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廻る世界に祝福を 2

「ミラ、こっちよ、こっち!!」

 とたとたと危なっかしい動きで王宮を駆けていく白い塊を、ミランダはゆっくり追っていた。この王女は、追いつかれると「パールのほうがはやいのよ!」とムキになり、結果ころんと転がって、膝やおでこをすりむいてしまうことが多い。

 その程度の事に国王も王妃も頓着はしないのだが、周囲の女官や侍女達はその度に青くなって上へ下への大騒ぎをする。大切な王位継承者に万一のことがあっては――ということらしい。彼女達の心労を進んで増やす事もなかろうと、ミランダは大人しくパールの後をついていっていた。真珠色のゆるやかな巻き毛をまとめているのは、夏の青空をそのまま切り取ってきたかのような色合いの幅広のリボンだ。ミランダとお揃いのものがいいとせがんで揃えさせたそれは、パールの頭に止まった大きな蝶のようだった。

 お母様から「ミランダを連れてくるように」と言いつけられ、パールはいつも以上に張り切っている。何歩か進んではミランダがついてきている事を確認してにこにこ笑い、また何歩か進んでは……と繰り返すので、実際の速度はいつもより遅いくらいなのだが。

 廊下を行けば、すれ違った貴族達が「これはこれは、王女殿下。ご機嫌麗しゅう」と口上を述べ、恭しく膝をついて、幼い彼女の手を取る。一人前の女性のように扱われる事がくすぐったくてたまらないのか、パールは少しはにかみながら、ドレスのすそをちょんと持ち上げてお辞儀を返して、慌ててその場を離れてしまう。

「シツレイをしたわけじゃないのよ、おかあさまがよんでるから、いそがなくちゃ」

 きちんと挨拶をしなかったことがちょっと後ろめたいらしく、ずんずん進みながら言い訳をする。その様子さえ可愛らしく、ミランダや周囲の召使いたちの頬は自然と緩む。

 妖精のような王女に先導され、王宮の奥に入る。

 中庭に面した一室に、パール王女の母親の部屋はある。昼過ぎの強い光が、王宮の空気をきらきらと光らせていた。パールの髪の上で踊る光に目を細め、ミランダは足を動かした。


「きゃあ!?」

 先に角を曲がった王女の悲鳴が聞こえた。ミランダはとっさに剣の柄に手をかけて、角に走りこむ。だが歩み出てきた人物を認めるや否や、今度は慌てて数歩後ろに下がった。

「パール、角を曲がる時は向こう側をよく確認しなさい。危ないだろう」

「はぁい」

 低い声、すらりとした容姿。即位してしばらくたってから伸ばし始めた金の髪は、既に背中の中ほどまで伸びていた。それがゆるく編みこんであるのは、恐らく王妃の仕業だろう。父親の腕の中で、パールは小さく縮こまっていた。反省している娘を腕に乗せ、空いた手でその背を支えながら、ロードライトはミランダに微笑みかけた。

「すまないね。子守りは大変だろう」

「いえ」

「おとうしゃま! パールはおちゅかいでミラをあんないしてきたんでゆのよ!! パール、あかちゃんじゃありません!! こもりちがいます!!」

 危なっかしい発音で抗議して、パールが小さな手足をじたばた動かす。ああ悪かった、すまないすまないと繰り返しながら、ロードライトはミランダを導くように体の向きを変えた。

「ミコト」

 両開きの扉の片方を、王自らが開く。クラルテほどの大国の王宮にしてはありえない風景だが、それをとがめようとするものはこの王宮にはいない。王妃もそういう気配りを要求する性質の人間ではない。後ろに控えたミランダからは、部屋の中を窺い知る事は出来ない。あえて国王の先に立たなかったのは、今、王妃は今度の舞踏会用のドレスの用意をしているところだと聞いたからだ。


「わああ、きれーい!」

 ぱちぱちと手を鳴らし、パールが歓声を上げる。ロードライトに促され、ミランダも部屋の中を覗き込んだ。

「……すごいですね」

 床に、寝台に、様々な色や柄の布が広げられていた。上質の絹で出来ていると思しきそれは、まだ鋏が入れられていない、単なる生地だ。東照からの献上品だというそれを、侍女や仕立て屋が腕にまとめて持ち、茉莉の肩に軽くかけては似合うかどうかを確かめているのだった。

 華やいだ色の洪水に、パールがきゃあきゃあはしゃいでいる。花畑の中心にいる人物はといえば、ごく真面目な顔で侍女と重ねる布の色について話し合っていて、美しい風合いの布の山に心を動かされている様子は少しもなかった。

 ミランダがロードライトとパールの後に続いて部屋の中に入り、扉を閉める。侍女たちに一度下がるように言いつけると、茉莉はすぐにミランダの方に歩いてきた。

「ミランダ殿、お忙しい所を申し訳ない。すぐ済む用なのだからこちらから出向けば良かったのだが、この通り体が空かなくてな」

「とんでもありません」

「パールの世話を押し付けたうえにこれでは、何のための一の騎士だか分からないな」

「おかあしゃままで!!」

 父親の腕の中からパールが必死に抗議する。先ほどの会話を聞いていなかった茉莉は事情がわからず、首をゆっくり傾けた。

「私まで、とは?」

「パールはもうお姉さんだから、赤ちゃん扱いは嫌なんだそうだよ。僕もさっき怒られた」

「……そういうことか。悪かったなパール。ミランダ殿を呼んできてくれてありがとう」

 何度も首を上下に振り、パールはロードライトに下ろしてくれとせがむ。父親の両手が自分を床に下ろすや否や、パールはミランダの中指を両手で握って、彼女を茉莉の前まで連れて行った。

「パール殿下はしっかりお役目を果たしてくださいましたよ」

「ああ」

「それで、ご用件とは?」

 茉莉の相談役は、彼女と顔なじみになった女官長と、東照からやってきて結局こちらに残った蕾という侍女が引き受けている。茉莉が個人的にミランダを呼びつけるのは、そうそうあることではない。ドレスの相談などは尚更だ。自分が身に付けるものですら侍女任せな夫の部下に、そんなことを聞こうと思う者などいないだろう。

「ああ、これなんだがな――、蕾」

「はい」

 黒い髪を背中でゆるくまとめ、動きやすい格好をした女性が蕾だ。彼女の両手には、薄い桜色の布地がかかっていた。茉莉の両腕にその布地を渡すと、蕾はパールを抱えて後ろに下がっていく。布地の様子を人差し指で検分し、少し傾けて光沢を確かめてから、茉莉はミランダをじっと見つめた。

「ミランダ殿、失礼するぞ」

「え? あ、はい?」

 布を受け取れという意図かと思い、ミランダはとっさに両手を差し出した。茉莉が苦笑して肩を揺らす。

「そうじゃない。あわせてみるから、背筋を伸ばしてこう、まっすぐに立ってみてくれないか」

「はい」

 慌てて姿勢をただし、ぴしりと起立したミランダの方に、茉莉が布地を着せ掛けた。春風のようにふわりとなびき、反物はミランダの右肩にかかった。

「これも東照からのものですか?」

「ああ。……どうだ?」

「いいんじゃないかな」

「よし、決まりだな」

 ロードライトと茉莉が頷きあうのを、間にはさまれたミランダはきょとんと見ていた。話がさっぱり見えない。

「……あの、陛下、ミコト様?」

「これで頼む。仮縫いや縫製は、期限に間に合うよう、そちらで進めてくれ。デザインは任せるから」

 侍女の一人が頷いて、布を受け取って足早に部屋を出て行く。その背中に、ロードライトが声をかけた。

「ディーン・フォーレイドを呼んでくれ。こういう仕事には彼が一番適任だ」

「何のお話でしょうか?」

 耐えかねてミランダが問い掛けると、ロードライトがミランダの方に向き直って、真顔で質問をし返してきた。

「ああミランダ、一応確認するけど、カーティスが戻ってくるのは今月の二十七日で間違いないね?」

「はい」

「騎士服で出ることになったら困るからな。確実に戻ってこられるよう手配しておいてもらいたい」

「……はい?」

 怪訝な顔をしたミランダを、国王夫妻は真顔で見つめた。




「ミラー?」

「わああちょっと待ってはいぃっ!!」

 ノックしただけだというのに、扉の向こうからは何かが蹴倒されるような音やら急いでどこかの扉を閉めているような音やらが聞こえてくる。カレンは返事を待たずに、王宮の一角にあるミランダの私室の扉を開いた。クローゼットの前で扉を背に、真っ赤になってかたまっているミランダが視界に入る。カレンは部屋の中を見渡して、さっき蹴倒されたと思しき椅子を見つけた。

「何やってるんですの?」

「なんでもない、なんでもないから!!」

 真っ赤になって首をぶんぶん左右に振られて、はいそうですかと信じられる訳がない。

 ミランダがこういう反応をすることはそう多くない。

 カーティス絡みのことだと見当がつき、カレンは意識しないままに半眼になった。

 すたすたとミランダに歩み寄ると、彼女はヤモリのようにクローゼットにへばりつく。本物のヤモリと違うのは、背中で扉を塞ぎ、カレンと向き合っているという点だ。

「みーらー?」

 カレンがミランダの肩に手をかける。ミランダは何でもないと何度も繰り返して、そこから一歩も動こうとはしなかった。

「……ま、いいですけれども」

 カレンがそう言ってミランダから離れる。ミランダがあからさまにほっとして肩から力を抜いた所を見計らって、カレンは口元にだけ微笑を浮かべた。

「カーティスのシャツがそこにあっても、私の感知する所ではございませんしねえ。ええ、それはもう。それを毎晩こっそり抱きしめて寝てたりしても、私は別にどーでもいいんですのよ?」

「なんで知って……!!」

 右腕で口元を覆って、ミランダが固まってしまう。真っ赤になって視線をせわしなくさ迷わせているミランダを見て、カレンは大きくため息をついた。

「――ミランダの元気がないようだから、慰めてやってくれと、陛下が時間を作ってくださったんですけれども。会談をわざわざ早くに切り上げて」

「えっ、……私そんなに変だった!?」

 ミランダの顔が青くなり、ついですぐに真剣なものに変化する。そんなわけありませんでしょうとカレンは投げやりに左手をひらひら振った。

 ミランダは、仕事に支障をきたすほど恋愛にのめりこむ馬鹿ではない。裏を返せば馬鹿になりきれないほど不器用でくそ真面目だということになるのだが。

 どちらが本人やその相手にとって幸せかを考えるのは、カレンの仕事ではない。

「雰囲気が少し沈んでいるように見える、程度のことですわよ。あとは疲れですかしら、ね。何だかんだ言って、カーティスはミランダの事を一番よく分かっている右腕ですもの。この時期に抜けられてしまっては、さすがのミランダも――と、思ったのですけれども」

 ちらりと見やられて、ミランダはうっと詰まった。

「……仕事が優先の時はどっこまでも淡白になるくせに、プライベートになると呆れるくらいめろめろなんですもの。からかう気も失せますわあ。ホント、あんな朴念仁のどこがいいんだか」

「どこが、って――。……カッコいいし、優しいし……あったかいし……」

 下を向いてぽそぽそとのろけ始めた友人をあきれ半分、愛情半分に見守って、カレンは大儀そうに肩を回した。

「明後日には一行が戻ってくるそうですから。せいぜい一月会えなくて寂しかった~とか、思う存分甘えてあの従者馬鹿に慰めてもらうといいんですわ。ったく」

「あ、あ、あ、甘えるって」

「あら甘えてないんですの?」

「う、や」

「ミランダが甘えてるんでもでなきゃ、あの馬鹿真面目従者があんなにやに下がった顔をしているわけがないでしょう。何度後ろからどついてやりたいと思ったことか。あー思い出しただけで鳥肌が」

「……」

 ぐうの音も出なくなって押し黙ってしまったミランダの額を、カレンは軽く小突いた。



 風星宮への使いの一団が帰還するまであと三日。

 大嵐は、確実に王都へ近づいてきていた。



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