59.エピローグ
うだるような暑さの中、私は目を覚ました。
眩しい太陽の光が差し込む。夏の抜けるような青空を、白い雲が流れていた。
体を起こし、目を擦る。周囲を見回しても、目に映るのは見慣れた私の部屋だった。ちゃぶ台の上には、湯気の立つ味噌汁が置かれている。
「……クロ?」
名前を呼んでも、返事はない。
「ニワ子? 乳牛?」
私の声は、夏の蝉の声に消えていく。誰もいない。ここは私一人だ。
――……夢?
長い夢を見ていたのだろうか。
大豆だけを味方に、命がけで生きていたことも?
仲間たちと暮らした日々も?
マメオとマメコたちの存在も、大豆の文明を見守ったことも――。
「……夢」
そりゃあ、そうだ。神だの世界の崩壊だの大豆だの。非現実的すぎる。挙句に、大豆の文明だと? 納豆で世界が戻るだと? 馬鹿馬鹿しい。
私は一介の大学生だ。世界を救うなんてできるはずがない。昨日まで大学に行っていたことも覚えているし、午後から講義があることも忘れていない。一万年以上を過ごした日々が本当なら、こんなこと覚えていられるはずがない。
だから……。
夢か…………。
私は空を見上げた。
世界は当たり前のように存在している。大豆による襲撃もなく、世界から大豆が失われることもない。
なのに――どうしてだろう。奇妙な喪失感がある。空の色が滲み出し、知らない間に涙があふれていた。
「うそ、なんで……」
涙をぬぐおうと、腕を上げたときだった。
着ていたジーンズのポケットから、ぽろりとなにか零れ落ちる。
それは丸く、少ししなびた二つの大豆だった。
私は二つの豆を拾い上げる。手のひらの中で小さく転がる、なんの変哲もない生の大豆だ。
「……ああ」
私は大豆を、両手でそっと握りしめる。
「マメオ、マメコ。……ありがとう」
祈るように両手を合わせ、私はしばらくの間、目を閉じた。
午後の講義は欠席した。
〇
大豆はプランターの中で、すくすくと育っている。
きちんと距離を取って植えたはずだが、互いに少し傾き合い、寄り添っているように見えるのは思い込みかもしれない。
いつか二つの大豆が枯れたとしても、その子豆たちをまた植えて、育てて行くだろう。
風に揺れる大豆たちを見ながら、私は朝食代わりに牛乳を口にした。
その時である。
突然の激痛に、私は倒れた。
視界が霞み、歪み、体が消えていくような感覚がある。
いや、体だけではない。まるで、世界ごと消えていくような――――。
気がつくと、私は白い水たまりの中に横たわっていた。
水――違う。これは牛乳だ。濃厚な牛乳の中に、私は浸かっている。
大慌てで半身を起こすと、目の前に見覚えのある顔があった。
人間離れした美貌を持つ、黒い服の男だ。この白い場所にあって、奇妙なほどに違和感のある黒い男は、私を見て笑うように――懐かしむように口を曲げた。
「ミノル」
嫌な予感がする。
嫌な予感がする。
嫌な予感しかしない。
「――――今度は乳製品を救ってみないか?」
終わり
ここまでお読みくださりありがとうございました。
ここまでお読みくださる方がいると思っていませんでした(小声)
趣味に振り切っていたので、書いていて楽しかったです。
次はごく普通の甘々なラブコメが書きたいです。