番外編 従騎士の決意 1
本編開始前、ミランダとカーティスの出会い編です。
「理不尽だと思うんだ」
どうやらこれは彼の口癖なのだと、横で不満をあらわにしているカーティスを見ながら、ジグは理解した。馬鹿がつくほど生真面目で、事あるごとに理不尽だ理不尽だと言いつつ、結局その理不尽なことに真っ向から立ち向かってしまう性格こそ理不尽のような気がするけどなあ、とジグは心の中でこっそりつぶやいた。
「理不尽ったってなあ。ユーロパ様は常に国王陛下のお側にいらっしゃる、正真正銘、最高位の近衛騎士なんだから、学校出たてのぺーぺー見習い従騎士を連れ歩くわけにはいかんだろ」
「だから! そんなお方に学校出たてのぺーぺー見習い騎士をつけるほうが間違っていると言いたいんだ、俺は!」
「そう言ったってなあ、普通の見習い騎士の仕事だってそんじょそこらの小姓達とそう変わらねーぞ? 靴磨きだろ? 部屋の片づけだろ? 書類まとめだろ? 馬の世話に馬具の手入れ、インク壺のインクの補給とか、馬小屋の屋根の葺き替えに、便所掃除までさせられてる奴もいたぞ」
「そっちの方がまだマシだ。というか、そういうことをするもんだと俺はずっと思って覚悟を決めてたんだ」
中流貴族の「おぼっちゃま」が言う台詞にしては意外な気がして、ジグは目を見開いた。
「へえ? でもお前、そういう仕事は全部召使いがやってくれる程度には裕福な家の出だろ?」
「バーナードは代々騎士を輩出してる家だぞ。現役引退した爺さんに、修行だと称してどれだけこき使われたと思ってる。悪いが、他の騎士の皆様はまだまだ甘いな。いいとこの若様だと思って遠慮してるんじゃないか」
ああ、だからこいつは中流貴族の出にしては妙にたくましかったのか、とジグは納得する。それでは確かに、お上品な世界で人々にかしずかれて暮らしていたおぼっちゃま達とはそりが合わないはずだ。むしろ庶民出で、親方に小突き回された経験のある自分の方が、彼とは近い立場に居るのかもしれなかった。
「そういうのはいいんだよ。騎士の仕事を間近で見て、その周りで動いて、騎士と周囲の関係がどう築かれてるのかを見るのが、従騎士の仕事なんだから」
「……そんなもんなのか」
「学校を出た騎士は、いずれ必ず人の上に立つ。だから、一度は下で働く者たちの仕事を体験して、その気持ちを理解していないといけないんだ」
カーティスは肩から力を抜いて、前髪を右手でうっとおしそうに払った。
「……屋敷での子守りだけで、それが分かると思うか?」
「さあなあ。ものすごい悪ガキでユーロパ様が手を焼いてるとかか? わがままな主に当たった時の練習にはなるんじゃないか。ま、それも修行だろ。思い通りの仕事が来ないのも人生だ。せいぜい頑張れよ、子守り」
言いながら、ジグは地面に置いていたずた袋を手に取った。彼が仕えている騎士の家で開かれる、夜会用の料理の材料だ。一抱えもあるそれを、ジグは軽々と担ぎ上げる。
じゃあなと言い置いて雑踏に消えていった友人の背中を、カーティスは複雑な表情で見送った。
「思い通りの仕事が来ないのも人生、か……」
いっそわがままでどうしようもない悪ガキだったら、もう少しやりがいがあるのかもしれない。
カーティスは目の前でジャガイモの皮を一心に剥いている子供を見ながら、溜め息をついた。
「どうかしましたか?」
「いえ」
国一番の騎士、と評されているユーロパ・グラファイトの一人娘、ミランダが、不思議そうに首をかしげながらカーティスを見上げている。彼女は今十歳。ユーロパの妻は早くに亡くなっていて、彼の家族は今ではこの小さな女の子、ひとりきりだ。
剣を持てば誰よりも勇猛だが、普段は凪いだ海のように穏やかで思慮深い父親によく似て、彼女もまた、優しく礼儀正しい子供だった。はっきり言って、子守りが要るほど手はかからない。
「お手伝いしましょうか?」
「ありがとうございます。でも、これで終わりですから」
ジャガイモを綺麗に剥き終わると、ミランダはちょこんと頭を下げて、椅子から飛び降りた。テーブルの上に置いた、剥いたジャガイモを抱えて、奥の厨房へと消えていく。何もしないのは忍びなくて、カーティスは残された皮が入った容器を手に取った。これはこのまま、屋敷の裏にある牛小屋に持っていって、牛の餌にする。
ユーロパの屋敷は、彼の名声に不釣合いなほどに小さい。まあ裕福だという程度の商人でも、もう少し大きな屋敷を持てるのではないだろうか。使用人の数も十人に満たないが、そもそも自分があまり屋敷に帰れないし、広すぎてもミランダは寂しいだろうからと、ユーロパはこだわりなく笑っていた。
(確かに、使用人は数こそ少ないけれど。でもよく選ばれている)
使用人の誰もが、屋敷の主とその一人娘を心底慕っているのは、数日この屋敷に滞在していただけのカーティスにも良く分かる。週に一、二度しか帰らないユーロパの部屋は常に塵ひとつないように整えられているし、随分使われていないらしい予備の馬具も、曇りなく磨き上げられていた。それは恐らく、ユーロパの使用人への待遇が良いということだけではなく――
「ここの人間は、何かあったらユーロパ様とミランダ様を守るために、命を差し出すこともいとわないだろうな……」
祖父が見たら理想の屋敷だと羨ましがるだろう、と思いながら、カーティスは裏口の扉を開ける。そのまま、裏の牛小屋への短い道を、てくてくと歩き出した。
明るい笑い声が聞こえてきたので、カーティスはひょいと厨房に顔を出した。
「おや、お帰り新入りさん」
恰幅のいい料理人と、線の細いメイドが同時にこちらを振り向いて相好を崩した。カーティスもつられて微笑みを返す。その横に置かれているテーブルで、ミランダは先ほど剥き終わったジャガイモを角切りにしていた。
「皮を牛小屋に持って行きましたが、よろしかったでしょうか」
「ありがとうございます」
「仕事がなくて困ってるだろ、新入りさん」
大きな腹を揺らしながら、料理人ががははと笑う。全くその通りだ、とカーティスは思う。何せ使用人の誰もが自分の仕事を誇りをもってやっているので、カーティスまでそれらが回ってこないのだ。
「こき使われると思っていたんですが、ここまでお客様扱いだと拍子抜けしてしまいますね」
肩をすくめてつとめて軽い調子で言うと、メイドがころころと鈴を転がすような声で笑った。
「出来たよ」
ミランダが切り終わったジャガイモを器に入れて、料理人に渡す。ありがとうございます、と頭を下げられると、ミランダは本当に嬉しそうに笑う。無邪気なその様子に、大人たちが一斉に頬を緩めた。ミランダに対しては、この屋敷の誰もが節度を保ちながらも、常に気安く接している。父親にあまり会えない彼女が寂しくないようにという温かい配慮が見えて、それがとても心地よくて好ましいと、カーティスは思う。
「ミランダ様、ご夕食まではお勉強の時間ですよ」
「はい」
素直に頷くと、ミランダは手を洗って、厨房を後にした。その後ろをカーティスはゆっくりとついていく。女の子のはずなのだが、ミランダはいつも質素なシャツとパンツを身につけていた。もちろん、質素というのは「貴族にしては」質素なのであって、庶民の服とは比べるべくもないのだが。
わずかに色味の薄い練り絹色の髪は、首筋の辺りで、幅広の青いリボンでまとめられている。歩くたびにそれが右に左に揺れるのを、カーティスは何となく目で追った。
「カーティスさん」
「はい?」
とびはねるように元気よく歩いていたミランダが、くるりとカーティスの方を振り返る。小な人差し指が伸ばされて、窓の外に向けられる。
「夕食が出来るまでは、裏庭を使っていただいて構いませんから」
「……」
何を言われたのか分からず、しばし固まったカーティスを見て、ミランダは苦笑して足を止めた。
大きく取られた窓から、夕日が赤い光を四角く降らせている。
「退屈でしょう、私の側で勉強する所を見ているだけでは。裏庭は、父が稽古に使っている場所ですから、それなりに広くて剪定も行き届いています」
ゆっくり言ってから、ミランダはさらに廊下の奥を指差した。
「刃を潰した、練習用の剣はあの奥に置いてあります。練習相手が居ませんから、素振りくらいしかできることはないと思うんですが――」
「ちょっ、ちょ、待ってください!」
ミランダの言葉を慌てて遮って、カーティスは手を意味もなく上下に振った。上げていた腕を下ろして、ミランダが何がいけないのだろうという顔でカーティスを見上げる。
「そんな勝手は出来ません、とんでもない事です!」
「でも、退屈でしょう? 宮廷学校を首席で卒業した貴方の剣の腕を錆び付かせるような事があっては、父が国王陛下にお叱りを受けてしまいます」
恥ずかしさで、カーティスは自分の頬がみるみる熱くなるのを感じた。
仕事に不満を抱いているのを、見抜かれていた――それも、こんなに幼い子供に。それどころか、自分が気を使わなくて済むように、あらかじめ「父が叱られるから」と、それらしい理由まで考えさせてしまった。不満だという態度が、知らず知らずのうちに、外に出ていたのだろう。
自分の狭量を幼い子供に教えられ、カーティスは庭に穴を掘って入ってしまいたい気分になった。
「――いいえ。ミランダ様の面倒を見るように、とユーロパ様は、はっきり私に申し付けられましたから。私が居たら気が散ってお勉強に差し支えると言うことでしたら、外で待たせていただきます」
ミランダはしぱしぱとまばたきをした後で、首をかしげた。
「別に気になるということはありませんが、体を動かさないのはきつくないですか? 父はせっかくのお休みの日でも、よく庭で稽古をつけてくれるんですよ。運動していないと落ち着かないと言って」
「それは騎士の性のようなものです。確かに私も、毎日体を動かさないと落ち着かないですが、鍛錬なら朝やっていますし、気になるというほどでは……」
そこまで言って、ふとカーティスは言葉を切った。今、ミランダは引っかかることを言わなかったか。
「……稽古、ですか? ミランダ様が?」
「護身術程度ですよ。父が、自分の身くらいは自分で守れた方がいいだろうからと」
言ってミランダは心なしか顔を赤くする。
「カーティスさんが見たら、きっと笑ってしまうレベルだと思います」
「そんなことはありません」
初めて会った時は、特にこれといって印象に残らない、大人しくて平凡な子供だと思っていた。しかし実際は、年齢よりずっと落ち着いていて、思慮深いせいでそう見えていただけなのだと気づき、カーティスは目の覚めるような思いで、目の前の子供をまじまじと見た。
いくら幼くても、家に一人で残されているミランダには、屋敷の主人の代行としての役目がある。大貴族の屋敷で大切にされているお嬢様のようにはいかないのだろう。
確かにクラルテでは長く平和が続いているが、それでも小さな内紛は絶えなかったし、ユーロパはいくつもの戦場で武勇譚を作っている。言い換えれば、その分逆恨みされている可能性も高いということだ。娘のミランダが狙われることがないとは言い切れない。
「それで男の子の格好をしていらっしゃったんですね」
いくらか表情を和らげて言うと、ミランダは赤くなった顔をふと下に落とした。
「いえ、あの、父は家にいる間くらいドレスを着なさいと言うんですが、ドレスは動きにくいし、汚したら洗濯が大変だし、あんまり好きじゃないんです……変でしょうか?」
「さあ、私はドレスを着たことがないので、何とも言えませんね。確かに動きにくそうだなとは思いますが」
笑いを含んだ声で言うと、ミランダは顔を上げた。にこにこ笑っているカーティスの表情を認めて、安心したように表情を緩める。
その顔が本当に子供らしい、可愛いものだったので、カーティスの笑みはますます深くなった。
翌日、朝の訓練を済ませ、カーティスは調理場に向かった。ミランダは夫婦でこの屋敷に勤めている料理番とメイドにとても懐いていて、食事時には必ず調理場で二人を手伝っているからだ。朝の挨拶をするなら、部屋に行くより調理場に直行した方が、彼女に会える確率は高い。
しかし、その日そこにいたのは、でっぷり太った料理人一人だけで、メイドの姿もミランダの姿も見当たらなかった。
「あれ、おじさん、ミランダ様とアイリーンさんは」
「うちの女房はリネン室でシーツをまとめてるよ。ミランダ様はお部屋じゃないかな」
「まだお休みなんですか?」
日はもう昇りきっている。そろそろ朝食の時間だ。起こしに行った方がいいだろうかと考えていると、料理人がふと皿を出す手を止めて、調理場の出入り口を気ぜわしそうに見た。
「うんにゃ、起きてらっしゃるはずだよ。一度は手伝いに来てくださったんだが、今朝早くに旦那様からお手紙が来て、それを見てなにやら考え込んでいらっしゃったからなあ……」
「今朝?」
「明け方ごろだよ。用事があったんかな」
呼びに行った方がいいかね、と料理人がつぶやいたので、自分が行くとそれを制して、カーティスは調理場を後にした。
廊下に出ると、すぐにぴょこぴょこ動く青色が視界の端に映ったので、カーティスは足をそちらに向けた。
「おはようございます、ミランダ様」
「あ、カーティスさん、おはようございます!」
廊下を走るのはあまり褒められたことではない、と言おうとして、カーティスは、ミランダがその腕に何かを抱えているのに気がついた。白くて細長い……封筒のようだと、カーティスはあたりをつける。
「どうかなさいましたか」
「あ、はい、ええと。すみません、カーティスさん、ちょっと頼まれてくれませんか」
カーティスの目の前まで走ってきて足を止めて、ミランダは彼にその封筒を差し出した。封は既に切られている。封筒の端には、見慣れた紋章が透かし彫りにされていた。それでカーティスにも中身の見当がついた。
「今夜オーデン邸で開かれる夜会の招待状ですね?」
確か、祖父と父にも招待状が来ていたはずだ。
「はい、父は今夜、城から直接オーデン邸に向かう手筈になっているんですが、肝心の招待状を忘れたと、今朝鳩で知らせてきて……」
わざわざ城で飼われている鳩を使わせていただいたみたいで、とミランダは呆れ半分でつぶやいている。
緊急連絡網の整備の一環として、数年前から実験的に城で飼われている新種の鳩の話をカーティスは思い出した。確か風星宮が特別に訓練しているとかいう話で、わずかでも光があれば、夕闇の中でも、日の出前でも飛ぶことが出来るのだという。
「本当に、ちゃんと使えるんだな……」
「え?」
「いえ、なんでもありません。これをお城にいらっしゃるユーロパ様にお届けすればよろしいんですね?」
「はい。すみません、本当なら私か執事が行くべきなんですけど、もう父に直接手渡さないと間に合わない時間なので……」
普通の人間が、王城に入るのには煩雑な手続きが必要だ。カーティスは学校を卒業したばかりだが、一応「従騎士」の肩書きを得ている。王族が居住している区域に許可なしに入るのはさすがに無理だが、ユーロパが城の中に与えられている寝所あたりまでならば、ずっと簡単な手続きで入ることが出来るはずだった。面会の話も、恐らくすぐに通るだろう。
「分かりました。馬を走らせて、すぐに行ってまいります」
「あ、でも朝ごはんは食べて行ってくださいね。アイリーンとダンが、カーティスさんも来るからって言って、多めに作ってましたから。残したら怒られます」
逃げる口実を封じるように、釘を刺される。それはありがたいですねとカーティスは笑って、ミランダから預かった封筒を大切に懐に仕舞った。
思ったとおり、カーティスは随分あっさりと王城に入ることが出来た。城に入ったのは、幼い頃何かの折に祖父に連れられてきた時以来だったが、その時は確か、かなり長い時間待たされて、状況が良く分かっていなかったカーティスは祖父の膝で眠ってしまった記憶がある。それに比べても随分と早い。
王城に詰めている騎士について見習いをしている同期生も多いはずだから、あっさり入れなければ仕事にならないというのが実情なのだろう。当然といえば当然の対応なのだが、「従」がついても騎士というものはやはりそれなりに扱われるのだと実感して、カーティスは背筋が伸びるような気持ちになった。
王城へと続く内門に控えていた門番に近づき、ユーロパの居場所を尋ねる。すると、あらかじめ言付けられていたのだろう。若い方の門番が外門側にある建物を指差して、近衛騎士達の居館はあちらだと言ってにかりと笑った。先輩騎士に頭を下げると、カーティスはそちらへと足を向けた。
「助かったよ。持って出たと思っていたんだがね、しっかり置き忘れてきてしまったみたいで」
実に四日ぶりに見る自分の師であるはずのユーロパは、あまり威厳の感じられない、弱い笑みを浮かべながら封筒を受け取って、その中身を確認した。
「間違いない、これだよ。わざわざありがとう」
「いえ」
短く返事をしてから、カーティスは部屋の中をきょろきょろと見回した。ユーロパの部屋は、上級士官に与えられるものにしては随分質素な気がする。装飾らしい装飾はなく、部屋自体も随分狭い。絨毯も何年もここに敷かれていたものなのだろう。色があせて、模様らしきものもほとんど識別できなかった。
クラルテは東の蒼麗と並ぶ大国だ。国一番と称される騎士に、これほど質素な部屋で我慢してもらわなくてはいけないほど、貧しいはずはないのだが……。
「どうかしたか?」
「いっ、いえ……」
それでもユーロパが不思議そうな表情を崩さないので、カーティスはうろうろと視線をさ迷わせた。そして、後ろの寝台に、近衛騎士の正装である薄氷色の騎士服が広げられているのを認め、眉をひそめた。
「……ユーロパ様、世話役の方はいらっしゃらないのですか?」
「妙なことを言うな。従者ならお前がいるだろう」
「そうではなくて……まさか、身の回りの雑用を、全部ご自分でなさっていらっしゃるのでは」
「ああ」
カーティスが何を聞きたいのか合点がいったらしく、ユーロパは相好を崩した。日に焼けた目元に、柔和な笑い皺が寄る。
「年のいった方ならそういう者も必要かもしれんがなあ。城の中では近衛騎士といえども、走り回らなくてはいかんのでね。大量の書類を片付けなくてはいけない時は家に帰るし、ここでは身軽でいたいんだよ。外門の方の居館は格式ばった所がないし、城に入る手続きが一回で済むだろう? ミランダやエドモンドは、内城まで入るのも一苦労だからなあ」
そう言った後で、ユーロパはふいにそわそわとあたりを伺い始めた。どうしたのだろうとカーティスも思わず体を固くする。
ユーロパは、どこか落ち着かない様子で何度もあたりを見回した後、おもむろにカーティスの方に体を乗り出してきた。
「ところで、ミランダはどうしているかな。元気でいたか?」
しばらくぽかんとした後で、カーティスはこみあげてくる笑いをかみ殺すのに苦労する羽目になった。国一番、と言われる騎士も、こうなっては形無しだ。
「ええ、お元気でしたよ。昨夜は料理番とメイドと一緒にジャガイモの皮を剥いていましたし、今朝もにこにこしながら朝食の後片付けを手伝っていらっしゃいました」
「そ、そうかそうか、それはよかった。寂しそうな様子はなかったんだな」
照れ隠しのように笑って、心底安堵して笑みをもらしたユーロパを、カーティスは微笑ましく眺めた。ミランダは、亡くなったユーロパの妻の忘れ形見で彼のただ一人の家族だ。本当ならば、ユーロパはあまり自分の屋敷を離れたくないのかもしれない。
――だからユーロパは、留守の間、娘の面倒を見ていてくれないかと、カーティスに頼んだのかもしれなかった。
「まさかユーロパ様、ミランダ様の様子が聞きたくて、わざと招待状を家に忘れてこちらに戻られたなんてことは……」
冗談半分に尋ねたのだが、ユーロパがわざとらしく咳払いをしたので、カーティスの口許はそのまま固まった。
「……まさか」
「いや、その、なんだ。ははははは」
こういうのが親馬鹿というのかと、感動すら覚えるような心地で、カーティスはユーロパの目を見つめた。ユーロパは気まずそうに視線を逸らすと、
「……娘には黙っていてくれ……」
小声でそう付け加えた。
はあ、と曖昧な声を、カーティスが出した時だった。
「いや、しっかり聞いたぞユーロパ!」
「うわぁ!?」
いきなり至近距離から第三者の声が聞こえて、ユーロパとカーティスは同時に飛び上がった。ユーロパと顔を見合わせてから、何事だろうと慌てて振り返る。
十四、五歳かと思われる少年が、にこやかに笑いながら、ユーロパの私室の戸口にもたれかかっていた。上質の上着、青いタイ、まばゆいばかりの金色の髪に、深い紺碧の瞳――。
ユーロパの目が、大きく見開かれる。その反応、この衣装、この容姿――カーティスの知る限り、こういった反応をユーロパにさせる、こういう背格好をした人物は一人しかいない。いないはずなのだが、そもそも「その方」はこのような場所に足を運ばれるはずはない。では、ここにいるのは誰なのか……。
現状についていけず、カーティスの頭は真っ白になった。 それに追い討ちをかけるように、後方からは、「お待ち下さい、殿下!」という、複数の男性の絶叫が聞こえてくる。
直接お会いしたことはない。お会いしたことはないが、あの絶叫がら判断するに……。
いやでも、まさかと思いながらもう一度ユーロパの方に向き直ると、普段はにこやかに細められている彼の目は、これ以上ないというほど大きく見開かれていた。
「ロードライト殿下! どうしてこのような場所に!?」
名前を聞いて間違いないと確信した瞬間、カーティスはその場に膝をついていた。
「オーデン邸の夜会への招待状を、ユーロパはうっかり家に忘れてきたと言うじゃないか。きちんと届くかどうか心配になって、様子を見に来たんだ」
「そんな下らない理由で内門を出ないでいただきたい。私に御用があるのでしたら、言いつけてくださればすぐに飛んで参ります。外門側の城は警備も手薄です。即位前の大事なお体に何かあったらどうなさるおつもりですか」
「外門側と言えど城は城だ。心配はいらないだろう。内戦があっているわけでなし」
全く気にする様子を見せずに朗らかに笑うロードライトに、ユーロパは諦めきった様子で溜め息をついて、椅子を出して彼に勧めた。すまないねと断って、ロードライトは粗末な造りの椅子に腰掛ける。
「ところでそこに控えているのは、新しい従騎士かな。構わないよ、顔を上げたまえ」
「はっ」
一度深く頭を下げてから、カーティスは顔を上げた。粗末な部屋の中で、そこだけ光をまとって輝いているようなロードライトの容貌に、同性のカーティスでさえ、一瞬見惚れてしまう。王族の方々は、名前に光を冠する国にふさわしく、輝くような方々が多いという。それは誇張でもなんでもなく真実なのだと実感して、カーティスは緊張のあまり、ばきんと固まってしまった。
ロードライトの方も興味深そうな顔で、しげしげとカーティスを見つめている。その後で、彼は「ああ」と小さく叫んで笑顔になった。
「君、カーティスっていったっけ。バーナード家の長男の。この間の宮廷学校の剣闘大会は見事だったよ! ユーロパ、彼は君の従騎士になったのかい?」
王の第一子にして唯一の王位継承者に、顔と名前を覚えられていたとは思いもよらず、カーティスは驚きのあまり言葉を失ってしまった。何も言えずに誇らしさと驚きで顔を紅潮させているだけのカーティスに助け船を出したのは、横で渋い顔をしながら控えていたユーロパだった。
「そうです。この秋から、私の下で働いています。――殿下。宮廷慣れしていない新人に、あまり余計なちょっかいをかけないでいただきたいのですが」
「ユーロパこそ、そろそろ観念して、内殿に居を移したらどうだい。父上が呼びに行くのも不便でかなわないとぼやいていらしたよ。いつまでもこんな質素な部屋にユーロパを置いておくので、私がユーロパの部下から恨みのこもった視線を送られる、ともね」
「自分のたっての希望だと、部下にはきちんと説明しています。それよりも」
「殿下ーッ!! いずこにいらっしゃいますかーッ!!?」
血を吐くような絶叫が聞こえてきて、ユーロパはもうひとつ盛大な溜め息をついて、部屋の扉を開いた。
「ジャック、殿下はこちらにいらっしゃる。夜勤の兵士は眠っている時間だ、悪いが大声で騒ぐのは遠慮してもらえないか」
さほど大きくはないが良く通る声は、無事絶叫していた護衛の騎士に届いたらしく、男の絶叫は止まった。かわりに重々しい足音と金属がぶつかり合う音が、どんどん大きくなってくる。
「カーティス、立って部屋の奥に避難していなさい」
カーティスは弾かれたように立ち上がり、あわてて窓際に控えた。ユーロパが思い切り扉を開ききって横に立つと、そこから十人近い騎士たちがなだれ込んできた。
「やあ、ご苦労様」
ロードライトが爽やかに片手を上げると、男たちは「殿下ぁぁぁあぁぁぁ」と叫びながら、息を切らしてその場に倒れてしまう。
「秋が深まったとはいえ、その重い鎧をがっちり着込んでいるのはどうかと思うよ。護るべき相手にあっさり撒かれるようじゃ、実用的とは言えないよねえ」
息を切らしてぐったりと積み重なった騎士たちを見ながら、ロードライトはのほほんと感想を述べる。
「……考慮しておきましょう」
恐らく王族の警護に一番心を砕く位置にいるであろうユーロパは、心底疲れきったことが伺える、重い重い溜め息をついた。
「そうそう、ユーロパ、結局招待状は無事に届いたのかい?」
ぽん、と手を打って、ロードライトは何事もなかったかのように話を続けた。十人近い屈強な男たちがすぐ横で倒れているのに、普通に会話を続けているロードライトとユーロパの様子に、カーティスはどう反応したものか困って立ち尽くした。せめて水なりなんなりもらってきた方がいいのかもしれないが、肝心の出口が男たちに塞がれてしまっている。
「ええ、娘が無事見つけて、カーティスが届けてくれました。殿下も今から準備でしょう。早くお部屋にお戻りにならないと、メイド達が今頃困っていますよ」
「時間はもう少しあるだろう。……ミランダは元気にしている?」
ミランダ、という名前がわずかに強調されたような気がする。気にしすぎだろうかと思いながら、カーティスがユーロパを見ると、何故かユーロパの方も、床に倒れた男たちを何とかするために屈みかけた、不自然な体勢で動きを止めていた。
(……?)
しかし、ユーロパはすぐに何事もなかったかのように男たちを起こしにかかり、カーティスが覚えた違和感も、あっという間にに消えうせた。
「ええ、おかげさまで元気ですよ。なかなか帰れない屋敷の主人の変わりに、よく家をまとめてくれています」
「そうか、それなら良かった」
お世辞でもなんでもなく、心底嬉しそうにロードライトは言って、流れるような動きで腕を組んだ。指先までもが白く細く、とびきり腕のいい人形師が作った人形に、生気を吹き込んだらそのままこの王子になるのではないかとさえ思えてくる。
その動作にまた見惚れかけたが、カーティスはすぐに現実に引き戻された。
(殿下が家臣の娘を気遣っているにしては、随分思い入れが深くていらっしゃるような……)
ひょっとすると、ミランダはこの王子の妃候補なのかもしれない、とカーティスはぼんやり考えた。あと五年も待てば、ミランダは妃となるのに充分な年になるし、この王子も成人する。家格の釣り合いも問題はない。さほどとんでもない予測でもないだろう。外見こそ派手ではないが、ミランダは妃となるのに充分な資質を持っているように見える。
ただ、そうなると父親であるユーロパは複雑だろうなあと思う。もとより娘を足がかりに出世など、考えもしないような方だ。カーティスは何となくユーロパに同情したい気持ちになった。




