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黄金の目醒め

 魔族の古参貴族、アヴェンティス家の屋敷は大陸南部の丘陵地帯に建っていた。代々の当主が増築を重ねた石造りの館は、周囲の魔族貴族からの羨望と、わずかばかりの畏敬を集めていた。しかしその日を境に、その畏敬は恐怖へと塗り替えられることになる。

 エルアリーゼは十三歳だった。

 ドラゴケンタウレ——半人半龍の魔族、ドラゴケンタウルスの女性をそう呼ぶ。人間とほぼ変わらぬ体躯を持ちながら、頭部には湾曲した二本の角が伸び、背には革のような大きな翼を畳み、腰からは鱗に覆われた龍の尾が伸びる。足首より下は鋭い爪を持つ龍のそれで、歩くたびに石畳を引っ掻く。エルアリーゼはその中でも異質だった。全身を覆う鱗と尾は黄金色に輝き、瞳は溶けた金属のように煌めいている。世界にただ一人、黄金の鱗を持つドラゴケンタウレ。生まれた時から彼女はそういう存在だった。

 もっとも、アヴェンティス家においてその異質さはさほど重視されなかった。家には既に優秀な後継者がいた。長兄は武勇に優れ、次期当主として申し分ない器量を持っていた。長姉ルルシャンティエは頭が切れ、社交の場でも一目置かれていた。次女のエルアリーゼは黄金の鱗を持つ珍しい娘ではあったが、社交にもほとんど出されず、屋敷の奥で静かに育てられた。

 故に誰も彼女の危険性を知らなかった。

 エルアリーゼ自身も、最初はそれが何なのか分からなかった。屋敷の使用人が重い荷を運ぶのを見て、何故こんな事に手間取るのかと疑問に思った。訓練場で騎士たちが剣を交えるのを見た時は、さらに首を傾げた。何故わざわざ鉄の板切れを振り回し、駆け足で突撃などするのか。魔法を使えば一瞬で終わる話ではないか。騎士頭に尋ねると、魔力を持たぬ者はそれが出来ないのだと言われた。

 エルアリーゼはしばらく考えてから、さよかと頷いた。

 気の毒だとは思った。しかし同時に理解した。周囲の者たちが、自分より遥かに劣っているのだということを。

 理解は静かに、しかし確実に野心へと育っていった。こんなにも強く、こんなにも力があるのなら——自分が王になるべきではないか?

 その考えが芽生えた時、エルアリーゼに迷いはなかった。障害を取り除くことにも。



エルアリーゼが動いたのは、十三歳の秋だった。

 ただし、夜陰に乗じて行動したわけではない。彼女は白昼堂々とへと食堂へ赴き、食事の途中だった父と母を前にして、にこやかに口を開いた。

「お父様、お母様、ウチ当主になりたいんやけど、アンタらとラル兄ぶち殺したら当主になれるんかなあ?」

 食堂が静まり返った。

 父が最初に立ち上がった。伯爵位を持つ上位魔族としての威圧が、室内に満ちる。長年培った魔力の圧が空気を震わせた。

「……戯れなら大概にしなさいエルアリーゼ」

「あら?ウチは本気やよ?アンタら見るに堪えんわ。ラル兄もラル兄であないなボンクラやし、当主にしてもあかんて」


「アンタらもラル兄も良くて現状維持が精一杯やろ?ウチならこないな国は勿論、天下だって取れる思うんよ」


「せやからウチとお家の為に役立たずはさっさと死んでくれへんかな?」


 エルアリーゼは涼しい顔で答えた。

 父は一言だけ言った。

「……表へ出なさい」



 屋敷の中庭に出ると、異変を聞きつけた衛兵たちが既に集まり始めていた。父の一言で、三十人あまりの精鋭が武器を手にエルアリーゼを取り囲んだ。伯爵家の護衛と考えれば妥当な人数だ。内半数を騎士が占めている時点で戦力としては十分だろう。ドラゴケンタウルスの騎士ならば並みの上位魔族の2、3倍の強さを誇る強者だ。母も武器を携えて父の傍に控えている。秋の昼の陽光の下、アヴェンティス家の最高戦力が揃った形だった。

 エルアリーゼは囲まれたまま、ゆっくりと周囲を見渡した。

「ふあ……」

 完全包囲された状態でありながら、寧ろ包囲に時間が掛かり過ぎだとでも言わんばかりに、エルアリーゼは大欠伸をしてみせる。

「お嬢様、お館様の命令です。お覚悟——」

 次の瞬間、エルアリーゼは欠伸を噛み殺そうとしたのか、勢い良く口を閉じ、けたたましく歯を打ち鳴らした。


ガガンッ‼︎と重厚な金属塊同士が叩きつけられる様な轟音が中庭に響いた。


「なにッ……⁈」

 たったそれだけ、エルアリーゼが勢い良く歯を打ち鳴らしただけで、鋼鉄の鎧ごと、屈強なドラゴケンタウルスの衛兵たちが頭から押し潰される様にして、剣を振るう間もなく、魔法を詠唱する間もなく、三十人が見るも無惨に圧壊し、血肉を飛び散らせて絶命した。一撃とも、攻撃とも呼べぬ、欠伸一つで全滅したのだ。


 静寂が戻った。

 父と母は顔を見合わせ、同時に動いた。エルアリーゼが何をしたかは分からない、攻撃の正体も不明、だが得体の知れない恐怖が二人を突き動かした。

 全盛期は過ぎていた。しかしそれでも父親は伯爵級の上位魔族だ。一騎当千とまではいかずとも、上位のドラゴケンタウルスともなれば並の魔族では束になっても敵わない。母も父には及ばずとも高い戦闘能力を持っている。そして長年連れ添った夫婦ならではの息の合った連携で、父が魔法を構え、母が間合いを詰めた。

 しかし、エルアリーゼは表情一つ変えはしない。そしてメイスを振り下ろす母に対し、両手を使わず、あろうことか尾だけで応戦するのだった。

 父の魔法が尾に直撃した。爆発が起きた。石造りの城壁ですら破壊する炸裂魔法だ。土煙が晴れると、当然の様にエルアリーゼは無傷で立っていた。間髪入れず母がメイスによる痛烈な一撃を見舞うが、それも尾で易々と受け流し、そのまま返す一撃で母を弾き飛ばす。父が追撃の魔法を重ねるが、直撃する前に尾の一振りがその魔法を弾いてしまう。

 どれだけ攻撃しても、エルアリーゼの表情は変わらなかった。寧ろ徐々に鬱陶しそうにしていた。

 そこへ兄が割り込んできた。

兵士から事情を聞かされた兄は、両親が押されているのを見て剣を手に飛び出してきたのだ。その目に怒りが燃えている。

「エルアリーゼ! やめろ!」

 兄は叫びながら斬りかかった。

 がエルアリーゼは一瞥もしなかった。

 尾が一閃した。

 バシャリと潰れる音がした。湿った、やや重い音が。

 エルアリーゼは「あー……」と少し失敗したかの様な声を漏らした。意図した訳では無かったが、兄はそのまま崩れ落ちた。頭部が破裂し、原形を留めていなかった。想像以上に兄が脆過ぎたのだ。

 中庭が、静まり返った。

 母が悲鳴を上げた。父の顔から血の気が引いた。次の瞬間、二人は我を忘れてエルアリーゼへと飛びかかった。怒りでも、貴族としての誇りでもない。ただの親の慟哭だった。

 エルアリーゼは小さく息を吐いた。ただでさえ勝ち目が無かった両親が、あろう事か連携を捨て、怒りに任せて襲い掛かって来たのだ。

 両親に対する失望を体現する様にエルアリーゼの尾が二度、振るわれた。

 二つの鈍い音が、続けて響いた。

 どちらも落とした西瓜が砕けるような音だった。

 静寂。

 エルアリーゼは三つの骸を順番に見渡した。上位魔族。伯爵家の当主及びその配偶者と、後継者。世間ではかなりの実力者として持て囃されていた連中が、今や無残にも中庭に沈んでいる。秋の陽光が、この残酷な光景を白々と照らしていた。

 落胆があった。

 こんなものか、と思った。これが上位魔族の限界か。これほどまでに、周りはか弱いのか。魔法も使わず、両手も使わず、尾だけで事足りてしまった。何だったら相当手加減して、卵を扱う様に優しく相手したくらいだ。

 拍子抜けだった。

 寝物語に聞かされていた両親の華々しい武勇、英雄譚が如き兄の戦場働きは誇張が過ぎたとしか思えない。あんな与太話を真に受けていつの間にか世の中を過大に捉え過ぎていた。

 井の中の蛙大海を知らずというが、エルアリーゼにとって広大な筈の大海が、井戸とさして変わらぬ矮小な存在だったのだ。

「伯爵サマでこんなもんなら、魔王やら何やとて大した事あらへんわなぁ……天を裂き、大地を砕く?何て偉そうに言わはるけど、そないな事一つも出来ゃせんのやろなぁ……」

 エルアリーゼは視線を空へ向けた。雲一つない秋晴れが広がっている。

 邪魔者はいなくなった。杞憂も無い。

 ならばいよいよ、始めるとしよう。

 彼女は静かに中庭を後にした。


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