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番外編 従騎士の決意 2

 夜会には、もちろんカーティスもミランダも出席はしない。ユーロパを城門の前で迎え、オーデン邸に送り届けるのは、昔からこの屋敷に務めている世話役達の仕事だ。警護が薄くなるので、出来れば屋敷に泊まっていってくれないかと、申し訳なさそうにユーロパに頼まれ、カーティスは快くそれを承諾した。

 オーデン邸で開かれる夜会はかなり大規模なものらしい。街中で、カーティスはいくつもの豪華な馬車とすれ違った。

「ご苦労なことで」

 カーティスはあまり夜会の類が得意ではない。幼い頃から礼儀作法は叩き込まれてきたから、ジグのように堅苦しい場が苦手というわけではない。ただ、女性がやたらと何かを期待するような目で自分に近寄ってくるのが憂鬱なだけだ。独身女性だけならまだ納得できないことはないが、既婚女性が若い男に媚びるような視線を向けてくるのは、倫理的にあまりよろしくないのではないだろうかと思う。それをジグに話したら、贅沢者だと鼻で笑われたが……。

 鼻で笑った時のジグの顔をありありと思い出して、カーティスは、一人馬上で憤慨した。経験がない坊やだと、ジグはカーティスを馬鹿にするが、娼館に行って女を買うという行為の方が、よほど感心できない行為ではないか。

 しばらく悶々とした後で、頭を二、三回勢いよく振って、カーティスはジグの顔を、もやもやした思いごと頭の中から吹き飛ばした。

 どのみち、今夜はユーロパの屋敷で静かに過ごすのだ。無理をして貴婦人方のお相手をすることもない。

 角を曲がると、ユーロパの小さな屋敷の門の前で、ミランダが灯りを手に、心配そうにあたりを見回していた。すぐ後ろには、年をとった執事が控えている。カーティスはそこで馬から降りた。ミランダが気づいたのだろう。灯りを掲げて、こちらに飛ぶように走ってきた。



 無事にユーロパに招待状を渡したことを告げて、いつも通り、小さな使用人用の食堂で、カーティスとミランダは使用人たちと一緒に食事を取った。本来の大きな食堂は、ユーロパが帰ってきた時にだけ使われる。ミランダが寂しくないようにという温かい配慮が屋敷中に満ちていて、ここはとても居心地がいい。

「食後のお茶はいかがですか?」

「いただきます。ダン、シチューとっても美味しかったよ、ごちそうさま」

 毎日言われているのに、ミランダにそう言われると、この気前のいい料理人は、とても幸せそうに腹をゆらして大声で笑う。沢山食べて大きくなって下さいねと言って、お茶の用意をしに、メイドとともに食堂に消えていった。いつもはまだ数人の召使いがここに残っているのだが、今日は皆ユーロパの世話をするために、オーデン邸に出向いている。

「ユーロパ様は、今夜はこちらにお帰りになるとおっしゃっていました」

「……ええ」

 壁に置かれた柱時計を見ながら、ミランダは曖昧に返事をした。夜会は夜通し行われるものも多いが、翌日に仕事がある者や家族が待っている者は、日付が変わる頃にはその場を辞しても失礼にはならない。ユーロパは恐らく、夜半過ぎにはこちらに帰ってくるはずだ。オーデン邸はここからそう遠くはない。

「今夜は私もここにお邪魔させていただきますし、眠くなったらお休みになられていて構いませんよ。ユーロパ様がお帰りになったら、起こして差し上げますから」

「……いえ、起きてます」

 眠気を払うように頭を軽く振って、ミランダは姿勢を正す。そうですか、とカーティスは特に咎めることもなく言って、すっかり冷えたお茶を口に運んだ。




 柱時計が十二回鳴ってからしばらくたった頃だった。屋敷の外の道が、急に騒がしくなった。

 ユーロパが帰ってきただけにしてはうるさすぎるしあわただしい。

 メイドと料理人とのんびりお茶を飲んでいたカーティスは、とっさに椅子を乱暴に引いて立ち上がり、壁にたてかけていた剣を手に取った。

「カーティスさん」

 眠気からか、時折舟を漕いでいたミランダも、それではっきり目が覚めたらしい。不安げにカーティスを見上げてきたので、カーティスは落ち着かせる意味も込めて、彼女の頭を軽く撫でてやった。

「様子を見てまいります。ダンさん、アイリーンさん、ミランダ様を頼みます」

 夫婦は顔を見合わせた後で、神妙な顔で頷いた。メイドがミランダを抱えるようにして、部屋の奥に移動する。

カーティスはゆっくり歩いて屋敷を出て、門に近づいた。人と馬、それに馬車の音だ。……馬車?

(ユーロパ様は、馬車を使われてはいなかったはずだ。それに、これほど多くの人がこちらに向かってくるはずは……)

 このあたりに、他の貴族の屋敷はない。帰るついでにユーロパが、どなたかの警護を引き受けたと言うのならば、この人数の多さも分からないでもないのだが……。

「すまん、開けてくれ!」

 先触れと思しき声が、この屋敷で働いている中年の男のもので、ひどく切羽詰っていたので、カーティスは慌てて門を開いた。男は馬で門の中に走りこんできた。

 あまり乗馬は得意でないと言っていたその男は、その時も馬に乗っていると言うよりはしがみついていると言う方が正しく、馬からもうまく降りることが出来ずに、半分落ちるようにして地面に足をついた後、見事によろけて転がった。

「大丈夫ですか!?」

「お、俺は平気だ。それより客間! 客間を整えてくれ! 大至急だ!」

「は?」

 急な来客予定が入ったので、男は全速力で戻ってきたらしい。訳がわからないままに助け起こすと、汗で全身がぐっしょりになった男は、そんなことは今はどうでもいいからと叫んで慌てて後ろから馬に近づこうとして、それを見てさらに慌てたカーティスに、首根っこをつかんで引き戻された。

「後ろから馬に近づいたら蹴り飛ばされますよ! 死ぬつもりですか!?」

「いやでもここに馬がいたら邪魔になるし!」

「何があったんですか、急な来客なら向こうも事情を汲んでくださるでしょう、そんなに慌てなくても……」

「普通の客人だったら慌てないさ!」

 男は地団太を踏んで頭をかきむしった。

 そこまで大騒ぎしていたら、さすがに侵入者の類ではないと理解したのだろう。屋敷の廊下に次々と明かりが灯され、中からミランダが走り出てきた。手にはコップを持っている。

「どうしたの?」

 言いながら、コップに入った水を差し出す。男はコップを受け取って、中の水を一気に飲み干した。それでようやく落ち着いたのだろう。自分を覗き込んでいるカーティスとミランダに、ひどく切迫した表情で、一言こう言った。


「殿下が」




 元々少ない屋敷の使用人だけで、客間の整頓が追いつくはずもない。王子付きの従者達も手伝って、屋敷は上へ下への大騒ぎになった。

「当初はオーデン邸にお世話になる予定だったんだけどね、エルヴィラ嬢を巡る恋の鞘当てが、乱闘騒ぎになっちゃって。医務室代わりに使いなさいって、僕の部屋を明け渡しちゃったんだよねぇ。酒と恋は人を魔物にするってのは本当だとつくづく思ったよ! 悪いねユーロパ、一晩お世話になるよ」

 横でユーロパは、疲れきってぐったりしている。

「どうせなら、もう少し大きな屋敷でゆっくり過ごしていただきたかったのですが……」

「それでは警護がおぼつかないよ。目が行き届いてる分、こういう小さい屋敷の方が急に泊まる分には都合がいいだろう? ユーロパの屋敷の使用人は皆信用できるし、ユーロパ本人も、妙な考えを抱くような家臣でもないし」

 数時間に渡る夜会の後では、衣装には多少なりともご婦人の香水の匂いや料理、酒の匂いが染み付いてなんとなく見苦しくなり、本人もどこか疲れたような顔をしているのが普通なのに、ロードライトにはそういった様子が一切見られない。昼間にお目にかかったときとまるきり同じ。快活で朗々とした声には張りがあり、まばゆいほどの美貌は、夜闇の中に浮かび上がっているようにさえ見える。

「今からでは、大したご用意もできませんが……」

「無茶を言ったのはこちらだ。なんなら僕は馬小屋で寝てもいいんだけど」

「冗談も休み休みおっしゃってください。この上従者を卒倒させるおつもりですか」

「だから冗談だって。ところでユーロパ、君のご自慢の娘さんに、挨拶をさせていただきたいのだけれどね?」

 ひょっとしてそれが目的か、と勘ぐりかけて、カーティスは慌てて余計な考えを頭から追い出した。主君の色恋に首を突っ込めるような立場に、自分はいない。しかし、だ。五年後ならともかく、今ミランダに目をつけていると言うのは……少しアレではないか、とも思ってしまう。

 ユーロパも同じ感想を抱いたのだろう。厳しい目つきになると、低い声でロードライトに尋ねた。

「よもや、初めからそのおつもりだったのではありますまいな」

「僕がミランダに会うために、わざわざエルヴィラ嬢を巡る恋の鞘当てを仕組んだと?」

 ロードライトは馬鹿馬鹿しいと言わんばかりに、悠然とした笑みを浮かべる。一分の隙もないその表情からは、王子が意図的に何かを仕組んだのかどうかは読み取れそうもなかった。

 ユーロパは王子としばし真っ向からにらみ合った後で、息をついて肩を落とした。

「そこまでは言いませんが。あれはまだ学校にも入っていません。……早すぎます」

「別に今すぐどうこうしようとは思っていないんだから、いいじゃないか」

 どうやら自分の予測が当たっているようだと確信して、カーティスは複雑な気分になった。ミランダが王妃になるのは悪いことではないが、彼女はまだ十歳だ。彼女自身が望んでいるのならばともかく、王族から一方的に、これほど幼いうちからアプローチを受けるのは、本人にとってはあまり幸せなことだとは思えなかった。

「殿下」

 ミランダが階段からゆっくり降りてきた。その姿を認めて、ロードライトの表情が、ぱっと華やいだ。

「やあミランダ、久しぶりだね! しばらく見ない間にまた可愛くなって!」

「お久しぶりです」

 そう言ってその場に膝をつこうとしたミランダを、ロードライトは笑いながら抱き上げた。さすがに驚いたのだろう。ミランダは小さく悲鳴を上げた。

「あまり他人行儀にされると寂しいんだけどな」

「お、降ろしてください!」

「もうちょっとだけ。随分重くなったね。無理矢理にでも機会を作ってもっと会いに来ておけばよかった。来年にはもう抱き上げると失礼になってしまいそうな感じだ」

 お二人をこれ以上見ているのも失礼なのではないだろうか。視線を逸らせば、今度は少し離れたところで渋い顔をしているユーロパを見つけてしまう。カーティスは結局、何か飲み物を用意してまいりますと断って、そそくさとその場を離れた。




 ようやく、王子が一晩泊まっても失礼がない程度に客間が整えられると、今度は一気に倍以上に膨れ上がった王子以外の者の寝床の確保に、一同は頭を悩ませることになった。半数は夜通しで警護をするからいいとしても、元々小さな屋敷である。臨時の来客用の部屋とて、それほどあるはずがなく、当然寝具も足りない。それでもありったけの毛布を出し、これでようやく一息つけると誰もが安心した頃には、時計の針は既にかなり傾いていた。

 ロードライトはその間ミランダをずっと手放そうとせず、食堂で楽しげに他愛もない話を続けていた。ユーロパと、王子の側近がその横に黙って立って、警護を続けている。ミランダは時折居心地悪そうに視線をさ迷わせていたが、王子たっての希望とあっては断れるはずもなく、王子の話に相槌を打って、時折真剣に考え込みながら、質問に答えていた。

「殿下、夜も更けました。そろそろお休みにならなければ、朝の出発に差し支えます」

「おや、もうそんな時間かい? 楽しい時間はすぐに過ぎ去ってしまっていけないな。ミランダ、悪かったね、こんな時間までつき合わせてしまって」

「いえ」

 ミランダが結構ですと遠慮するのを無理矢理押し切る形で、ロードライトはミランダの椅子を引いて、彼女の手を取って椅子から降りるのを手伝ってやった。そしてふと、繋がれた手を離すのを惜しく思ったのか、ミランダの手を握ったまま、そっと腰をかがめた。小さなミランダに、王子の目線が合わせられる。

「一緒に寝ようか? ミランダはどんな本が好きかな。読んであげよう」

「殿下」

 とびきり低い声でユーロパに釘を刺され、ロードライトはわざとらしく「冗談だよ」と言って、ミランダの頭をくしゃくしゃと撫でた。

「このお父さんは堅物でいけない。……せめて、君の寝室まで送る……と言っても、ユーロパが今にも爆発しそうだなあ」

 背後で怒気が膨れ上がったのを察知して、ロードライトは苦笑した。ミランダの手を離すと、じゃあ、おやすみと彼女の頭を撫でて、ゆっくりとした足取りで、食堂を出て行った。

 ユーロパ達が、その前と後ろを、しっかり固める。

 撫でられた感触を確かめるように、ミランダはしばらく自分の頭に手をやっていたが、やがて真面目な顔でぽつんと言った。

「私の部屋には、もうメイドが三人いますから、殿下に送っていただくのは無理だったんですが」

 頷いて、カーティスも相槌を打つ。

「廊下でも何人か既に休んでいますからね。殿下をお連れするわけにはいかないでしょう」

 万一襲撃を受けたら、足場が悪いどころの話ではなくなる。

「ミランダ様、お疲れ様でした。王子殿下ほど豪勢ではないですが、寝室までは私がお供いたしますよ」

「ありがとうございま……ふぁ」

 緊張が途切れて眠くなったのだろう。ミランダはひとつ大きなあくびをすると、カーティスの手を大人しく握って、食堂の出口に向かった。




 ようやく屋敷に訪れた夜の静けさは、唐突に鳴り響いた、甲高い警笛の音によって切り裂かれることになった。

「何だ!?」

使用人の休憩室の壁で仮眠を取っていたカーティスが、側に置いていた剣を握って、慌てて跳ね起きた。外に出ればそこはすぐ広間になる。

今の警笛は、門番が持っていたものだ。

「どうしたい!?」

 フライパンを持った料理人が、灯りを掲げて飛び出してくる。灯りを受け取って戻るように言い置いて、カーティスは広間の方へと走った。

「……!」

 ふいに、嫌な感覚がすっと背中を滑り落ちて、カーティスは階段の脇に身を潜めた。王子付きの従者達が、何事かと広間に走り出てくる。

「出てくるな!」

 強い声で制止をかけられ、男たちがとっさに足を止めたその時、正面の両開きの扉が、ぐにゃりと大きくたわんだ。

「!!」

 閃光と爆音が爆ぜる。視覚と聴覚が飽和状態を超え、全ての感覚が使い物にならなくなる。

(火炎石……!)

 くそ、鉱術師がいるのか、とカーティスは心の中で悪態をついた。

 クラルテで採れる鉱石は、その内に特別な力を秘めているものがほとんどだ。その力の大きさや効力には、今カーティスの手元にあるような、普通の照明用具として広く使われているものから、城攻めなどの時に使われる、強力な破壊力を持つものまで、かなりの種類と幅がある。

 無論後者の方の鉱石は、それ自体の数も扱える者の数も少ない。

 あらかじめ防護の体勢を取っていたカーティスは、他の者達より早く感覚を取り戻すことが出来た。誰何の声を上げながら剣を抜く。

「何者だ!」

 破壊された音を聞きつけて、上からも人が集まってくる。破壊された扉と、その脇の窓を蹴破って、いくつもの黒い影が躍りこんできた。顔にも黒い布が巻きつけられている。

(暗殺者か……?)

 それにしては随分派手だと不審さに眉根を寄せながら、カーティスは切りかかってきた男を避けて、剣の柄をその鳩尾に叩き込んだ。相手がひるんだ隙に、剣の鞘で後頭部を力任せに殴って昏倒させる。

「新入りさん、随分乱暴だねぇ」

 近くで料理人の声が聞こえて、カーティスはぎょっとして動きを止めた。

「ダンさん、こんなところで何やってもが」

 いきなり口許に布を押し付けられて、カーティスは目を白黒させた。

「かけてな。弱いしびれ薬が撒かれてる。深く吸い込めば半日は腕が使いもんにならなくなるぞ、っと」

 ごいん、と鈍い音がして、すぐ横で何者かが倒れる気配がした。料理人がフライパンで侵入者をいなしたらしい。

「ま、ユーロパ様にお仕えしてる奴は皆この程度の実力は持ってるわな。……よっ!」

 物といたげな視線に気づいたのだろう。料理人は剣をフライパンの裏で受け止めながらばちんと片目をつぶって見せた。カーティスは頷いて口許にあてがわれた布を巻きなおし、料理人に切りかかっている男の足を低い位置からなぎ払い、ついでに飛んできた矢を飛び退って避けた。

「それよりも」

 促すように顎で後方を示され、カーティスは頷いて階段を駆け上がった。この屋敷に滞在している人物の中で、最も狙われている可能性が高いのが誰なのか。考えるまでもない。降りてきている者達を上に押し戻して戻れと小声で叱責する。しびれ薬を吸い込んでしまったのだろう。動けなくなっている者も多く、なかなか足は進まない。

 上の階の硝子が割れる音が耳に飛び込んで来たのは、その時だった。

「……かく乱か!!」

 下に人が集まったのを見計らっての襲撃だったのだろう。あの爆発音で不安になって、下に降りて来た者は相当な数に登るはずだ。

 一階に侵入してきた男たちは、軽く切り結んだ感触からしても、大した使い手ではない。国中に名が知れ渡っていると言っても過言ではないユーロパの私邸に、わざわざあの程度の刺客を差し向けたのも、妙と言えば妙だと思いはしたが、案の定、かませ犬だったらしい。

「殿下!」

 手すりに片足をかけて、二階に向かって飛び上がる。奥の方から鋼と鋼がぶつかりあう音が聞こえてくる。暗い視界にポッと赤い光が見え、カーティスの全身から血の気が引いた。

 火炎石だ。

(味方も巻き込むつもりか――!?)

 鉱術師だけでも何とかしようと狙いをつけた矢先に、カーティスの目の前に、黒い服を着た男が立ちはだかった。横幅の広い大きな剣を振り下ろしてくるのを、カーティスは右に跳ねて避ける。

「邪魔をしないでいただこう」

 間髪置かずに次の攻撃が来た。まともに受ければこちらの剣が折れると判断し、カーティスは攻撃を受け止めるのを避ける道を選んだ。

 そうしている間にも、火炎石は、その光をどんどん強くしていく。階下で撒かれたしびれ薬がこちらまで登ってきたのだろう。数人の騎士の動きががくんと鈍くなり、切り付けられてその場に倒れ伏すのが見えた。

 ユーロパは恐らく一番奥に居るのだろう。火炎石だけでも何とかしなければ、あれが爆発すればおそらくあの一帯にいる人間は無事では済まない――王子を含めて。

 カーティスが焦りから額に脂汗をにじませた時だった。

 視界を黒くさえぎっていた男の体が、ふいに後方にのけぞった。

 額から頬にかけて、なまぬるい液体が飛沫のようにかかったのを感じて、カーティスはぎょっとして動きを止めた。

「……えっ」

 声もなく、男はそのままよろよろと二、三歩後ずさった。その首が不自然に反り返っている。

 ナイフが喉に突き立てられているのだ、と理解するまでに、数瞬かかった。

 すぐ脇を、何か小さなものが、つむじ風を巻き起こすほどの勢いで駆けて行く。

 男の手から、幅広の大剣が落ちる。床に落ちる前に、影はそれをそれを拾い上げると、小枝か何かを振り回すかのように簡単に、勢いをつけて剣を旋回させた。

 窓ガラスが派手に割れる音がして、男の姿がカーティスの視界から消えうせる。

 小さな影はそれに頓着することもなく、火炎石を爆発させようとしていた鉱術師に後ろから近づき、剣をまっすぐに突き出した。


 爆発し損なった火炎石が最期に放った、その光の中に浮かび上がった光景に、カーティスは己の目を疑いたい気持ちになった。

 鉱術師の首と胴を鮮やかに切り離した、大剣を握った小さな小さな人影は。




「ダウランドの手の者でしょう。この鉱術師は彼に仕えていたはずです」

 首のない遺体の、血に染まった上着をナイフで切り裂き、その二の腕に彫りこまれた紋章を、ユーロパは灯りで照らして見せた。それを平然と確かめた後で、ロードライトはふいに渋い顔をした。

「お馬鹿だねえ。出自を偽れない鉱術師を襲撃メンバーに加えるなんて、どうぞひっ捕らえてくださいと、自ら首を差し出してるようなもんじゃないか。折角、爵位剥奪王都追放だけで勘弁してあげたっていうのに」

「貴方様さえ亡き者にしてしまえば、王族の血筋は途絶えます。そうすれば、失脚したダウランドにも、復帰の道が開かれると思ったのでしょう。……だからむやみに王城を離れるのはお止めくださいと、常々申し上げているのですが」

 そう言うと、ユーロパは息をついて、召使いが持ってきたシーツを、遺体の上にかけた。しびれ薬で大半の者が動けなくなっている。無事だった窓を全開にして何とか煙としびれ薬を屋敷の外へと逃がし終わり、屋敷は後始末に動き始めた。

「無事に動けているものの大半が、お前の屋敷に仕えているものだけってのもなんだかねえ。うちに仕えている人間より、よほど訓練が行き届いてるじゃないか」

 やれやれと言ってロードライトは立ち上がり、寝台に腰掛ける。

 寝巻きの上にガウンを羽織っているだけの格好だが、それさえもどこか様になっている。血の匂いがまだ辺りに漂っているという事実が、その光景とはひどく不釣合いなものに思えた。

「こちら側には死人は出ていません。重傷者が何名かはいますが……。一階に入ってきたのは南部で雇われた者達のようです。依頼人はルーベルと名乗っただけで、詳しい事情は知らないと。二階に侵入した者は、ダウランドと結んでいた商人経由で雇われた、その道に通じた暗殺者達のようです」

 十歳のミランダが手馴れた様子で報告する光景を、カーティスは信じられない面持ちで眺めていた。先ほどのあれも、惨状に全くひるまない様子も、使用人たちに大切にされて、恥ずかしそうにしていた普段の彼女からは、まるで想像がつかないものだった。だが、ミランダの態度の豹変ぶりに驚いているのはカーティスだけで、ユーロパはおろか、料理人のダンやメイド達でさえ、平然とその様子を見守っていた。

 ふん、とロードライトが鼻を鳴らす。

「下手に生かしておいても雇い人のことを話すはずがないから息の根を止めた、か」

「組織に入って日の浅い、喋ってくれそうなものを、利き腕を切った上で捕らえてあります。鉱術師の遺体と、現場にいた証人が一人いれば充分でしょう。ご心配なさらずとも、ダウランドと商人のやり取りも、商人と組織との接触場面も、全て手のものを回して現場は押さえています」

「ダウランドの身柄は」

「先ほど無事拘束したと、鳩で知らせが入りました」

 ユーロパが報告を引き継ぐ。ついでふと思い当たったのだろう、ミランダに視線を向けて尋ねた。

「生かして捕らえた者は、腹の中に鉱石を入れてはいなかったのか?」

「胃の中のものは全て吐かせましたが、欠片も。初仕事で怖気づいて出来なかったようです。簡単な拷問だけで、あっさり口を割ってくれると思いますよ」

 顔色一つ変えることなく言って、ミランダは肩をすくめた。人を二人、斬り殺した後のようにはとても見えなくて、カーティスは戸口に立ち尽くした。どうしてこの子はこんなにも落ち着いているのだろう。

「ミランダ」

 ふいに、ロードライトが低い声でミランダを呼んだ。ミランダは父親から王子の方に目を戻した。

「おいで」

 ぽん、と寝台の横をロードライトが軽く叩いた。そこで初めて、ミランダの瞳に戸惑うような色が浮かぶ。

「殿下、臣下にあまり気安く接されるのは……」

「いいから」

 強く押し切られる形になって、ミランダは困ったように首を傾げてから、ロードライトの横にちょこんと座った。ロードライトは複雑な顔をした後で、小さく息をついて、ミランダの顔を横から覗き込んだ。

「……これまでに、何人斬った」

「殿下」

「少なくとも、今回が初めてじゃないのは見れば分かるよ。いや、ごめん。君に聞くのはやめた方がいいかな。――ユーロパ」

 ロードライトは顔を上げて、横に黙って立っている、彼女の父親を見上げた。

「何人斬らせた? ……まだ十年と少ししか生きていない、子供に」

「――三人ほどですかな」

「要人は、か。当てて見せようか。エックルズとベレッドとドレークだろう。特にドレークはあまり感心できない趣味があったようだからね。この子を寝台に送り込んで、寝首をかかせでもしたか?」

 誰もがここ数年で急死したとされる、国の上層部に居た人間だ。カーティスはさらにぎょっとした。

 対照的に、ユーロパは真剣な顔のままに瞳を伏せる。

「殿下が関知される必要のないことです。……いい機会だから申し上げます。あまりミランダに情をかけないでいただきたい。ミランダは貴方とは違って、影の道を歩むことを運命づけられています。貴方をお護りするためだけに生まれ、その為だけに生き、貴方を害するものはどんな手を使っても消す――それがこの子の、いえ」

 そこでユーロパは言葉を切って、まっすぐに王子の目を見た。何も恥じることはないとでも言いたげに。

「――『我々』の定めなのですから」

「お前の事もだよ、ユーロパ。……父上が時折ひどくお辛そうな顔をしていらっしゃるのを、知らない訳ではないだろうに」

「けれども割り切っていらっしゃるでしょう。それで構わないのです。全てを理解し受け入れることが出来ない優しさもまた、賢君たることの条件の一つなのでしょうから」

 ユーロパの目元が優しくなる。ロードライトは国一番の騎士をつくづく眺めた後で、「負けたよ」と呟いて、寂しそうに笑ってミランダの頭を撫でた。

「ミランダも、そう思っているのかな」

「はい」

 迷うことなくまっすぐにロードライトの瞳を見つめて、ミランダは頷く。そうか、と言ってふいにロードライトはミランダの顔のすぐ近くに、自分の顔を近づけた。小さなミランダの顔の上に、ロードライトの影が落ちる。

「――せめて、自分の体は大事にすると約束してくれ。決して自分の命を安く見積もるような真似だけはしないと。離れていても、道が交わることがなくても、君は僕にとってとても大切な、ただ一人の人なのだから。――これを」

 自分の胸元を探って、ロードライトは、金色の細い鎖に繋がれただけの、大粒の柘榴石を取り出した。

 赤紫色に透き通った、王子と同じ名を持つ、ロードライト・ガーネット――。

「受け取ってくれるかな」

 ミランダは目を丸くして、ロードライトを見上げた。その意味を正確に理解しているのだろう。あわてて首を振って寝台から飛び降り、床に膝をついて、深く頭を下げた。

「とんでもない事です。恐れ多い――」

「だが、君に僕から君にあげられるもので一番価値のあるものはこれしかないんだ。どの道あと五年もすれば、君はユーロパと並び称される騎士になるだろう。少々時期が早いだけで、何の問題がある?」

「ですが」

「ミランダ。顔を上げてくれ」

 王子に懇願されては聞かないわけにいかないのだろう。ミランダは恐る恐る顔を上げる。

「そなたを私の一の騎士に任命する。何があっても、どんな時でも、常に私の側にあり、共に国を支える礎となるように。――受け取ってくれるね」

 ミランダは今度こそ、深々と頭を下げた。「はい」という震えた声が、その口から漏れる。

 ロードライトはふっと微笑んで、ミランダの小さな手に、その貴石をしっかりと握らせた。

「――それがあれば内門も簡単に通れるからね! 僕がミランダに会いに来るのが駄目なんだったら、ミランダに会いに来てもらえばいいわけだ! これでユーロパが『娘が会いに来るのに不便だから』という理由で、内門側の居住区に移り住まないなんて理屈も通用しなくなるし、めでたしめでたしだ!」

「きゃあ!?」

 抱き上げられてくるくる回され、ミランダは悲鳴を上げた。とっさにロードライトにしがみついてすぐに真っ赤になる。すみませんと謝罪され、ロードライトはますます機嫌よく笑い声を上げる。その横で、ユーロパが重い重い溜め息をついた。

「ええと、どういうことなんでしょう……」

 なんだかとんでもないものを立て続けに見せられた気がして、カーティスは目まいを覚えて、ふらりと横の扉に手をついた。


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