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第七章 鉱術師の告白 3

「詐欺だよね」

 ロードライトが「時間を稼いだ」おかげでいくらか冷静になったらしいミランダが、まず口にしたのはその言葉だった。

「は」

 カレンがその場に居たならば、まず間違いなく「間抜け面」と評するであろう顔で、カーティスは固まった。氷色の騎士服を身につけた精悍な青年を見上げて、ミランダは大きな溜め息を一回吐いた。

「お堅いって言われてるカーティスでもこれなんだもの」

「あの、ミランダ様?」

 どうやらミランダの中で、話が変な方向に消化されかかっているらしい。また気持ちよく誤解されて、『上司が女だと花街に連れて行ってあげられなくて損だよねえ』などという、斜め四十五度にかっ飛んだ結論を出されるのは勘弁して欲しかった。

 母や姉からろくでもない『お願い』をされる直前によく似た緊張感を全身にみなぎらせながら、カーティスはミランダの言葉を待った。

 果たして、彼女の口から飛び出したのは。

「騎士の女性に対する扱いって、凄いんだね……儀礼だって分かってても、なんか」

 頬を赤く染めてぶつぶつ言ってるミランダに、カーティスは思い切り腰を砕かれたような心地になった。誰が儀礼であんなに傷つけないように細心の注意を払って、相手の一挙一動を細やかに観察するものか。……いや、実際やってのける奴もいるが、少なくとも自分は違う。

「儀礼じゃないですよ」

 自棄気味に呟いた言葉は、ミランダの耳にばっちり入ったらしい。ふとミランダが顔を曇らせた。カーティスはいよいよ頭を抱えたくなる。六年も従者生活をしていれば、こういう顔をしたミランダが、次に言うであろう言葉は容易に想像できる。

「……もしかして、私が上司だから気を使ってくれてる? だったら別に気にしないから、大丈夫だよ。普段は男装してその辺を走り回ってるんだし」

 予測通りの言葉だ。カーティスは天を仰ぎたくなるのを必死でこらえた。今ここで振り出しに戻るのは何としても避けたい。何せ六年従者をやってきて、初めてミランダが動揺してくれたのだ。多少卑怯くさい気もしなくもないが、この隙を見逃すわけにはいかなかった。

 今揺さぶらなくては多分この後十年かかってもミランダを口説き落とすのは無理だ。そう思いこんでしまう程度には、カーティスも追い詰められていた。

「上司に対しても、私は気が向かなければ最低限の儀礼で接しますが」

 現にさっきロードライトに喧嘩を売ったばかりだ。王子殿下にご忠告をいただいたとおり、カーティスは[駆け引き」や「腹の探り合い」がとことん苦手だった。

 いつもは肩を落としてどこか投げやりな態度になるカーティスが、あからさまにむすりとして険のある声を出したことに戸惑ったのだろう。ミランダの視線がまた揺れた。

「……えと」

「今夜に限れば、私は極めて自然体ですが」

「こ、今夜に限れば?」

「騎士の態度も相手によりけりということですよ」

「相手? じゃあ、私が他所のお嬢さんだから? バーナード夫人でも、お姉さんでもない……」

 だからどうしてそうひねくれた解釈しかしてくれないんですか。

 心の声が知らず唇に乗っていたらしい。ミランダの耳はそれを聞きつけ、彼女の細い眉が神経質にしかめられた。

「ひねくれた解釈、って」

「ですから」

「え、ミランダ様!?」

 決定的な言葉を口にしようとした瞬間に、若い男達のどよめきが背後から飛び込んできた。

「皆」

 氷色の騎士服を身にまとった若い騎士の一団が、ミランダの方に駆け寄ってきた。王城に上がる時の正装は、いつもの騎士服より数段きらびやかだが、格好が違っても部下は部下だ。ミランダの態度もいつもとそう変わることはない。せいぜい珍しそうな視線に晒されて、いつもより少し恥ずかしがっている程度だ。

「うわあ、ミランダ様、それ、ドレスですよね!? 俺ミランダ様のドレス姿初めて見ましたよー!!」

「変わったデザインですねえ。いや、でもよくお似合いですよ」

 上司の珍しいドレス姿に、彼女の部下達が次々に賞賛の言葉を向ける。ミランダの気質を理解しているからか、それとも彼女の下に集まる騎士に元々無骨な性質の人間が多いのかは分からなかったが、向けられる褒め言葉は素朴なものだった。

「カーティスの後で構いませんから、ダンスでも」と誘いをかけた騎士も一人や二人ではない。カーティスの表情が険しくなったのを見て、実現は無理そうだと全員が悟ったらしかったが、まあ社交辞令で、実現したなら儲けもの程度の挨拶だ。

 時折くすぐったそうにしていたものの、彼女も今度はカーティスの時のように動揺のあまり自分を見失うということはなかった。ひとしきり談笑した後で、ミランダはにこやかに騎士達を見送った。

 測ったようなタイミングで話をまた中断され、カーティスはミランダの横でこっそり肩を落としていた。こういうことは、勢いに任せて言ってしまわないと、改めて切り出すのはなかなか難しい。賑やかな喧騒が去った頃を見計らって、あたりさわりのない言葉をミランダにかける。

「……参りましょうか」

 普段女性扱いされることがなくても、間諜としての教育も受けているミランダは、「女性側の振舞い方」を当然身につけている。他の同僚と会ったことで、彼女は気持ちを上手に切り替えてしまったらしい。うん、と頷くと、よどみのない動作でカーティスの手を取った。

 ミランダが身動きをすると、ほんのり柔らかな香りが鼻をくすぐる。シンプルなドレスは、意外なほど彼女の体の線を引き立てていることに、カーティスは初めて気がついた。手袋越しに伝わってくる体温や息遣いに、知らないうちに意識が集中する。

「カーティス?」

 腰に手を置いたまま固まってしまったカーティスを、ミランダが不思議そうに見上げる。どうしたの、と心配そうに覗き込んでくる茶色の瞳と、真っ向から視線がぶつかった。

「いえ」

 と言ったきり、カーティスは黙り込んでしまった。扱いこそ優しかったが、どことなく硬さが残る動きで、会場へと導かれる。急に変わってしまったカーティスの態度にわずかに戸惑いながらも、ミランダは歩き出した。




 ふと、ガラスに映りこんでいる自分達の姿が目に止まった。


 街中でカーティスに抱きついた、リリーシャのような華やかさは、やはりどこにもない。カーティスの表情は心なしか固く、エスコートされている姿は、どこか他人行儀なよそよそしさがあった。


 期待はずれ、だ。飾りたてたって、自分は『お姫様』にはなれるはずもないのに。

 ちくりと痛いものが胸をかすめて、ミランダは自分で自分を笑いたくなった。混乱して、うろたえながらも高まっていた高揚感がみるみるうちにしぼんでいく。


 そっと顔をあげて、半歩前を歩いているカーティスを見上げる。かなり高い位置にある頭、幅の広い肩、大きな背中。「見目のよい若者」だと、同性の、古めかしい慣習に囚われがちな貴族達からも好意を持って評されるというのが良く分かる。カーティスの容姿はいい意味で人目を引く。すっと伸びた背筋、優雅というよりは精悍と言った方がいい、無駄のない動作。そのくせ、騎士服をまとって公式な場に出れば、実に貴族らしい品格を漂わせるのだ。


 それに引き換え、自分は。

「ミランダ様?」

 カーティスが足を止めて、こちらを振り返った。ミランダの表情がどことなく暗いことに気づいたのだろう。窓際に移動すると、ゆっくりと背をかがめて彼女の額にはりついた髪を、手袋越しに軽く払った。

「お加減でも? 申し訳ありません、こういった方面には本当に不調法なもので」

「平気だよ」

「『平気』……ですか」

 つとめて笑顔を作ったミランダに、しかしカーティスは渋い顔をした。ミランダの手から自身の手を離すと、瞳を伏せて細く息をつく。

 やっぱり、自分のエスコートに嫌気が差したのではないかとミランダは感じた。騎士服を着ているときならば、カーティスは「男性の同僚」と同じようにミランダに接していればいい。格好が変わっただけでエスコートだと態度を変えるように言われれば、戸惑いもするし面倒なのかもしれない。

「ミランダ様、恐らくそれは誤解です」

 ミランダの顔色の変化で、カーティスはすぐに彼女の心の変化を読み取ったようだった。何も言ってはいないのに先回りして釘を刺し、至近距離からミランダの目を覗きこむ。黒い瞳と、薄茶色の瞳が真っ向からぶつかった。揺れているミランダの瞳に軽く見ほれながら、カーティスは手袋を嵌めた手を自分の胸元に置いた。

「エスコートさせていただいている女性を楽しませるのが、こういう場合の騎士の役目です。『平気』というのは『大丈夫』と相手を安心させる意図で使われることが多い言葉です。つまりミランダ様は緊張されるか窮屈さを感じていらっしゃるということですよね? ……こういう場合は、『わくわくしている』とか『楽しい』という類の言葉をいただけなければ、きちんとエスコートできているとは言えないんです。つまり私は、今自分の未熟さを痛感しているんですよ」

「そんなことは……」

「そういう顔をさせた時点で私の技量不足なんです。せっかくドレスを身につけて、ミランダ様も楽しもうとされていらっしゃったというのに。滅多にないお姿を拝見してしまったせいか、配慮に欠ける行動をしてしまいました。……まだまだですね」

 申し訳ございませんと頭を下げられ、ミランダは泣きたい気分になった。違うと言いたくても、言えば言うほど泥沼になりそうだった。ふさわしくないのは自分だけで、カーティスには全く非の打ち所がないのに。

「ですが」

 その、と言いよどみ、カーティスはミランダの肩に手を添えた。

「他の男性にミランダ様をエスコートさせる権限を……譲りたくはないので」

 言葉に、嫌に力が込められている気がして、ミランダは体がわずかに熱を持つのを感じた。触れる寸前で止められているはずなのに、肩の近くにあるカーティスの手の存在が、気になって仕方がない。

「カーティス」

「はい」

 静かに返答を待っているカーティスを、ミランダは上目使いに見上げた。カーティスの手がぴくりと揺れたことにミランダはもちろん気づいたが、その意味を推測するまでには至らなかった。

「あの、ね。口説かれた経験とか全然ない私が言うのは説得力ないかもしれないけど、そういう言い方は……変に期待しちゃう人が出るんじゃないかなあ」

 おずおずと発せられた言葉を最後に、二人の間にしばらく沈黙が落ちた。なんとも言えない空気に、ミランダがいたたまれなくなって真っ赤になってうつむいた瞬間、カーティスが下を向いて空いた手で自分の顔を覆ってしまった。

「カーティス!?」

 思いも寄らない反応に驚いてミランダが、カーティスの肩に手を伸ばす。自分の肩にミランダの両手がたどり着く前に、カーティスはその細い両手首ごと、彼女の掌を包み込んだ。つながれた両手にミランダが意識をやっている間に、カーティスは口もとを緩めて、ミランダの方にわずかに身を寄せた。

「ぜひ期待していただきたいですと申し上げたら、どうなさいますか」

「えっ」

 言い回しが婉曲だったせいだろうか。とっさには意味を判じかねて固まったミランダには、パニックに陥るような兆候は見られなかった。

「あの」

「さあ、楽しみましょう。無骨者のエスコートで申し訳ないのですが、せっかくの舞踏会、それも年で一、二を争うといわれる新年の慶賀なんですから」

 自分から話を打ち切って、カーティスは今度こそ笑顔でミランダに語りかけた。気負わない言葉に、戸惑いながらではあったがミランダも頷き返す。

 にこりといつも通りの笑顔を向けてくれたカーティスに、ミランダは肩から力が抜けていくのを感じた。ここにいるのは、格好は違うけどいつもの信頼できる部下で、付き合いの長い騎士だ。それを思い出し、いつもの自分でいいのだと言い聞かせれば、自然にミランダの顔にも笑みが戻る。


 引かれる手も、自分の足どりも、羽のように軽くなっている。

 今ならどんなにテンポの速いダンスでも、軽快に踊れる気がした。




 舞踏会の最初を飾るのは、正式に社交界の仲間入りをする若い貴婦人達と、彼女達をエスコートする貴族達とのワルツだ。

 初々しい令嬢達がデビュタントの純白のドレスを身にまとい、頬を薔薇色に染めている様は、周囲から温かい歓迎の視線でもって迎えられるのが普通だ。しかし、今回はその中に、ぴんと張り詰めた緊張感が漂っていた。

 国王の席より一段下がった場所にある、王子の席。今、その席は空だ。例年ならば、ロードライトも既に席につき、令嬢達のデビューを見守る側に回る。それがいない、ということは、つまり。


 国王の合図を受けて、宰相が楽団に向き直る。指揮者がそれを受けて、指揮棒を振り上げた。


 中央の扉が、着飾った衛兵によって開かれる。

 刺さるのではないかと思えるほどの熱を持った視線が、扉の先に向けられた。



 王宮の貴石と唄われる、金色の王子。その王子に優雅なエスコートをされながら舞踏会の場に足を踏み入れた女性は、目もくらむような鮮やかな色彩を身にまとっていた。

 流れる滝のような艶やかな黒髪、すっきりとした顔立ち。幾重にも重ねられた衣はその重ねからわずかに見える下の衣の色までも鮮やかで、一番上にまとった衣は光で織り上げられたかのように薄くきらめき、シャンデリアの光に染まっている。


 その顔には、華やかな笑みは浮かんでいない。抑え気味に、辛うじて笑んでいるのだと分かる表情は、異国の姫君の涼やかな凛とした雰囲気を、一層引き立てていた。


 色鮮やかな異国の衣装をまとった、東照の人間が、姫君に向かって頭を垂れる。


 白い花の中に咲いた、鮮やかな彩を持つ花。



 その横にあってもかすむことのない、自国の王子を誇らしく思ったもの、ただその衣装と姫君の雰囲気に惹きこまれる者。様々な感情がその場に満ちる。

 だがひとたび彼らが踊り出せば、そんな思惑さえも潮が引くように消えていった。



「そうそう、上手いじゃないか、茉莉」

「話しかけるな、足を踏んでも知らんぞ」

「大丈夫だよ、こんなに軽い姫君に踏まれたところで大して痛くないから。顔をあげて。皆が見てる。正確なステップより、余裕を見せる事を優先して」

 嘗められるなと言外に告げられ、茉莉が艶のある笑みを口にのぼらせた。華やかというよりは、触れれば切れそうな、ゾクゾクする類の笑みだ。

「その調子。せいぜい頭の固い爺さんどもの寿命を縮めてやれ」

「……私を何だと思っているんだ、お前は」

 呆れを含んだ声に、ロードライトが笑み崩れる。

 ロードライトが茉莉を引き寄せ、半ば抱えるようにして回転すると、茉莉の衣装がふわりと空気をはらんで舞い上がった。ほう、と周囲から感嘆の溜め息が漏れる。

 型を崩した行動に驚いて、二人からそそくさと離れていったカップルを、ロードライトも茉莉も視界の端に捉えていた。

 もしあのまま普通に踊っていたら、今頃茉莉よりもかなり体格のいい令嬢が、茉莉にぶつかっていたことだろう。あるいは、床についている衣を足で踏みつけられていたか。いずれにせよ、これだけ注目を集めている他国の姫君には、他の令嬢のような失敗は許されない。

「大臣家の姫君だね。茉莉を妃に迎えることに反対している一派の孫娘だ。露骨な手を使ってくるなあ」

「むしろ姑息と言わないか、ああいう類のものは」

 軽口を叩きながらのワルツだが、周囲には仲むつまじく愛のささやきをかわしているように見えるだろう。実際、本心から楽しんでいるロードライトの表情は、いつもよりはるかに生き生きとしていた。

「楽しそうだな」

「楽しいとも」

 邪魔をしようと誰かが近づいてくるたびに、ロードライトは少々強引な動きでそれを回避する。強引と言ってもその所作はあくまでさりげない。さらに、変則的な動きをするたびに茉莉の服は空気をはらんで舞い上がり、下に見える衣の鮮やかな色彩に衆目はひきつけられる。そのため、不自然だと感じるものはいないようだった。

「悪意の矢を潜り抜けて、相手を完璧に見返したときの爽快感はたまらないものがあるんだ。知ってる?」

「まあ、分からなくはないが」

「そう来ないと」

 自分の腕にかかる重さが心地いい。周囲に満ちているのは、香水ではない、静かな深い森の中にいるような空気だ。ドロドロした世界にあってもその清冽さは失われていない。

 深く呼吸をして、ロードライトは茉莉の背に回した腕に力を込めた。



「東方の光、と言われるわけですわね。きらびやかですこと」

「うん」

 金糸で神殿章が縫い取られた神殿服を身につけたカレンも、ドレスを身にまとったミランダも、どちらかと言えば冷めた目でワルツを眺めていた。

「クロフォードと、ディクソン……」

「あら、またですわ。あちらはゲースケイル家の若造でいらっしゃいますわね」

 ミランダもカレンも、ロードライト達に「妨害」を行っている人物をチェックしているのだった。もっともこういう初歩的な嫌がらせは、いざとなったらトカゲの尻尾のように切り捨てられるよう、末端の人間が動いていると考えるのが妥当だが。分かったところで明確に罪に問えるわけではないが、人物同士のつながりから見えてくるものはある。

「陰険な手を使いますね」

 カーティスもジグも渋い顔をしている。武に長じた人間らしい一本気な気質は、ああいう類の嫌がらせを本能的に嫌悪してしまうらしい。

 それとは反対に、女性陣は顔を見合わせてくすりと笑みをかわした。

「大丈夫大丈夫、殿下はこういうのに慣れていらっしゃるから」

「相手が張った陰謀をおちょくり倒した挙句に綺麗に踏み散らかすのを生きがいにしているような方ですわよ。殿下の表情をよく見てごらんなさいな」

「……確かにいつもにも増してにっこにっこしてらっしゃいますけど」

「暗殺しようとしたら反対にやりかえされると言われて、直接手を下すことが出来ないもんだからこういう場で相手の権威を落としにかかってるんですのよ。涙ぐましくて笑えてきませんこと?」

 けろりと言って、カレンはグラスを口に運ぶ。ミランダの方も大して心配はしていない様子で、果実酒を侍女から受け取っていた。

「どう、カレン。今年の果実酒の出来は」

「まあまあですかしらねえ。渋みが少し強すぎる気はいたしますけれど」

 雑談を続けながらも、ミランダもカレンもロードライトと茉莉から目を離そうとはしない。さらにカレンは、合間を縫って自分の方を先ほどからちらちらと伺っている複数の視線に、にこやかに答えていた。もっとも、穏やかなのは表情だけで、口もとでは小声でこっそり「私に親父趣味はありませんことよこの下品なエロ親父。身の程をわきまえやがれ」とかなんとか悪態をつきまくっているのだが。

 独身の次期大司祭の夫の座を狙っている貴族の数は、王妃の座を手に入れたいと願っている娘や、その父親の数と同じ程度には、いる。彼らが近寄ってこないのは、王子の一の騎士と、その部下達が彼女達を取り囲んでしまっているからだった。騎士服をまとい、普段から鍛錬を怠っていない若者達に比べれば、遊び歩いている貴族達はどうしても見劣りする。カレンが典雅な文化を誇りとする水星宮の関係者であったのであれば話は別だったのだろうが、あいにくと地星宮は「労働」を至上とする、実力重視の神殿だ。

「このまま何事もなく終わればよろしいんですけどねえ」

「そうもいかんみたいですよ」

 ジグが言って、あごで楽団の方を指し示した。

 豊かな髭を蓄えた、小ずるそうな顔をした男が、指揮者の方にゆっくり近づいていっている。デビュタントの曲が終わり、ドレスをまとった姫君たちが国王夫妻に一礼してから散らばっていくそのタイミングを見計らって、男は指揮者に何かを話しかけ始めた。

「サル山の大将が出ましたわね」

 たまたまカレンの横にいて、果実酒を味わっていた若い騎士が、思い切りむせて目を白黒させた。彼よりはカレンの言動に慣れている騎士が、気の毒そうにその背をさすってやっている。

 渋っている様子の指揮者の肩を抱き、にやにやと下品な笑みを浮かべながらさらに男は何かを繰り返し、やがて指揮者が折れたのか、楽団に何かを伝え始めた。

「曲を変更させるようですわね」

 楽団が用意を始めたのを満足そうに見やると、男は大仰な所作で身を翻し、一直線にロードライト達の元へ歩いていった。

「……カーティス」

「はい」

 ミランダの瞳に剣呑な光が宿る。ミランダの手を取ると、カーティスは優雅に舞踏会場へと降りていった。カレンが軽く手を振って、それを見送っている。若手の騎士達も、ミランダの目配せの意図を理解して、それぞれパートナーや壁の花になっている令嬢達に声をかけて、ホールへと散っていく。

 神官であるカレンは、ダンスに参加することはない。自分の半歩後ろに立って、動こうとしない騎士を見上げ、カレンは小首を傾げた。

「ジグさんでしたかしら? 貴方は踊られませんの?」

「庶民出のぺーぺー騎士のお相手をしてくれる令嬢はなかなかいらっしゃらないんですよ。外見もこの通り、熊みたいですからね。人によっては近づいただけで泣き出されてしまって」

 ジグの正装はいかにも窮屈そうだ。手に持っているグラスがおもちゃに見えてしまうほどがっしりした体格のせいか、それともこういう場所が肌に合わないのか。両方の可能性が高いと踏んで、カレンは苦笑した。

「半分は嘘ですわね。貴方、『貴族のお嬢様』がそもそもお嫌いでしょ?」

「あ、……えーと」

「顔に書いてありましてよ。まあ、自尊心が高くて民を人間とも思っていない箱入り娘がほとんどですしね。教養の使い道は、『いい夫を見つけ、掌で転がしてなおかつサロンで円滑な人間関係を維持すること』――『貴族の男性の妻』には必要とされる技能でしょうけど、魅力を感じない類の人間の目には滑稽にしか映りませんわね」

「いや、そこまでは思っていませんが。……あ、いや失礼」

 結局カレンの意見を認めている旨の発言をしてしまったことに気づき、ジグは頭をかいた。ばつの悪そうな顔をするジグを嫌味のない笑顔で見て、カレンはかしげた首をゆっくり元に戻した。

「お暇でしたら横にいてくださいましな。その熊みたいな外見の男性が横にいてもなお声をかけてくるくらい骨のある人物となら、お話してもいいかと存じておりますの」

 袖口で口もとを押さえてほほほ、と笑うカレンに、ははは、と乾いた笑いを返し、ジグは次期大司祭のお願いを素直に聞きいれた。




「いや、大変よいものを見せていただきました。お許しいただけるのであれば是非私も一曲お相手をお願いしたいですな」

 話しかけ、茉莉の手を取ろうと伸ばされた手を、ロードライトが軽く制した。何か?と尋ねてくる視線を、ロードライトはあくまでにこやかに受け流す。

「……彼女の国では、伴侶でもない女性に軽々しく触れるのは失礼だとされている。ましてやミコトはかの国の巫女姫だ。軽率な振る舞いは慎むように、フックス」

 フックスと呼ばれた男は、大仰に驚いた様子で、大きく目を見開き、眉をしかめてみせた。

「ですが殿下、ミコト様はこの国の王妃となる事を承諾されたのでしょう? でしたらこちらの国の文化に一刻も早く馴染んでいただくのが筋というものでは」

 舐め回すような視線から茉莉をかばいながら、ロードライトいかにもいらついていますと言わんばかりに息を吐いた。じれていると踏んだらしく、フックスの口もとが奇妙な形に歪んだ。

「そもそも、巫女でありながら他国の王子の妻になるなど、通常では考えられないと思いませんか。巫女と言うのは普通、世俗と関わらないことで神性を保つものです。それともかの国は――いや、失礼。言葉が過ぎますな」

 東照の衣装を身につけた人間が近づいてきたのに気づいたのか、フックスはそこで会話を打ち切った。指揮者が指揮棒を振り上げる。次の曲が始まるらしい。

「では、失礼いたします」

 慇懃に頭を下げてそそくさとその場を後にしたフックスを見送り、ロードライトはやれやれと小さく肩をすくめて、茉莉の手を取った。このタイミングでは、ホールの外に出ることは出来ない。


 流れ始めた前奏に、ロードライトが動きを止めた。


「曲調が速いな」

 茉莉も気づいて小さくつぶやく。この後はしばらくテンポがゆったりした曲が続くはずだった。まだ不慣れな茉莉の事情を考慮して、そういう風になるように順序が組まれていたのだ。

「さっきの男か」

「だろうね。『火炎石の囁き』か。変調が混じる曲で、上級者向けなんだけどね」

 いっそ涙ぐましいほど婉曲な嫌がらせだねえとロードライトは呆れる。

「基本のステップは頭に入ってるよね?」

「ああ」

「よし。リードするから身を任せていて。舞踏会ってのはとにかく楽しんだ者勝ちだ。こういう曲は多少型から外れても、リズムに身を任せて楽しんでいいんだ」

 茉莉の腰に回された手に力が入った。

「顔をあげて、移動先を良く見ていて。いくよ。三、二、一!」

 曲が始まった瞬間に、ロードライトが茉莉を抱え上げた。彼女を抱き上げてくるりと回転すると、重ねられていた衣が花の様に広がった。

 王子の行動に驚いたのは、抱え上げられた茉莉だけではなかった。王子の周囲に集まっていたカップルも――先ほどロードライト達の邪魔をしようとした者も含めて――驚いてその場から離れる。茉莉を抱き上げて子供のように笑いながら回転を続け、歓声が起こったところでロードライトが茉莉を着地させた。腕を組みなおしてステップを踏みながら、茉莉は周囲を見渡した。

「はい、防衛完了。さすがはミランダだね」

 笑みを含んだ声が、上から降ってくる。

 周囲の男性の服に、氷色の騎士服が増えていた。すれちがいざまにロードライトがミランダに片目をつぶってみせる。デビュタントのダンスで「妨害しようとした」人間を騎士達は覚えている。彼らが踊りながら再びロードライト達に近づけないように、さりげなく人を配しているのだ。

「無事に集中できそうだ。じゃ茉莉、着物の裾踏まないように気をつけてね」

 テンポの速い曲をこなすには、茉莉の衣装の裾は長すぎる。ステップが早くなり、彼女の足がもつれそうになるたびに、ロードライトは茉莉にじゃれ付くふりをしながら彼女の足がかるく浮くほど強く茉莉を抱き寄せた。

「やりすぎじゃないか」

「役得って言って欲しいね。いいんじゃないか、皆も見ほれてることだし? それにしても」

 笑いを漏らしながら、ロードライトはミランダ達の方を伺い見る。くるぶし丈で布を重ねたドレスは、テンポの速いダンスでは、いちいち身動きをするたびに広がったり体の動きより少し遅れてなびいたりと、実に多彩な色を見せている。ミランダ自身もかなり身軽な方に入るせいか、まるで妖精もかくやといわんばかりの鮮やかさでステップをこないしていく。

 鯨の骨で膨らませたドレスは体の動きを制限する為に、あそこまで激しい動きは難しい。けん制の意味を込めて、ミランダ達は踊りの型をあえて少々外していたようだ。しかし、それが予想外に見目をよくする効果をもたらしたらしかった。


 いまや、異国の花をエスコートしている王子と、妖精のような一の騎士に、観衆の注目は二分されていた。


「この調子だとミランダは大変なことになりそうだねえ、ダンスの申し込みで。カーティスがどう切り抜けるか楽しみだ」

「……大概人が悪いな、お前も」

「そう?」

 まったく悪びれることなく、ロードライトは茉莉の手を握り直して首をかしげた。




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