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番外編 掌中の珠

 小さな姫君は、城の皆に愛され慈しまれ、風にも当てぬように、それはそれは大切に育てられていたのだという。

「武術を教えてはいただけませんか?」

「……え?」

 やや舌ったらずな感の残る、幼い姫君の思いがけない「お願い事」に、ミランダは目を丸くした。開ききった綿毛のような、ふわふわとした巻き毛に、アイスブルーの瞳。

 小さいけれど豊かな国の姫君は、大切に育てられた姫君の例に漏れず、多少わがままで傲慢なところがあった。けれども、それを補って余りある意志の強さと礼儀正しさも同時に持ち合わせていて、他国の賓客であるミランダには、そちらの面のほうがより強く押し出されていたようだった。ミランダはその場に膝をついて、目線を小さな姫君に合わせてやった。

「ティアラ様、どうしていきなりそのようなことを? 姫君に必要な教養に、武術は入っておりませんよ?」

「ですがミランダ様は第一王女でいらっしゃるのに、そうやって騎士の服をお召しになって、戦場にもゆかれるのでしょう?」

 常に穏やかな笑みをたたえているミランダの瞳が、驚きで軽く見開かれる。確かにそうだが、ミランダが王女であるということを知っている者は、彼女の国にも数えるほどしか居ないはずだ。彼女が属する王家は少々特殊で、第二子以降の子供が王位を継ぐことはけしてないのだ。

 聡い異国の王女は、ミランダの動揺を感じ取ったらしい。慌てた様子で膝をついている女性の騎士の両手を取った。

「大丈夫です。知っているのは、わたくしの他にはダイアットと宰相と、父上と母上だけですから」

 ――小さいけれど、この国の情報収集能力は侮れないな、とミランダは思う。小国だとたかを括って余裕をぶちかましている外交官に、ちくりと釘を刺しておくべきかもしれない。

 それにしても、どこから漏れたのだろう。外国に知られてしまうのはなかなか痛い情報なのだ。なにせ、「第一王子を仕留めれば、国が滅ぶ」ことがばれてしまうのだから。

 表情を崩さないままにそんなことを考えながら、ミランダはにっこりと微笑む。武人でありながら、物腰や表情に一見すると厳しいところがないので、その表情は本当に嫌味のないものに見える。幼い姫君はそれで安心したらしく、ほう、と小さな唇から息を漏らした。

「いえ、表立って言うほどではないのですが、特に隠していることでもございませんので。とはいえ、あまり口にしないでいただきたいことではあるのですが」

「言いませんわ、絶対に」

 神妙な顔で頷いて、姫君は絶対です、ともう一度繰り返す。

 まあ、この国の王はクラルテと事を起こすよりは、協定を結ぶことでその庇護を得ようとする方向に話を持って行きたがってたから、危険はないだろう。……今のところは。

 それよりも今は、幼い姫君が言い出した、なんだかよく分からない「お願い」の方が重要だった。

「武術を学ばれて、どうなさるおつもりですか? まさか戦場に出るとでも?」

「……」

 きゅ、と唇を噛んで、ティアラはうつむいてしまう。ありゃ、とミランダは心の中でつぶやいた。当たりだったらしい。

 王位継承権を持つ、「正式な王女」でも、戦場を駆け抜け、戦女神と呼ばれた者はいる。けれどもこの姫君は、お世辞にもそんなタイプとは言えない。指の先には形の整えられた桃色の薄い爪が、飾り細工のようにちょこんと乗っていて、その手のひらは柔らかくて温かい。剣どころか、食器より重いものを持ったこともないのではなかろうか。

「……ダイアットが、また行ってしまうのです」

「ダイアット?」

 とは、誰だろう。ティアラの表情から察するに、恐らく彼女と親しい家臣なのだろうが、ミランダは紹介された覚えがなかった。

「会談のときに、私の後ろに控えていた騎士です。髪が黒くて、目が茶色で、背の高い」

「……ああ、あの方ですか」

 間諜に向いてそうだな、とミランダがまずそう思った騎士だ。特に目を引くような不細工でも美形でもなく、とにかく印象に残らないのだ。まるで空気のような男だった。あれはその気になれば、おそらく完全に気配も消せるだろう。こちらの王家の情報を盗ってきたのも、どうやらその男らしい。

「ダイアットはこの国を護るために、いろいろな国やいろいろなところの情報を持ってきてくれます。でも、たくさん傷を負って帰ってくる事も多くて……」

「ティアラ様は、ダイアット殿がお大事なのですね」

「お城に居る時は、いつも傍にいてくれるんです。そんなに長い間ではないけれど――。口を開けばお小言ばかりだし、勉強しろ、もっとおしとやかにしろと、ぐちぐちうるさいですけど……」

 言っているうちに思い出したのだろう。ティアラの頬がぷうっとふくれ、小さな唇が可愛らしく尖った。様子が想像できるようで、ミランダは笑いをこらえるのに苦労した。

(ロードライト殿下に比べれば、全然可愛いものだけれど)

 いい年をして大真面目にとんでもない事をやらかし、周りを盛大に巻き込んで本人は平然としてるあたり、この可愛らしい王女の数倍はタチが悪い。

「でも、怪我はしてほしくないんです。だって痛いでしょう? ダイアットだって一応、わたくしの大事な家臣ですもの。だったらわたくしが武術を覚えてついていってあげれば、ダイアットは怪我をしなくて済むかと思って」

「……ティアラ様」

 腰に刷いた剣にそっと手を伸ばす。とたんにカサリと小さな音がミランダの耳に飛び込んでくる。ふ、と微笑んで、ミランダは剣の柄でなく、剣の鞘の方に両手をあてがった。何をするつもりか察したのだろう。気配は多少慌てたように、元の場所へ消えていった。

「両手を出していただけませんか」

「? はい、こうですか?」

 すっと差し出された両手に、ミランダはそっと自分の剣を鞘ごと乗せた。細身の剣なのだが、小さな姫君の手の中に納まれば、それは大男が振るう幅広の長剣のように見える。

「……重い」

 ぽそりとつぶやかれた言葉に、ミランダはええ、と頷いた。

「実際に振るう場合は、勢いがつきますから、さらに重く感じられます。……私の剣術は速さが命ですから、それはぎりぎりまで軽くしてあるのですよ。恐らく、騎士が使うものの中でも、一、二を争う軽さのはずです」

 あなたにそれが振るえますか?という意味を込めて、首をゆっくり傾けると、幼い王女はまじまじとミランダと剣を見比べた後で、がっくりと肩を落とした。

「……いいえ、わたくしにはとても無理です。変な事をお願いしてしまってすみません」

 お返しします、と差し出された剣を、ミランダはありがたく受け取り、自分の左腰に元通りに吊ってしまう。小さな溜め息が漏れたのが聞こえたので顔を上げれば、まだ未練のある目つきで、ティアラがミランダの剣を眺めていた。

「ティアラ様?」

「ミランダ様がうらやましいです。貴女様のようにお強ければ、私はダイアットに背中を預けてもらえるのに。……カーティス殿と、ミランダ様のように」

 思いも寄らぬ名前が姫君の口から飛び出して、ミランダはきょとんと目を見開いた。

「カーティスと私、ですか?」

「カーティス殿はミランダ様の騎士なのでしょう? 戦場に出るときは、常に互いを最高に信頼しあって、背中を預けているのだとお伺いしています。そんな姫君と騎士なら、きっとわたくしもこんなにはがゆい思いをしなくて済んだのに」

 ダイアットはその一点ではあまり正しい情報を持ち帰らなかったようだ。

 ミランダは苦笑しながら首を軽く左右に振った。

「信頼しているのは確かですが、カーティスは私の騎士ではありませんよ。直属の部下です。私は誰の忠誠も受け取ってはいませんし、今後受け取るつもりもないです。王女というよりは戦友という立場の方が近いですし、そうありたいと願っています。……向こうには、年下の小娘が生意気を、と思われているかもしれませんが」

「そうなのですか?」

「そうです。……ティアラ様。戦場で共にあるよりも、もっとずっと効果的なダイアット殿の護り方があることをご存知ですか?」

 今度は、ティアラの方が青い目を見開く。その幼さが愛しいと、ミランダは頬を緩めた。この王女は、ものを学ぶ事をいとわない性質を持っている。掌中の珠と慈しまれても、けして大事にされるだけの立場に甘んじようとはしないだろう。

「良い王になられませ。強く豊かな国を作り、どこにもつけいる隙を見せなければ、ダイアット殿は危険な場所へ間諜に行く必要もなくなります。そのために必要なのは武術ではありません。――お分かりですね? 確かに時間はかかるかもしれません。けれどもそれは、結果的にはダイアット殿を危険から遠ざける、一番の近道なのですよ」

 あるいは。同じ国の教師や父親から言われたのならば、ティアラは反発したかもしれない。

 けれども実際に戦場にいたことのある、優しい空気をまとった女性の騎士の言葉は、彼女の胸にすとんと落ちてきて。

 真剣な顔で、ティアラは大きく一回、首を縦に振った。



「ティアラ様、お勉強の時間ですよー?」

 女性の声が、遠くから響いてくる。ミランダを見上げ、ふわりとドレスの裾を持ち上げ、それはそれは優雅に礼をしてから、ティアラは建物の方へ走っていった。

 小さくなった影を見送りながら、ミランダは立ち上がり、何気ない風を装って、近くの木立に話しかけた。

「気配が消しきれていないぞ。間諜としては未熟だな」

 ぴくり、と動く気配がする。もちろん常人に気づくことができるほどではないが、「その方面」の技術を鍛えているミランダには容易に分かる。逆に分かり易すぎて落ち着かないほどだ。「彼」が怪我ばかりして帰ってくるのは、その任務が危ないものだからというだけではないのかもしれない。

「それから、まだ幼い王女に得た情報をむやみやたらと流すのも感心できないな。……少なくともクラルテでは、今後の諜報活動はやりにくくなるぞ。お前の落ち度だ。覚悟しておけ。……流す相手も多少は考えろ。相手国の情報だと油断していると、自国の思わぬ情報まで漏れる羽目になる」

「……肝に銘じておきます」

 低い声が風に溶ける。

 男の気配が消えたのを感じ取って、ミランダは喉の奥でクッと笑った。

「……それからもう一人。覗きの趣味があるとは知らなかったんだけど?」

「出て行くタイミングがつかめなかっただけです」

 がさがさと茂みをかきわけて、薄氷色の、自分と同じ騎士服を身につけた男性が姿を現した。短く切りそろえられた髪に、夏の濃い緑色の葉っぱがくっついている。なんだか間抜けな様子がおかしくなって、くすくす笑いながら、ミランダはちょん、と自分の頭を指し示す。同じ位置に手をやって、カーティスはいまいましそうに葉っぱを取り去った。

「どうしたの。機嫌悪いね」

 珍しくむすりとした様子を隠そうともしていない。笑顔のまま尋ねると、カーティスは子供のように膨れた顔でミランダを見下ろした後、はあ、と溜め息をついた。

「戦友とおっしゃっていただけるのは光栄ですがね」

「そ? 迷惑じゃない?」

「迷惑をおかけしてるのはむしろこちらです。実力は貴女の方がはるかに上でしょう」

 なにせこの王女、この外見で息も切らさず大の男をばたばた倒していくのだ。カーティスだって、三本に一本取れればいい方だ。彼女が本気を出せば、恐らく自分は絶対に勝てないだろうと思う。

(……俺が欲しい立場は『戦友』じゃなくて『ミランダ様の騎士』なんですが)

実際に口に出せば、ミランダが聞きつけて「近衛騎士の忠誠が国王以外の元にあっていいはずがないだろう」という説教が始まるのが目に見えているので、心の中だけでつぶやく。

「カーティス? どうしたの」

「いえ、何でも」

 あんなに小さな世間知らずの王女でも気づいたというのに。

 どうしてこの人はこんなに強情で、しかも自分に向けられる好意に「だけ」はとことん鈍いんだろう。


 そうそう、情報が漏れた所を調べたいんだけど……といつも通りに「仕事」の話を始めたミランダに、カーティスはもう一度、大きな溜め息をついたのだった。

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