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第09話「二人の嘘つき」

 目が覚めると、六畳一間の灰色の部屋だった。

 ひんやりとした空気。

 天井には円形の照明があるが、今は付けられていない。外から(ひぐらし)が聞こえてくるなか、薄暗い部屋に夕日が差し込む。


「目が覚めた?」


 氷のように冷たい声。

 藤沢神無だ。

 顔は良く見えない。ただ、神無は椅子に座り、こちらの方を真っ直ぐ見ているのは分かった。紫紺の双眸が俺に突き刺さるようだ。


「ここは……」

 起き上がろうとしたが、起き上がれない。


 そこで、俺はベッドの上で両手両足を鎖でつながれていることに気が付いた。まったく、動かせないというわけでなないが、鎖の長さから寝返り以上のことは出来ないようだ。


「どういうつも――」

 言おうとして、言葉を切った。

 神無がおもむろに立ちあがると、ゆっくりとこちらに近づいてきたからだ。

 手にはナイフ。刃渡りは15センチといったところだろう。


「これからあなたを尋問する」

「尋……問……ッ!?」


 刹那。

 俺の首に、ナイフの刃が当てられた。


「必要とあれば傷つけることも厭わない」

「!?!?!?」


 俺は酷く混乱していた。

 何が何やら意味が分からない! 

 茶道室に行ったら、綺麗な女の子に会って、かと思えば、そいつにいまこんなことをされているのだ。理解しろという方に無理があった。


 生命の危機。

 そういう時は、かえって冷静になるというが、この時に限っては神無の気迫が許してくれなかった。ただただ無表情でこちらを見つめているだけだが、それが俺の心拍数を高めた。


「あ……ああ……」

 何かをしゃべろうとするが、歯を震わせるのみで何も口に出来ない。そうするうちに、四肢も震え始めた。


 危機一髪。


 と、いきなり神無は身を翻すと、ナイフをしまい、宙をタッチした。なるほど、解除ボタンを押したのだろう。鎖が解かれ、俺の四肢は解放される。


「ヒッ……!?」

 俺は反射的に身を起こすと、ベッドの枕元で身体を小さくする。


 状況も理由も、何もかもわけ分からない俺。だが、そんな俺をよそに神無は部屋から出ていく。


「……?」

 

 いや、戻ってきた。

 手にはお盆を持っており、お盆の上には湯呑と急須が乗っている。そして、神無はベッドの横にあるテーブルに置くと、正座をして座り、お茶を入れ始めた。


 立ち上る白い湯気。

 ほうじ茶だろうか。

 神無は、一口だけそれを飲むと、俺の方へ差し出した。


「どうぞ」

「……」

「飲んで」


 神無が口をつけたのは、変な物は入っていないことを証明するためだろう。


 だが、どうもやりたいことがつかめない。茶室のときもそうだが、口数も少なく、つかみどころがない。


 とはいえ、ここは素直に指示に従った方がよさそうだ。直感がそう言っていた。


 俺は、隅で固まるのをやめ、ベッドに座り直すと、お茶を口にする。

 うん。普通のほうじ茶だ。


「どういう、つもりなんだ? ……尋問するんじゃなかったのか?」

「尋問の言葉に、あなたの心拍数は異常な高まりを示した。頭まで真っ白になられては、訊き出したいことは訊き出せない。よって、恐怖によるやり方は適切でないと判断した」

「……」


 心拍数まで図られているのか?

 身体には目だった装置は付けられてないが、おそらく神無のコンタクトには俺の心拍数が表示されているのだろう。


 そして、嘘をつけば一発でバレる。


「じゃあ、このお茶は、俺を安心させるために?」

 俺の問いに、神無は何も答えない。だが、その目は「そのとおり」だと返事していた。


 神無は立ち上がると、部屋の明かりをつけに向かう。

「私は、東日本の命令であなたから訊き出さなければならないことがある」

「……スパイってことか」

「そう」

「いいのか? そんなことを正直に言っても」

「まず、あなたには状況を知ってもらう必要がある。だから話した。でも、これ以上は言わない」

「俺がお前のことを周りに言いふらすかも。そしたら……」

「予兆が見られれば、その口を封じればいい」

「……なるほど」


 部屋に明かりがつく。


 そこではじめて、部屋全体を見渡すこととなったのだが、ひどく殺風景であった。ベッドとテーブル、それからデスクと椅子はあるものの、それ以外に物と言えるものはほとんどなかった。部屋のフローリングにカーペットが敷かれていないのはおろか、デスクにはスタンドライトすらない。時計も置いてなく、 正確な時間は分からない。


「ここは?」

 思わず訊かずにはいられなかった。


 とてもだが、住んでいるとは考えづらかった。俺を拘束するための部屋だと言われた方が、まだ説得力がある。


 だが、神無は「私の部屋」と簡素に言い放つ。


 俺は眉をひそめた。


「随分と綺麗好きなんだな」

「生活に必要最低限のものがあればいい」

「それで? 自分の家で拷問しようとしたのか? いい趣味してるな」

「街中には監視カメラがある。安全な場所はここしかない」

「なるほど……ね」


 口数が少なかったり、部屋には物が極端に無かったりと変わり者ではあるが、考え方には一応筋が通っているらしい。それに、会話を交わすうち俺の心拍数も落ち着いてきた。

 俺は飲み終えた湯呑をテーブルに置く。


「で? 俺は何を話せばいい?」

「予想はしていたけれど、随分とあっさり――」

「回りくどいのはもうやめだ」


 神無は壁にもたれかかると、腕を組んでこちらを凝視する。相変わらず鋭く、そして澄んだ瞳をしている。


「あなたは、別の世界の高崎時弥だと言った。その詳細を教えて欲しい」

「無いね。詳細があれば、それこそ俺が知りたいくらいだ。三年前に目が覚めたら、田端蒼汰になっていた。それ以上は俺も知らない」

「元の世界で、あなたは何をやっていたの?」

「学生だよ」

「東日本の?」


 うなずきかけてやめた。


「そもそも、俺のいた世界では、東西の分裂は起きていない。だから、東京の大学には通っていたけでも、それは日本の大学であって、東日本の大学ではないな」

「……なるほど。嘘とは思えない」

「嘘ついても仕方ないしな」


 どうせバレるんだか――。

 と、そこで、俺は神無の瞳の色が紫紺であることを改めて意識した。そう言えば、茶道室にいた時はこんな色はしていなかった。紫色の瞳だと目立つから黒いカラコンをしていたのだろう。


 だとすれば、いま、神無はコンタクトをしていないのか?

 「嘘とは思えない」なんて曖昧な言い方をしているのは、データではなく、俺を注意深く見ているからなのか?


「高崎時弥について知っていたのは、それが自分だからという理由のみ?」

「ああ」


 そう答えて後悔した。


 奴の獣のような目。

 そして、狂暴そうな気迫。


 俺は顔を落とす。


「……だが、あれが自分なのかは正直自信がない」

「というと?」

「確かに見た目は俺そのもの。でも、中身はまったくの別人だ」


 再び、顔を上げる。

 神無は微動だにせず、こちらを見ていた。


「なぁ、教えてくれ。どうして、こっちの世界の俺は……あんな奴になったんだ? お前は知ってるんだろ!?」


 拳に、言葉に、力がこもる。

 だが、その出鼻は挫かれることになる。そこで、何の前触れもなく通信が入ったからだ。


 俺の目の前に、柚姫の顔が表示される。


『お兄ちゃん! 良かった、繋がった! いまどこにいるの!?』

「どこって……」


 そこで、柚姫の背後が燃えているのに気が付いた。映し出されるのは、炎上する建物――いや、校舎だ! 何事かと思いきや、柚姫は太刀を取り出す。次の瞬間、柚姫に斬りかかる敵――‶クリーガー〟が映し出される。


 鍔迫り合い。


『やぁッ!』

 柚姫は太刀で、‶クリーガー〟を振り払う。


「おいおい! どうなってるんだ!」

『私が訊きたいよ! 急に奴らが襲ってきて……。お兄ちゃんこそ大丈夫!? いまどこなの?』


 言葉に詰まる俺。

 すると、神無が俺の横へやってきた。


「田端君なら、いま私の家にいる」

『藤沢先輩!』


 藤沢先輩!?

 これまた一体どういうことだ?


『流石先輩です! こうなることを予期して、兄をかくまっていたんですね』


 

 神無を見た瞬間、柚姫は目をキラキラさせて、鼻息を荒くする。まるで、飼い主を見つけて尻尾を振る犬。これまで見たことのない表情だ。どうやら、柚姫はかなり神無に心酔しているらしい。


「かなり大変そうだけど、加勢する?」

『いえ、先輩の手を煩わせるなんてとんでもない! 私一人で十分ですよ! 先輩は兄をお願いします!』


 親指を立てる柚姫。

 そこで、通信が切られた。



「お前は……一体……」

「私は東日本のスパイ。でもそれと同時に茶道部の副部長でもある。あの子の先輩」

「じゃあ、お前は妹を騙して――」


 言いかけて、俺は口をつぐんだ。

 

 俺の口からそんな言葉が出るなんて、という驚きもあったが、それ以上に、俺の口調が怒りに満ちていたからだ。脳裏には柚姫の笑顔が浮かんでさえいた。


 神無は無表情のまま首を傾ける。


「あなたの口からそんな言葉が出るなんてね」

「いや、……俺も……驚いてる」


 と、神無は俺の横に腰を掛けた。


「田端蒼汰は三年前、交通事故で一度死亡している」


 そうだ。

 俺が目覚めた時は、病院だった。

 後から聞かされた話によると、トラックと衝突したらしい。


「ところが、目が覚めた時、田端蒼汰は別人に成り果てていた。そこで、寂しさを感じ、私に泣きついたのがあの子だった。私がスパイとも知らずね」

「そう……だったのか……」

「それに、騙しているというのなら、あなたもそうでしょう? 高崎時弥」


 タカサキトキヤ。

 その名前が突き刺さる。


 俺の本当の名前。

 俺は高崎時弥だという実感を得るとともに、今はそれが後ろめたい。


「どうして、お前は俺を信じてくれるんだ?」

 横を見ると、紫紺の双眸。

 やはり、コンタクトはしていない。


「あなたは、基本的に他人に興味がない。社会を分析するのは好きだけれど、社会の中にいることを拒む。ゆえに、他人がどう思おうと、社会がどうなろうと無関心。そう見受けられる」

「だからこそ、嘘をつく理由がないと? 周りがどうなろうと、俺には関係が無いから」

「そう」


 ため息をつく。


「ご名答。その観察眼の前だったら、俺は田端蒼汰を演じる必要性がなくなりそうだ」


 でも――。


「俺は、自分のことには興味があるんだ。どうして、こっちの高崎時弥は人を殺せるような奴になってるんだ? お前は知ってるんだろ、神無。俺は、()の馬鹿気たことをやめさせなきゃならない。俺は、俺を止めなきゃならない」


 俺がそう言うと、神無は立ち上がった。そして、そのまま部屋の外へと向かっていく。「ちょっと待てよ」と手を伸ばす俺。そこで、神無は俺の方を顔だけ振り向いて見た。


 そして、こう言い放った。


「会いに行けば分かるよ」


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