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番外編 白の世界

 降り積もる雪の色は白。


 称えられる女王の色は紅。




白の世界






 はらりと舞い降りてきたひとひらの雪は、指先に触れるとはかなく消えていった。

「雪、か」

 この国の初代女王に仕えていた希代の鉱術師は、常にその身に白をまとっていたのだという。

 街の窓という窓には、目にも鮮やかな赤い造花が飾られている。開国の祖、ダリア女王の生誕日には、クラルテの誰もがあの花を買い求める。それは窓辺に飾られ、道行く人の胸に飾られ、花がない季節の街に彩りを添えるのだ。

 従騎士のカーティスの制服にも、当然それは飾られている。ただしこれは彼が自ら買い求めたものではなく、国から支給されたものだ。金糸の織り込まれたリボンで束ねられた赤い造花の具合を確かめながら、カーティスはあたりを見回した。

 白い吐息が、夜闇に溶けて消えていくのが見える他には、道には人影も見当たらない。建国記念日、現国王の誕生日には夜中まで国中が騒がしいのが普通だが、初代女王の誕生日は違う。この日は皆家に帰り、家族と静かに過ごすのが昔からのならわしだ。

 王宮ではさすがに晩餐会も開かれるが、これもいつもと比べればずっと質素で静かなのだという。従、がつかない正式な騎士はそれの警護に駆り出されるから、夜の見回りはカーティス達、見習いの騎士の仕事になる。

「明日の朝は、きっと白銀の世界の中に赤い花が咲いたようで、さぞ綺麗でしょうね」

「その前に凍死しそうだな。うー、寒みィ」

 カーティスの倍はありそうな体を縮めて、隣を歩いていた男はぶるりと震えた。南部育ちだという年上の従騎士は、喧嘩沙汰には強いのだが、寒さには滅法弱いらしい。

「まだまだ序の口ですよ。北部ほどではありませんが、アダマスも冬場は結構冷えますから」

「……俺、この冬無事に超えられるかなァ」

 本気で不安げにつぶやいた男の言葉に、カーティスはちらりと笑った。


 大通りに近づいてきたあたりでかすかに聞こえ始めた鈴の音に、男が不審そうに足を止めた。

「何だ……?」

 警戒してか、腰に帯びた剣に手が伸ばされる。カーティスはそれを穏やかに押し留めて、手に持った灯を前方に掲げた。

「神殿の祝歌ですよ。今日は各神殿から声のいい者達が選ばれて、ああやって一晩中街中を回るんです」

「祝歌? ってあれか、称えられる女王の色は紅、ってやつ」

「そうです。神殿ごとで、その後の歌詞やメロディーは微妙に違うんですけどね。ほら……ああ、あれは風星宮の一団ですね。灯が緑色だ」

 大通りの向こうから、ぼんやりとにじむような緑色の光を捧げ持った一団がゆっくり進んでくるのが見えた。

 鈴が灯を反射して、時折きらきらと輝いている。

 白い花びらが舞う中で、その光景はひどく浮世場慣れして見えた。

 白い修道服には、金と緑色の糸で、ツタと燕の意匠の紋章が縫い取られている。

 毎年のことだから見慣れてはいるが、それでも幻想的で美しい光景だ、とカーティスは思う。

 もっとも、隣の男は

「……よくあんな薄着で平気だな」

 その光景に見ほれる前に、寒さを想像して震え上がったようだった。


 近づいていくと、集団の先頭で指揮を取っていたと思しき初老の男性が片手を上げた。祝歌の斉唱がぴたりと止む。

「こんな時間まで、見回りご苦労様です」

 穏やかに言って頭を下げられる。折り目正しく頭を下げてから、カーティスはにこりと「職業用の」笑みを顔に浮かべた。

「お困りになるようなことは起こっていませんか?」

 妙な連中がうろついていませんでしたか、の対上流階級用の言い方だ。この日はどうしても街の警備が手薄になるので、こうやって祝歌を歌って回っている各神殿の人達にご協力願うこともある。

 初老の男性も心得たもので、穏やかな様子を崩さないままに、首をゆっくり縦に振る。

「お気遣いありがとうございます。街はとても静かですよ。鉱術師の色も空から舞い降りているし、いい夜です」

「そうですか。今夜はきっとこれから冷えるでしょうし、お気をつけて」

「あなた方に風の癒しがありますように」

 頭を垂れてありがたく祝福を受け取り、二人は去っていく一団を見送る。

 最後の一人が通り過ぎる……と思った時、列から小さな男の子が、ぱたぱたと走り出てきた。

「孤児院に持っていったものの余りなんですけど、よろしかったらお仕事終わった後にどうぞ」

 小さな手に握られているのは、二本の赤い造花だった。

 風星宮で作られたものであることを示す、明るい緑色のリボンが結ばれている造花の中央には、薄紙に包まれた金色の飴玉がひとつ埋め込まれていた。子供用の造花に飾られるそれは、彼らにとっては翌朝の小さな楽しみのひとつでもある。

「ありがとう」

 しゃがんでそれを受け取って、子供の短い髪を軽く撫でてやる。

 男の子はあこがれと尊敬のない混ざった視線でこちらを見ている。

 気持ちはカーティスにもよく分かる。王都警備隊の騎士の制服は、この街に住む男の子なら、誰でも一度は着てみたいと思うものだ。

 ふと思いついて、カーティスは自分の胸ポケットから、赤い造花を抜き取った。国から直接支給されるそれは、簡素ではあるが王家の紋様を刺繍した小さな章もつけられていて、普通に売られているものよりずっと豪華だ。

「じゃあ、お礼にこれをあげよう。飴はついていないけどね」

 少年の胸元に飾ってある造花の横に、自分の造花をピンで留めてやると、男の子はくりくりした目を一杯に見開いた。

「いいんですか?」

「素敵な造花をいただいたからね」

「……ありがとうございます!」

 心底嬉しそうに言って、ぺこりとお辞儀とし、男の子はぱたぱたと列に走って戻っていく。一番最後で待っていた、母親らしき女性に飛びつくのを見守った後で、カーティスはもらった造花のうちの一輪を、隣に立っていた男に差し出した。

「どうぞ」

「……いや、俺はいいや。甘いモンは苦手だし。それより良かったのか、あれ。国からの支給物じゃないか」

「今日はこの後詰め所に寄って帰るだけですし。どうせ毎年新しいのが支給されますしね。質はそんなによくないですけど、一応国章がついているからおいそれとは捨てられなくて、溜まるばっかりなんですよ」

 代々騎士を輩出しているカーティスの実家には、結構な量の造花が溜まっている。捨てるのは難しいが、使い道もないそれは、毎年神経質なメイド頭の悩みの種になっているのだ。これで今年の彼女の嘆きは、父の造花の分だけで済むことだろう。

「それに、紋章のところだけ取り外して、子供の『騎士ごっこ』に使えるんですよ、あれ」

「ああ、なるほど。だから飴もついてないのに、あいつはあんなに喜んでたのな」

 もらった造花のうちの一輪を改めて胸ポケットに刺しなおして、カーティスは余ったもう一輪を、なんとなく指先でもてあそぶ。

 白い雪が赤い造花の上に落ちて、ほたりと染みを作った。

「ま、親戚の子供にでもやればいいだろ。お前の実家には来てるんだろ?」

「ええ、まあ」

 とはいえ従兄弟はそろそろ飴つきの造花からは卒業する年だし、上の姉夫婦に生まれた赤ん坊には、飴はまだ早すぎる。

 カーティスはくるくると赤い花を回した後で、それを懐に大切に仕舞った。




 夜警の当番が終了する頃には、雪はすでに道にうっすらと積もり始めていた。街中の明かりも八割ほどが消え去り、寒々と暗い道を、カーティスは一人黙々と進む。実家とは反対の、彼の上司の屋敷の前まで来ると、門番の若い少年が、あれ、と明るい声を上げた。

「カーティスさん、どうしたんですかこんな時間に。今夜はご実家で過ごされるはずだったのでは?」

「ああ、ちょっとな。……ミランダ様はまだ起きていらっしゃるかな」

「ええ。ユーロパ様からお言付けでも?」

「いや、まあ、個人的にちょっと」

 少年はきょとんとカーティスを見つめた後で、どうぞと言って、小さな屋敷の門を開いた。




 称えられる女王の色は華の紅


 傍にある鉱術師の色は雪の白

 

 恵みを与える神の色は至上の金


 光の国は三つの色の祝福の下に



 漏れ聞こえてきた歌声に、カーティスは思わず足を止める。

 幼い少女のか細い歌声は、静まりかえった夜の空気の中に、静かに響いている。邪魔をするのも気が咎めて、足音を殺してそっと近づいた。しかし聡い少女は気づいてしまったらしく、歌声がぴたりと止んだ。惜しいことをしたな、とカーティスは頭の隅でほんの少し後悔する。

「ダン? まだ起きてたの?」

 住み込みの料理人の名前を呼びながら、すぐ前にある扉が開かれる。低い位置からひょこんと小さな頭が出てきたので、カーティスは軽く会釈をして見せた。

「こんばんは。夜分遅くに申し訳ありません」

 上司の娘はカーティスの姿を認めると、慌てて部屋から飛び出してきた。

「カーティスさん、どうしたんですか、こんな時間に。何かありました?」

 寝巻きに着替えているかと思ったが、ミランダはいつも通りの、質素な男の子の服を身につけていた。どうやらまだ眠ろうとはしていなかったらしい。

「ミランダ様、私のことは呼び捨てで構いませんよ。……時間がありましたので、ご挨拶に伺おうかと思いまして」

 ミランダは、腰をかがめたカーティスの顔をまじまじと覗きこんで、ゆっくり首を傾ける。練り絹色の髪がさらりと音を立てて、肩から落ちた。

「父は一晩中王城ですが」

「ええ。そう聞いています。私はこの家のご当主代行にご挨拶に伺ったんですよ」

 当主代行、とはつまり、カーティスの上司の一人娘、ミランダのことだ。膝をついて目線を合わせると、ミランダはしばらくカーティスを見つめた後で、膝を折る女性の礼を取った。

「それはどうも、わざわざありがとうございます」

 生真面目な小さな女の子の様子に目元を和ませて、それからカーティスはふとミランダの胸元に目をやった。赤い造花はそこには飾られていない。

「ミランダ様、花はどうなさいました?」

「え? ああ、これですか? メイドが転んだ拍子に水さしの水がかかってしまったので、もう外してしまったんです」

「そうですか、……丁度よかった」

「え?」

 カーティスは懐をごそごそやって、先ほどもらった造花を取り出した。少しだけ歪んでしまったそれの形をちょいちょいといじって整え、失礼しますと断って、ミランダの上着の胸ポケットに飾ってやる。 

 飾られた花を見下ろしてから、ミランダは不思議そうな顔で、カーティスを見た。

「どうしたんですか、これ」

「通りすがりの祝歌隊からいただきまして。折角ですので、お持ちしてみました」

 ほら、とカーティスは、自分の胸元に飾られたおそろいの花を指差した。妙に嬉しそうなその様子に、ミランダはますます不思議そうな様子になる。

「それだけのために、わざわざここまで?」

「今日でなければ意味がありませんし」

 それに、静かで温かな祝日の夜を、一人きりで過ごしている小さな女の子の様子が気にかかってもいたので。

 こちらの理由は勿論口には出さないけれど。

 飴の甘い匂いが、薄紙越しにふわりと漂ってくる。

 ほんの少しだけ空気を甘く染めるその匂いは、この小さな少女に良く似合っていて、カーティスは営業用ではない、心からの笑みを口の端に登らせた。

「雪がひどくなってきましたし、今晩はこちらにお邪魔させておただいてもよろしいでしょうか」

 胸元に飾られた花をいじっていたミランダが、その一言で顔を上げ、窓の外を眺めた。深い藍色の中で、白く光って舞い落ちる花びらがその密度をどんどん上げている。

「本当。随分降ってきましたね。ちょっと待ってて下さい、客間を整えてきますから」

「いえ、使用人部屋の隅と、毛布を貸していただければそれで充分です」

「ですが」

「一晩中、暖炉に火が入ってますし、人いきれがある分温かいんですよ。ミランダ様もよくご存知でしょう?」

 からかいを含んだその言葉に、ミランダは頬をさっと赤く染めた。

「……メイシーですね」

「さあ?」

 とぼけた声を出すカーティスを、ミランダは軽くにらむ。

 彼女は時折、寒いからといってこっそりメイド達の部屋に忍び込んで、そのまま眠り込んでしまうらしい。それを教えてくれたのは、たしかにメイシーという若いメイドだったが、一応「ミランダ様には内緒よ」という約束があったので、カーティスはとぼけてみせた。

「……もう」

つぶやくと、ミランダは「ちょっと待ってくださいね」と言って、部屋の中に引き返して行く。膝をついた格好のまま、カーティスがぼんやり待っていると、彼女はすぐに毛布を抱えて部屋から出てきた。

「私も行きます。お客様を使用人部屋にご案内して、自分だけ広々とした部屋でゆっくりするわけにはいきませんから」

「……えーと、ですが」

「行きます」

 強く言い切られて、カーティスは苦笑した。

 こうなるとミランダは何があっても引いてくれない。説得に時間を割くよりは、彼女が眠り込んでしまってから、改めて部屋まで抱えて行ったほうがいい。

 もう夜も更けているし、恐らくそう時間もかからないだろう。



 明日の朝には、きっと世界は白く染まっている。



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