第六十七章 一億分の一
二人は場所を移して戦った。
ナナが手早く長距離の空間接続を開き、二人を古靈の実験室から、広大な戦闘場へと送り込んだ。ナナはたまにここで、宇安と手合わせをしている。地形は広く平らな場で、境界は高くそびえる、極めて高い破壊にも耐えうるエネルギー壁だった。
陽は場の中に立って、あちこち見回した。
「⋯⋯わあ」
ナナは彼の向かい側に立ち、腕を組んだ。
彼女の視線が、陽の身体の上を数秒走った。
分析。普通の二十五歳男性。身長一七二、体重六十五。武術家や軍人としての痕跡はない。筋力は中の上、反応神経は普通。霊力もない、魔力もない、超常的な物理数値はいっさいない。
結論。普通の人間。
彼女は頷いた。
「⋯⋯安心しなさい」彼女が言った。「あなたが死なない限り、私には救う手段があるから」
彼女は手元の脇で、宇宙の裂け目を一つ開き、中からレーザー銃を一丁取り出した。銃身は一節ずつの銀色合金で、後座緩衝器が極めて低周波の唸りを発している。
陽はその銃を見て、表情が一度変わった。
「⋯⋯ちょ、ちょっと」
「バン」
一発目。
光線が陽の左肩をかすめ、空気を焼いた。ナナの計算では、この一発は彼が左へ跳ぶ経路を封じるためのものだった。
二発目。
光線が彼の右足をかすめ、地面に焦げた窪みを穿った。この一発は、彼が右後方へ退く経路を封じるためのものだった。
三発目。
ナナの指先が引き金を引いた。
銃が、引っかかった。
まったく、撃ち出されなかった。
彼女は眉をひそめた。
遊底を引いて確認した。明らかな故障はどこにもない。すべての部品があるべき場所に収まっている。エネルギー残量は十分、エネルギー導管も通っている。
ただ、発射されなかっただけだった。
「⋯⋯」
彼女は心の中でつぶやいた。
⋯⋯千分の一。
彼女はレーザー銃を裂け目に投げ戻し、それを閉じさせた。
それからまた身体の脇に別の裂け目を開き、長剣を一本取り出した。
彼女は陽に向かって、ゆっくり歩み始めた。
歩きながら、彼女の演算が走っていた。あらゆる可能な回避経路、あらゆる可能な反撃方向、あらゆる可能な乱数干渉源。すべての変数が計算に組み込まれ、彼女の歩幅、剣の角度、自分の呼吸のリズムまで、すべてが調整されていく。
陽は彼女が歩いてくるのを見て、慌てて周囲を見回した。
彼は足元の石を一つ拾い上げ、握ったまま、ナナに向かって駆け出した。
二人の距離が、どんどん縮まっていく。
あと二メートル。
あと一メートル。
あと半メートル。
接触する寸前。
陽が、自分の足につまずいた。
彼の体が前のめりに倒れた。
ナナの瞳孔が縮んだ。
彼女の演算は零点零零三秒の間に、この動作の以後の軌跡を全部走り終えた。
彼女は瞬時に横へ跳んだ。
陽の手の中のあの石が、倒れた勢いで、彼の手から飛び出した。
飛び出した角度。
飛び出した速度。
飛び出した軌跡。
正確に。
今しがたナナが立っていた位置に、落ちた。
もしナナが跳んでいなければ、あの石は彼女の側頭部を直撃していた。
彼女はその石を見ながら、心の中でつぶやいた。
⋯⋯一億分の一。
◆
ナナの耳が、わずかに垂れた。
彼女は長剣を収めなかった。
彼女が手を一振りした。
空間が、二人の周囲に一つの立方体を切り出した。立方体の内部には他の実体は何一つ存在せず、空間そのものと、境界面のガラスのような、ほぼ透明な物質だけが、両者をこの立方体の中に閉じ込めていた。
陽は周囲を見た。
「⋯⋯これ、何ですか?」
ナナは答えなかった。
彼女は全方位に集中しはじめ、この立方体の中の空間に対して、圧縮をかけ始めた。
空間そのものが収縮していく。立方体が内へと潰れていく。陽の活動範囲は、どんどん小さくなっていく。
彼は隅へと退き始めた。
ナナは圧縮を続けた。
彼女は頭の中で、あらゆる可能な乱数干渉源を排除していた。これは隔絶された立方体、外部の一切の変数は侵入できず、内部には他の実体は存在しない。虫もない、風もない、落下物もない、何もない。
今回は、意外事は起きない。
その念が終わった瞬間。
微小な真空相転移泡が、立方体のある面のガラスのような壁から、自発的に発生した。
これは宇宙の底層のランダム揺らぎ。純粋な真空の中で、極めて極めて低い確率で起こりうる、自発的なエネルギー揺らぎだった。
それがナナの圧縮に干渉した。
立方体のその一面の壁に、一つの穴が生じた。
陽はちょうどその方向へ退いていて、そのまま、立方体の外へと押し出された。
ナナの圧縮は、彼が出た後で完了した。立方体の内部は、無限小の一点へと圧し潰された。
彼女はその場に立って、その点が消えるのを見た。
⋯⋯千億分の一。
◆
彼女は以前武器を取り出したあの裂け目を、再び開こうとした。
だが裂け目の位置は、先ほどの真空相転移泡の干渉のせいで、座標がわずかにずれた。
裂け目は彼女の脇には現れず、
陽の正面に現れた。
陽は自分の前に開いた裂け目を見て、一秒、固まった。
それから手を中に伸ばした。
手当たり次第に、何か一つを掴み出した。
それは外見はハイテクだが、形状はグレネードランチャーに似た武器だった。銃身の上には、無数のボタンが密集して並んでいて、それぞれに異なる印がついていた。
陽はその武器を構えた。
彼は使い方を知らなかった。
ナナは冷静にそれを見て、空間座標を再計算し、裂け目を閉じさせた。それから前へ駆け出し、武器を奪い返そうとした。
彼女は手を伸ばし、銃身を掴んだ。
意外なことに、ごく自然に、奪い返せた。
陽は手を離すのが速すぎて、慣性で後ろへ二、三歩よろけた。
彼は少し呆然とした。
ナナも一瞬、固まった。
だが次の瞬間。
彼女の手の中のあの武器が、丸ごと自爆した。
爆発は球状で、半径およそ三メートル、彼女の立つ位置を覆い尽くした。
ナナは即座に空間隔絶を展開し、爆発を極薄の隔絶層の中に閉じ込めた。
爆発が収まった後、彼女は隔絶層の中から歩み出てきた。身体には少し煤がついていた。髪が一、二本焦げ、肩には灰が少しのっていた。
彼女は、今しがた起きたことを分析した。
武器内部のある部品が、この瞬間に極めて低い確率の過負荷を起こした。それによって特定の箇所に問題が生じ、銃全体が予兆もなく自爆した。
設計上の自爆モードではなかった。陽が何かボタンの組み合わせを押し間違えたわけでもなかった。部品そのものが、ちょうどナナに取り戻されたその一秒に、勝手に壊れたのだった。
彼女は肩の灰を軽く払った。
⋯⋯一兆分の一。
◆
陽は彼女が爆発の中から出てくるのを見た。煙はまだ晴れていなかった。
彼は自分の手を見た。
周囲を見た。
もう存在しないあの武器を見た。
そして顔を上げ、ナナを見た。
彼が、笑い出した。
「⋯⋯あれ」彼が言った。「管理人って、もっと強いと思ってましたよ?」
彼の笑いがだんだん大きくなった。
「⋯⋯これで終わりですか?」
ナナの目が細められ、耳は完全に垂れ下がった。
彼女は焦げた髪の毛一、二本を耳のうしろに撫でつけた。
彼女が口を開いた。
その声は冷たく、平らだった。
「⋯⋯さっきから今まで」彼女が言った。「あなたが生き残ってきた累積確率は⋯⋯」
彼女は一拍置いた。
「⋯⋯およそ、十の負三十乗分の一」
彼女は顔を上げ、陽を見た。
彼女が一度、笑った。
彼女は指を上げ、耳のそばの何かを一度押した。
古靈側との通信が繋がった。
彼女は通信に向かって口を開いた。
「⋯⋯古靈」
「ん?」
「⋯⋯来て」
彼女は手を下ろし、陽を見た。
「⋯⋯あんたの宇宙の武器を持ってきて。私の側にないやつを」
◆
古靈が現れたとき、戦場の状況を一度、見渡した。
広く平らな場、境界のエネルギー壁。ナナは中央に立っていて、髪の一部はまだ焦げていた。陽は少し離れたところに立ち、表情は明らかに緊張していた。
彼は帽子をつまみ直した。
「⋯⋯お前、ただの人間にここまで追い込まれたのか?」
「黙れ」ナナが言った。
「⋯⋯」
古靈は肩をすくめ、袖の中から一つの物を取り出した。
それは先端に銀色の円筒がついた、拳銃に似ているがやや太い物だった。円筒には淡い青色のエネルギーの紋が流れていた。
「⋯⋯制圧砲」古靈が言った。「安心しろ。殺傷力はない。動けなくなって、ちょっと辛いだけだ」
原理は単純だった。古靈はこの宇宙の人間ではない。陽の幸運機構は「この宇宙の演算」の上に成り立っていて、宇宙と同化した初値が底層の演算に干渉することで実現されている。だが古靈本人は外来者であって、この宇宙の演算範囲の中にいない。
彼が持ち込んだ物体も、この宇宙のものでさえなければ、初値には「算定できない」。
システムの干渉可能な変数の中に、入っていない。
陽はその物を見た。
彼は逃げようとした。
彼は横へ一歩踏み出し、よけようとした。
古靈が制圧砲の引き金を引いた。
淡い青色の光柱が円筒から放たれ、戦闘場を横断し、陽の胸に命中し、彼を丸ごとエネルギー壁の脇まで吹き飛ばした。
彼はエネルギー壁に沿ってずり落ち、地面に倒れ伏した。
光柱は消えなかった。
制圧砲は持続的に、安定的に、陽に対して圧力を出力し続けた。彼の身体に極めて高い圧迫感を生じさせ、何か無形の、極めて重いものが彼の全身を押さえつけているようだった。
彼は動こうとした、動けなかった。
彼は声を出そうとした、声もまた、ほとんど絞り出せなかった。
◆
「⋯⋯負けました⋯⋯」陽が、押し出されるような声で言った。「降ろして、ください⋯⋯」
古靈はナナを見た。
ナナは腕を組んで、少し離れたところに立ち、いまの光景を堪能しているような様子だった。彼女の耳がゆっくりと、ゆっくりと、立ち上がってきた。
古靈は怪訝そうに彼女を見た。
「⋯⋯お前、彼女をここまで怒らせるなんて、何やったんだ?」彼が下を向き、陽に尋ねた。
「⋯⋯僕は⋯⋯」陽が苦しげに、力なく言った。これは石を手に入れて以来、彼が初めて感じる強烈な不快感だった。「⋯⋯極悪非道なことをしました⋯⋯罪深いです⋯⋯」
ナナは目を閉じて、まるで何かの音楽を味わっているような様子だった。
「⋯⋯管理人様⋯⋯」陽が哀願した。「さきほどの行いを、心の底からお詫び申し上げます⋯⋯すみませんでした⋯⋯」
「⋯⋯」
「⋯⋯あんなこと言うべきじゃなかった⋯⋯間違っていました⋯⋯ナナ様は最強です⋯⋯ナナ様は宇宙最強の管理人です⋯⋯」
「⋯⋯」
「⋯⋯お願いします⋯⋯次は絶対に余計なこと言いません⋯⋯」
ナナが目を開けた。
彼女が「ふん」と一度鳴らし、不機嫌そうな顔に切り替えた。
彼女は古靈の方を向き、顎を少し上げた。
古靈は了解し、制圧砲のスイッチを一度押した。
光柱が消えた。
陽は全身の力が抜け、長く、長く、息を吐いた。
彼は地面に倒れ伏したまま、しばらく動けなかった。
「⋯⋯あ、ありがとう⋯⋯ございます⋯⋯」
古靈はそばで黙って、制圧砲を仕舞った。
◆
その日の夜。
陽はナナの裂け目を通って、漣景に送り返された。
彼の手には、とても大きな金額が書かれたカードが一枚あった。腰には、ナナによって強制的に取り付けられた、小さな飾りがついていた。「これからは何かあったら直接呼びなさい」のための連絡器、らしい。
彼は自宅の玄関に立ち、そのカードを一度見て、それからその飾りを一度見た。
彼は少し考えた。
それからカードを慎重にポケットに仕舞い、ドアを押し開けて、中に入った。
彼はまず、一眠りすることに決めた。
今日は、いろいろなことがありすぎた。
◆
ナナは一人、執務室に戻った。
椅子に腰を下ろし、あのウィンドウをもう一度呼び出した。
ウィンドウには、あの註釈が映っていた。
「本当に短い生命だった⋯⋯」
「⋯⋯だからこの人に、幸運を祈る」
「⋯⋯私のように、ならないでくれ」
彼女は長く、見つめていた。
彼女は手を伸ばし、ウィンドウを閉じた。
「⋯⋯」




