第三章 姫君の剣舞 1
建国記念式典もつつがなく終了し、クラルテの秋はどんどん深まりつつある。
王都アダマスの街道の街路樹は黄色や赤に色づき、鮮やかな色彩で道を彩っていた。収穫期を迎え、徴収した税や冬の間の出稼ぎ先を探しに来る北部の人間が、あわただしく街中を行き来している。王宮も四大神殿も、今が一番忙しい時期だ。さすがの王子も、この時期ばかりは家臣をからかったりミランダにちょっかいを出したりすることもなく、職務に忙殺されている。
ミランダにとっては、忙しくはあるものの、一番心が落ち着く季節でもある。
もちろん、税を納めに城に入ってくる人間が増えるので、警護の仕事自体は非常に忙しくなる。
しかし大抵の客人は、少なくとも王宮内で下手な行動を起こすことは、あまりない。
そよ風に吹かれて、大きく開け放たれた窓から、朱色に色づいた広葉樹の葉が舞い込んでくる。ロードライトの私室から下がって、食堂へと続く廊下を歩いていたミランダはふと立ち止まって、舞い込んできた葉を拾い上げた。
少しだけ水気を失ってかさかさしているが、その色は貴婦人のハンカチにも劣らない色合いを見せている。
鼻歌を歌いながら葉っぱをくるくると回していると、後ろの方から足音が聞こえてきた。
足音からすると男が複数、それも騎士だと意味も無く予測をつけながら振り向けば、果たしてそこにいたのは予想通り、まだ若い騎士だった。年の頃はカーティスと同じくらいだろうか。顔には見覚えがある。カーティスが宮廷学校を卒業した次の年に、卒業生の剣闘大会で優勝した騎士だ。実力も彼と同じくらいだろうと、ミランダは踏んでいる。
名前が、確か――。
「ジェラルド殿。本日はこちらでの勤務でしたか」
ジェラルドは近衛騎士の中でも特に目をかけられている騎士で、この若さで近衛騎士団の団長であるユーロパの下で働いている。年齢からすれば後々はロードライトにつかえるのが妥当であるため、剣にはまだ宝石を戴いていない。しかし、城に上がる頻度は、他の若手騎士達よりもずっと多い。位こそ王子の「一の騎士」であるミランダのほうが上だったが、直属の部下ではないし年上なので、ミランダは彼を敬称で呼んでいた。
本来ならばカーティスもまた、彼と同じ位についているはずなのだ。それなのに、何を思ってか、カーティスは自ら進んでミランダ直属の部下になることを希望した。出世の道が遠くなる、もったいないと、ミランダは何度も説得したのだが、カーティスは「いいんです」と言って取り合わなかった。
カーティスが生真面目で少々頑固な好青年といった容貌をしているのとは対照的に、ジェラルドの容姿は正真正銘の「優男」と言って差し支えない部類に入る。
全身が無駄なく鍛えられているのは良く見れば分かるのだが、顔立ちが中性的なので、それがとっさには分かりにくい。
若い侍女達のあこがれの的で一番人気だというのも、なるほど頷ける話だと思う。何より、カーティスにはない「愛想」をふんだんに持ち合わせているのだから。
「これは、ミランダ様。ご機嫌うるわしゅう」
多少芝居がかった仕草で、ジェラルドは、貴婦人に対する時のように腰を深くかがめる。
その態度に、わずかにひっかかるものを覚え、ミランダはしっかりジェラルドの方に向き直った。
「……何か?」
背後には彼と同じ年だと思われる騎士が二人。彼らの挨拶は、軽く会釈をするだけの、騎士同士の挨拶だ。そちらに会釈を返して、ミランダはその二人がいやに固い表情をしているのに気づいた。
厄介ごとが転がり込んできそうだ。
唐突に、目の前に赤色が広がった。
「?」
差し出されたのは、一輪の薔薇だった。しっとりとした花弁、甘い匂い。王宮の祝い事に、ダリアの花と並んでよく用いられる、最高品種のものだ。貴婦人に愛をささやく時の小道具によく使われ、値もかなり張る。
差し出しているジェラルドの顔には、並の侍女ならば感激のあまり失神してもおかしくないほどの笑みが浮かんでいた。対するミランダの顔は、わずかに険しくなる。
「……どういうおつもりでしょうか?」
薔薇には棘がついたままだった。貴婦人に愛をささやく時に使う薔薇は、棘を落とすのが慣わしだ。繊細で柔らかな手は、とても傷つきやすい。武人であるミランダの手は無論例外だが、それでもジェラルドの行為は穏やかとは言いがたかった。
「こちらも受け取っていただけますか?」
薔薇の上に、白い手袋が乗せられる。
ミランダは手袋と薔薇、そしてジェラルドの顔を、しげしげと見比べた。
手袋は、騎士が決闘を申し込む時に使われるものだ。これとセットならば、棘のついた薔薇の意味も納得が行く。ミランダが女性であることに、ジェラルドが敬意を払ったのだろう。
後ろに控えている二人は……決闘の約束の成立を見守る、公証人ということか。
「理由をお伺いしても?」
静かに尋ねれば、ジェラルドは柔和な笑みを顔に浮かべた。
「……大変失礼ながら。異例の出世もその地位も、国王陛下の一の騎士、ユーロパ様のご息女でいらっしゃることと、ロードライト殿下の個人的な感情によるところが大きいのではないかと思いましてね。実際、ミランダ様は一度も公式の試合に参戦なされたことがなくていらっしゃる」
「それで決闘、ですか。……条件は」
「そうですね、私が勝ちましたら、一の騎士を辞していただく……と、言いたいところですが」
「一の騎士がその職を辞することが出来るのは、病を得たとき、怪我をして剣を振るうことが出来なくなくなったとき、もしくは主に自刃を申し付けられた時のみですね」
辞職の自由は、ミランダ自身にはない。それを決めていいのは、あくまでロードライトだ。普通は王の弟や妹がこの職につくため、別段不都合でも不思議でもないのだが、王の弟や妹は、そもそもその存在自体を公にされることがない。
ジェラルドから見れば、ミランダは確かに、「分不相応な扱いを受けている小娘」に見えるのだろう。
「同じ理由で、私は自分の命や忠誠をかけることもできませんが」
「ええ、ですから私が勝ちましたら、貴女直属の部下を一名、解放していただきたい」
ミランダは首をかしげた。
「カーティスですか」
「ええ」
なるほど、とミランダは納得する。カーティスを部下につけることで、ミランダの技量不足を補わせている、と判断されているのだろう。実際はそうでもないのだが。
しかし、カーティスはいわば、ジェラルドのライバルだ。ミランダの下に置いておけば、ジェラルドは確実にカーティスより早く出世できる。カーティスをミランダから解放するのは、彼にしてみればむざむざ敵を増やす行為だ。
「ドランスフィールドとバーナードは、共に武門で鳴らした家系です。……フェアな状況で勝負してみたいと思うのは、それほどおかしいことでしょうか?」
ミランダの疑問を読み取ったかのように、ジェラルドが続けた。
(勝てば一の騎士がお飾りであると証明できた上で、カーティスと勝負が出来る、か)
なるほど、悪くない考えだ。
「どうなさいます。お受けになりますか?」
「……それは構いません。しかし、私は勧告は出来ても、カーティスを強制的に辞職させる権限までは持っていません。特に、今回はカーティス自身に落ち度があるわけではないですし」
「受けますよ。カーティス・バーナードはバーナード家の跡継ぎです。失礼ながら、彼は貴女の下で満足できる器ではないはず。勧告だけで充分です」
勧告だけなら何度も出してるんだけどなあと思いながら、ミランダは腕を組んだ。
「しかし、それではあまりにも不確実すぎやしませんか。仮にカーティスが拒否したら、私は負けても何も損をしないということになりますよ」
しかもその可能性がかなり高い。ミランダが負ける確率は限りなくゼロに近いので、あまり考えなくてもいいかもしれないが、勝負としては締まらないだろう。
「そうですね。では、私が勝ちましたら、バーナードへの勧告と……」
ジェラルドが、薔薇の花弁をミランダの頬にそっと触れさせる。
「……闘技場の中央で、貴女の唇をいただきましょうか」
ミランダはしばらく無言になって、ジェラルドと頬に触れた薔薇の花を見比べていた。それから彼女はおもむろに頷いて、手袋と薔薇の花を受け取った。
「受けて立ちましょう」
「どういうことですか」
詰め所に帰ってくるなり、若手の近衛騎士達に取り囲まれて、ミランダは目を白黒させた。
「どうって」
「決闘ですよ!」
筆頭に立っているのは、もちろん「景品」にされたカーティスだ。つかみかからんばかりの勢いで言われ、ミランダは気圧されながらもそれを肯定する。
「う、うん。受けたけど」
「あっさりお受けにならないでください! どうしてそう貴女はご自分のことに限って軽率なんですか!!」
背後で男たちがうんうんとうなずいている。
どうして自分が責め立てられているのかさっぱり理解できずに、ミランダは首をかしげた。
「軽率って……カーティスを勝手に景品にしちゃったことが?」
「んなこたぁどーでもいいんです! 私が何回貴女の『直属を離れたら』って説得を蹴ってきたか、お忘れですか!」
「……二年で三十回、くらい」
「貴女が正式に騎士に任命される前のものを含めれば、四十回です! 百回言われようが千回言われようが私が自主的に貴女の下から離れることはありえませんから、それはほっといていいんです!」
今の台詞、ジェラルドが聞いたら思い切り脱力しそうだなあと思いながら、ミランダはカーティスを見上げる。カーティスは顔を真っ赤にしながら、怒りを隠そうともせずに、ミランダを怒鳴りつけた。
「唇をかけたって、どういうことですか!?」
「……え。怒ってるのそっちなの?」
『当たり前でしょうが!!』
カーティスだけでなく、全員の声が唱和する。びりびりと部屋が震えるほどの大声に、たまらずミランダは両手で耳をふさいだ。
ミランダ自身は全く自覚していないが、細やかな気配りが出来る、穏やかで可愛らしい上司は、部下からいっそ異様なほどに敬愛されている。恋愛感情に結びついている者はそう多くはないかもしれないが、城の女性の間で一番人気の「いけ好かない野郎」が自分たちの上司に狙いを定めてきたと知れば、怒らずにいろという方が無理だ。
「え、えーとね、カーティスは多分説得されても『はい』とは言わないだろうから、それだと勝負が締まらないかなーと思って、そう言ったら唇がついてきただけだから。別にジェラルド殿が悪いわけじゃ」
「自主的に申し出たんですか!?」
「や、だって」
「だっても何もないです! 公衆の面前で口づけって、それはどういうことを意味するか、分かってるんですか!?」
「結婚するって意味だよね。ジェラルド殿は婚約者がいらっしゃるから、この場合は愛人になりますって意味に」
「理解なさってるじゃないですか!! ジェラルドが『別れよう』と言うまで、ご結婚も出来なくなるんですよ!!」
「元から結婚する気ないし……愛人くらいなら別に。子供作ると一年近く仕事できないし、むしろ子供作らないほうが喜ばれる愛人なら好都合かなと」
「ミランダ様ぁっ!!」
あまりの無頓着ぶりに泣き出したくなりながら、カーティスがその場に崩れ落ちた。
「……あの」
カーティスの怒りぶりにうろたえた様子で、ミランダはカーティスをのぞき込む。次の瞬間、カーティスは据わった目できっと顔を上げると、椅子の上に置いてあった剣をむんずと掴んだ。
「切り捨ててきます」
「て、ちょ、カーティス!?」
ミランダの横を通り抜けてずかずか歩き出したカーティスを、ミランダが慌てて引き止める。片腕にミランダをぶら下げたまま、カーティスはそれでも前に進もうとした。
「お放し下さい! 不敬もいいところです、女性に向かって、そのような失礼な条件を! そんな輩、騎士の風上にも置いておけません!」
「落ち着いてってば! 別にジェラルド殿は騎士道に背くことはやってないんだし、外から見れば確かに私は分不相応に出世してるように見えてもおかしくないんだから!」
カーティスがようやく、ぴたりと動きを止める。
「……分不相応?」
どこがですか、と言わんばかりの視線が、ミランダに向けられる。小さく息をついて、ミランダはカーティスをはがいじめにしていた腕を離した。
「実際、私剣闘大会とか名のつくものには一切出場してないでしょ。練習試合で手合わせしたことのあるここの皆は納得してくれても、他人には確かに『贔屓目』としか映らないんだよ」
「そいや、どうして出場されないんですか? ミランダ様の実力なら、優勝なんかたやすいでしょうに」
一番後ろの席で、おちついて事の成り行きを見守っていたジグが初めて口を挟んだ。カーティスも他の騎士も、それはずっと不思議に思っていたことだ。集中する視線を受けて、ミランダはひらひらと投げやりに手を振った。
「外見がこれだから」
「はぁ?」
「どっからどう見ても、普通の『女の子』の体格の域を抜け出ていないでしょう? こんな小娘が次々剣闘大会を制覇してる、とか噂立ったら、外国からなめられるじゃない。ユーロパ養父さんみたいに見た目と実力がちゃんと比例してれば、問題はないんだけど」
言われて男たちは顔を見合わせる。ミランダの『正体』を知っているのはこの中ではジグとカーティスだけだが、他の連中も、彼女の実力だけは嫌というほど思い知らされている。屈強な男たちがこれだけ集まっているというのに、剣の腕が一番立つのは、間違いなくミランダなのだ。
「普通はね、女の子は鉱術師に生まれつくものなんだよね」
カーティスにだけ聞こえる小声で、ミランダはつぶやいた。過去に生まれた王の妹たちは、そのほとんどが鉱術師に生まれついている。
しかしミランダにはそういった素質が一切現れなかった。彼女が持っているのが戦闘技術の才能だと分かった時、第一王子に授けられた「東方の光」の件とあわせ、これは変化の予兆だと断定されたほど、それは珍しい現象だった。
地道な治安維持活動などでは、ミランダは既にいくつか功績を上げている。しかし、表舞台で活躍することが極端に少ないために、あまり民草の間で名前を知られてはいない。
「ですが……」
まだ何かいいたそうなカーティスの肩を軽く叩いて、ミランダは彼と共に皆が詰めている部屋に戻る。
「どうせそろそろ誰かが不満を言い出す頃だと思っていたから。ジェラルド殿なら丁度いい相手だし」
ざわめきを隠そうともせず、まだわずかにピリピリした様子の男たちを見やって、ミランダはふと真剣な表情になる。
「そんなに不安? 私が負けると思ってる?」
これには全員が迷うことなく首を横に振る。ジェラルドと実力が拮抗しているカーティスが、「辛うじてついていける」ほどの腕前なのだ。ミランダが負けるはずはない。
その反応に、ミランダは珍しく不敵な笑みを口に刻んだ。
「心配しなくても加減はしない。全力で行くよ」
「……ミランダ様、あの、ひょっとして怒ってますか?」
ジグが尋ねると、ミランダは腕を組んで、顎を少しだけ引いた。
「決闘とか不満とかはまあ正当な理由だと思うし納得できるんだけどね。殿下を侮るような発言をしたのは、ちょっとね。今のうちに矜持を一回叩き折っておかないと、正式に臣下に下ったときに、今と同じ感覚でいられるのは困るから。まあ、私の責任でもあるんだろうけど。ちょっと遠慮しすぎたね」
そこが原因でミランダを怒らせたとは、ジェラルドは夢にも思っていないだろう。そしてミランダは、普段穏やかな分、怒らせると容赦がなくて恐ろしい。
若い騎士たちは、「いけ好かない奴」に、生まれて初めて同情したくなった。
形容しがたい空気が漂っている詰め所を機嫌よく見渡した後で、ミランダはカーティスの袖を引いた。
「で、カーティス。この忙しい時期に、申し訳ないんだけど。ちょっと付き合ってもらえるかな」
ミランダの笑顔をしげしげと見つめた後で、カーティスは吐息と共に「はい」と呟いた。
夜気に荒い息が溶ける。互いの呼気が耳につく。
ふっとミランダの体が沈み込んだ。
「うぁっ!」
刃を研いでいない剣が、月光を弾きながら白色にきらめいて空中に舞う。
「勝負有り、だね」
勢いに耐え切れずに体勢を崩したカーティスの喉元に、ミランダの剣先が突きつけられる。にこりと笑んだ後、ミランダは剣の先をすぐに地面の方に向けた。
彼女の額にはうっすらと汗がにじんではいるものの、息はさほど上がっていない。対するカーティスの方は、汗の筋をいくつも流している上に、肩が大きく上下していた。
「一の騎士」をこれだけ疲労させるだけでも、充分腕利きの方に入るらしい。
実際、カーティスがここまで翻弄され、一方的に疲労させられた挙句に負けるのは、ミランダと、現役の「一の騎士」であるユーロパくらいのものだ。彼女と手合わせをするたびに、負けながらも自分もどんどん高みに引き上げられていくのが分かる。
『貴石』を守るために神が与えた特別な才能。それが彼女の最大の武器だが、実際の剣技の完成度の高さは、何よりも彼女自身の努力によるところが大きいのだろう。
「……そろそろ限界です。勘弁していただけませんか」
「うん、ありがと。最近あんまり体を動かす機会がなかったから、どうもなまってる気がして」
仕事が忙しすぎてろくに訓練の時間を取れなかったせいもあるだろう。それでもミランダの剣の腕は、相変わらず常人離れしている。
小柄な体から繰り出される剣さばきは鋭く速度があり、さらに「重い」のだ。女性では絶対に出せない重さが、おそらくは『クラルテ神の祝福』とかいうやつなのだろう。普段のミランダは決して怪力というわけではない。体を無駄なく鍛えているから、力仕事も難なくこなせはするが、それはあくまでも「鍛えた人間」の域を出ない。剣を手にした時だけ、ミランダには明らかに常人ではありえない瞬発力と重さが加わるのだ。
放り出されて地面に転がっていた練習用の剣を鞘に収めて、カーティスはミランダの前に立った。
「それで、これを決闘まで毎晩ですか?」
「ううん、今晩だけでいい。決闘明日だから」
「はぁ!? それはまた、随分急な」
「明後日は南部の今年の税の先発隊が到着するから。明日を逃すと私もジェラルド殿も予定が合わないし……」
ジェラルドはともかく、ミランダは一応ロードライトの警備の最高責任者の一人だ。治安のあまりよろしくない地方から大量に人が流れ込んでくる日に、彼から離れたくはないのだろう。
「それに、明日ならお休み取ってるから、殿下に嗅ぎ付けられないし……」
こんな噂を聞きつければ、ロードライトは喜んで書類を放り出して見物に来るに違いない。「国民の迷惑になる」レベルの無茶はやらかさないが「側近が胃を痛める」程度の無茶ならば平気でやらかす王子だ。匙加減を熟知した上で微妙なラインをついてくるので、たちが悪いことこの上ない。
「殿下にご報告なさってないんですか!?」
「言ったら殿下、絶対見に来るじゃない。『今殿下に抜けられていいのか』って側近の皆を脅して回って、ついでに陛下とユーロパ養父様に根回しお願いして、やっと明日一杯はごまかせるかなって感じだった」
さすがに気まずいのか、小声になっている。
それはそうだ。騎士が正式な決闘を受けておいて、それをあえて主人に伏せておくというのは、お世辞にもよろしい行為とは言えない。話し振りからして、国王の承諾は取り付けているらしいから、完全に悪いとも言えないのだが。
バーナード家の中庭に、わずかに日の匂いを残す風が忍び込んでくる。秋が深まったせいだろう、夜風は既にかなり冷たい。汗が冷え、カーティスの背中が意識する間もなくぶるっと震えた。
「……とりあえず屋敷の中に入りましょう。これで風邪をひいてしまっては元も子もないです。お部屋も用意させていますので」
「え、そんな、帰るってちゃんと」
「決闘が行われる闘技場は、ここからの方が近いでしょう。グラファイト家には使いをやっております。今日はこちらでお休み下さい。祖父も喜びますから」
娘も孫も随分前に嫁に行ったせいか、カーティスの祖父はミランダをえらく可愛がっている。彼女が十歳の頃から見守っているせいもあるだろう。普段は隠居した昔気質な武人らしく気難しい顔をしているのに、彼女が来ている時に限っては、その空気が心なしか和らぐ。
「そういうことならお言葉に甘えます」
話を素直に受けたミランダから剣を取り上げる。片付けて置きますから湯を使ってお召しかえを済ませてくださいと言って、カーティスはミランダを屋敷に追いやった。
剣を片付け、簡単な胴当てを外して屋敷の廊下を歩いていると、向こうの方から鼻息も荒く、自分の母親がメイドを引き連れて歩いてくるのが見えた。
(あっちゃー)
どうしてこんなタイミングで。カーティスは思わず横にある物置に隠れたくなった。だが彼が行動を起こすより早く、母親の方がカーティスに気づいた。
「あらカート、帰っていたの」
「そりゃ客人がいるなら帰ってますよ母上」
「んまあ。忙しい時期なのに呑気ですこと」
一応俺この家の跡継ぎなんだけどなあとカーティスは遠い目をしたくなる。跡継ぎのはずなのに、今のところこの家で一番立場が弱いのがカーティスだ。
ちなみに一番は祖父、二番目は母、三番目が現当主であるはずの父親で、一番下が自分である。祖父と母は、権力の方向が微妙に違うので、立場の強さはほぼ同じと見ていいだろう。さらに数年前までは父親の上には二人の姉がいた。この家は基本的に若い男の地位が低い。
屋敷の一切を取り仕切っている夫人の後ろに立っているメイドたちの手には、色鮮やかな女物の衣装がかかっている。流行の型を上品に取り入れた、それでいて少しだけ派手な色使いの布地が使われている。夫人自身が身につけるには、少々華美にすぎる嫌いがある。ということは。
「それ、ミランダ様に?」
「ええ、絶対にお似合いになると思うのよ!」
「無駄だと思うけど……」
ミランダの養父の従騎士だった時代から数えて六年。カーティスでさえ、その間彼女がスカートをはいている姿を見たことがない。十八歳の時に行われる成人の儀式も、騎士の称号を得ている彼女は騎士服で迎えるはずだ。もちろん、夫人は幾度となくミランダに女物の服を着せようと頑張っているのだが、ミランダ自身がそれをやんわり拒み続けているのだ。
「カート、あなたもミランダ様に決闘を申し込んで唇をかけるくらいの気合を見せたらどうなの。このままドランスフィールド家の若造にあの方を渡す羽目になったら、私はお前と親子の縁を切るわよ」
あながち冗談でもなさそうな迫力だ。カーティスはどっと疲れて肩をがっくり落とした。
「私が決闘を申し込んでも、あの方に勝てるわけがないでしょう。それとも何ですか、まさかミランダ様が明日の決闘で敗北されるとでも?」
「勝ち負けは関係ないのよ。女っていうのはね、そういうちょっと強引な手を使ってでも自分の方に目を向けさせようとする男に案外グラリと来たりするものなのよ。特にお前の中途半端なアプローチに全然気づかないような、純粋なミランダ様みたいな方は!」
背後でメイド二人が、うんうんと力強く頷いている。
「若様、頑張って下さいよー」
「そうですよー、ミランダ様を若様が落としてくだされば、私たちもずっとミランダ様のお側にいられるんですよー」
「どんなにかっこよくてお優しくても、女性でいらっしゃったら私たちはミランダ様をお婿様にはむかえられないんですよー」
「そーですよ、若様ファイトー」
ねー、と顔を見合わせて頷きあう若いメイド二人に、カーティスは本気で頭を抱えたくなった。
「そんな理由で人を後押し……」
「当たり前でしょう。私の最後の娘になるのは、あの子以外に考えられなくってよ! あんなに素直で可愛い子、今時社交界にもいないのよ! 着飾らせて社交界に引っ張り出せば、絶対に映えるのに、今の私の立場では強引に押し切れないじゃない!」
息子のためというより自分の欲の為にカーティスを応援している我が家の女性陣に、カーティスは思わず泣きたくなった。
応援されているのに孤立している気がするのはどうしてだろう。
ミランダに夫人の説得は通じなかったらしく、彼女は男物の服を着て現れた。夫人の恨みがましい視線のおかげで、カーティスはその日の夕食の味もメニューも、さっぱり思い出すことが出来なかった。




