イグラシア
翌日、ルルシャンティエは花夜を執務室へ呼んだ。
「攻め滅ぼすならイグラシアが良いと思いますよ」
地図を広げたルルシャンティエの前で、花夜は穏やかな口調でそう告げた。花夜が提案したのは龍王ザル=イグラヴェスが守護する焔龍王国イグラシアだった。
「何故イグラシアなのです?」
「あそこは龍王の威を借るばかりで、特筆すべき物がありませんからね。それでも古くからある王国ですし、規模も大きいですから、あの国を滅ぼせば人間達にエルガリアの力を見せつけるのに丁度良いと思いますよ?」
「ですが……良いのですか?相手はエンシェントドラゴンですよ?」
世界に数える程しか居ないエンシェントドラゴン。その希少性を考慮し、ルルシャンティエは本当に倒してしまって良いものか問い返した。地図上のイグラシアを示す印を見つめながら、眉をひそめる。
「昔々、たまたま主様が殺されなかっただけの存在です。私はザル=イグラヴェスが如何なろうが構わないですよ?最近は歳を重ねて増長していますし、殺してしまった方が世の為でしょう」
花夜の口調は相変わらず穏やかだったが、その言葉の内容は穏やかとは程遠かった。ルルシャンティエは一拍置いてから、頷いた。
「分かりました……ではイグラシアを攻める事にします」
「お分かりでしょうが、イグラシアを堕とせば人間達はエルガリアを脅威と見做すでしょう。下手をすれば大陸中がエルガリアの敵になる。それでもやるのですね?」
「ええ、それがリーゼの決定ですから……」
ルルシャンティエは静かに、しかしはっきりと答えた。異論はある。懸念もある。しかしエルアリーゼが進むと決めた以上、自分はその道を整える役割だ。
「エルアリーゼさんが好んで進むのは茨の道ですからね。ですが茨如きでは彼女は止められない」
「そうですね……リーゼはそういう子です」
二人は示し合わせたわけでもなく、同時に小さく息を吐いた。
花夜はお茶を一口飲んでから、ルルシャンティエを見た。
「花夜殿、今回の戦いで麗姫殿に戦功を立てて頂いて、それなりの地位を与えようと思うのですが、如何でしょう?」
「それはルルシャンティエさんの思う通りになされば宜しいかと思いますが……聞きたいのは元とはいえ他国の姫君に爵位を与えるのは如何なものかという事ですかね?」
花夜は穏やかに核心を突いた。ルルシャンティエは僅かに目を伏せた。
「ええ、まあ……他に類を見ない展開ですし、こんな事をして良いのかどうか……」
ルルシャンティエは良くやっているが、元々伯爵家の長女でしかない。他国の元皇族の扱いなど知る筈もなかった。こういう時に相談出来る相手が花夜しかいないというのも、また妙な話だったが。
「良いと思いますよ。他国とはいえ元姫君ですし、爵位を持つ事に反対する人は少ないでしょう。ただ、段階は踏んだ方が良いでしょうね。少しずつ陞爵させた方が周囲の反感も少ないでしょう」
「でも、エルアリーゼさんの鶴の一声があれば五月蝿い連中程度、如何にでもなるのでは?」
「そういうのを麗姫殿が好まないのです」
ルルシャンティエは苦笑いして麗姫の気質について答える。
「まあ、良い事なのですが……そういう気質ですから、今の所リーゼの我儘を良い具合に抑えてくれていますね」
「ええ、私が思うにあの二人は悪く無い組み合わせだと思います」
金と銀。今はまだ噛み合っていないが、彼女達が手を取り合う様になればエルガリアにとって良い影響になるのではないかと、花夜は密かに思っていた。
ルルシャンティエから侵攻する候補地について聞いたエルアリーゼと麗姫は二者二様の反応を見せていた。
「焔龍王国イグラシアなぁ……よう知らんけど今度の相手はドラゴンやて?」
エルアリーゼは話を聞いた直後から既にわくわくとした顔をしていた。
「ザル=イグラヴェス……エンシェントドラゴンを狩れだなんて、アンタの姉も無茶言うわね……!」
麗姫は腕を組み、渋い顔をした。エンシェントドラゴンという名は麗姫も当然知っている。楊帝国の文献にも記されている、世界最強クラスの存在だ。それを一ヶ月で仕留めろというのか。
「いざとなればウチも手伝うし、そう気負わんでも——って、こういうのが麗姫ちゃんは好かんのか」
エルアリーゼは途中で自ら言葉を止め、麗姫の顔を伺った。最近少しずつではあるが、麗姫の気質を把握し始めていた。
「そうよ、余計な事するんじゃ無いわよ」
麗姫はきっぱりと言った。その目が、珍しく真剣な輝きを帯びていた。
「折角エンシェントドラゴンと戦えるんだもの、余計な事されたらたまったもんじゃないわ!」
「あ、そっちか」
エルアリーゼは少し拍子抜けした顔をした。
「そうと決まれば修行よ!今の私はまだ弱い……ザル=イグラヴェスと渡り合えるくらいには鍛えないとね」
麗姫は既に踵を返し、修行の場へ向かおうとしていた。その背中にエルアリーゼが声を掛ける。
「麗姫ちゃんならすぐ強くなれるて!ウチのお嫁さんやからな!」
「……嫁って……それ根拠になってないでしょ」
麗姫は振り返らずそう返した。全くもって意味が分からない論理だが、いちいち反論する気力も湧いてこない。この調子に付き合っていると際限が無いと、麗姫はもう学んでいた。
やれやれと小さく息を吐き、麗姫は修行の場へと歩き続けた。
それから数日後。
「——じゃあイグラシアを攻めるのは約一ヶ月後なのね?」
麗姫がある程度修行を積める様にと、エルアリーゼはイグラシア侵攻の日程を約一ヶ月後と定め、ルルシャンティエに宣戦の布告を準備する様告げた。それを聞いた麗姫は思わず眉を顰めた。
「イグラシアみたいな大国を攻めるのに、たった一ヶ月しか準備期間を設けないなんて、如何なってるのよこの国は……」
「戦争に軍隊なんて使うた事無いからな〜。ウチが身一つで行って、それで終いやもん」
エルアリーゼはあっさりと言った。
「リーゼにとって戦争というのはその程度のものでしか無いという事よ」
ルルシャンティエが淡々とした口調で補足した。それを聞いて麗姫は更に何とも言えない顔でエルアリーゼを見るのだった。
翌日の打ち合わせの席。
「——なあ、今回のイグラシア侵攻やけど、新しい魔法使うたらあかん?」
ルルシャンティエと侵攻の段取りを話し合っていたエルアリーゼが、ふと思いついたように口を開いた。打ち合わせの資料から目を上げたルルシャンティエが、慎重に問い返す。
「そうねその魔法次第だけど、どんな魔法かしら?」
「ウチはな、エルガリアの強さを喧伝するために皆殺しは避けろっちゅーのがどうにも気に食わんのよ」
「全部殺したら誰が貴女の恐ろしさを広めるのよ……」
伝聞を広めるのはいつだって当事者だ。当事者が語る生の声、体験が人を惹きつけ、恐ろしい噂は火の様に燃え広がっていくのだ。
「いや、だから別にそんな生き残りなんかに任せんでも、ウチや麗姫ちゃんの勇姿を魔法使うて大陸中に見せてやりゃ良えんやない?って思うたんよ」
エルアリーゼはさらりと言った。ルルシャンティエは一瞬、その言葉の意味を咀嚼した。
「か、可能なの……?」
「んー、さっき思い付いたんやけど、出来る思うよ?大陸中の連中にウチと麗姫ちゃんの晴れ姿を見せつけたるわ」
そう言ってエルアリーゼはルルシャンティエに今し方思いついたその魔法を掛けつつ、効果を説明した。目を瞑ると離れた場所の様子が鮮明に見える魔法で、更にその場の声や音まで聞こえるのだという。説明ついでに何故か入浴中のシャルマタを見せられた事には憤慨したが、これまた凄まじい魔法だ。
この魔法による大陸中への映像の投影。転移魔法、収納魔法を苦もなく実現してのけたエルアリーゼが言うのだから、恐らく本当に出来るのだろう。新たな魔法の価値を最大限に活かすため、ルルシャンティエの頭が素早く回転し始める。
「……その魔法、範囲を限定したり、他の魔法の様に魔法石にして量産は可能かしら?」
「そんなん朝飯前やね」
「……売る気ね?」
麗姫が薄目でルルシャンティエを睨んだ。
「それは様子を見てですね。どちらにせよ我が国の新たな武器になりそうです」
ルルシャンティエはニタリと酷く悪い笑顔で返した。それを見て麗姫は呆れたように天を仰ぐ。
「——話が逸れましたが、そういった魔法が使えるなら話は別です。存分にやって貰って良いですよリーゼ」
ルルシャンティエは笑顔で仕切り直し、地図を上のイグラシアを指でパンパンと叩いた。
「エルガリアにイグラシアを統治する余裕はありませんし、どうせなら誰も住めなくなるぐらい徹底的に荒らしてしまいましょう。後から別の国に奪われないように使えない土地に出来るかしら?」
「出来る出来る!良えやん!良えやん!魔王っぽいやん!」
ルルシャンティエの提案にエルアリーゼが目を輝かせる。
(ルルシャンティエの判断は正しいし、この決定はしょうがないんだろうけど……嫌な予感しかしないわ……)
会話を聞きながら、麗姫は静かに顔を顰めた。
人が住めなくなる程荒らす。それはつまり、大規模な破壊と殺戮を意味する。戦争とはそういうものだと頭では分かっている。しかし、エルアリーゼが想像しているのは、おそらく更に酷い事だろう。
これがエルガリアという国だ。力という力で無理と道理を押し通す。魔王とはこういう存在なのだと嫌という程思い知らされる。
望まざるとも自分もいずれ、この国の一部になっていくのだろうかと、麗姫はふと思うのだった。




