【メモランダムⅤ】―米中和解、そしてデタント:1970~―
70年代に入ると、世界の構造は大きく変わる。
米中和解である。
資本主義陣営のアメリカと共産主義陣営の中国が和解したことで、冷戦構造の枠組みにとらわれない政治がある程度可能となる。
西日本は、中国と接近。東日本はアメリカと接近をする。
こうして、東西日本が対立する必然性は薄れていった。
こうした、宥和ムードの中、少しずつ統合の試みがなされるようになる。
はじめは、民主主義と全体主義の違いにより、統合は困難であると思われた。しかし、調査すると驚くべきことが見えて来た。というのも、西日本と東日本には相違点よりも類似点の方が多く見られたからである。
まず、国営企業が多いこと。鉄道や郵便にしても、民営化はなされていなかった。
次に、「一億総中流」と言われるように、格差が是正されている点。
そして、比較的「大きな政府」であることである。
西日本では共産化を防ぐために、ある程度、左の意見を政治に反映させていた。その結果もあり、「資本主義国の皮を被った社会主義国」とも言える状況であった。
逆に東日本の豊かさを支えていたのは、ある程度の市場原理の導入であった。したがって、「社会主義国の皮を被った資本主義国」とも言える状況になっていたのである。
さらに、お互いの利害も一致していた。
70年代当時、世界有数の工業国となっていた西日本のGDPは西ドイツに迫る勢いであり(史実では1968年に超す)、東日本としてはよきビジネスパートナーであった。
対して、東日本は世界屈指の軍事国家であり、西日本としては何としてでも対立を避けたかった。逆に味方になるのであれば、これほど心強いものはない。また、米中和解によって米軍は一個師団2万人の兵を撤退させており(史実)、このことによって生じる「力の真空(※1)」も気がかりであった。
残るは、感情の問題だった。
「野蛮な東日本の人間を信用できるのか?」という西日本。
「貴族気取りの西日本の人間は癪に障る」という東日本。
そんな時、両者の和解を後押ししたのが1973年の第四次中東戦争から始まったオイルショックだった。
共にこの危機を乗り越えよう。
こうして、名古屋協定(※2)が結ばれる。
有事の際の協力と、80年代までに経済統合を推し進めることを謳ったこの協定は画期的であった。なぜならば、事実上、東西日本が連邦国家を目指していることを謳っていたからである。
この協定によって、東日本は日・中・ソの対立構造から抜け出し、そして、西日本との緊張緩和をはたし、さらには、冷戦のロジックからも脱却を果たした。
一方、連邦国家構想に頭を抱えたのは、共産圏の国だった。共産化を推し進めていくはずのリーダー的存在が、冷戦から一抜けをしたように映ったからである。「裏切者には制裁を」。再び軍事介入の準備を始める。
他方、連邦国家構想に恐怖を抱したのは東アジアと西洋列強だった。第二次世界大戦で暴れたあの日本が再び帰ってくることを示唆していたからである。キッシンジャーは、日本が統一されれば、東アジアの覇権どころか東半球の覇権は日本のものになるだろうと予測し、これを恐れた(※3)。日本脅威論がアメリカで叫ばれ始める。
東日本は、これを「武装中立」によって乗り越えようとした。これは、冷戦の第三勢力になるという意味で理にかなっていたし、事実上60年代後半からそうであった。
だが、意外な存在がこれに反対した。
西日本である。
西日本の主張は、「日米同盟」は放棄できない、と主張。東日本は、「東西同盟」では駄目か? 問うたが、色よい返事は帰って来なかった。さらに、西日本は「非武装中立」でなければ認められないとも述べる。
西日本は、軍事力をもつことに抵抗があった。軍事力は戦争原因であり、平和主義の名のもと、軍事力をもつのは好ましいことではない、とした。その上、東日本に対して、核を放棄するように求めた。長崎・広島をもつ西日本としては、唯一の被爆国として核廃絶を訴えるべきである日本が核をもつなど、言語道断だった。
東日本は、落胆した。
西日本のそれは、理想論であり現実的ではなかった。
現実問題として、ソ連・中国、そしてアメリカに囲まれている日本が軍事力を持たないなど、愚の骨頂であった。さらに、核廃絶を訴えながらも、西日本はアメリカの核の傘に入っていた。
あまりにも理想主義、そしてアメリカ追従の西日本の態度に、東日本は辟易としてしまう。
皮肉なことに、冷戦によって日本をわけたのは政治体制でも経済原理でもイデオロギー対立でもなかった。
安全保障問題と感情的対立。
これが、東西日本の壁だった。
(※1)ある地域において、力(power)が相対的に減少して発生するもの。力(power)とは国際政治において重要な概念であり、これによって多くのことが語られる。具体的には勢力均衡などがある。
(※2)架空の協定。ここから、東西日本の接近・統合がはじまる。
(※3)筆者の妄想である。ただ、リアリストの彼ならこう考えるであろう。




