」
そして、本当に脅えた幼い少女のような表情と声色をして見せる。それだけで――城の外側から飛翔するかのように舞い戻ってきたエリシアの銀の刃が、ぴたっと構えた上段で止まってしまった。
本来であれば不意打ち気味に放たれたであろう刃だ。もしもその少女に自らの意思が戻っていたら ―― ただそれだけの思考が、エリシアの剣を止めてしまったのである。
「案の情ニセモノの表情だよ、エリシア。そういえば君は既に死んだことになっていると思ったけど、どうしてそうやって生きているのかな? 不思議だよね、ちょっと解剖して確かめたいんだけど?」
心臓を抉ろうとしたのだろうか。リリィ・クルーシャの腕が漆黒に包まれ、まだ宙に滞在しているエリシア目掛けて放たれる。だがその間に割り込むかのようにロイが滑り込み――漆黒の手、鋭い槍のような一撃を剣で受け止めた。そして空いていたボロボロの左腕で、リリィ・クルーシャの城のゴシック・ドレスの襟元を勢いよく掴む。
「……っ、ご、ごめんなさい、私」
「うるせぇぞカス――お前が諸悪の根源だな? わざわざ俺がこんな辺鄙なところまであってこさせられた原因だな!?」
「ち、違ッ……何を言われてるか、わかんな――」
「飛んでけカス!!」
リリィ・クルーシャは締まる首元にせき込んだ。そして、こんなに可愛い少女が脅えているのに本気で投げるのかよこの男は――と呆れながらぶんっと宙に放り出される感覚を味わう。天と地がぐるぐると入れ替わっていく世界で、どうやって玩具と遊ぼうかと考え瞳を閉じ――、直後、顔面に襲い掛かった衝撃に思わず瞳を見開いてしまう。
「さっきは少し驚いちまったが、要はてめぇを倒せば俺は元の世界に戻れそうなんでな! さっさと死ね! 今すぐ死ね!」
放り投げたリリィ・クルーシャに対し、不退転の決意を発動させて紫電を迸らせながら跳躍。見事に追いついたロイは――靴底で鮮やかな程にリリィ・クルーシャの顔を中心を捉えて思いっきり踏み下していた。
「……底無しの悪意に靴底を舐めさせたのだなんて、ロイ、お前が初めてだ!」




