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風の女王  作者: contractor
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「帰りてー」


 蘇芳(すおう)一真(かずま)の口から重苦しい溜息と共に出たそれは紛れもない彼の本音だった。現実逃避でもしているのか、力なく首を横に振りながら、天を仰ぐ。空を自由気ままに泳ぐ雲に嫉妬していた。


(聞いてねーぞおい)


 一真の心の中に沸々と湧き上がるのは不快感と怒りがミックスされた、名状し難い混沌だった。それほどまでに彼は不愉快かつ静かに感情が波打っていた。


「どうなってんだよ……」


 一真の視線の先にあるのは豪邸と表現して差し支えない屋敷。一瞥で気配の数が視える。広さに反して最低限の人数しかないことに彼は当然の疑問を抱いたが、それ以上の懸念点の前では瑣末なことだった。


(同業者の気配を感じる……気の大きさからして、かなりのやり手だ)


 屋敷内の空気の流れを乱す、莫大な気を霊視力で確認した。一真の勤労意欲がみるみるうちに低下していく。元々勤勉とは程遠い────大罪の一つである怠惰と肩を組むくらいには相性は最高だった。なおかつ知り合いには碌な人間がいない。言葉を選ばなければロクデナシばかりだ。


「ただでさえ面倒な案件っぽいってのに……」


 高い報酬に釣られ、依頼を引き受けた己の軽率さを呪う一真。だが、その怒りの矛先は依頼を斡旋した仲介人へと向けられる。


「そもそも俺以外の術者がいるとか聞いてねーんだが。言っとけよ、報連相も知らんとか社会人一年生か莫迦が意識がハッキリしている覚醒状態のまま足の爪先から頭の天辺にかけて膾切りにしてやろうか殺すぞ死ね」


 つらつらと具体的な制裁を口走る彼の顔は悪鬼のようだ。その怒りに呼応し、風が一瞬吹き荒れる。彼の清冽な気を纏った風によって屋敷内の妖魔を除く、半径数kmに亘る範囲内に存在していた不浄を消し去ったが、一真は知る由もない。


「……よし、落ち着いた」


 されどほんの一瞬の出来事。一呼吸で意識を切り替え、瞬きが終わるよりも早く精霊の制御を取り戻したことで暴風は止む。束の間の夢のようだが、現実に起きたことだ。その証拠に電信柱が激しく揺れており、一真の足元には小さくも放射状に亀裂が走っている。普通の人間の脚力ではこうはならない。なってたまるものか。


「気張って行こーか」


 どう見ても何かをこれから頑張ろうという人間の表情ではない。緩みきったその顔つきは先程まで圧倒的な暴力の片鱗を表出させた者と同一人物だと誰が信じられようか。幸か不幸か辺りに人が居ないどころか、一真の威圧に気圧されたことで小虫一匹すら見当たらない。所謂ツッコミ不在の状況が完成していた。


『気張る? あんたが? もしかして笑わせようとしてんの? なら失笑くらいはしてあげるわよ』


 だが、応答はあった。鈴が鳴るような清らかな声だ。屋敷の正門の前に立ち、呼び鈴を鳴らそうとした直前でその声を耳にした一真は動きを止める。錆びついたブリキ人形のようにギギギと音を立てるようにして再稼働し、それの姿を自らの右肩に視認して顔を顰めた。


『来ちゃった♡』

「帰れ。喚んでねえ」


 掌サイズの少女。背中からは薄透明の羽が二対生え、妖しい光を灯す蒼の瞳を爛々と輝かせている。人間ではないのは確かだった。彼女面しているが、悪意に満ちていた。一真も醒めた眼差しを向けながら辛辣に返す。それは気にする様子がなかった。


『暇なんだからいいじゃん。それに私が居た方が退屈しないでしょ?』

「退屈以上に俺の負担がでけーんだよ。お前が出てくるだけで、どんだけこっちの精神許容量(リソース)を持ってかれると思ってやがる」

『テヘペロ』

「死ね」


 シンプルな罵倒だった。それほどまでにかの精霊と呼ばれる小さな少女は今の一真を不機嫌の底に叩き落としていた。


「これから仕事なんだよ。お前の出番はない」『まあまあ見学ぐらいさせてよー。やることなくて暇なんだから』

「フットワークが軽過ぎるだろ」


 彼の言葉には呆れ以上に諦観が滲んでおり、彼女の行動を制限出来ない悲哀が僅かに下がった眉に表れた。


『じゃ、早く行こう。もう押すね』

「おい、待っ」


 一真の制止の言葉を振り切り、小柄な体躯でインターホンに向かって勢いよく体当たりする。間の抜けるような音が聞こえ、すぐに返事が返ってきた。


『蘇芳一真様ですね……あの、どうかされたのですか?』


 怪訝そうな声だった。平たく言えば「こいつ、何してんの?」という感情が漏れている。一真の体勢は少女を掴もうと腕を伸ばし、掌をあらぬ方向へ向けている。だが、霊視力を持たない普通の人間には精霊が視えないので、虚空を握ろうとしているようにしか視えなかった。そのせいだろう。


「いや別に」

 

 一真は姿勢を正し、何食わぬ顔でそう答えた後、一瞥を向ける。殺意が篭っていたが、少女は呑気に笑っていた。微塵も怯えは感じられない。


「お待ちしておりました。どうぞこちらへ」

「どーも」

『どーも』


 正門が開き、メイドが一真(と視えない少女一名?)を出迎える。舌打ちを堪えながら、彼はメイドの尻を追っかけて屋敷に向かうのだった。

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