番外編 従騎士の決意 3
翌朝、ロードライトは王に事情を説明するため、ユーロパを引き連れて城へと戻っていった。彼の屋敷は使い物にならなくなっていたため、カーティスが「よろしければ」と申し出て、ミランダ達はしばらく彼の実家に預けられることになった。
「城で暮らしてもらってもよかったのに」とロードライトは心底残念そうに言った後で、「ミランダをよろしく頼む」と極上の笑みをカーティスに贈ってくれた。 笑みは極上だったのに、ひどく背筋が寒かったのは、カーティスの気のせいではないだろう。
思い出しただけでも寒気がよみがえって、カーティスは体を硬直させた。
彼も将来正騎士になった暁には、恐らくあの王子に剣を捧げることになるのだろうが、どうにも苦手だ。王族の方々というのは、武骨な人間には理解できない部分を沢山お持ちのようだ――と考えながら、カーティスは近衛騎士の詰め所、ユーロパの私室の扉を叩いた。
「ユーロパ様?」
「空いているよ、入ってくれ」
カーティスは静かにユーロパの部屋の扉を開けた。
昼をいくらか過ぎて、昨日の襲撃騒動もひと段落着いたのだろう。ユーロパは自室に戻って昼食を取りながら、書類に目を通していた。部屋の扉を閉めて、中央まで歩いて行って、ロードライトは預かってきた書簡を取り出した。
「祖父からです。お屋敷の修復が終わるまで、ミランダ様は大切に預からせていただくと、伝言を」
「ああ、助かるよ。すまないね、迷惑をかけてしまって」
「いえ」
年の割に分別があって礼儀正しいミランダを、昔気質な祖父はすぐに気に入ったようだった。召使いの目を盗んで、嫁いだ娘が送ってよこした西部の菓子をこっそりミランダに与えている所を目の当たりにして、あの祖父が、とカーティスは心底驚きながら自宅を後にしたのだったが――。
「祖父も孫娘が出来たように感じたのか、とても喜んでいましたし。ええと、それよりも……」
昨夜のことを聞いていいのだろうか、と戸惑いながらも、やはり聞かずにはいられなくて、カーティスは恐る恐る話を切り出した。尋ねられることを予測していたのだろう。ユーロパは書類を机に置いて、残っていた椅子を、カーティスに勧めた。「失礼します」と断って、カーティスはそこに腰掛ける。
「……明日は妻の命日でね」
「……それは」
「明日でもう十三年になる。穏やかな秋の日で、『貴方に会えてよかった』と私の手を弱々しく握って、そのままあれが逝った時のことを、今でもよく覚えているよ」
しみじみと言われたその言葉に、カーティスは用意されていた紅茶を注ぐ手を止めた。
「十三年、前、ですか?」
「ああ」
カーティスは軽く混乱した。ミランダは今十歳。もうすぐ十一歳になるというが、ユーロパの妻が十三年前に亡くなっているのでは、どう考えても計算が合うはずがない。
「では、ミランダ様とユーロパ様には、血の繋がりが――」
「いや、それはある。ミランダは……兄上の子供だから」
「ユーロパ様、ご兄弟がいらっしゃったんですか!?」
そちらの方に驚いて、カーティスは素っ頓狂な声を上げた。天涯孤独、名家の出ではあるが、親を亡くしてからは親戚が一切いない、と言われているユーロパに、そんな人がいたとは思いも寄らなかった。
「私自身も先のグラファイト家の当主に引き取って育てていただいた者でね。――グラファイトの姓をお持ちになっていらっしゃった有名な故人を、カーティスは知っているかな」
「先のグラファイト当主だったランド様と、ええと……ランド様の一人娘のミシェーラ様が、先代の国王陛下の王妃様でいらっしゃい……まし……」
ふとカーティスは言葉を切った。
まさか、と尋ねるような視線に、ユーロパは頷いて、テーブルの上で両手を組んだ。
「ミランダの本当の姓は、ストケシアという」
現王妃の実家の姓だ。
では、ミランダは。
「まさか、ミランダ様は……」
「ロードライト殿下の、実の妹だ。私の兄上……現クラルテ国王、ダイオプサイト・シャマシュ・レーベン・クラルテ様の娘で」
「そ、んな……王家の方々は、その世継ぎが代々一人しかお生まれにならないのでは」
鉱石が産まれるのに長い長い時間がかかるように、鉱石の祝福を受けた国、クラルテの王家には、代々その世継ぎとなるべき王子や王女が一人しか生まれない。けれども彼らは磨きぬかれた貴石のように、尊く賢明な人間であるのだと、カーティス達はそう教えられてきた。その伝説が嘘ではない証拠に、建国以来、王家には王子や王女が二人以上生まれた例は存在していないし、「クラルテ」という国が興ってから、変わり者の王は居たものの、暴君と後の世の人々から蔑まれるような王は、歴史書に名を残してはいない。
「国王陛下も王妃様も人間だ。一人目が普通に生まれて、いきなり体を壊してしまう道理があるはずはないだろう? ……クラルテの創世神話を覚えているか」
「初代国王ダリア女王の話ですか? ええ。王位継承争いで国を疲弊させた兄たちを、鉱術師の力を借りてやむなくすべて打ち倒し、クラルテの神と契約を結んで新しい国を興されたという、あれですよね?」
「そう。その時に、今後無用な王位継承権を巡る争いを避けるために、ダリア女王は自らの血筋に呪縛をおかけになったんだ。――いわく。王位継承権を持つのは、相手が誰であろうと、国王の血を真っ先に受け継いでこの世に生を受けた子供のみ。第二子以降には決してその権を認めず、彼らはただ、第一子の命を護り、それを支えるためにあると。さらに、もし彼らが第一子に危害を加えようとするならば、その瞬間に、その心の臓は、永久に動きを止めるであろうと――」
「……」
あまりに現実離れしすぎている話に、カーティスはぽかんと口を開けた、間抜けな格好のまま固まっていた。それを信じられない気持ちのあらわれだと思ったのか、ユーロパは苦く口の端を上げて、話を続けた。
「昨日のミランダを見ただろう。あの剣は、いくら腕が優れていようと、そもそも十歳の子供に扱える重さでも大きさでもない。ミランダのような体格では尚更だ。……命と生き方を不自由な形で束縛されている代わりに、私達はクラルテの神から、王を護るための特別な力を授けられているのだよ」
ユーロパは、ふと目の前に置かれていた文鎮を手に取った。鋼で出来たそれが、すっと握り締められる。軽く力を込めただけのように見えたのに、文鎮は粉々に砕け散った。
欠片をぱらぱらと落としながら、ユーロパは手を軽くはたいた。
「……この通りだ。信じられないか?」
「いえ……」
それならば、昨日のロードライトの一連の行動にも納得がいく。信じるも信じないも、ミランダの特異な力は昨日見せ付けられたばかりだし、今目の前でユーロパにも実演されてしまった。
「よろしいのですか。そのような大事な事を、従騎士などに話してしまわれて……」
「表立って言うほどの話ではないがね。諸侯や大司祭、その補佐も、だったかな……一定以上の身分の方は、私達のことも普通にご存知だよ。ばれてしまってもさほど困る秘密ではないし」
それよりも、とユーロパは、なぜだか非常に困ったように、眉毛を八の字にした。
「この際だから言ってしまうが、カーティス、多分お前は数年私の下に居た後、今度はミランダの下につくように申し渡されるはずだ」
「……は?」
どうして王族の重大な秘密から、いきなり自分の将来に話が飛ぶのか分からなくて、カーティスは盛大に目を丸くした。
「これが、宮廷学校でのお前の評価なのだがね」
言いながらユーロパは、一通の巻き物を取り出した。確か、宮廷学校の卒業生を従騎士として預かる騎士に学校が渡す報告書で、その学生の癖や素行などが書き記されているのだと聞いたことがあるが――。
それをおっかなびっくり受け取り、カーティスは厚手の羊皮紙を開いて、文字を目で追った。
『――剣の腕も良く、生真面目だが、少々頭が固い嫌いがある――しかし、明朗快活で明るく、人間味があり、将来人望を集める有望株だろう――』
その筆跡が、学生時代に散々自分たちをしごき、鬼と恐れられた武術の師範のものだったので、カーティスはくすぐったいような意外なような、なんともいえないむずがゆい気持ちになった。同時に胸にこみ上げてくるものもあって、彼はしばらく何も言えずに、状況も忘れて、じっと評価書を読み返していた。
「いい先生についていてもらったようだな」
「……はい。ですが、ユーロパ様。これと私の将来が、どう……」
「いや、その評価だろう。で、お前この間宮廷学校の剣闘大会で優勝しただろう。それでどうも陛下に目をつけられてしまったようで」
あの方も事あるごとに私やミランダを甘やかそうとなさるから、とユーロパは渋い顔をしてぶつぶつつぶやく。
「あ、あの、ユーロパ様?」
「要するに」
「はい」
「国王陛下は代々聡明でいらっしゃるだろう。で、だ。暗殺者まがいの仕事を、実の妹や弟にさせることに、やはり心を痛められるわけだよ。特に国が平和になってからは、その傾向が強くなっているようで」
「……はぁ」
「……妹や弟に、無駄に明るい従者をお目付け役として就かせるんだよ。彼らが国の暗い部分ばかりを背負おうとしなくてすむように。……それで」
ユーロパはそこで言葉を切って、おもむろにカーティスの方に向き直った。
「ミランダの従者に、カーティス、お前がどうも選ばれてしまったくさいんだ」
ごん。
カーティスは、テーブルに派手に頭をぶつけた。
「な、なんですかその理屈は!? っていうか無駄に明るいってなんですかその条件! 私はそんな風に思われてたんですか!?」
「いや、確かジグとかいったか、あれも候補に入ってはいたらしいんだが、『女にだらしがない』とかいう評価があったおかげで、娘に手を出されてはたまらんと、国王陛下に却下されてな……」
「ジグー!!!!」
関係ないところで友人の思わぬ評価まで耳にする羽目になって、カーティスは恥ずかしさのあまり、地の底から這い上がるような声で絶叫した。
(だから! あれほど! むやみやたらと花街に行くのはやめておけと忠告してやっていたのに!!)
「今期生の恥を一身に背負うような評価をしっかりつけられているじゃないか~~あああー恥ずかしい、何やってんだよあの馬鹿!!」
知り合いだったのか、とユーロパはつぶやく。がっくりうなだれたカーティスに気の毒そうな視線が向けられた。
「お前は自分の実力だけでも、将来はかなりの所までいけるだろうと、私は思う。ミランダは既に昨日、王子の一の騎士に任命されてしまった訳だし、あれの直属になっても、そこそこの出世は見込めるだろうが……まだ早すぎると言ったのに、王子殿下も全く……、で、だ。望まないなら、今の内に他の所に回していただけるように、私の方から手を打っておくが」
「ユーロパ様」
「うん?」
「つまり、私は第一王女の騎士になれと言われたのだと思って、差し支えないんですね?」
「……まあ、そうなるかな……王女と言うには可愛げが足りんが……」
「何おっしゃってんですか充分以上にお可愛らしいですよミランダ様は。……ついでに、ミランダ様がもし暗殺街道を突っ走って強情に不幸になろうとしようもんならどこまでも付いて行って振り回して、あの方を明るい方へ引っ張り出せるほどしつこく面倒を見るだろうと見込まれていると思って差し支えないんですね?」
「い、いや、そこまでは……」
うろたえて視線をあちらこちらにさ迷わせ始めたユーロパを黙って見守った後で、カーティスは晴れやかな笑みをその顔に浮かべた。
「でしたら、私の剣は、ミランダ様に捧げさせていただきます」
「……そう簡単には受け取らんと思うぞ」
どこか遠くを見つめて、ユーロパは低い声で言う。
恐らく、ミランダは騎士の忠誠は、全て国王か、もしくはロードライトの元に無くてはいけないと思っているはずだ。仮に自分に剣を捧げようとする騎士が居たとしても、影に生きるものの下に下手に力が集まるのは良くないと、かたくなにそれを拒むだろう。
しかし、カーティスは爽やかな笑みを崩さない。
「いざとなったら『騎士のもう一つの剣』を、ミランダ様に受け取っていただきますから。……国王陛下自ら目をつけてくださったんですから、勿論文句はございませんよね?」
「……さあ」
「はっきりしない返答は肯定だと思わせていただきます!」
「か、カーティス? お前、自棄になってないか?」
あまりの迫力に恐れをなしたのか、ユーロパは笑顔を引きつらせながら、怖気づいたように身を引いた。カーティスはいいえとひたすら爽やかに言い切った後で、ふと顔を真顔に戻した。
「ミランダ様付きの従者になるということはつまり、この国の暗部を覗くことになっても、私がこの国を裏切らないという信頼をいただけたということでしょう?」
その顔に昇る笑みは、若者らしい誇りに満ち溢れていて。
ふと懐かしさに囚われて、ユーロパは亡くなった自分の妻に、思いを馳せた。
自分の従者に命じられた、ドジで間抜けで、輝くような顔で笑うことだけが取り得だった女性は、ユーロパの正体を教えられても、今のカーティスと同じような事を言って、誇らしげな笑みを顔に浮かべたのだ。
その顔を、今でも、鮮やかに思い出すことが出来る。
「……ああ、そうだな」
「あの小さな肩に、一国の闇を全て背負わせてしまうのは、あまりに酷でしょう。それを分かち、少しでも軽くせよという仰せなら、私はその役目を喜んで拝命いたします」
では、と言い置いて椅子を立ち、カーティスは規律正しく一礼した後で、ユーロパの元を辞した。よろしく頼む、と言われ、はきはきとした声で「はい」と返事をして、扉を閉める。
一人部屋に残されたユーロパは、嬉しいような怒りたいような驚いたような、どうにも形容しがたい表情で扉を凝視した後、手に持っていた書類を放り出して、椅子の背もたれにだらりと体重をかけた。
「『もう一つの剣』、か。……陛下の読みは外れたな。あれは一人の女をどこまでも追いかけるタイプだ」
花街に行かない男が、皆安全だとは限らない。馬鹿がつくほど生真面目で頭が固いというのはつまり、一度こうと決めたら、何があっても絶対にそれを曲げないということだ。
それもまあ面白いかも知れないから、陛下に進言するのはやめておこうと決めて、ユーロパは一人でくすくす笑った。
従騎士の決意はこの日、その胸の中で蕾となって結ばれた。
蕾が無事にこぼれて花になるかどうかは――また、別の物語だ。
(従騎士の決意 終わり)




