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契約妻は氷血公爵に縛られる  作者: 三日月
冷血公爵に縛られる(本編)
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第四章:新しき命と、過保護すぎる公爵

〔一〕

真実の愛で結ばれ、身も心も本当の夫婦となったアリスとルードヴィヒ。そして、二人の間に向かえられた懐妊の報せは、ヴァルハイト公爵城をこれまでにない歓喜と祝祭の気配で満たしていた。

しかし、それに伴い新たな「問題」が浮上していたのだった。

「……アリス。なぜ一人で歩いているのだ。ハインツ、すぐに車椅子を手配しろ。いや、俺が抱えて運ぶ」

「ル、ルードヴィヒ様……! まだお腹も大きくなっていませんし、ただお庭を少し散歩していただけですよ……!?」

朝の陽光が注ぐ回廊で、アリスは困惑と気恥ずかしさで頬を真っ赤に染めていた。黒の軍服に身を包んだルードヴィヒは、まるで国家の重要機密を扱うかのような真剣かつ恐ろしい表情で、アリスの小さな手をとってすっと立ちふさがっている。

「だめだ。北国の風は冷たい。お前と我が子に万が一のことがあれば、俺は正気を保っていられる自信がない」

「ですが、お医者様からも『適度な運動は体に良い』と言われていますし……」

「その適度、の基準が問題だ。お前は昔から自分を後回しにする癖がある。俺が目を離せば、すぐに無理をする」

ルードヴィヒはそう言うと、問答無用でアリスの膝裏と背中に手を回し、軽々と「お姫様抱っこ」で抱え上げた。

「きゃっ……! ル、ルードヴィヒ様! 使用人のみなさんが見ています……っ!」

「見たい奴には見せておけ。俺の妻と子を守るのが公爵としての最優先事項だ」

堂々と宣するルードヴィヒの姿に、通りかかった侍女や騎士たちは微笑ましい眼差しを向けつつ、恭しく頭を下げて通り過ぎていく。かつて「氷の公爵」と恐れられ、誰も寄せ付けなかった冷酷な男が、今や一刻もアリスの手を離したくない愛妻家へと完全変貌を遂げていたのだった。

執務室に運ばれたアリスは、ルードヴィヒの膝の上にすぽりと収まる形で座らされた。

「あの……ルードヴィヒ様。お仕事のお邪魔になってしまいます……」

「お前が傍にいる方が、俺の作業効率は跳ね上がる。……それに、こうしておかないと、お前がどこかへ行ってしまうような気がしてな」

耳元で低く甘い声で囁かれ、アリスの心臓が甘い痛みを立てて跳ね跳ねる。すれ違いを乗り越え、互いの愛を確かめ合ったあの日以来、ルードヴィヒのアリスに対する独占欲と過保護ぶりは、まさに歯止めがかからなくなっていたのだ。

(こんなに幸せでいいのかな……。昔の自分が嘘みたい……)

ルードヴィヒの広い胸に背中を預け、彼の手がそっと自分のまだ平らなお腹の上に重ねられる温もりを感じながら、アリスは深い幸福感に包まれていた。


だが、そんな平和で甘やかな日々に、再び小さな波紋が広がろうとしていた。

「閣下。王都の社交界より、来月の『建国記念晩餐会』への招待状が届いております。……ならびに、王立貴族院より、アリス様の公爵夫人としての初お披露目に関する打診が」

副官ハインツが恭しく差し出した豪華な書簡を受け取り、ルードヴィヒは冷ややかな一瞥をくれた。

「辞退だ。アリスは現在、身体を休めるべき大事な時期だ。有象無象の貴族どもが集まる場所に、妻を連れて行く気はない」

一瞬にして「氷の公爵」の冷徹な顔に戻り、一蹴しようとするルードヴィヒ。しかし、その膝の上にいたアリスがそっと彼の袖を引いた。

「ルードヴィヒ様……。その晩餐会、私、出席したいです」

「……何?」

ルードヴィヒは驚いたように目を丸くした。アリスは少し緊張しながらも、まっすぐな瞳で彼を見つめ返した。

「私は……ヴァルハイト公爵夫人として、あなた様の妻として、誇りを持って皆様の前に立ちたいのです。いつまでもあなた様に守られるだけの存在ではなく、あなたの隣に立つにふさわしい妻になりたい……」

アリスの健気で強い決意に、ルードヴィヒは息を呑んだ。しかし、彼の琥珀色の瞳には、大切な妻を危険や好奇の目に晒したくないという激しい葛藤と、過保護な独占欲が渦巻き始めるのだった――。


〔二〕

「アリス……本当に行くというのか? 今からでも辞退の書面を出せば間に合う」

建国記念晩餐会の当日、王都にあるヴァルハイト公爵家の別邸にて。

ルードヴィヒはドレス姿のアリスを前に、本日何度目になるか分からない問いかけを繰り返していた。

「ふふ、もう何度目ですか、ルードヴィヒ様。私は大丈夫です」

姿見の前でアリスがくるりと振り向くと、ルードヴィヒの息が詰まった。

アリスが身に纏っているのは、ルードヴィヒの瞳の色と同じ深い琥珀色の刺繍が施された、夜空のような紺青のドレスだった。露出を極限まで抑えた上品なデザインでありながら、アリスの持つ透明感のある美しい金髪と白皙の肌を引き立て、息を呑むほどの気品と神々しさを放っている。

「……美しすぎる。やはりやめだ。今すぐ着替えてベッドに戻れ。有象無象の男どもに見せるなど耐えられん」

「ル、ルードヴィヒ様……っ! 冗談はおっしゃらないでください!」

本気でアリスを隠そうと腕を伸ばしてくるルードヴィヒを、アリスは慌てて押し止めた。過保護で独占欲の強い夫に困り果てつつも、その愛しさが胸を満たしていく。

「大丈夫ですよ。私の隣には、世界で一番強くて格好いい私の夫がいてくださるのですから」

「……っ」

アリスに可愛らしく見上げられ、そう告げられたルードヴィヒは、うぐっと言葉を詰まらせた。耳たぶをわずかに赤く染め、諦めたように深く息を吐く。

「……分かった。だが、俺の手を絶対に離すな。一歩も離れるな。気分が悪くなったら即座に退散する。良いな?」

「はい! お約束します」


絢爛豪華な王城の大広間。建国記念晩餐会の会場は、着飾った貴族たちで熱気に満ちあふれていた。

そして、「氷の公爵」ことヴァルハイト公爵夫妻が入場した瞬間、会場の視線が一斉に集中した。

「ご覧になられて? あの方が例のブルーム子爵家から娶られたという公爵夫人よ……」

「なんて美しく気品に溢れた方なんだ。まるで氷の城に咲いた一輪の奇跡の薔薇のようだ……」

「噂では実家で不遇の扱いを受けていたそうだが……あの堂々とした立ち振る舞いは、どこからどう見ても立派な公爵夫人そのものではないか」

かつての悪名高い噂を払拭し、賞賛と感嘆の声があちこちから漏れ聞こえる。アリスはルードヴィヒの腕にしっかりと手を添え、背筋を伸ばして優雅に微笑んでいた。過剰な緊張に押し潰されそうになりながらも、隣にいるルードヴィヒの力強い体温が彼女に勇気を与えていたのだった。

しかし、ルードヴィヒの表情は硬かった。アリスに注がれる男性貴族たちの熱視線に、周囲を威圧するほどの冷気が彼の全身から溢れ出している。

「ルードヴィヒ様、顔が怖いです……」

「……群がる羽虫どもを今すぐ凍らせてやろうかと思っているところだ」

「だ、駄目ですよ……!」

二人がそんなやり取りをしていると、そこへ一人の不躾な若い男が声をかけてきた。

「これはこれは、ヴァルハイト公爵閣下。そして……美しい公爵夫人」

現れたのは、社交界でも名高いプレイボーイとして知られるカザール伯爵令息であった。彼はルードヴィヒの放つ殺気立った威圧感に一瞬怯みつつも、目の前のアリスの神々しいまでの美しさに目を奪われ、不躾にその手を取ろうと手を伸ばした。

「噂通りの素晴らしい淑女だ。お噂以上の愛らしさに、私の心が奪われそうだ。夫人、よろしければ一曲――」

バキッ!!

「ひっ……!?」

男の手がアリスに触れる直前、ルードヴィヒの腕が激しい速度で挟まれた。ルードヴィヒはアリスを自らの背後へと庇い隠すように抱え込むと、カザール伯爵令息の首元をつかむ勢いで間合いを詰め、琥珀色の瞳を氷のように冷たく光らせたのだった。

「触れるな」

地獄の底から響くような地鳴りの声。大広間の温度が一瞬で数度下がったかのような凄惨な冷気が立ち込め、周囲の貴族たちが悲鳴を上げて退散していく。

「俺の妻に気安く触れようなどと……その不潔な手を切り落とされたいのか、カザール?」

「ひ……ひいいいっ!? も、申し訳ございません閣下! 失礼いたしましたーっ!」

絶叫しながら逃げ出していく伯爵令息を見送り、ルードヴィヒは心底不機嫌そうに舌打ちをした。そしてすぐさま振り返り、アリスの体を検分するように抱き寄せた。

「アリス、怪我はないか? 奴に触れられてはいないな!?」

「はい、大丈夫です……! ルードヴィヒ様が守ってくださいましたから……」

過剰なまでの嫉妬と独占欲を露わにするルードヴィヒ。しかし、その時――長旅と大広間の熱気、そして一瞬の恐怖が重なり、アリスの視界がふっとグラりと揺れたのだった。

「あ……っ」

「アリス!?」

膝から崩れ落ちそうになったアリスを、ルードヴィヒはすかさず両腕で受け止めた――。

「アリス……ッ!」

膝から崩れ落ちかけたアリスの華奢な体を、ルードヴィヒは咄嗟に腕の中に抱き留めた。

周囲の貴族たちがどよめき立つ中、ルードヴィヒの瞳から冷静さが完全に消失する。彼は一切の躊躇なくアリスを横抱き(お姫様抱っこ)に抱え上げると、周囲を氷のような眼光で鋭く威圧した。

「ハインツ! 馬車を出せ! 今すぐ帰還する!」

「はっ、ただちに!」

主催者への挨拶すら省き、ルードヴィヒは大広間を風のように駆け抜けた。社交界の好奇の目も、皇帝への礼儀も、今の彼には微塵の価値もなかった。彼の世界にはただ一人、腕の中で青ざめている愛しい妻しか存在していなかったのだ。


〔三〕

王都の別邸に戻り、ふかふかのベッドへ優しく横たえられたアリスがゆっくりと目を覚ますと、そこには蒼白な顔でアリスの手を握りしめるルードヴィヒの姿があった。

「……ルードヴィヒ、様……?」

「アリス……! 気がついたか……っ。気分はどうだ? 頭痛や吐き気はしないか? どこか痛むところは……!」

「大丈夫です……少し熱気にあてられて、立ち眩みがしただけで……。ごめんなさい、私、せっかくの晩餐会を台無しにしてしまって……」

申し訳なさそうに眉を八の字にするアリスに対し、ルードヴィヒが城から力ずくで連れてきた侍医が「お体に異常はございません。お疲れと立ち眩みが重なっただけでございます」と告げると、ルードヴィヒは心の底から安堵したように大きな息を吐き出した。


部屋から医師や使用人たちが去り、二人きりになると、ルードヴィヒはアリスの手に額を押し当て、絞り出すような声で呟いた。

「晩餐会などどうでもいい……! お前が無事なら、俺は何もいらん……っ。頼むから、もう俺を怖がらせないでくれ……お前を失うかと思って、命が縮む思いだった……」

冷酷無比と恐れられた「氷の公爵」が、自分のためだけに弱々しく身を震わせている。アリスは胸を締め付けられるような愛おしさを覚え、小さな手で彼の漆黒の髪を優しく撫で下ろした。

「ルードヴィヒ様……。私を守ってくださって、ありがとうございます。本当に……世界で一番素敵な旦那様です」

「……ずるいぞ、お前は。そんな風に微笑まれたら、叱ることもできん……」

ルードヴィヒは顔を上げると、愛おしくてたまらないというようにアリスの唇に優しく、けれど深く口づけた。一度では足りず、二度、三度と甘い言葉とともに口づけを重ねていく。

「一生、どこへも行かせない。俺の腕の中で、一生大切に甘やかしてやる」

「ふふ、はい。喜んで……ルードヴィヒ様に甘やかされます」


〔四〕

王都での騒動から数ヶ月。厳しく長い冬が終わりを告げ、ヴァルハイト公爵領にも待望の春の芽吹きが訪れようとしていた。

庭園の雪が溶け始め、可憐な春の小花が顔を覗かせる頃、公爵城のテラスで二人は穏やかなお茶会を楽しんでいた。


「ふふ、ルードヴィヒ様、見てください。あそこに可愛い春のお花が……」

微笑みながらティーカップに手を伸ばしたアリスだったが、ふと唇にカップが触れた瞬間、口元を押さえて小さく眉をひそめた。


「アリス……!?」

ルードヴィヒが跳ね起きるように立ち上がり、手にしていた日傘を床へ落とした。

「毒か!? 身体が痛むのか!? 誰か、今すぐ侍医を呼べ!!」

「違います、ルードヴィヒ様……落ち着いてください。毒などではありませんわ」

急ぎ駆けつけた侍医がアリスを診察し、感極まったように深々と頭を下げた。


「……公爵閣下、アリス様。お身体に異常はございません。……ご胎内に、新しい命が宿られております」


「……な……?」

ルードヴィヒの思考が完全に停止した。

あの冷酷無比と恐れられた男が、まるで時が止まったかのように目を見開き、膝から床へ崩れ落ちる。


「私とお前の……子供だと……?」

「はい……ルードヴィヒ様。私たちの、新しい赤ちゃんです」


アリスが頬を染めて微笑むと、ルードヴィヒは涙で琥珀色の瞳を濡らしながら、壊れ物を扱うかのような手つきでアリスの身体を優しく、けれど離さないように抱きしめた。

「ありがとう……アリス。俺にこんな奇跡をくれて……本当に、ありがとう……っ」


最初はただの「契約」から始まった二人だった。だが、重なるすれ違いを経て解けた氷は、いまや決して断ち切れない『愛』という名の絆へと昇華していた。


「俺の命にかえても、お前とこれから生まれてくる我が子を守り抜く。……一生、愛している」

ルードヴィヒはアリスの頬を伝う嬉し涙を優しく拭うと、二人の唇を重ね合わせた。


温かな春の陽光が差し込み、二人と、お腹の中の小さな命の未来を優しく照らしている。

甘く過保護な二人の物語は——やがて訪れる新しい家族の誕生へと、続いていくのだった。

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