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番外編 花に薬と休息を 2  

「『坊主』と呼ばれていましたわね。お知り合いなんですの?」

 馬車に向かい合って座る格好になり、ジグは大柄な体をさらに窮屈そうに縮めている。カレンの方は、昨日ジグが娼館にいたことにはまるでこだわっていない様子だったが、それでも居心地は悪かった。

「はあ、まあ……古い、馴染みなので。ご存知でしょう、俺の身元くらいは」

「陛下に仕える近衛騎士で、ミランダ直属の部下でいらっしゃいますからね。軽くさらった程度ですけれど、存じておりましてよ」

「……俺の母はあの花街に身を置いていたので、その縁で」

 整備された石畳の上を走っている時でも、車輪の音はガタガタと耳につく。カレンの様子に変化はない。知っているのだろう。ほほに手を当てて、カレンはかわいらしく首をかしげてみせた。

「けれど貴方は確か、鍛冶屋の方に奉公に出ていらっしゃいましたわよね?」

「軽くさらった」程度ならば、せいぜいジグが男爵家に買われたいきさつが分かる程度だろう。「軽く」の度合いが違うのか、それともそれ自体がカレンの謙遜なのか。どちらにしてもあまり深く突っ込みたくはない。触らぬ神に何とやらとばかりに、ジグは素知らぬ顔で話を続けた。

「八つの頃までは母親がいた宿で、下働きや使い走りをしてましたから。顔がよければそのまま男娼にでもさせられてたんでしょうが、あいにく、この容姿だったので」

 奉公に出された鍛冶屋の専門は、剣を始めとする武具や防具だった。そこの客が遊び半分で教えた剣がきっかけで、筋がいいと見込まれた。奉公するかたわら、親方公認で剣術を叩き込まれたのだ。鍛冶屋で五年働き、ジグは結局用心棒として、母親のいる娼館に戻った。

 自分の経歴を簡単に説明し、ジグは言葉を続けた。

「……母親がボーテン男爵に身請けされて、その縁で宮廷学校に入りまして」

 正確には身請けされたのは母親ではなく、ジグだったのだが。

 身請けされた当時、母親は既に重い病気を患っており、容姿の衰えも相当なものだった。高い金を払ってまで妾に囲おうとする男がいるとは、息子のジグでさえ思えなかった。

 男爵は、ジグの将来を見込んで、彼ごと母親を買い受けたのだ。

 剣術を自分に叩き込んでくれた傭兵と、ボーテン男爵家の当主が顔なじみだったらしい。息子のいなかった男爵は、いずれジグと娘をめあわせるためにジグに教師をつけ、彼を宮廷学校に入れた。

 けれど結局は……。

 回想から現実に戻り、ジグは目の前に座っている女性の様子を伺った。

「ええと、どこまでご存知ですか」

「亡きボーテン男爵とご縁があられる、というところまでは。養子に迎えられたのに、結局は遺産相続も放棄なさって、ボーテン姓も捨てられたのですわよね?」

「ボーテン家は、娘さんと駆け落ちなさったどこぞの男爵家の次男が継がれましたからね。もとより妾の子が出る幕はありませんや。血もつながってないですし」

 ジグが宮廷学校に入った年に彼の母親は亡くなり、年を取った男爵もその翌年に亡くなった。

 母親の晩年を静かに過ごせるだけの施しをもらえただけで充分だと思っていたので、突きつけられた絶縁状も、特に何の感慨も抱かずに受け取った。

 仕送りも途絶えたが、クラルテの宮廷学校には奨学金制度があった。学校を辞めなかったのは寮があり、当座の住居が確保できたからで、それ以上の理由はない。

 自分の説明はこれくらいでいいだろう。ジグは所在無くさ迷わせた手を、膝の上に戻した。

「だから、十三の時に一年と少し、俺はまたあの街に戻っていたんです。その頃の仕事は、使い走りだけではありませんでしたから」

「ああ」

 ぱちん、とカレンが両手を合わせて、目を軽く見開いた。

「それで昨日の方も?」

「腕に新しい注射針の跡が二つ。体が熱っぽい。そんな娼婦を抱くほど、俺は無謀じゃありませんよ。……あったんでしょう、検査」

「昨日、ありましたわねえ。……やはり?」

 興味半分、呆れ半分で尋ねてくるカレンに、ジグは憂鬱な気分でうなずいてみせた。

「性病の初期症状は、それより高い熱を出せば一時的に抑えられますから。事前に調べて、やばい女には検査が当たる日に熱が出るように薬打って、終わったら解熱剤を打つんです」

 検査に引っかかれば娼婦は強制的に診療所に収容され、静養を余儀なくされる。宿の外聞にも関わるし、何よりその間、彼女達も店も、商売に支障が出るのだ。

 モグリの医者の仕事は病にかかった娼婦の治療ではない。その娼婦をいかに国の検査からすり抜けさせるか、だ。あるいは出来てしまった子供を、いかに手間をかけずに堕胎させるか。治療ではなく「商品」の保持が目的なのだから、そもそも「医者」と呼べるかも怪しい。

 さすがにジグは堕胎や具体的な「事前調査」にまでは駆り出されることはなかった。しかし、それでもいくつかの堕胎方法は心得てしまっている。共に暮らしていれば、そういった話題は嫌でも耳に入ってくる。興味はなくとも、繰り返し聞けば覚えてしまうのだ。

「そうだろう、と先生は推測してらっしゃいましたけど。やっぱり事実だったんですのねえ」

「取り締まるおつもりですか?」

「それはうちの管轄ではありませんから、別にどうこう言うつもりはありませんわ」

 カレンはけろりと言ってのける。感情のこもらないジグの視線など、痛くも痒くもない様子で、彼女は悠然と座っている。

「危険が分かっていて、それでも買うと言うなら、自業自得でございましょ。国としては、貴族や騎士が買う女性が病気の元にならなければそんなに困りはしませんもの」

「国営の娼館の方は、うちみたいなことはしないらしいですからね」

「しませんわね。病気になりそうな女性はそれとなく保養所に収容して静養させます。だからそれほど重症の患者さんもいらっしゃらなくて」

「……」

 話題が切り替わったのに気づき、ジグは姿勢を正した。しばらく沈黙した後で、カレンが口を開いた。

「そちらの事情も話してくださいましたからね。私がやっていたことの説明をしようかと思ったのですが……お聞きにならない方がよろしゅうございまして?」

「いえ」

 それが聞きたくてカレンを探していたのだ。促すと、カレンは狭い馬車の壁に背中を押し付け、まぶたを軽く伏せた。

「ま、大して面白くはありませんけれど。東照から入ってきた、新しい薬を試させていただいたんですの」

「わざわざ藪医者に扮してですか? それも、カレン様直々に」

「藪医者に扮したのはガサ入れと勘違いして逃げられたら困るからですわ。それに、こういった実験は表立ってやるわけには参りませんわね。それこそ外聞に関わりますもの。……あちらではきちんと薬として使われている薬草でしてよ。クラルテ人の体質に合うかどうかは、未知数でございますけれども」

「……」

「私がここまで足を運んだのは、単純に東照語での解説を理解できるクラルテ人が足りなかったからですわね。外交は風星宮の担当ですけれど、貿易は地星宮の管轄ですから、私が出てきてもおかしい道理はありませんことよ。……ご質問やご不満はおありでして?」

 非難される、と思っているのだろう。攻撃を待つ獣のような空気を感じ、ジグは逆に体から力を抜いた。

「俺は、哀れみ深い神官様でも理想に燃える正義漢でもありません。本当に効くなら、それは遠からず二流三流の宿に詰めている娼婦が手に入れられる薬じゃなくなるんでしょう。だったら、実験だろうがなんだろうが、手を打ってもらえる機会を得ただけ、そいつは幸せですよ」

 今度はカレンの方が、虚を突かれた顔をした。彼女がそういう顔をするのは、非常に珍しい……のだろう。顔を合わせて話をする機会そのものが数えるほどしかなかったが、その数回だけで、カレンの気質は嫌というほど分かっている。

「別に陛下の治世や今の国のありようを憂いちゃいませんよ。あの町の人間は、たどり着くべくしてあの場所にたどりついたんですから。抜け出せないのは本人の問題であって、周りがどうこうできるもんじゃない。あそこに溜まっている人間が、そこから抜け出せないのを全部国や世の中のせいにするのも、少し無理があると思いますよ。現状を見ている人間でも」

 いつか惚れた男が身請けしてくれて、幸せな家庭を持てるだろう――娼婦の多くは、そんなことを夢見ている。けれど、そんな甲斐性のある男はそもそも花街に通い詰めたりはしない。益体もない夢を口にするばかりで、昼間に何か手に職をつける訓練をするでもなく、ただ無為に時を過ごす女が大半だったのだ。運よく春を売る稼業から足を洗えても、またここに戻ってくる女も多かった。――手に入る金の額が違い、苦労の種類も違う。真っ当で稼ぎが少ない、手を荒らすような仕事に、彼女達はもう馴染むことが出来ないのだ。

 そう言うと、カレンの顔から表情がすとんと落ちた。

「……」

「生まれが生まれですからね、俺はカレン様がもっと呆れるような話を山ほど知ってます。今の話程度じゃ、ホントに何も思わないんですよ。だから無理に血も涙もないような、冷酷な貴族を演じられなくても結構です」

 ジグが嫌っているのは、民を搾取するだけの人間だと思い、いくら殺しても苦しめても、なんとも思わないような類の貴族だ。その点においては、ジグの上司も同僚も、もちろん国王も、「嫌い」のうちには入らない。目の前の女性もそうだ。

 カレンはじっと黙っている。重ねられた手は荒れてはいない。しかし、右手の中指の中ほどが固くなっている。ペンを動かし、働いている証拠だ。彼女は農民や労働者とは違う。けれど、日々をきちんと生きているのだ。

 ふかく息を吐き出して、カレンがいきなりくたりと体を倒した。ジグは思わず腰を浮かしかけ、馬車の天井に頭をぶつけて慌てて座りなおした。

「カレン様!?」

「きっついんですのよぅ」

 カレンの声の調子が一転する。友人に愚痴を言うような調子のつぶやきに、ジグはただ目を丸くした。

「……は、あ」

「きついんですの。どう動いても、私の権限ではどうにもならないことが多すぎますの。いくら国が豊かであっても、貧民街は無くならないし。……花街も、なくすわけにはいかないんですって。どうしてだかお分かりになる?」

「そりゃ国が監視している体制がなくなりゃ、もぐりの娼婦や娼館が出来るだけだからでしょう。金を犯罪組織に流すくらいなら、国が持っていった方がマシでしょうよ。秩序がなくなれば、それこそ花街は病巣になりかねない場所ですぜ、色んな意味で」

「……」

 学校で習うことではないが、少し考えれば分かる。酒と同じだ。禁酒令を出したところで結局違法醸造が増え、その金は最終的には犯罪組織に流れ込む。それくらいならいっそ彼らが掠め取るうまみをなくす程度の税をかけ、流通やしくみをあるていど日の下にさらしてしまった方がいい。

 大きな工事などに比べれば、娼館から上がる利益など、微々たる物だ。この国は王室の呪いも手伝ってか、性に関しては割合厳格なきらいがある。そこに国の介入があれば、犯罪者達が掠め取れる利益は高が知れている。彼らの興味を逸らすために、国はそういった事業に規制をかけているのだ。

「悟ってますわねえ……」

「悟ると言いますか。そういうもんだと思って生きてきましたから。子供じゃないんですから、そんなところまでお偉いさん方が気を使う必要はないと思いますよ。娼館の仕組みはそりゃ、えげつないところも多いですがね……どこもそんなもんでしょう。裏がややこしいのは、上流社会も同じだ」

 曖昧な返事をしてカレンが体を起こし、膝の上を軽く払う。その様子をなんとはなしに目で追いながら、ジグは口を開いた。

「ゆっくり休まれて、割り切れないものは忘れてしまうのが一番です」

 ぴんと張り詰めていたものを切ってしまったカレンの顔には、精神的なものから来るのであろう疲労の色が濃い。似たような状況にいても、ミランダはさほど疲れた様子は見せないのだが、それはやはり彼女が裏側でもそれなりに動いているせいだろう。

 カレンは裏側と縁があっても、自らが手を下すような場所にはいない人間だ。  十八、という年齢を意識してみると、今の彼女の姿はひどく痛々しいようにも見えた。

 大司祭という地位は、やっと成人したばかりの娘には、重すぎる荷ではないだろうか。

 ――まったくそうは見えなかったので、そんなものなのだろうと思っていたけれども。

「ご忠告、ありがたく受け取っておきますわ。いつもの調子で流したつもりだったんですけれども……失敗してしまいましたわね。どうしてですかしら」

「毒気に当てられたんですよ。あの街は堅気の女性が出入りするにはちょいとばかしきついところですからね」

 かもしれませんわね、とつぶやくカレンには、いつものような相手を呑む覇気がない。

 差し出がましいかもしれない。そう思ったがどうしても止めることができずに、ジグは声を低めた。

「ミランダ様に、その、……頼めば、うまくやってくれると思いますよ。お任せになったほうが」

 諜報組織の部分を伏せたが、意図は伝わったらしい。途端にカレンはむっと顔をしかめ、ジグをねめつけた。

「面倒仕事でも、わたくしが出てくる価値があるから直接赴いたんですのよ。確かに疲れはしましたけれど、無駄だとは思っておりません。東照の医師との間に通訳を立てるのは二度手間ですわ。特に、今は」

「はあ」

 反論する気もなくなって、ジグは小さく身を縮めた。計画を立てて人を動かすことに関しては、ジグはとてもこの女性には太刀打ちできない。そもそも、こうやって長話をしていること事態がありえないのだ。一介の近衛騎士と、地星宮の大司祭。ミランダが上司でなかったら、死ぬまで口をきく機会などなかったに違いない。

「赴いただけの収穫はありましたわ。経過の観察は終わっていませんけれど、効果は現れておりますし。……ところで」

「はい?」

「貴方が娼館に、それも二流宿に通われているのは、そういう疲れた女性を休ませて差し上げるためなんですの?」

 小動物のような無邪気な様子……は、ジグの良心をちくちく刺してからかうのが半分、純粋な好奇心が半分と言ったところだろう。ひょっとすると若干の照れ隠しも入っているのかもしれなかった。

ジグは苦笑して首を左右に振ることで、それをあっさり否定した。

「まさか。たまたま当たっちまったら、自分を守る意味でも偽善者気取りますけどね。二流宿に通ってるのは、単純に懐の都合です。失望させるようで申し訳ないですが」

 おとぎ話の王子様のように、姫にだけ愛を捧げる、という風にはいかない。特に、体を使う仕事に従事している男は。だから花街があり、街娼が存在するのだ。それ自体を悪いことだとは、ジグは思わない。

 がたり、と鈍い衝撃があり、馬の足音が止まった。話し込んでいるうちに、目的地にたどり着いたらしい。扉が開かれたので、ジグが先に下りて、カレンの手を取って彼女を降ろす。

「ありがとうございます」

 神殿服のすそをつまんで、カレンは軽く膝を曲げる。貴婦人はいちいち礼など言わないものだが、神官は人の善意には押しなべて敬意を示す。けれども大司祭に頭を下げられるのは、尻がむずむずするようで落ち着かない。

 地星宮ではない。町外れにある比較的小さな神殿だ。ここで大司祭の衣装に着替えて、改めて城に向かうのだろう。

「お疲れ様です」

 軽く笑って、カレンはうん、と両手を伸ばした。らしくないしぐさも、簡素な奉仕服で身分がわからなければ、さほど違和感を覚えない。

「それにしても、男爵夫人は大損をなさいましたわねえ。ジグさんは近衛騎士、それもこの年で一の騎士の直属の部下でいらっしゃいますけれど、彼女の夫君、ええと」

「リカードですか」

「そうそう、そのリカード。あの次男坊は、ちゃらちゃらした外見だけが取り得の浪費家でしたから」

 実際、ボーテン家は怪しい事業に手を出し、それが見事に失敗して、没落しかけていると聞いている。自分の将来を買ってくれたあの紳士には申し訳ないかなと思わなくもないが、ジグのほうもボーテン家を立て直すほどの財を持っているわけではないので、何をする気もない。

「どうでしょうね、あのお嬢さんは俺を毛嫌いしてましたから……」

 ざまあ見ろとは思わない。顔を合わせることもほとんどなかったので、容姿さえもう記憶の彼方にかすんでしまっている。

「貴族のお嬢様がたがお嫌いなのも、案外それが原因でして?」

「そうかもしれませんね。熊みたいな野蛮人とか言われてましたから」

 だが別に不自由はしていない。城に留まっているのは上司と友人がいい奴で居心地がいいからで、もし環境があわなくなったらなら、いつ辞めてもいいと思っている。

 出世株だと見込んでめあわせようとする人間もいないわけではない。が、同い年で家格がそれなりにある若者は沢山いるので、数もさほど多くはない。それさえ、相手が一度ジグの顔を見れば、話は自然に立ち消えるのだ。この容姿にこのがさつさでは、無理もないだろう。それを困ったことだとも思っていない。確かに貴族にはもてないが、下働きのメイドにはそれなりに人気があるのだ。嫁にもらうなら、そういう気立てのいい娘の方が自分にはあっている。

 目の前にいる大司祭が背負っているものなど計り知れない。それに比べれば、自分は気楽なものだ。守るべき家族も家名もない。身一つならば、何が起ころうと、まあ何とかなる。

 罪悪感めいたものが、ふいに胸に湧き上がる。

 ジグは、娘らしい振る舞いをしているカレンから視線をそっと逸らした。

「話したらなんだかすっきりしましたわ。ジグさん、ありがとうございました」

「いえ――」

「あら、お顔の色が優れませんわね。二日酔いですかしら。薬をお持ちしましょうか?」

「お気遣いなく」

 ぎこちなく笑って、ジグは一歩後ろに下がる。

「ええと、では――、これで」

 その場を辞そうとしたジグの腕に、カレンの手がかかった。飛び上がらんばかりにジグが驚くと、カレンは不思議そうに瞬きを繰り返す。その後で苦笑して、彼女はジグの腕を軽く叩いた。

「別に取って食ったりはしませんわよ。娼館のお話を、もう少し聞かせていただけないかと思っただけなのですけれど」

「と、申されますと?」

「どんなことであれ、知っていることは武器になることもあるんですの。ですけど、娼館での内実を正直に話してくださるような知り合いが、私にはいないものですから」

 そりゃいわねえだろうなあ、とジグは思う。法に触れるか否かのぎりぎりのこともかなりやっているのだから、当然すぎるほど当然だ。

「また改めて機会を設けますわ。……よろしいですかしら」

「俺なんかがお役に立てるんでしたら」

 にこりと笑うカレンの顔には、先ほど垣間見えた疲れは微塵も伺えない。

 その胆力に心底感嘆しながら、ジグは差し出された手を取った。





 ぺらぺらと書類をめくり、送りつけられてきた肖像画を興味なさそうに眺め、カレンはそれらを机の上に投げやりに放り出した。眉間に寄せたしわを揉みほぐすように人差し指で押し、ぐりぐりと肩を回す。盛大にため息をつくと、横でミランダが苦笑する気配がした。

「他人事だと思ってますわね……」

「う、うーん?」

 恨めしげな視線を正面から受け止める勇気はないのだろう。ミランダは紅茶の入ったカップを手に、わざとらしく首をかしげて作り笑いをして見せた。

 婚約も何もしていない、それなりに地位のある独身女性という点では、ミランダもカレンも同じだ。だが、ミランダの方には、どこぞの貴族の紹介状だの肖像画だのは、一切送られてきていない。その原因を、カレンはもちろんよく知っていた。

 実際に見たわけではなかったが、噂はすさまじい速さで王宮に広まったのだ。

 公衆の面前で好きな人を馬鹿にするなと言い放った上、堂々とキスまでして見せたのでは、ちょっかいをかける男などいようはずもない。

 「ミランダから」というのを彼女の兄などは意外に思ったようだったが、カレンはこの幼なじみが一旦怒ると割合暴走しやすいことを知っている。あそこまでしつこく追いかけていたくせに、結局見せ場をミランダに譲ったカーティスの朴念仁ぶりに呆れはしたが、ミランダの行動自体はカレンには不思議でもなんでもなかった。

「カレンもいい年なんだし、そういうこと考えてもいいんじゃないかなー、とは、思うんだけど……」

「生涯を独身で通すつもりはありませんし、結婚自体は構わないんですのよ。ですけどねえ」

 地星宮は商人との結びつきが強く、四つの神殿の中で最も大きな勢力を持っている。その頂点に立つ人間には、余計なしがらみも多いのだ。結婚して出産となれば、必然的に半年から一年は、表舞台に立てなくなる。夫となる人間には、その間の補佐を頼まなくてはいけない。その権力を狙っている貴族は、掃いて捨てるほどいる。家同士の結びつきを重視する貴族同士の結婚より、ある意味では面倒なのだ。

「今はその時期ではありませんわね。ただでさえ国王陛下のご即位から間がなくて、難しい時期だといいますのに。……あー、一番見合いの話を持ってくる親父を暗殺したくなりますわ。無能なんだから大人しく隠居して茶でもしばいてりゃいいんですのよ、ったく」

「か、かれん」

 本気で実の父親を暗殺しかねないほど暗い顔をしていたのだろう。止めるつもりなのかなだめるつもりなのかは分からなかったが、ミランダが不自然に手を浮かせた。

「冗談ですわ」

 紹介状で紙飛行機を作り、それをぺっと壁に向かって飛ばしてから、カレンは腕を組んだ。

「たーしかに。……どこでもややこしい問題は付きまとっていますわねえ」

「いいの、あんな風にしちゃって。……なんか、公爵の紋章らしきものが見えたんだけど……」

 強請るネタ持ってますから遠慮なく断れますわと返事をすると、ミランダはあっさり沈黙した。

「……疲れてる?」

「もっちろん疲れてますわよ! あー、もうもうっ!」

 頭の痛い問題は山積みで、歯がゆい思いばかりをして、さらにこれでは、いらいらしない方がどうかしている。子供のように足をじたばたさせて、カレンはふとその足を止めて、ミランダを見た。友人の奇怪な行動に慣れているミランダは、カレンの様子に怯えるでもなく、きょとんと彼女を見返してくる。

「……」

「……なにかついてる?」

「いえ」

 ミランダではなく彼女の部下を思い出して、カレンはミランダを凝視したのだった。

 あの容姿なら、神官たちをまとめるのは屁でももないかもしれない。男爵家が切った縁を結びなおそうとしてちょっかいをかけてくるかもしれないが、学費の支援さえ打ち切られ、何年も顔さえ見ていなかったと言う状況なら、手の打ちようはいくらでもある。頭の回転も鈍くはなさそうだったし――。

「今はそれどころじゃありませんけれど。悪くはないかも……」

 一人でぶつぶつつぶやいて、考えに沈み始めたカレンを見守りながら、ミランダは紅茶を口に運んだ。何を考えているのかは全く分からなかったが、計算を始めるところまでこぎつけたなら、遠からずカレンはいつもの調子に戻るだろう。

友人はそのたおやかな外見にそぐわず、「ものすごく」したたかで大胆なのだ。



 数年後、目の前にいる幼なじみのしたたかさが原因で、夫の友人であり信頼できる部下でもある男はとんでもない災難に見舞われることになる。

――がしかし、それは今のミランダには知る由もないことなのであった。


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