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第二章 貴石の逢瀬 3

 夢から覚めたような心地のまま宮の門をくぐる。出口では、油石の入ったランプを手にした兵士を引き連れたミランダが待ち構えていた。

「……ええと、時間はどれくらい、経っているかな」

 我ながらボケた質問だと、ロードライトは思った。

 さらに、ミランダに尋ねてから、ロードライトは懐中時計の存在を思い出した。門を出る前に確かめておけばよかったと、少し悔やむ。月の位置はそう変わってはいないから、いくらなんでもまだ舞踏会は終わっていないはずだが。

 その証拠に、風に乗って、かすかに弦楽器の調べが流れてきている。

「半刻ほどですね。お召しかえをなさって戻られれば、丁度いい頃合でしょう。……殿下?」

「あ、ああ。すまない」

 公の場でも私的な場でも、ロードライトがこれほどぼんやりしているのは珍しい。不審に思ったのか、ミランダがロードライトの顔色を確かめるように見つめた。

「ん?」

 ロードライトが見つめ返すと、ミランダはためらいながら口を開いた。

「……お加減でも?」

「いや、平気だよ」

 ミランダがなお心配そうな色を隠さずに、ロードライトを見上げてくる。そういうところが無防備なんだけどなあと思いながら、ロードライトはふと彼女の頭に手を伸ばした。

「!?」

 わしわしと頭を撫で回され、ミランダは一瞬目を丸くする。すぐに我に返り、ロードライトを咎めようと口を開くが、何か意味のある言葉を発するより早く、ロードライトのほうがおかしなことを口走った。

「……さわれるよねえ」

「はあ?」

「小さいし」

「あの、殿下?」

 撫で回した髪を整えるようにぽんぽん、と軽く叩いた後で、ロードライトは横に立っている兵士の方に向き直った。まともに向き合って動揺したまま動けなくなっている兵士の肩を確かめるように叩く。

「さわれるなあ」

「……殿下、失礼ですが、具合でも」

 熱でもあるのではないかと本気で心配している声が聞こえてくる。

 兵士のほうは、いきなり予告もなしに王子に触れられて、真っ赤になっていた。男の方にそういう趣味があるわけではけしてない。男でも赤面してしまうほど、この王子の容姿が整っているだけの話だ。

 確かに現実だよな、と確かめ、ロードライトは胸元にしまった小枝に触れる。

「ふむ」

「……医師を……」

「必要ない。熱はないし、気分も悪くは無いから」

 背後に控えていた兵士に命を出しかけたミランダを押しとどめ、ロードライトは『王子の笑み』を顔に浮かべる。隙や思惑を笑顔の裏に完璧に押し隠す、いつも通りの態度に、ミランダは面食らったような顔をした。

「着替えたらすぐに戻る。客人がお休みになられる時間までに片付けておきたいことは山ほどあるからね」

 現実ならば、いつまでも夢の余韻に浸っている時間は無い。

 頭の中で、片付けておくべき懸案を瞬時に並べ直しながら、ロードライトはしっかりした足取りで歩き出す。ミランダがすぐに続き、彼の横に並んだ。

「ミランダ、蒼麗の特使殿はもうお休みだったかな」

「外交官殿は、国王陛下とまだご歓談中です」

「商会支部の幹部が蒼麗側の取引相手を連れて来ていただろう。話を聞いてみたい。それから、チェスターを呼んでくれ。ローオールの特使殿との歓談が済んでいるなら、報告をもらっておかないと」

「お着替えの間に話を通しておきます」

 頭が随分すっきりしている。頭をフル回転させながら、ロードライトは石造りの廊下に響く、複数の足音を聞いた。

 ここは森の中ではない。

 人の思惑が渦巻く、冷たいように見えて実にどろどろした熱を持つ場所だ。

 だが、上手く渡っていくのはそれなりに面白い。背後を取られぬよう、隙をつかれぬように、常に相手の出方を伺いながら、策略を巡らすのは、嫌いではない。

(彼女は、あるいはそういうこととは無縁なのだろうか)

 だとすれば、それはどんな世界なのだろう。生まれた時からかしずかれ、策略や思惑が交差する世界で育ってきたロードライトには知るべくも無い場所だ。



 とはいえ、商人は時勢を読むのにも、人の顔色をうかがう術にも長けている。経験豊かな恰幅のいい中年の男性に、年の功でも経験でも勝てるはずはない。こちらの国の外交官を引っ張り出して、当たり障りのない挨拶を済ませて交渉は任せ、ロードライトは二人のやり取りの邪魔をしない程度に口を挟んでは、相手の出方を観察していた。いわば実施訓練のようなものだ。鉱石の対外取引を一手に引き受けてきた商人上がりの外交官は、さすがに大国の商人相手でも引けを取っていない。宰相の息子のチェスターが補佐につき、横でやり取りの内容を速記していた。

 ここでのロードライトの仕事は、こちらの外交官の後ろにいることで威圧を与える、いわば単なる「お飾り」だ。

 交渉内容を吟味しながら、改めて確認しておくべきことを、頭の中で書き出していく。そうしながら、ロードライトはふと、商人の服の作りに着目した。あの娘が身にまとっていたものとは大分形が違うが、帯の巻き方や、顔立ちの特徴が――あの娘とこの男は、全くもって似てはいないのだが――僅かに彼女を思い起こさせるものがなくはない、ような気がする。


 別れ際に茉莉が口にした言葉、あれは、蒼麗語ではなかった。

 だから、ロードライトにも意味が分からなかったのだが。


「雄采殿」

 交渉が途切れ、世間話が始まったところを見計らって、ロードライトは口を開いた。

「はい」

 ひざの上で組んだ手を少し動かし、ロードライトは、膝立ちの蒼麗独特の礼をしている商人に尋ねる。

「レイグ・ヤ・トゥオリェ――とは、どういう意味なのか、お分かりになるかな」

 あるいは蒼麗人ならば、知っている国なのかもしれない。あの娘に通じる手がかりにならないかと思いながら尋ねてみたのだが、中年の男はぱちぱちと瞬きを繰り返したあとで、「さあ」と首をかしげた。

 クラルテ側の人間も、きょとんとした様子でロードライトを見ていた。ロードライトより一つ年上で、家臣の中でも彼に比較的気安くしているチェスターなどは、相手から見えない位置で、露骨に不審そうな顔をして見せている。いきなり何を言い出すのだ、と言わんばかりの顔だったが、ロードライトはそれをとりあえず無視した。

 鷲のくちばしのような鼻の頭にしわを寄せながら、商人が低くうなった。

「山岳に暮らす民が使う言葉に似ている気もしますが、聞いたことはありませんな」

「山岳?」

「ええ、東の天領山脈で細々と暮らす民の中に、そういった響きを持つ言葉を操る民族はおります。私もいくらかは存じ上げておりますが……しかし、響きが似ている、気がする程度のもので」

「あの」

 後ろのほうから甲高い声が聞こえる。その場にいた全員の視線が、商人の後ろで控えていた小さな少年に集中した。浅黒い肌に色鮮やかな衣装を身につけた、線の華奢な少年だ。わずかにつり上がった目元が、やや生意気そうな印象を与えていたのだが、視線が集中すると、彼は全身を真っ赤にしてうつむいてしまった。

「高順、知っているのか」

「ハイ、でも……」

 身分の高いお方に、おいそれを口を聞いていいものだろうか、とうかがうように、少年はおどおどと自分の主を見上げる。

「教えてもらえるかな」

 ロードライトに促され、主人にも頷いて先を促されて、少年はとことこと王子の前に進み出た。膝をつき頭を垂れる、その動作は完璧なのだが、緊張しているせいか、動きがわずかにぎこちなくて微笑ましい。片言の、たどたどしいクラルテ語が、少年の口から流れ出る。

「……東照語デハないカ、思いマス」

 商人が軽く目を見開く。

『東照? お前、東照人に会ったことがあるのか』

 驚いたせいだろう。商人の口から、彼の母国語である蒼麗語が飛び出した。

 ロードライトも外交官も、蒼麗語は身につけているので、会話の内容は把握できる。

 外交官が戸惑を隠し切れない様子で、ロードライトの方をふりかえった。どうして殿下が、東照の言葉を――と、目が語っている。

 速記した書類を片付けるふりをしながら、チェスターがロードライトの袖をそっと引いた。後で詳しい事を教えろ、という意味だろう。あー、問い詰められるなあ、めんどくさいなあと、ロードライトは心の中で遠い目をした。

 国と国とのやり取りでは、話題にも細心の気を使う必要がある。わずかな文化の違い、認識の齟齬に端を発し、国と国の間が険悪になった例などいくらでも存在する。そのため、雑談であっても、その内容のおおよそは、あらかじめ家臣にある程度内容を伝えて吟味しておく必要があるのだ。

 いきなり全く知らない話題を出されて、生きた心地もしなかったのはむしろクラルテの外交官やチェスターの方だったのかもしれない。

 少年はこくりと頷いて、主人に向かうべきか王子に向かうべきか判断しあぐねる様子を見せながら、言葉を続けた。

『はい、おいら……私のかあちゃ、母が去年倒れたときに、東照のお医者様に診ていただいたことがあって』

『……ああ、そういえばお前、出身が』

『はい。南栄です。都の南、東照に接した所にある村に住んでいましたから』

 なるほど、と頷いて、商人は今の言葉を王子に伝えようと、彼の方に向き直る。それを片手で制して、ロードライトは身を少年の方に乗り出した。

『蒼麗語は多少心得があります。事情は分かりました』

 癖のない見事な発音で紡がれた母国語に、商人はかすかに目を見開いて、すぐに頭を垂れる。

「聞き苦しい会話をお耳に入れてしまいました。……大変失礼を」

「いいえ」

「高順、話して差し上げなさい。……殿下、この者はまだクラルテ語を習い始めたばかりですので、多少お聞き苦しいかと思いますが」

 頷いて先を促せば、少年はたどたどしく後を続ける。小さな体に片言が加われば、それだけで随分幼く思えるから不思議だ。

「レイグ・ヤ・トゥオリェ、東照の挨拶デす。レイグ、「縁」、ヤ、「在る」、トゥオリエ、「会う、再会」意味しマス。再び会えるヨウ、縁があるヨウ、お祈りです。そう約束する言葉、聞きました。東照、言葉大事にする国デス。約束、口に出せば、必ず叶う、言ってマシた」



 ――言葉を大切にする国。

 簡単に、名前を教えてはいけないのだと。

 必然があるのだろう、と彼女は口にした。


「縁があれば、また会おう」




「東方の光を得るだろう」




(なるほどね)

 パズルのピースがぴたりとはまった時のような爽快感に、ロードライトは砕顔した。



 東方の光。

 ――おとぎ話から現実の舞台にやっと出てきた国は、確かに東の果てにある。



「殿下?」

「いや、ね。夢の中で、聞いたんだ」

「は?」

「高順と言ったか。ありがとう。すっきりしたよ……ん?」

 少年が顔を真っ赤にしたまま固まっているのに気づいて、ロードライトは椅子から身を乗り出した。

「具合が悪いのか? すまない、気がつかなかったよ。チェスター、すぐに部屋を用意して、休ませるように――」

 椅子から立ち上がって駆け寄って、肩をさささえようとしたところで、少年がくたりと崩れ落ちる。ロードライトは慌てて少年の体を受け止めた。

「大丈夫か? しまったな。緊張していたんだろうに、不慣れなことをさせてしまったから……」

 チェスターに少年を預けると、彼は侍女を呼びつけて、部屋を用意するように指示を出した。

 運ばれていく少年の姿を見送り、ロードライトは椅子に座りなおすと安堵の息を吐いた。

「雄采殿、申し訳ない」

「い、いいえ、こちらこそ……」

 もごもごと言いよどむ商人を前にして、外交官が小さくため息をついた。

「あの顔は、反則でございましょう」

「何か言ったか?」

「……いいえ」


 その後、再開された外交官と商人の交渉は、いつになくクラルテ側に有利に運んだらしい。舞踏会が終わった後に、「さすが殿下だ。助かったと外交官も言っていたぞ」とチェスターに耳打ちされて、ロードライトはまばたきを何度も繰り返した。

「……交渉には一切口を出していないのに、どうしてわざわざ改めて礼を言われるのかな。何の相談もなしに話を切り出したことを怒られるなら、話は分かるんだけど」

 チェスターは黙って肩をすくめ、その答えをはぐらかしたのだった。







(第二章・貴石の逢瀬 終わり)

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