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第七章 鉱術師の告白 1

 「望んでなかった、こんなこと」

 知っていた。

 「…もう、わからないわ」

 口にするのは、憤りと悲しみばかりで。

 …それでも、構わなかった。


 生きていてくれるなら、ただそれだけで、充分だった。




 祈りと呪いは、いまだに彼女をここに縛っている。




「……」

 朝の光が、厚いカーテンのすき間から漏れてくる。体の上にかかっていた毛布をゆっくり横にどけて体を起こし、茉莉は目を伏せて、思案にふけっていた。

 小鳥のさえずり、暖炉にくべられた薪が爆ぜる音。部屋の中は既にメイドによって整えられ、服も揃えて置かれている。用意された寝巻きはこの国のものだったが、白い質素なネグリジェには余計な装飾が一切なく、彼女の黒髪をその白い布地によく映えさせていた。

 トン、と窓枠が揺れる音がして、茉莉は思考の渦から現実に引き戻された。

 寝台の端まで四つんばいで移動し、裸足で絨毯の上に足をつけて、寝台から降りる。毛足の長い絨毯に、足がわずかに沈む。眠っている間に乱れないようにまとめていた髪を解いて、頭を軽く振る。一息にカーテンを開けると、ガラス扉の向こうでロードライトが片手を挙げていた。こちらも質素なシャツにゆったりとしたパンツ姿。要するに、寝間着だ。

 ロードライトたっての希望で、茉莉の部屋は彼の部屋の近くに用意されていた。それが災いしたのか幸いしたのかは茉莉には確かめようがなかったが、何故かロードライトはあの日から、茉莉の部屋で休む、と見せかけて寝る前にこっそり自分の部屋に戻り、朝方こうして誰もいない隙を見計らって、こっそりまた茉莉の部屋に戻ってくるようになった。

 ロードライトが相好を崩して鍵を指し示す。いつものことなので茉莉も慣れたものだ。内側から鍵を開けて窓を開くと、ロードライトがは、と息を吐きながら、茉莉の頬に両手をぴたりと押し付けた。その冷たさに茉莉が軽く身をすくめると、ロードライトは何がうれしいのか、弾んだ声でこう告げた。

「いやあ、さすがに寒かったよ!」

「だったらこんな面倒な事をせずに、最初から自分の部屋で休むか、私の部屋で休むかしたらどうだ」

 彼は窓の外に生えている木を伝ってここと自分の部屋を往復しているのだが、寒い季節になれば手足がかじかんで、万一の事態が起こらないとも限らない。新年の慶賀を控えたこの時期、顔に傷でもついたら一大事だということくらいは、さすがに茉莉にも分かる。

 尋ねると、ロードライトはがりがりと頭をかいた。

「……ここで休んでもいいの?」

「構わないが」

 あっさり了承した茉莉の顔をまじまじと見つめてから、ロードライトは笑みをわずかにこわばらせた。朝の刺すような寒さが原因ではない、困惑を忍ばせた笑いだ。

「ただ眠るだけじゃないって、わかってるよね」

「睦みごとか」

 さらりと返事をする茉莉には、恥じらうとか困惑するとか戸惑うとか、普通の女性ならありえる反応が一切ない。さて、どうしたものかとロードライトが迷っていると、風が音を立てて庭を走り抜けていった。金色の髪が風邪に乱され、その寒さに彼は身を縮めた。

 窓枠に右手をかけ、空いた手で茉莉がロードライトの手を取る。

「とりあえず、入れ。ここにいては風邪をひく」 



「夢?」

「ああ」

 衣擦れの音がいやに耳につく。背中合わせになる形で、リンネルのシャツを身につけながらロードライトは尋ねる。正装する時はさすがに侍女に着せてもらうが、いつもはそんな面倒なことはしない。

 茉莉は茉莉で、いつものあの服を身につけているはずだった。ご夫人の場合はコルセットを締めたりするのに侍女の力が必要なので、一人で着替えとはなかなかいかないものだが、茉莉の服には当然そんなものはない。彼女の着替えも一人で充分なのだ。

 ベストを身につけると、ロードライトは髪をくしゃりといじって整えてから、後方に「お伺い」を立てた。

「終わった?」

「ああ」

 黒い髪は下ろしたたままで、茉莉がロードライトのほうに振り返った。身動きするたびにその髪が波打つ。

 コンコン、とノックの音が響く。測ったようなタイミングに、まさか外で聞き耳をたてているのではなかろうかと思いながら、ロードライトは片手を挙げた。

「入りたまえ」

「失礼いたします。殿下、ミコト様、おはようございます」

 扉が開かれ、若いメイドが頬をわずかに赤く染めながら、ティーセットを持ってはいってくる。リネンを取替えに来たもの、昨夜使った寝巻きを持っていくものなど、入ってくる侍女は複数だ。ロードライトと茉莉は、一晩中同じ部屋にいたことになっている。二人はとうに「そういう関係」になっていると思われているのだ――表向きには。他のメイドは慣れているのだろうが、そばかすも消えていないような若い娘にはやはり刺激が強いらしい。

 入ってくる侍女の中には、見慣れない服を着ているものがいる。装束も動きやすくまとめられてはいるが、他の侍女とはまるで形が違う。

 かつて東照で茉莉の侍女だったという、蕾という女性だ。

 二人に向かって恭しく礼をしたあとで、蕾は茉莉の方に向き直った。腕に抱えていた螺鈿の小箱をテーブルの上に置き、蓋をずらして、半月型の一本櫛を取り出した。茉莉が黙って椅子に腰掛けると、その長い髪が床につく前に、蕾の手が茉莉の髪をすくい取った。


 白い紙で作られた髪留めで、蕾は器用に茉莉の髪をまとめてしまう。侍女達が仕事を終えて部屋から去るのを、ロードライトは紅茶を口に運びながら見送った。彼の手元には、既に数枚の新たな手紙や書類が舞い込んできている。

 高く昇りはじめた太陽が、光を部屋の奥まで届けていた。

「夢が、どうかした?」

 人が動き回る音がなくなり、小鳥のさえずりばかりが響き渡る中で、ティーカップがソーサーに乗せられるわずかな音も聞こえてくる。

 中断された話を改めて再開したロードライトの向かい側で、茉莉もティーカップに入った紅茶を口もとに運んでいる。カレンや侍女頭のカシアの「特訓」の成果だろう。彼女の仕草もなかなか板についてきていた。

「同じ夢を、繰り返し見るんだ。白と赤、金と青が見えて……嘆き悲しんでいることが伝わってくる。そういう……」

 小声で言うと、茉莉はカップとソーサーをテーブルに置き、ロードライトをまじまじと見つめた。金色と青は、王位継承者が持つ色だ。初代ダリア女王が持っていたといわれる色。当然ながら、ロードライトの髪と目も金と青だ。

「……僕? 覚えはないけど」

 自分の髪をつまんでぱらぱらと戻しながら、ロードライトは首を傾けた。他人に夢の中で訴えかけてしまうほどに強い憂いや嘆きとは、自分は今のところ縁がない。

「私もあの夢に出てくる『思い』の持ち主がお前や…この国の国王陛下だとは感じていない」

 その夢が気になって、ロマンチックな雰囲気に浸るどころではなかったのだろう。真面目に思案にふける茉莉の顔は、何者も寄せ付けない厳しさをにじませている。静かな緊張感にいつの間にか呑まれていたことに気づき、ロードライトははっとして肩から力を抜いた。

「その色の組み合わせだと……クラルテの民が思い浮かべるのは、ダリア女王と、彼女を支えた最初の鉱術師の色だけど」

 しかし、彼が亡くなってから既に数百年の時が流れている。今頃急に何かを訴えかけてくるとは考えにくい。特に鉱術師の方が語りかけてくるならば、自分と属性の近い地星宮の鉱術師、それこそカレンあたりに何かを訴えかけてくるのが自然だ。地星宮はまた、使者を安らかな国に導く役目も司っている。彼女が大司祭に正式に就任する日が近くなっていることもあり、カレンとは何度も顔をあわせている。だが、彼女の方からそういう話を聞いたことはなかった。

「カレンにはその話は?」

「していない。夢を見始めた日が、だな。いま思えば」

 茉莉のまぶたが一度ゆっくり伏せられ、また開かれる。ロードライトがきょとんと相手を見返すと、茉莉は小さく息を吐いた。

「……その」

「うん」

「七日ほど前からなんだ」

「……」

 七日前。

 その夜に自分が何をしたのかを思い出して、ロードライトは頬を紅潮させ、とっさに自分の唇を押さえた。 

「……僕のせいなのかな」

「わからないから聞いている。思い当たる原因が他にはないんだ。ロード、あの時に何かしなかったか」

 意味もなく襟を正しながら、ロードライトは視線をあさっての方向に向けた。

「何か、って、キスはしたけど、その。僕は鉱術師みたいな才能はまったくないし」

「しかもその日から、休む部屋を私の部屋に変えたと『見せかけはじめた』な。……どういう風に周囲が思っているかくらいはさすがに分かる。実際はありえんわけだが、『私が初代女王と鉱術師に歓迎されていない』『望まれない子供を授かった』という意思表示の現われだと取られる可能性があるだろう。だから誰にも話していないんだ」

「それは、ありえないと思うけど……」

 なにせ自分と茉莉を出会わせた泉は、初代女王を祀る神殿の中にあったのだ。彼女が茉莉を迎え入れたくないと思っているのだとしたら、少なくともあの場と茉莉が水浴びをしていた滝がつながれることはなかったはずだ。

(……うん?)

 ふと、ロードライトの脳裏でひらめくものがあった。

「待てよ」

 もしかしたら、あの泉と茉莉がいた場所を繋いだのは。テーブルに手をつき、腰を浮かせて、ロードライトはテーブル越しに茉莉のほうに顔を近づけた。茉莉がわずかに気圧されて、体を後ろにそらす。嫌がったのではなく純粋に驚いての行動だったが、いずれにせよロードライトがそれを気にかけることはなかった。

「茉莉。その夢は君をこの国から追い出そうとか、そういう悪意を感じる夢だった?」

「……いや。嘆きも悲しみも、私に向けられたものではなかったな。親を亡くした幼子のそれに似ていた。誰を恨むのでもなく、憎むのでもなく、ただ大切な者を喪った悲しみにくれ、救いの手を求めて泣いているような……」

 そこで一度押し黙ってから、茉莉はぽつりと言葉を漏らした。

「……しがらみや、生前の因縁に囚われて、天に昇れない魂の声に、似ていたな……」

「……そう」

 ふう、と深く息を吐き、ロードライトは椅子に座りなおして、テーブルの上に手紙を投げ出した。白い紙が卓上を滑ってテーブルの真ん中で回転しながら止まった。朝の光に、その白が映える。

「新年の舞踏会があるだろう。その時につきあって欲しい場所がある。僕の予想が当たっているなら――それで、茉莉がここに来た理由がはっきりするはずだ」


 初代女王と鉱術師が祀られた神殿。

 それが全ての命を見守り、見送った異国の姫君を呼んだのだとすれば。


 ――クラルテは、彼女に何を望んでいるのだろう。




 睡眠時間は確保できていますかという自分の一の騎士に、ロードライトは機嫌よく応えた。

「おかげさまで」

 寵姫のところで休んでいると知らされれば、さすがにひっきりなしに舞い込んでいた舞踏会や夜会への誘いも止む。

 夜中は夜中で忙しいはずなのだが、ロードライトの顔に少しもやつれた様子が見られないので、「相性がいいのだろう」と周囲は都合よく解釈してくれるようになった。

 やっと仕事に集中できるとばかりに、ロードライトは猛然と書類と向かい合っている。

「ま……ミコトの社交界デビューは新年の儀に間に合う? 正式にお披露目ということで」

 裁可を求める書類を整理する手を止めずに、ミランダが返事をする。

「それは問題ありません。……異国の姫君を妃に迎えることに、一部の貴族達が反発を見せていますが」

「鉱術師と宰相がこちらについているからね」

 くすくすと笑い声を立てて、ロードライトがサインをした書類をミランダの方に差し出す。それを受け取って内容を確認してから、ミランダは紙を束の一番上に乗せた。

「ただ、東照側の使節が、ミコト様の服装は、ドレスではなく東照の衣装にすべきだと主張されていまして」

 新しい書類から視線だけを上げて、ロードライトは向かいの机で作業をしているミランダを見た。

「東照の服装? って、いつものあれ?」

「いえ、女性の正装があるんだそうです。献上品で間に合うからと申されまして……」

「ふーん……」

 新年の舞踏会には蒼麗と東照の使節団も出席する。色鮮やかな民族衣装は、それだけで目を引き、舞踏会の空気をいつもと違ったものにする。茉莉が故国の正装をしても、ひんしゅくを買うということはないだろう。

「東照の衣装が、わが国のドレスと比べても見劣りのしないもなのであれば、構わないけれど。茉莉の服はすっきりしていて好きなんだけど、さすがに夜会ではある程度目立つことも必要だからね。一度衣装を拝見させていただいた方がいいかな」

「カシアが確認したそうですが、問題はないとのことでした。むしろ異国の客人をアピールするならば、下手にドレスを着ていただくよりは、あちらの方がよいのではないかと」

 長年城の儀礼を取り仕切っていた侍女頭の保証が得られているのならば問題はない。そうロードライトは判断して、首を上下に動かした。

「わかった。ではそのように手配を」

「ご覧になられないのですか?」

「こういう楽しみは後まで取っておくものだよ。ところでミランダ」

 羽ペンをインク壺に戻して、ロードライトはにっこりと微笑んで両手を組む。

「カレンが、『舞踏会を楽しみにしておいてくださいまし』って今朝言ってきたんだけど、理由を知ってる?」

「……カレンが、ですか?」

「うん。それはもう心の底から上機嫌って感じでね。カレンがあそこまで掛け値なしに笑顔になるのって、大抵ミランダがらみだから、ミランダに何かあったのかなと思っただけ」

「さあ……特には」

「思い当たる節はない?」

「ない、ですね」

 にこにこにこにこ。

 無言でひたすら笑顔を向けられて、ミランダはなんだか圧力をかけられているような心地になった。居心地の悪さをなんとかしたくなったのだろう。ミランダは難しい顔をして、小さく唸り声をあげた。

「……そういえば」

「なに?」

「今度の舞踏会で、ある人から頼まれごとをされています。私だけだと自信がないですし、いろいろ不都合だと言われたので、カレンにも手伝ってもらっていますが」

「へぇ、どんな頼まれごと?」

「たいしたものではありません。期待していただくほどのものでも」

 ミランダは本気で困惑している。ロードライトをはぐらかそうと言う意志はまるで感じられない。彼女にこれ以上聞いても、得られる物は多くはないだろう。

「カーティスがここの所ずっと不機嫌なのと関係あるのかな」

「? 何かおっしゃいましたか、殿下」

「いや」

 カーティスが不機嫌、カレンが上機嫌、ミランダ自身は自覚していない。三人からこういう反応が返ってくるということは、カレンの言う『楽しみ』とはおそらくミランダに関わるものなのだろう。

 ミランダは国家に益も不利益ももたらさない、ごく個人的な事柄で自分が中心にいるものに関しては、奇跡的と言ってもいいほどに鈍い。そして大抵の場合、カレンが「楽しい」事柄はロードライトにも「楽しい」のだ。ミランダがらみのことならば、特に。

 カーティスがミランダがらみのことで不機嫌になっているのは一目瞭然だ。それだけでもロードライトにはなかなか楽しい事態ではあるのだが。

「……まあ、カレンの言を信じて舞踏会を楽しみに待つよ」

 はあ、と生返事をして、ミランダは手に持った書類をトントンと机の上で揃えた。




 カーティスの機嫌の悪さは、そろそろ最高潮に達しようとしていた。ぴりぴりと殺気を振りまき、眉根を常に寄せている。触れたら静電気が走るのではないだろうかとさえ思える勢いに、触らぬなんとかになんとやらとばかりに、ジグが距離を取って歩いている。

「おい、ガキがびびってるぞ」

 通行人がカーティスの不機嫌オーラに圧されて自然と道をゆずるために、昼間の雑踏はカーティスとジグがいる場所だけ妙に密度が低かった。

 刺さってくる視線にいたたまれなくなって、ジグがカーティスの脇を小突くと、カーティスは「ああ」と短く返事をした。だが完全に生返事で、不機嫌な顔もオーラも少しも緩むことがない。

 駄目だこりゃとばかりに、ジグはがっくり肩を落とす。この男、ことミランダが絡むと、その時だけは面白いほど冷静さを失う。第三者なら面白がるだけですむが、こうやって視線に晒される側になると、なまじ自分は冷静なだけに、奇異の視線と視線を全く気にしていない友人との間で板ばさみになって、居心地が悪いことこの上ない。

 早く巡回終わらねえかなあ。

 残りの道順を頭の中に思い浮かべ、ジグは大きく息をついた。




 綿で出来た奉仕服は、神殿服とは違いひたすら地味で装飾性の欠片もない。フードを被り、路地を一人きりで歩く娘が、まさかこの国で最大の勢力を持つと言われる地星宮の大司祭だとは誰も思わないだろう。すれ違う人達に挨拶を返しながら進む。

 心のこもった挨拶は、多額の布施よりずっと気持ちがいいものだとカレンは思う。土にまみれて働いた人々の薄汚れた顔も、日に焼けた肌も、水仕事で荒れた手も、全てがこの国を支えるものだ。貴族のやり取りと違い、そこにあるのは純粋な尊敬や畏敬の念で、美辞麗句で飾り立てられた儀礼の言葉や裏に思惑が絡んだ優雅な挨拶よりもずっと心地が良い。

 ミランダの家、正確には彼女の父の邸宅は、貴族達が屋敷を構える場所の外れにある。吐く息が白い。首都では雪は積もっても長く残ることはない。しんしんと冷え込む空気の中に白い吐息を吐き出して、カレンは門番の少年の方に歩みを進めた。

 一言二言挨拶を交わすと、門はすぐに開かれる。使用人が、客人用の門をわざわざ開こうとするのを断って、カレンは通用人口から屋敷の中に入っていった。


「地味ですわねえ」

「そう?」

「地味は地味だけどさ、似合ってるだろしっかりきっちり。それにデザインにはさりげなーくこだわってるつもりだぜ?」

 両腕を腰に当てて悦に浸っている、丸眼鏡の優男をさらりと無視して、カレンはミランダの腰の辺りで結ばれているリボンの形を指先で整えた。

「確かに手は込み入ってますわねぇ。レースの使い方も派手ではありませんけれど上品ですし。この布は?」

「輸入品だってさ。布の先のカットが特殊でレースみたいに見えるの。いいだろ」

 ドレスの形は流行からは完全に外れている。

 パニエもコルセットもないドレスは、たっぷりと重ねられた布だけでかたちづくられ、ミランダのシルエットをすっきりと見せていた。

 上半身部分も装飾は極限までおさえられている。ドレスの一番上の布地は中央で開かれ後ろに流されていて、見ようによっては男性の夜会服の上着をどことなく思い起こさせる。

「ミランダちゃん、一回くるっと回ってみてくれる?」

 ローヒールの靴のつま先を支点に、ミランダがくるりと回転する。

 途端にまあ、とつぶやいてカレンが口もとに手を当てた。ディーンがふっふっふと妙な笑い方をして、人差し指をぴっと立てる。

「だから言っただろう。剣舞にふさわしいドレスを仕立てるってね。カレンちゃんがそういう反応してくれるなら俺の読みは当たりだな。……とりあえずこれで仕上げていいかな? きついところとか動きにくいところはない?」

「あ、はい」

 ミランダは腰をひねったり背筋を伸ばしたり曲げたり、袖をしげしげと眺めてみたりしながら具合を確かめていたが、その一言で我に返ってうなずく。

「……なんか、変な感じです」

「心配しなくても似合ってるって。大丈夫大丈夫」

「ええ、仕立て屋のなれなれしい態度は気に食わないですけれど、認めますわ。なよなよしているだけの胡散臭い悪徳商人ではなかったということですわね」

 手首に巻いたバンドの上に縫い付けてある針刺しから待ち針を引っこ抜きながら、ディーンが目を丸くする。

「ひでぇ。こんなに誠心誠意がんばって、夜も眠らず昼間居眠りして仕上げにかかっているのにっ」

「そ、の、微妙な手の抜き具合が! 気に食わないんですのよっ! 年末の忙しい時期に昼寝する余裕があるなんてどういうことですの。労働を最大の美徳とする地星宮の教えに反しておりますことよっ!!」

「あ、俺の実家水星宮の勢力が強い地域なの。芸術とか典雅な儀礼に興味はあるけど、汗水垂らして働く労働はあんまりねえ」

「んなこと抜かしてるからもやしのようにひょろくてなよなよしてるんですのよっ! 大体仕立て屋がこの時期に暇ってありえないですわよ。新年の舞踏会は国の中でも夏の大祭礼、建国記念式典と並ぶ大行事ですのに、客がミランダだけだなんて、はっ」

 真っ向から食って掛かり、カレンは馬鹿にした風に吐き捨てる。どうも彼女はこの手の人種とはうまがあわないらしい。いつものようにあくまでお上品にトゲを含んだ言葉をばしばし浴びせるのではなく、真っ向から相手を全力で否定している。

 だがディーンは、それをどこ吹く風と言った調子で悪びれることもせずに流した。

「だって俺貴族のご婦人方のでっぷり太った体矯正して肉を詰め込んで形整えるようなドレス好みじゃないしつくりたくねーんだもん。奢侈で脂ぎった体にさらに香水ふっておしろい塗りたくってパニエでどーんと尻強調してさ。 既に人外だってあれ。その点ミランダちゃんはいーよなー。ホントに体に無駄がないの。筋肉もきれいについてるしさ。俺もう惚れ惚れしちゃったよ。まさに月の女神様の体だね」

「それには同意いたしますわ。ミランダの体に無駄などあるわけがないでしょう。どれだけ訓練を重ねて毎日ばたばたと走り回って働いていると思ってますの。つんとすまして優雅に遊び暮らしているだけのご婦人方と一緒にしないで下さいまし」

 計測をしては褒められ、仮縫いや調整のたびに褒められ、ミランダは遂に慣れてしまって照れることさえしなくなった。

「ディーンさんは古典趣味でいらっしゃるんですね」

「あるがまま、自然な姿が一番美しい」とされ、白い布を絹で作った紐でゆったりと縛り、自然なラインを強調するのが美徳だったといわれる時代には、女性も武闘や早駆けを楽しんだという記録が残されている。数百年も前の話だ。ディーンはうんうんと、感慨深げに何度も頷いた。

「『あるべき姿こそ至上の美である』。いい言葉だよねえ。気を抜いてるのすぐばれるわけよ。ま、もうちょっと肉をつけたほうが男は柔らかいって喜ぶぎゃぁっ!!」

 思いっきり足を踏みつけられて、ディーンがその場から飛び上がる。絶対零度の笑みを顔に貼り付けて、彼の耳をむんずと掴んで自分の口もとに引き寄せると、カレンは低い声で彼にささやきかけた。

「それ以上言ったら今すぐここで口からその下品な魂引っこ抜いて水晶の中に封じたうえで、呪いの鉱術具だと言って術具商に売りつけますわよ」

 ヒィ、と青くなって、ディーンは「ナンデモゴザイマセン」と片言で何度も繰り返した。カレンがゆるりと指を離すと、ディーンは胸を押さえてその場にうずくまった。心臓に来るほど恐ろしかったらしい。

「ミランダちゃん、随分怖いお友達をお持ち……いえいえ文句のつけようもない素晴らしいお友達ですねえっ!!」

 隣の空気が一気に三度ほど下がったのを感じ取ったのだろう。ディーンが慌てて訂正する。

 ぎゃいぎゃい騒ぎ続ける二人の横で、ミランダは遂にこらえきれなくなって小さく噴き出した。


 ドレスを仕上げる為に、ディーンが店に戻って行っても、カレンはむすりとしてぶつぶつ文句を言い続けていた。

「見る目は確かですけど態度がなってませんわあの怠け者は。一度地星宮に拉致って徹底的に教育して差し上げましょうかしら」

「カレン、それはいくらなんでも……」

 いつもの服に着替えて、さっぱりした様子でミランダが部屋の中に入ってくる。

 タイをいじって具合を確かめると、まとめた髪を手でさらりと流して頭を数回左右に振る。練り絹色の髪が、背中に流れていつもの位置におさまった。

「冗談ですわよ。出来ることならやりたいですけど、さすがにそんな暇はございませんもの」

 けっ、と嫌そうに口をひん曲げる様子は、およそいつもの彼女らしくない。そんなに嫌な人には見えなかったけどなあと不思議に思いながら、ミランダはカレンのカップに紅茶を注いで彼女の方に差し出した。

「熱いから気をつけてね」

「ありがとうございます」

 紅茶を口に含んでふう、と吐息を漏らし、カレンは目の前に出されているクッキーを指でつまみあげた。この家の料理人が作るジンジャークッキーは絶品なのだ。

「それにしても、驚きましたわ。ミランダが急にドレスを仕立てようと思い立つなんて。この十六年、私が言ってもバーナード夫人が言っても、この家のメイドが進言しても見向きもしなかったといいますのに。どういった心境の変化なんですの」

 ジンジャークッキーをさくりと口に入れた体勢のまま、ミランダがうーんと考え込む。足を組んで、テーブルに肘をついて、カレンは上目遣いで返事を待った。

 さくさくとクッキーを平らげ、紅茶を一口飲んでから、ミランダの話が再開される。

「この間街に出たときにね、カーティスに飛びついてきた娼婦さんがいて」

「……間抜けにも程がありますわねあの朴念仁」

「?」

 きょとんとするミランダにやる気なく手を振って続きを促す。

 うん、と戸惑いながら、ミランダは続けた。

「それでね、その人の服が、もちろんドレスじゃなかったし、商売用の服でもなかったんだけど、ちゃんとこだわってるのが分かって、よく似合ってて」

「それで着てみたくなったんですの?」

「うん。男の人の服って、女性が横にいると映えるなあって思った。カーティスは侍男の格好をしてたんだけど、なんだか二人が、庶民派の芸術家が描く絵みたいだったんだ。……よく考えてみれば、リリーシャさん……あ、その娼婦さんの名前ね。リリーシャさんが素敵だったからって、私が女性の格好してああいう風に見えるかは別問題なんだけど」

 自分の顔や体のことすっかり棚に上げてて、と苦笑するミランダの目の前で、何故かカレンは盛大に溜め息をついて、二枚目のクッキーに手を伸ばした。

「あー、ダンのクッキーは相変わらずクラルテ一のお味ですわあ」

「なんか微妙に棒読みじゃない、カレン」

「棒読みにもなりますわよ。あー、おもしろくなああああい。やってられますかってーの」

「う、つまんない理由でごめんね」

「つまんなかったんじゃありませんの。おもしろくないんですの!!」

 バタバタと子供のように足をばたつかせてから、カレンはぷっと頬を膨らませた。

 ミランダは理解できていないらしく、さかんに瞬きを繰り返している。

 ミランダ以外に部屋に誰もいないのをいいことに、おもしろくないですわーと何度も繰り返してから、カレンはばたりと机の上に突っ伏した。

「――ねえミランダ」

 顔を机に伏せているので、カレンの声はくぐもっていた。

「? なあに」

 しばらく沈黙してから、カレンはゆっくりと体を起こす。

 椅子にゆったりと腰掛けなおし、乱れた髪を指ですくって整えてから、彼女は不思議に穏やかな、泣きそうな調子で呟いた。

「私、カーティスは嫌いではありませんけれど、気に食いませんのよ。ずっとずっと、ずーっとそうでしたの」

「え、ど、どうして」

 自分が信頼している部下だ。幼なじみが気に食わないと言えば動揺もするのだろう。うろたえてミランダが尋ねると、カレンはつんとそっぽを向いて続けた。

「言いたくありませんわ。カーティスがいくら努力しても、ミランダがいくら取り持とうとしてくださっても、私はカーティスだけは一生気に食わないままでいるつもりですの」

「あの、カレン」

「太陽が西から東に昇って、空に水が浮かんで海から水が消えて、万一私があのちゃらんぽらんな仕立て屋に惚れたりすることがあったとしても、私カーティスを心から好きだと思うことだけはありませんわ。嫌いではありませんのよ。だから厄介なんですの」

 ミランダの顔を見ずに一気に言い切って、カレンは横目でちらりと幼なじみを盗み見た。

 優しくてかっこよくて、そのくせなにかれと世話を焼かなくては、すぐ不幸に向かって突っ走っていってしまいそうな、手のかかる大事な大事な幼なじみ。

 主人だの仕事だののを抜かした、プライベートな所では、ミランダはカレンの中でまだ一番大切な存在だ。


 けれど、ミランダの中で、仕事や宿命から離れた場所で一番なのは、きっと、もう。


 置いていかれる寂しさ、子供の独占欲。様々なもやもやを溜め息一つで胸の奥に仕舞いこんで、カレンは笑顔を作った。

「よろしくって?」

「……うん、わかった」

 ミランダがなんだか泣きそうな顔をしている。ああもう、憎たらしいったらありゃしませんわと心の中で毒づいて、カレンは三枚目のクッキーに手を伸ばした。こういうときはおいしいものをどんどん食べて気を紛らわせるのが一番だ。


 舞踏会ではせいぜいジェラルドやロードライトと結託して、邪魔してやることにしよう。どうせそのうち、そんなことも出来なくなるのだから。



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