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第七章 鉱術師の告白 2

 新年を迎える前の忙しさは、冬の嵐に例えられるほどだ。だがそれにもようやく決着がつき、なんとか新年を迎える用意を整えれば、ひとまず宮廷の空気は緩む。

 ご婦人方は完成したドレスとアクセサリーを組み合わせ、新年を迎える舞踏会に着て行く服を選ぶのに余念がないし、王宮に仕える侍女達はホールの飾り付けに追われる。


 全ての用意が整い、儀礼の手順の確認が終わる。

 街も活気づき、新年を迎える用意が整うと、白亜の城に鉱術による無数の明かりが灯される。


 新年の舞踏会が、始まるのだ。


 通常、貴族が舞踏会に出席する場合は、女性のパートナーを伴うのが礼儀だとされている。パートナーなしで舞踏会に参加できるのは、正式な婚約者以外に伴侶を持ち得ない王子、神に仕える神官達、そして、独身の騎士だ。後者の方は、家名の存続にこだわらず、王に命の全てをささげるという意味を込めて生涯伴侶を持たなかった騎士がいたことから始まった風習だ。

 無論、既婚者の騎士は妻や娘をエスコートするのが普通だし、独身の騎士も姉や妹、恋人、婚約者をエスコートしてくるものの方が圧倒的に多くはあるが。

 カーティスも数年前までは姉をエスコートして舞踏会に出席していた。しかし彼女達が結婚してしまってからは、一人で舞踏会に参加している。実際はミランダにつく形で城に上がっているのだが、騎士服を身につけている女性はパートナーとは見なされない。

 すっきりした気持ちのいい生真面目な若者。しかも出世が見込める有望株とあって、カーティスはこの手のイベントがあるたびに、ご婦人方、特に若い令嬢達からさりげなく誘いを受けまくっている。

 いちいち断るのも角が立つので、カーティス自身はまるで心のこもっていない、極めて他人行儀な態度で相手をしている。だが、無表情振りが「生真面目だ」という印象を逆に強くしているらしい。

 遠慮なくしごいていい後輩や思い切り勝負が出来る同輩達とは違って、女性には気を使わなくてはいけないし、常に細やかな対応が求められる。むせ返るような香水の匂いも実はあまり好きではない。

 円滑な貴族同士のお付き合いを保つ為だけに、いやいや出席しているようなものだ。

「さらに、今年は王子殿下の伴侶がほぼ決まり、と来てるからなぁ」

 諦めが悪い貴族の娘達はまだ頑張るかもしれないが、王妃の座を求めて王子に集中していた令嬢達のほとんどは、他に相手を探し始めるだろう。若い貴族達は大抵喜んでいるが、カーティスにはそのことも頭痛の種でしかなかった。

 愛想がないのは認めるが、女性が嫌いな訳ではないのだ。泣かせたり傷つけたりしたくないと思うのだが、傷つけずに申し出をやんわり断る上手い方法をカーティスは知らなかった。無駄に憂鬱になる。

 本人はどん底だったが、祭礼用の騎士服を身につけ、馬に乗っているカーティスはそれだけでも町娘の頬を染めさせるのに充分な気品があった。

 けれども彼はそれに一切構わずに、いつも通りにミランダの屋敷に向かっている。

 せめて、一晩彼女と一緒に居られることは喜ばしいと思おう。

 いつも通りに路地を曲がれば、屋敷の門が見えてくる。

「……あれ?」

 新年のリースと鈴飾りが飾られた門の前に、小さいが品のいい馬車が停められていた。カーティスは馬上で首をかしげる。この屋敷の住人で、舞踏会に出席するのは騎士であるミランダとユーロパだけだ。ユーロパの妻は既に他界しているし、彼にはミランダの他に娘はいない。ミランダもユーロパも騎士として登城するのだから、通常ならば馬車は必要ないはずだ。ユーロパかミランダが馬に乗れないような怪我でもしたのだろうか。それとも客人を迎えたのだろうか。ここは城から近いから、そうであっても不思議はないのだが、それにしては他家の御者や使用人らしい人間が見当たらなかった。

「こんばんは」

 日が傾き、夕日が街を染めている。門番の少年のブラウンの髪も、赤く光っていた。馬から降りて、手綱を彼に預けると、慣れた様子で少年が手綱を手に取り、馬の首を撫でて、その方向を変えた。

「こちらで馬の方はおあずかりしておきますね」

「いや、どうせすぐ城に向かうからこのままでいいよ」

「いえ、お預かりさせていただきます。カーティス様は馬車をお使いください。ミランダ様とご一緒していただくようにと、ユーロパ様が」

「ミランダ様が?」

 カーティスの表情が一気に険しくなる。

「何か、馬に乗れなくなるようなことでも」

「そうですねえ、あれでは乗れないでしょうねえ」

 門番の少年の言を最後まで聞かず、カーティスは屋敷の方へ駆け出していた。手綱を預かった少年は、笑顔でその様子を見送る。

 何か勘違いしているようだが、その誤解も屋敷に行けばすぐ解けることだろう。

 ミランダのことでカーティスが暴走するのはいつものことなので、屋敷の住人も慣れたものなのだった。



「カーティスさん、おつか……」

「こんばんは失礼します!」

 ものすごい剣幕で言い捨てて、カーティスはシーツを抱えたメイドの前を走り抜ける。あまりの勢いに、若いメイドがあっけに取られた様子でカーティスが駆け去った方を見送った。だがその数秒後にはカーティスがものすごい勢いで戻ってきて、メイドの前で立ち止まった。彼女が手にしていたシーツが、屋敷の中だというのにばたばた音を立てて翻った。

 目を点にしているメイドに、カーティスは妙に据わった目で尋ねた。

「ミランダ様はどちらにいらっしゃいますか」

「ご、ご自分のお部屋で用意をしていらっしゃいますが」

「どうも!!」

 今度こそ、カーティスは階段を駆け上って、廊下の向こうに消えていった。

 その様子を、メイドはただぽかんと見送った。呆れる暇さえなかったのだ。



 ミランダの部屋の前に立って息を整えてから、カーティスはコンコン、とドアをノックした。さして大きくはないが重量感のある扉の向こうから、はーいと返事が聞こえてくる。声の様子はいつもと変わらない。元気そうだ。いくらか安心して、カーティスは肩から力を抜いた。

「ダン? 何かあっ……」


 キィ、と音を立てて内開きの扉が開かれ、中から女性が顔を出し……


 カーティスを見上げて、固まった。


「……うぇ?」

 カーティスの声は裏返っていた上に意味不明だった。視界に飛び込んできたものがなんなのか、一瞬本気で理解できなかったのだ。


 横の髪をすくってリボンでまとめているところ以外には装飾らしい装飾も見当たらず、自然に流されている練り絹色の髪。柔らかなシルエット。


 装飾は随分控えめだったが、ミランダが身にまとっていたものは、紛れもなく女物の――


 だがカーティスが何が起こったのか理解するよりも早く、何故かミランダの部屋のドアがバタンと音を立てて閉められた。全力で閉めたらしく、カーティスの髪が風圧で数本後ろに流れた。音でようやく我に帰ったカーティスが、慌ててドアをノックしなおす。

「て、ちょ、ミランダ様!? 今のは一体!?」

 ドンドンと叩かれるドアの振動を背中で感じながら、ミランダは何故か後ろ手で扉の鍵をかちゃりとかけた。

(あ、あれ、あれ?)

 心臓がせわしなくばくばくと音を立てている。カレン、養父であるユーロパや家人達に珍しがられながら見つめられた時には、こそばゆいような気持ちになりこそすれ、恥ずかしいとは思わなかったのに。

「ど、どうしよ……どうしよ」

「どうしようと申されましても」

 ミランダはオロオロと視線をさ迷わせている。ここに務めて結構な期間になる古株のメイドたちでさえ、彼女がここまで取り乱しているのを目にしたのは初めてだ。

 メイド達が、苦笑して顔を見合わせた。

「あの、レイア、メイ。今からいつもの服に着替えたりはできない、かな。やっぱり……」

「「出来ません」」

 本当は出来ないこともないのだが、二人のメイドは極上の笑みを顔に浮かべ、測ったようなタイミングでミランダの申し出を却下した。

 我が家自慢のお嬢様が、ようやく女性らしく着飾ることに興味を示してくれたのだ。華美になり過ぎないように、けれども決して他の令嬢に見劣りすることのないよう、彼女達は執念と言っても過言ではないほどの気合を入れてミランダを飾り立てた。今更、品はあるがいまいち華やかではない騎士服に着せ替えるのは、彼女達のプライドが許さない。

「いつまでそこで扉を塞いでカーティスさんを締め出しておかれるつもりですか。開けますよ、ほら」

 ぺっとミランダを扉からひっぺがし、年上のメイドが扉の鍵を開きにかかる。ミランダは慌てて左右を見渡して、入り口からは死角になるベッドの後ろに飛び込んだ。


 鍵を開ける音が、部屋に響いた。扉を叩く音が止む。


「失礼いたしましたカーティス様」

 扉の向こうから現れたのは、メイという古株のメイドだった。カーティスは曖昧に頷いて、部屋の中を覗きこんだ。

「ミランダ様は……」

「いらっしゃいますよ。準備も丁度出来た所ですの」

 笑顔で言って、メイはカーティスを部屋の中に招き入れる。シアという若いメイドが、ベッドの後ろに隠れている人物の手首を掴んで、ぐいぐいと引っ張っていた。

「隠れてどーするんですか。そろそろ出発のお時間ですよ」

「ま、まって待って!!」

 覚悟が、とかなんとか必死に言いながら、シアに引っ張られる形で、ミランダが出てくる。カーティスは大きく目を見開いて、まじまじとミランダを見つめた。


 彼女が身にまとっているのは、氷色を基調とした、どことなく騎士服を思い起こさせるデザインの、シンプルなドレスだった。丈は足首までしかなく、鯨の骨でパニエを膨らませたりといったような装飾は一切なされていない。レースを数枚重ねてかたちづくられた服のシルエットは、ミランダの細身を良く際立たせていた。それが、派手ではないがしとやかに咲く野の花のような可憐さと凛々しさを感じさせる。

「ミランダ様、それ、は」

 観念したのか、ミランダはメイから離れて、赤い顔のままカーティスの方に歩み寄ってきた。恥ずかしがっているのか、いつもより動作がぎこちなく、それがかえって初々しさを際立たせている。


(ドランスフィールドが言っていたのは、このことか……)


 ミランダがドレスを作らせている事を、ジェラルドは知っていたのだ。と、いうことは。

「もしや、どなたかからの贈り物、でしょうか?」

 未婚の女性にドレスを贈ることが出来るのは、女性の父親や兄などの血縁者を除けば、結婚を約束した男性に限られる。ミランダがもし、ジェラルドから贈られたドレスを身につけていたとすれば、それは。

 しかしミランダは、首を左右に振ってあっさりそれを否定した。

「ううん。私が自分のお金で買ったの。ジェラルド殿はたまたま通りかかって、見立てにつきあってくださっただけ」

 最悪の事態ではなかったようだと分かって、カーティスはほぅと息を吐いた。

 それを違う意味に取ったのか、ミランダがあわててメイの方に向き直る。

「ほ、ほらやっぱり似合ってないんだよ。ね、着替え、着替え!!」

「お似合いですよ、とても」

 ばっとミランダがカーティスを見上げて、ばきんと硬直した。

 とろけそうに優しい視線の中に、ほんの少し悔しさをにじませて、カーティスがミランダを見下ろしていた。わずかに落ちた陰が、カーティスの表情に思わぬ色香を与えている。

「雪の妖精が舞い降りたのかと思ってしまいました。……そりゃ、私はこういう方面のセンスは皆無ですから、ドランスフィールドの見立てで正解だとは思いますよ。今回に限っては感謝したいくらいです。……秘密にされていたのが、なんだか複雑ですけれど」

「う、いや、ジェラルド殿が通りかかったのは、ほんとにたまたまで。ドレスを着てみようかなって思ったのもなんとなくだったから、特に言うほどのことでもないかなって……。それに雪の妖精って、そんな、おおげさな」

 地味にしてくれってお願いしたんだよと言って、ミランダは乱れた髪をかきあげた。居心地が悪いらしく、視線はうろうろとさ迷い続けている。

「ユーロパ様が、エスコートはカーティス様にお願いするようにと申し付けられたのですが、よろしかったでしょうか?」

 横からメイがしれっと言い添える。

 その言葉にまず反応したのは、カーティスではなくミランダだった。

「え、エスコート!? いいよ、いらないって! いつも通り、一人で……」

「たとえ騎士様であっても、ドレスを身につけた女性は男性にエスコートされるのが普通でございます。ミランダ様、ユーロパ様に恥をかかせるおつもりですか?『娘のエスコート役もろくに見繕えない父親だ』と」

「うっ」

 メイの発言は的確で反論のしようがない。ぐっと押し黙って、ミランダは胸の前でせわしなく手を組み替えた。

「でも、カーティスの方の都合も聞かないで、そんな、勝手に……」

 メイド達が、深い深い溜め息をついた。この家でカーティスの気持ちに気づいていないのは、間違いなくミランダ一人だけだ。大体、エスコートする相手がいるのなら、カーティスは最初からこの屋敷に来たりはせずに、相手の家にむかっているはずだ。


 すっかりペースを乱されて青くなったり赤くなったりしているミランダの様子がもう舞踏会なんぞに行かずにこのままかっさらってしまいたいほど可愛いと、カーティスはしみじみ思う。連れて帰ったら理性が持たない自信があるのでやらないが。


 ミランダにそっと近づいてその手を取ると、ミランダは弾かれたように顔をあげた。

「あの、カーティス」

「――ミランダ様さえよろしければ、この花のような白い手の甲に口づける事を、お許しいただきたいのですが」

 背をかがめて視線をミランダに合わせて尋ねる。貴婦人をエスコートさせて欲しいという意思表示に当たる儀礼だ。

「……あの、でも」

 まだ何か言おうとするミランダの瞳を、カーティスはただ優しく微笑みながら真っ直ぐに見つめた。ミランダの反論はやがて尻すぼみになる。それでも彼女はまだ頬を赤くして小さくもごもご言っていたが、やがて小さく首をかしげて、うん、と頷いた。

 取った手はそのままに、膝をついて、カーティスはミランダを見上げる。

 手の甲に唇を寄せる。吐息が肌をくすぐり、ミランダが身をこわばらせるのがはっきり分かった。

 唇が触れるか否かというところで、中指の先から手の甲の中央までをたどり、カーティスはそこに静かに唇を寄せた。




 ああ、失敗したかもしれない。

 カーティスにエスコートされ、馬車を降りるのに手を差し出されたり、上着を持たれたり、椅子を引かれたりするたびに繰り返していたミランダの心中の嘆きは、ロードライトを目の前にしたところではっきりとした形になった。

 白地の生地に金糸で緻密な刺繍が施された、古風だがきらびやかな夜会服を身につけたロードライトは、物語の中から抜け出てきた王子もかくやといわんばかりの優雅さを漂わせていた。

 その王子が大きく目を見開いたかと思うと、喜色を満面に浮かべ、ミランダをカーティスからさりげなく引き離すように抱き寄せてこう叫んだのだ。

「すぐに宮廷画家を呼んでくれ! この姿は是が非でも絵姿に留めておかなくては!!」

「冗談も休み休みおっしゃってください、殿下!」

「何を言うミランダ、僕は極めて真面目だよ。ああ真面目だとも!!」

 本人の言葉の通りだった。ロードライトの顔は輝いてはいたが、その瞳には悪戯を企んでいる時独特のひょうひょうとした印象が全くない。ロードライトの本気を感じ取って、ミランダの顔は赤を通り越して青くなった。夜会服のまま部屋を出て行こうとするロードライトの袖をつかむ。けれどもこれをこのまま引っ張って形が崩れでもしたら、と思うとどうしても行動に移せないらしい。結局ミランダは袖に軽く手を添えるだけで、半分涙目になってロードライトを見上げた。

「お願いですからやめてください……」

 放っておけばそのまま泣き出してしまいそうだ。普段のペースを乱されているせいだろう。酒が入っているわけでもないのに弱々しくなっているミランダは、保護欲をかきたてられる分、いつもにも増して可愛らしく見えた。ミランダの両手を取って、ロードライトは彼女の顔をまじまじと見つめた。いくら容貌が整っていても、ミランダはロードライトに気圧されて赤面するということを全くしない。実の妹なのだから元々そういう欲求がわきあがるはずもないのだが、本当にこの娘に対してはかまをかけて動揺を誘ってみようと言う気が起きない。

 途方に暮れた子猫のような様子で見上げられ、ロードライトの胸に別の衝動がこみ上げてくる。その欲求に、彼は今回ばかりは素直に従うことにした。

「可愛い……っ!!」

 がばりと両手を広げて抱き寄せられ、ミランダはきゃあ、と小さく悲鳴をあげた。その様子は、周囲のものに尻尾をピンと立てて、全身の毛を逆立てた猫を連想させた。じたばた暴れるミランダを腕の中に閉じ込め、ロードライトはしみじみとつぶやいた。

「ミランダのドレスのセンスがこんなにいいとは思わなかったよ。ドレスを作らせた職人を後で教えてくれるね? 似合うものを沢山注文させるから。夜会だけとはいわず、普段も機会があれば身につけて欲しいものだね」

「殿下ああああぁぁぁぁぁー!?」

「もちろん、僕名義では不都合があるだろうからユーロパを通すさ! 心配しなくても大丈夫だよ。……いや、いっそ、王家の呪いの件も何もかも公表してしまえば僕も堂々とドレスをプレゼントできるかな」

「ろくでもないことをおっしゃらないでください! ドレスで騎士の任を務められるはずがないでしょう! そんなことで公表されるんでしたら、私この後一生涯ドレスは来ませんからっ!」

 半ば錯乱状態になりながら、ミランダは必死に主張する。せっかく整えられた髪が崩れるのではないかと思われるほど暴れるのが激しくなった時点で、ロードライトは腕をようやく離した。ぜいぜいと肩で息をしながら、ミランダが顔を真っ赤にしてロードライトを見上げている。

「も、もうもうもうもう!!」

 口の中で小さくつぶやき地団太を踏んで、ミランダは苦笑しているカーティスと、にこにこしながら腕を組んでいるロードライトを交互に見やった。ドレスに着替えてから、ペースがことごとく狂わされっぱなしだ。ロードライトがマイペースなのはいつものことだ。しかし「ドレスを身につけたご婦人にそんな振る舞いをするわけには参りません」とカーティスが主張して、ミランダを徹底的に女性扱いし、元から動揺していたのに加えての猫っかわいがり攻撃だったために、彼女の精神的な疲労はすっかり限界を迎えていた。

 カーティスはいつも優しい。優しいけど、今日はなんだかいつもと違う。手を取られたり優しく微笑まれたりエスコートされたり、「女性に対する騎士の態度」をとられるたびに、ミランダの心臓がばくばく音を立てて暴れ出すのだ。

 いつもは全く平気なのに、なんで。

 自分で自分がすっかり分からなくなって、ミランダはついにきっと顔をあげて、目の前の男性二人をにらみつけた。

 ロードライトとカーティスが、きょとんとミランダを見つめ返す。ぎゅっと拳を握り締めて、赤い顔で二人を睨み続けた後で、ミランダは唐突にくるりときびすを返して、開け放たれていた扉から駆け出して行ってしまった。

「ミランダ様、どうなさいましたか!?」

「ついてこないでーっ!!」

 と、言われても、あんな状態の彼女を一人で放り出していいと思える男がいるはずもない。後を追おうと足を踏み出しかけたカーティスの目の前に、すっと長い腕が差し出された。足を止め、カーティスはあまり礼儀正しいとはいえない態度で、腕の主に目を向けた。

「……なんでしょうか」

「しばらく一人にしてやるんだね。動揺させ続けで、冷静になる時間を与えないのはフェアじゃないだろう」

 あんたが邪魔したいだけじゃないんですかと言いたいのを、カーティスはぐっとこらえる。ミランダが駆け去った方向を、ロードライトは愉快そうにながめた。

「可愛くて仕方がない気持ちはよーく分かるさ。だけどミランダで遊んでいいのは僕だけなんだよ。お分かりかな?」

「分かりたくありません。というか、遊ぶってなんですか遊ぶって。ミランダ様の誠意を、殿下はそういう風に受け取っていらっしゃるのですか?」

「遊ぶのは僕の最大の愛情表現なんだよ。分かってくれる人が少ないのが悲しいんだけどねえ」

 くすくす笑う王子の声は甘く、その動作はあくまでも優雅で、それだけにタチが悪い。

「……ミコト様では遊んでいらっしゃるようには見受けられませんでしたが」

「ミコトはねえ、真顔ですっとんだ事をやったり言ったりしてくるからね。遊んでる余裕がないんだよ、こちらも」

 一応他人事ながらも、ミランダの立場が不憫で仕方がなくなって、カーティスは溜め息をついた。たとえ恋をしても結婚しても、子供を持ったとしても、彼女の一番はこの王子であり続けるはずなのだ。それに相応しいものを、ロードライトがミランダに返しているとは、カーティスにはどうしても思えなかった。

 国王に忠誠や命を捧げる騎士や家臣は多い。そのひとつひとつに、王が命で応える必要は無論ない。王が応えるべきなのは国民の期待であり、守るべきなのもまた名もなき民の生活だ。けれど。

「カーティス」

 名前を呼ばれ、カーティスははっと我に帰った。ロードライトの青色の目が、すっとすがめられた。心の中の不満を読み当てられたような気がして、カーティスは全身に緊張が走るのを感じる。

 背中を壁に預け、ミランダが走り去った廊下の向こうに目をやって、ロードライトは目元を和ませた。その顔には打算も何も浮かんではいない。

「長い間、城に閉じ込められるようにして育てられて。それが当然だとは思っていたし、分かってはいたけど」

 唐突な話にとっさについていけず、カーティスは怪訝そうに眉をしかめた。

「?」

「……城の中の世界しか知らなかった僕が、初めてミランダの剣舞を目にしたときの衝撃を、君は想像できるかい。あれほどの技能を持った子が、狭い世界しか知らなかった僕の前に膝をついて忠誠を誓ったんだ。その時、僕は自分の立場をつくづく馬鹿らしいものだと思った。つまり貴石ってのは、体のいいお飾りなんじゃないかってね」

「馬鹿な事をおっしゃいますね」

 まだ若造のカーティスにさえ、ロードライトの言は馬鹿馬鹿しい物に聞こえた。ロードライトの形のいい眉が跳ねる。理由を尋ねられているのだと悟って、カーティスは素直な気持ちを口にのぼらせた。

「王の器は、剣の腕で決まるわけではありません。どれだけ国の事情に精通しているのかで決まるものでもありません。そんなものは、その技能に長けたものの助けを借りればいいことです。優秀な者達を惹きつけ、その者の資質を最大限に引き出し、理想となる世界を描けること、それが王者に求められる資質でしょう」

「ミランダにはそれがないとでも言うのかい」

「武人の忠誠を得ることは容易でしょう。ですが武に偏りすぎた人間は文官から反感を買いやすい。武人というのは、とにかく自分の誇りを重要視し、栄光ばかりを追い求める節があります。ですが武ばかりでは国は成り立ちません。武官に慕われる者、文官をまとめる者、神殿の信頼を得ているもの、そういったものを全て惹きつけ導けるものだけが、王者と呼ばれるべきです」

「それが、僕だと?」

「客観的に見て、文句のつけようはありませんね。私個人はさほど惹かれはしませんが」

「嫌われたものだ」

 言葉とは裏腹に、ロードライトの表情は柔らかなままだ。カーティスはむすりとした顔を、さらに険しくした。

「ミランダ様が貴方に忠誠を誓い続ける限り、心配なさらずとも私も貴方に逆らう気はございません。ミランダ様と殿下、どちらかしか助けられないという場面に遭遇しても、私は貴方をお救いするでしょう。……貴方ではなく、ミランダ様のために」

「僕がミランダの一番であり続ける限り、僕はカーティスには嫌われ続ける覚悟をしなくてはいけないということか。……損な性分だな、お前。素直すぎるのも考え物だぞ。少しは駆け引きを学んでおけ」

「お言葉ですが、私が『殿下を騎士として家臣としてお慕いしております』と申し上げて、それを信じてくださいますか?」

 ロードライトは遂に声を上げて、軽く笑った。肩章につけられた金の房飾りが揺れ、蝋燭の光を弾く。

「――信じないだろうね。これっぽっちも。まあ、ミランダに信頼されるような王者であり続ければ問題ないわけだから、文句をつけるつもりはないけど」

 くすくすくすと笑い続けて、ロードライトがふっと言葉を切った。耳にかかっていた金の髪をかきあげ、壁から背中を離して背筋を伸ばす。

 青い外套が空気をはらんで、海原を行く波のようになびいた。

「要するに、まぶしかったんだ。あれほど強くて、国の全てを知っている子が妹だと知らされて。けれど第一子が第二子に憧れるなんてことは、許されることじゃないからね。最初は少しでも近づきたくて、過剰にかまってみる形でちょっかいを出してみて――そのうち、本当に可愛くて仕方がなくなった。とにかく一生懸命で役目をこなすことしか考えてなくて、放っておけば勝手に不幸の道にどんどん踏み込んで行きそうな危うさがあってね。ああ、守らなくてはと思った。そうすれば、本当の意味であの子を『妹』に出来る気がして」

 カーティスは黙って、未来の主になるであろう人物を見つめ続けた。おどけた様子で、ロードライトが肩をすくめる。照れ隠しだろうか。だが顔は少しも赤くなっておらず、表情さえもいつもと変わらない。真意を測りかねて、カーティスはただ、王子の言葉の続きを待った。

「呪いがどうしようもないもので、僕にそれを解く気がさらさらない以上、あの子を不幸にしないために出来ることは一つしかない。ミランダを駒として使わなくてはいけないような事態を許さないこと。国の平和を保ち、闇から闇に葬らなくてはいけない人間を、必要最低限にとどめること。そして何より、呪いも何も関係なしに、忠誠を捧げたいとミランダに思わせる人物であり続けることだ。……つまりは優秀な王になることだな」

 僕の初恋は多分ミランダだったんだろうなあと続けて、ロードライトはカーティスを見返した。

「もちろん、今では、守りたいものはミランダだけではないけどね。でもなあ、これでも結構頑張ったんだから、ミランダも、ちょっとくらい僕のわがままを聞いて、『お兄ちゃん』って呼んでくれてもいいじゃないかと思わないかい?」

 心の底から嫌気がさして、カーティスは深々と息を吐いた。筋が通っているのかいないのかさえさっぱり分からない事を並べ立て、しかもロードライトはそれをきっちり実行してのけている。なんですかその理屈はといいたくても、文句のつけようがないのだ。


 負けた、と思った。考え方がそもそも違う。ミランダを幸福にするためにやろうとしていたことの次元が、自分とロードライトでは違いすぎる。


 叶わない、この人には。多分、一生かかっても。


 敗北を認める代わりに、カーティスは一つ、王子に助言を贈ることにした。

「ミランダ様が、ユーロパ様をご自宅で何と呼んでいらっしゃるか、ご存知ですか」

「うん?」

「『ユーロパ養父様』です。天地がひっくり返っても、あの方は『お兄ちゃん』とか『お父さん』とかおっしゃる方じゃないんです」

 それなりに興味を引かれたらしく、ロードライトはふむと唸って、口元に手をやった。

「基本的に口調は丁寧な子だからなあ」

「ええ。ですからせめて、『兄様』とか『兄上』からはじめてみる事をおすすめしますよ。……それでは」

 一礼して、カーティスは今度こそミランダを追いかけるために走り出した。ブーツの音が、石造りの廊下に幾重にも響いて消えていく。

「襲うのは僕とユーロパ、それに父上の許可を得たうえで、本人の了承を得てからにしろよ」

 背中に声をかけると、カーティスがわずかによろけた。何か抗議しようと振り返りかけたカーティスの声を最後まで聞かず、ロードライトは扉を閉じてしまう。とりあえず妹が冷静になれるだけの時間は稼いだ。自分の役目はここまでだ。


「兄っていうのは損な役回りだと思わないか、ねえ」


 窓際まで歩いていってカーテンを一気に開く。厚い布地と、ガラス扉の向こう、バルコニーの手すりに、異国の姫君が腰掛けていた。

 幾重にも重ねられた、色鮮やかな絹の衣装。これほど鮮やかに布を染め上げる技術は、クラルテには存在しない。しかもその大部分は、重ねられて、裾がわずかに見えるだけだ。もちろん、色の重なり合いは溜め息が出るほど美しかった。だが、たったそれだけのために下に身につけている着物にまで、一番上に羽織っている着物と同じように刺繍や細工が施されているのだと聞かされれば、美しさに見ほれるより先に東照という国の豊かさが空恐ろしいような心地になる。

 漆黒の髪は、一部分が後ろで高く結われ、そこに金細工の装飾品が飾られている。他にはネックレスも、腕輪も指輪も身につけられてはいない。きらきらと光を弾く細工物の先に、赤紫の色石で作られた花が揺れていた。


 柘榴石の一種――ロードライト・ガーネットだ。

 偶然であったが、それをあしらった装飾品が東照にもあったのだという。


 彼女を良く知っている侍女の指示で飾り立てられただけのことはあると、ロードライトは内心で舌を巻いた。この上もなく贅沢な衣装や装身具が使われているにもかかわらず、その清冽な美しさは少しも損なわれていない。薄い、すけるような布が幾重にも重ねられたスカート、色鮮やかな刺繍が施され、大胆な形に結ばれた帯。全てが彼女に一層の彩りを与え、周囲を静かに圧倒する威厳を持たせていた。

「……綺麗だ」

 息を詰めて、言葉を探して――結局それしか言えずに、ロードライトは黙って片手を差し出した。その手に自分の手を重ね、茉莉が手すりから舞い降りる。肩にかけていた薄い布が、月光に染められながら不可思議な模様を宙に描いた。

「私には、お前が周りをいいように振り回してるとしか思えなかったが」

 渾身の褒め言葉には欠片も反応せずに、茉莉は扉に目をやって、ついでロードライトに視線を戻した。

「あの黒い騎士が、お前の妹に想いを寄せているのがそんなに面白くないのか? 誠実そうな、申し分のない男だと思うが」

「どんなにいい男でも、妹をかっさらっていく男は気に食わないものなんだよ。そりゃ、ミランダの周りに居る男達の中では一番マシだし、他のどんな男より、カーティスはミランダを幸せにするだろうとは思うけどね。でもなあ」

「自分がまだ、ミランダ殿に兄と認知してもらっていない、もう少し兄貴風を吹かせたいというところか」

「うん、そんな感じ。旦那が出来たらさあ、プライベートの大部分はやっぱりそっちに持っていかれちゃうんだよね。お茶に付き合ってとか、気軽に言えなくなるし」

 でも、もう時間の問題だろうなあ、ミランダが揺れ始めちゃったからなあと呟いて、ロードライトは唇を尖らせた。正装に似合わない子供っぽい仕草に、茉莉はふと目元を和ませた。

 袖を手で押さえ、茉莉は片手をロードライトの頭に伸ばした。子供をあやすように金色の髪を軽く撫で付ける。ロードライトはますます不機嫌になって、その手を自分の両手で包み、茉莉の華奢な指を自分の口もとに運んだ。

「――なぐさめてくれるなら、別の方法がいいんだけど」

「望むなら応えるが?」

 あっさりと反応を返される。茉莉の態度は相変わらずだ。分かっているのかいないのか、本当に手を出して大丈夫なのかさっぱり分からない。とうの昔に了承らしきものをもらいながら、ロードライトがなかなか一線を越える気にならないのは、このあたりも原因だった。

「あのさ、茉莉。本当に何をするか分かってる?」

「さあ、知らん」

「知らないでそんなにあっさり了解してたのかい!?」

 さすがにいくらか呆れながら、ロードライトが彼女の手ごと腕を下ろす。絡まった指の先、手袋越しにロードライトの体温を感じようとするように手に力を込めて、茉莉はロードライトを見上げた。

「話には聞いているが、私が体験したことはないんだ。話と経験は全く違うものだろう。お前に抱きしめられて安心するのも、時々妙な風に背筋に震えが走るのも、話に聞いたことはあっても、体験するまで実感というものはさっぱりだったんだ。だから、私はまだ、睦みごとがなんなのか、はっきりとは知らない」

 そういう意味かと安心して、ロードライトは肩から力を抜いた。体験したことがない、という言葉に、不謹慎だと思いながらも少しだけ胸が躍る。彼女に全てを教えることが出来る存在が自分だけであればいいと、どうしても思ってしまうのだ。それが理不尽な独占欲だと分かっては居ても。

「ロード」

 愛称で名前を呼ばれるのが、これほどこそばゆいとは思わなかった。背をかがめて目線を合わせると、茉莉がすっと瞳を伏せて、軽く唇を合わせてくる。柔らかなぬくもりが、羽のように唇を掠めた。彼女をこのまま抱き寄せて、深く口づけてしまいたくなるのを、ロードライトはぐっとこらえた。

 今そうしてしまえば、きっと歯止めがきかなくなる。それが痛いほど分かっていたから、自制心をかけられる最後の段階で何とか踏みとどまる。そんなロードライトの心情を分かっているのかいないのか、茉莉はロードライトの瞳を、至近距離から真っ直ぐに見上げた。

「体験したことはないが、いろいろ大変らしいということは聞いている」

「らしいね。特に、女性は」

「ああ。だが、お前が相手なら、それを経験してもいいと思った。だから構わないと言ったんだが」

 やはり、茉莉の顔には照れだの恥じらいだのは全く浮かんでいない。けれどもその顔は真剣そのもので、本気でそう思っているのだと、ロードライトにもはっきり分かった。

 真っ赤になって固まってしまったロードライトを、茉莉が不思議そうに見上げる。

「どうした?」

 ぎこちなく茉莉から視線を外して、ロードライトは異国の姫君を腕の中に抱き寄せた。嬉しいんだかなんなんだか分からないが、とりあえず茉莉を見つめ続けていたら多分正気を保っていられない自信があった。けれど彼女から今離れる気にはなれなくて、腕の中に閉じ込めてぬくもりだけを感じる事を、ロードライトは選んだ。

「うん、あのね、普通こういうことは男の方が迫るもんで、僕のほうが照れるのはありえないと思うんだけど、そもそもそういう常識を茉莉と僕に当てはめることのほうがまちがってるのかなーなんてははははは」

「女性の側が恥じらうものなのか。では努力してみよう」

「いや恥じらいって、そもそも努力してどうにかなるものじゃないから」

 そうか、と言ったきり、茉莉は沈黙してしまう。息遣いだけが聞こえてきて、ロードライトはやがてゆっくりと鼓動が静まっていくのを感じた。

 人が生きる気配がすぐ傍でするというのは、これほど安心するものなのだ。

「……茉莉」

「なんだ」

「じゃあ、今夜開祖に君を紹介したら」


 そこで一旦言葉を切って、ロードライトは茉莉の耳元に唇を寄せた。


 ――今夜は君が、僕の部屋に来て。


 囁かれた言葉に込められた熱が伝染したのだろうか。

 茉莉が初めて、わずかに頬を赤く染めた。

「……お前の熱が移ったじゃないか。どうしてくれるんだ」

「あ、良かった。さすがに全然動揺してくれないんじゃ、僕も自信をなくすからね」

 頬を押さえて小さく文句を言おうとした茉莉に、今度はロードライトの方から軽く口づける。

 片手を優雅な所作で取り、空いた手は彼女の肩に回して、ロードライトはにやりと不敵に微笑んだ。

「さて、まずは未来の王妃をクラルテの人間にお披露目しなくてはね。言っとくけど、今夜集まってる連中の大半は、人間の皮を被った狸だからね。お覚悟の程は?」

「人間の言葉を喋る化け物をあしらうのには慣れている。どこまでこちらの流儀が通じるかは分からんが、出来る限りやってみよう」

 頼もしい返事に、ロードライトが頷く。

 肩に回した手に力を込めると、信頼を寄せている印を示すように、茉莉がロードライトのほうにわずかに体を寄せた。

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