第五章 媛巫女の祝福 2
「無礼者。身のほどをわきまえなさい」
かけられた言葉を、茉莉は無表情に受け取る。彼女の前には着飾った女性が供人を従え、不愉快だという表情を隠そうともせずに、侮蔑しきった視線を茉莉に注いでいた。彼女の足元には扇子が落ちている。それは先ほど投げつけられて茉莉の頬に当たったのだった。ごく軽いものだったので痛みはなかったが、悪意が込められているであろうことは茉莉にも理解できた。
茉莉が感情を動かさなかったのにまた気分を害したらしい。女性は厚く化粧を施した顔を、嫌悪感に歪ませた。いびつに歪んだ顔は、どんな紳士であっても礼儀正しく接することができるかどうか怪しく感じるほど恐ろしげであったが、供人は慣れているらしく、平然としている。
「怪しげな術を使って殿下に取り入って。平民の、それも蛮国の卑しい女がこのような場所にいることが許されると思っているの。殿下や他の方々をだませたとしても、あたくしは欺けはしないのよ……化け物が」
遠まわしな嫌味ではなく、こういったストレートな侮蔑の言葉を投げつけられたのも一度や二度ではない。
反論すべきかどうするか。礼儀正しく返すべきなのかもしれないが、必要以上に卑屈になれば、東照という国が後々侮られることにもなりかねない。
反応を返しあぐねて、茉莉は少し悩んでから、夫人を真っ向から見返すことにした。ひるむことなく見つめ返されて、女性は射すくめられたかのように一瞬動きを止めた。その次の瞬間には、唇をわなわなと震わせて、怒りに全身を赤く染める。爆発寸前の活火山を思わせる震え方だなと、茉莉はぼんやり思った。
「なんですの、その目は……!!」
片手が勢いよく振り上げられる。
(……黙って叩かれるのはよろしくないか)
茉莉がそれを避けようと一歩後ろに引く。腕が振り下ろされるのを、供人は止めようともしなかった。
ぱしり、と乾いた音がした。
「――男爵夫人。この方はロードライト殿下の大切な客人でいらっしゃいます。無体を働くのはおやめくださいますよう」
声こそ少女のものだったが、それには相手の反論を許さない威圧感があった。ミランダが夫人の手首をつかんで、冷たい視線を彼女に浴びせている。さっと顔を青くして、夫人は言い逃れをするように、茉莉を顎で指し示した。
「ミランダ殿、ですがこの女は――」
「この方はクラルテにいらっしゃった最初の東照の客人です。クラルテは礼儀を知らない無礼な国だと思わせるような振る舞いは控えていただきたいものですね。『彼女に無体を働くものは、多少の傷を負わせても構わないから遠ざけておけ』。……国王陛下からそう通達が出ているのをご存知ですか? 女性といえど、その対象から外れることはありませんよ」
口調は穏やか、表情も笑顔。だが目が笑っていない。引きつった笑みを浮かべると、男爵夫人はぎこちない動きでその場を辞した。
飾り立てられた布の山が小さくなっていくのを見送り、ミランダは小さく溜め息をついて、茉莉のほうに向き直った。茉莉は相変わらず無表情のまま、ミランダを見返してきた。
「ミランダ殿、ありがとう。助かった」
「――お怪我は、ないようですね。大丈夫ですか」
「大丈夫? ああ、さっきのあれか。かわいいものだろう」
「かわいいもので済ませられるんですか、あれが」
自分を侮辱され、国を侮辱され。普通であれば烈火のごとく怒り出してもいいだけの言葉だったはずだ。全てを聞き取ることは出来なかったが、漏れ聞こえてきた言葉だけでも、ミランダは思わず眉をひそめたというのに。
ミランダの言葉に、茉莉はちらりと笑みを見せた。無表情以外の表情を目にしたのは初めてだったので、ミランダは何度もまばたきを繰り返した。薄い笑みはすぐに思慮深い物静かな表情に隠される。腹の前で軽く両手を組んで、茉莉は外からの光に目を細めた。
「異質なものを拒絶する人間はどこにでもいる。改革や変革には常に痛みが伴うものだ。それを嫌がるのは自然な反応だろう。小細工を弄さず、感情を隠さない分、ああいうのは逆に小気味がいいとは思わないか」
冷たい風が、茉莉の黒髪を河の様になびかせる。薄い衣が妖精の羽のように舞い上がった。横顔の輪郭が光を帯びてくっきり浮き上がる。その光景に瞬間見ほれ、そんな自分に気づいてミランダは頬がかっと熱くなるのを感じた。
彼女は、何者なのだろう。
「ミランダ殿。あなたは戦争を体験したことがおありになるか?」
静かな声が、ずんと肩にのしかかってくる。左腰に吊り下げた細身の剣が、いやに重く感じられた。
「……いえ」
掠れた声で返事をする。茉莉は窓の外に目を向けたまま、風で乱れた髪をかきあげた。その仕草がひどく優雅で流れるように美しかった。
「殺し合いのひどさは、この程度の嫌味の比ではないんだ」
ぽつりと落とされた言葉に込められた重さは、きっと自分にはまだ理解できないのだろう。
「ミコト様は、戦の経験がおありなのですか」
茉莉の表情に影が差す。眉がわずかに下がり、唇が少しだけ哀しそうに歪む。
「東照は二年前まで内乱が続いていた。私の知り合いも次々命を落としたさ。変革に必要な痛みではあったのだと、……頭では分かっているんだがな。言葉を投げつけてすっきりするなら、それでもいいと思わないか」
反論できずに、ミランダは茉莉を言葉もなく見つめた。
いつもは、無表情の奥を伺うことはできないのに、今は少しでもつつけばその無表情の仮面がはがれそうに見える。だが、その境界を越える気にはなれなかった。
「東照の術者がデリフェルにいて、それが戦争を起こすことに加担している、とカレン殿が言っていたな」
ミランダがはっと我に帰る。茉莉が小さく息を吸い込む音を、彼女の耳は確かに捉えた。
「……その術者。恐らくどうにか出来るはずだが。どうされる? 望まれるなら協力するのはやぶさかではないぞ」
チェスターが横に立っている。その気配だけが、エレノーラがこの中ですがれる唯一の拠り所だった。
休憩室として使われているらしい、さほど広くない部屋だ。隣には小さな会議室があり、ここにはベッドとテーブル、数脚の椅子以外に見るべきものはない。
「王子殿下が誘拐されたのはこの部屋ですわ。ここで陣が炸裂して……」
「ああ。……気配が残っているな」
今は何事もなかったかのように片付けられているが、茉莉には分かるらしい。カレンがうなずいて、場所を茉莉に譲る。カーペットに膝をついて、指先で陣をたどる仕草をしながら、茉莉は口の中で小さく何かをつぶやき続けていた。
「転移か。だが術式は粗雑だな。よくもまあ失敗しなかったものだ」
呆れた風に言って、茉莉は頭を左右に振った。種類まであっさり特定してのけられたことに、記録をとるためにそこに控えていた地星宮の研究者達が抑えた歓声を上げる。飛び出してくる質問をカレンが片手を挙げて押し留め、茉莉のほうに向き直った。
「術をかけられていたエレノーラ殿下、ロードライト殿下、そしてこの国の宰相閣下、地星宮の研究者。言われた方々は全て揃えましたわ。それで……本当にデリフェルにいるという東照の術者をなんとか出来るんですの?」
「これだけ手がかりが残っているなら可能だ。エレノーラ殿、デリフェルにいたと言う術者の容姿は、先ほど書いていただいたもので相違は」
「ございません」
いつの頃からか父の傍にいて、腹心として振舞っていた男の陰鬱な顔を、エレノーラはありありと思い出していた。自分に大使としてクラルテへ赴けと言ったのもその男だった。
紙切れに目を落として、茉莉はふん、と鼻を鳴らした。
「恥知らずが」
短く侮蔑の言葉を吐くと、茉莉は頭の後ろに手を伸ばし、高いところで一つにまとめていた髪を解き放った。漆黒の河が、肩を滑り落ちて地面に流れる。用意していた小刀を鞘から抜くと、茉莉は自分の髪を一筋すくいとって一回ねじり、そこに小刀を当てて根元から髪を切ってしまった。残ってざんばらになった髪がぱらぱらとばらけながら髪の流れに戻っていく。
「これを」
切り取った方の房の根元を縛り、茉莉はそれをエレノーラに差し出した。エレノーラがそれをおっかなびっくりと言った調子で受け取る。黒い髪を光にすかしてから、エレノーラは茉莉に尋ねた。
「……これを、どうすればいいのでしょう」
「それで一回体を撫でて、息を吹きかけてから名前を告げてくれ」
よく分からないながらも頷いて、エレノーラは黒い髪の束でさっと体を撫でて息を吹きかけ、髪に向かって自分の名前を告げる。だが特に髪に変わった様子は見られない。これでいいのかと不安になりながら茉莉を見返すと、彼女はそれでいいと頷いて、左手をエレノーラに向かって差し出して来た。黒い髪の束が再び茉莉の手に戻る。
部屋の中央に戻りながら、茉莉が口を開いた。
「実はな」
「はい」
「暗殺に失敗してから、ロードライト……殿下には干渉はなくなっていたのだが、エレノーラ殿下には常に何かを仕掛けようとする波動がずっと感じられていたんだ」
ざわり、と部屋の中が騒がしくなる。ここに集められている地星宮の研究者達は王宮の警護の結界を任されている者達だ。気づかなかったことがそれなりにショックだったらしい。ただでさえ一回、自分達が総力をあげて織り上げた結界から、まんまと王子を誘拐されてしまっているというのに。
「雑音程度なので適当にはぐらかしていたのだが、相手もじれているらしい。干渉がどんどん強くなってきている。焦っているようだな。なので今からはぐらかすのをやめて、エレノーラ殿の居場所を素直に教えてやることにした」
それまで彫像のように黙ってエレノーラの横に控えていたチェスターが、そこで初めて口を開いた。
「それは……エレノーラ殿下に危険が及ぶのではありませんか。もし呼び戻されたり……殺されたりするようなことがあれば」
エレノーラが胸の前でぎゅっと腕を組む。肩にチェスターの手が回される。そのぬくもりにすがるように、エレノーラはチェスターの方にわずかに体を寄せた。
一気に緊張感が増した部屋の中で、茉莉が全員の視線を一心に浴びる。その重圧を少しも感じさせない様子で、茉莉は先ほどの髪の束を軽く振って見せた。
「誰が本物のエレノーラ殿下の居場所を教えると言った?」
唇が笑みの形を作る。不敵、という表現がぴったり当てはまる、人の悪い笑みだ。ロードライトがこくりと息を呑む。気圧されずにはいられない、妙な迫力が茉莉にはあった。
「ミランダ殿、カレン殿。あちらの術者を引きずり出すのに少々乱暴な手段を取るかもしれん。万一のために要人の警護はよろしく頼むぞ」
全員壁際まで下がっておくようにと指示を出され、茉莉以外の人間は全て壁に背をぴったりとはりつける。部屋の中央で立ち止まり、茉莉はそこで一旦外に目を向けると、窓際まで歩み寄って窓にかかっていた鍵を外した。ガラスの大きな扉を開くと、バルコニー越しに夜風が吹き込んでくる。
「始めるぞ」
茉莉が中央に膝をつき、髪の束をそこに置く。両手を不可思議な形に何度も組み替えながら、耳慣れない旋律と耳慣れない言葉を紡いでいく。東照語だと思われる言葉を理解できるものは、この場には茉莉以外は誰もいない。ただ、その旋律と不可思議な響きが、全員を圧倒し魅了した。
解かれた彼女の髪が、全身が、淡く光を発して浮き上がる。顎を引いて半眼になり、組まれた両手が解かれてすっと横に広げられる。
地面に置かれていた髪の束が緩く光りながら浮き上がる。束はくるくる回転しながら広がっていく。黒い髪はいつしか光の糸となりながら絡み合い、膨張し、そしていつしかそこに、茉莉よりも大きい女性の輪郭をかたちづくっていた。
さっと茉莉が最後に印を組むと、光っていた束が緩やかに収束していく。
そこには髪の束ではなく、エレノーラに瓜二つの女性が現れていた。
伏せられていたまぶたが、大きく震えて開かれる。灰色の瞳さえ、寸分たがわぬ出来だ。
本物のエレノーラが口もとを押さえて、チェスターにしがみつく。
「人形」出来を確かめるように、茉莉が『エレノーラ』のつま先から頭のてっぺんまでをゆっくり眺める。それから彼女は、おもむろに窓の外、夜空に浮かぶ月に視線を移した。
ぐっとつま先に力が込められ、絨毯に足が沈みこむ。
「――来るぞ」
窓から針のような光がいくつも飛来して、『人形のエレノーラ』に突き立った。大きくのけぞって、人形が倒れる。ひっ、という悲鳴が、複数上がるのが聞こえた。
「恵方!!」
ばっ、と茉莉の服の袖が翻る音がする。弧を描いた指の先から緋色の光が現れ、それは見る間に塊となって、爆風とともに窓から空へと放たれた。女性の悲鳴が上がり、全員が壁に体を押し付けられる格好になる。
静寂が戻ってきた時、そこにあったのは地面に突き立った幾筋もの太い針と、それに絡まる髪の束だけだった。
茉莉が夜風に髪を遊ばせながら、夜の空をにらみすえている。
初冬の高く深い夜空の中に浮かんでいる月に、影が差した。
「……え」
目をすがめていた誰かが、それに気づいて声を出した。
「よし、捕らえたな」
突如そのばにつむじ風が巻きおこった。カーテンが派手にばたばた音を立てて翻り、埃が舞い上がる。ゴウッ、という音と共に、何か質量のある物がその場に舞い降りる気配がした。
「ご苦労、恵方」
目を薄く開き、そこにある光景を視界に入れた途端に、ロードライトは呼吸を忘れた。
巨大なあかがね色の鳥の足が、バルコニーに留まっている。その足元に、オレンジ色に光りながらゆらゆらうごめく炎の縄に拘束された男が、転がされていた。
「エレノーラ殿。こやつで相違はないか」
巨大な鳥がするすると姿を変え、炎の髪を持つ女性に変化する。ヒュゥと軽く口笛を吹いたのはロードライトだ。王子らしくない振る舞いにミランダがむっとした顔をするが、彼女が小言を口にする前にロードライトがミランダの頭をくしゃくしゃと撫で、それを誤魔化してしまう。
青い顔をしたままエレノーラが頷くと、そうかと返事をして、茉莉が転がされている術者のほうに向き直った。そのまま彼の方に足を進め、指を鳴らすと、うごめいていた炎の筋の束縛が霧散した。
「ミコト!!」
束縛が解かれるや否や、男が片手で素早く印を結ぶのを見て取って、ロードライトが鋭く声を上げる。駆け出そうとする腕をミランダが掴んで引き戻した。
「油断大敵、という言葉をご存知か」
数千年も地の底に縛り付けられ、話すことを忘れていたものがようやく出したような、しわがれた声だった。茉莉はそれにも表情一つ変えず、左手に黒い瘴気のようなものを集めている男の前で立ち止まる。自然体のまま、何をしようともしていない。
男が荒い息の下でにやりと下卑た笑みを浮かべる。左手から黒いもやが放たれ、放射状に茉莉を包む。
つんざくような悲鳴をあげたのは、男の方だった。
「……逆凪、という言葉を知っているか?」
茉莉が指でさっと手を横に払うと、それだけで瘴気が霧散する。全ての靄が晴れ、くっきりと視界が晴れ渡る。現れた光景に、駆け出しかけていたロードライトも騎士も、鉱術師達も凍りついて動きを止めた。
男の腕が、砂のような粒と化しながら崩れ落ち続けている。
血の臭いはしない。骨や肉が断たれるような音もしない。ただ、さらさらと男の体は崩れ続けていた。
「サカ、ナギ……?」
「知らぬか。まあ、知らないからこそ安易に術などを使ったのだろうが。お前、東照人ではないな。蒼麗の呪術師が、書物でも得てわが国の術を学んだか。短期間であれだけ使いこなせるようになった点は評価できるが」
ロードライト達から茉莉の表情は見えない。だがその声の調子が、慈悲の欠片もない冷たいものであることは充分に伝わってくる。
「術式は、水脈や鉱脈、大気や地に流れている力の流れを言葉と儀式が生み出す力によって歪め、利用するものだ。悪意を持って他人に『術』をぶつけ、それが万一防がれた場合は、歪められた力は数倍になって術を放った物に跳ね返る。それが逆凪だ。今のお前の現状がそれだな。言っておくが、私自身は何もしていないぞ」
既に男の腕は、肩口まで消失してしまっている。このままでは、全身が砂のように崩れ落ちてしまう。それにようやく気づいたのだろう、男が情けない悲鳴を上げた。目をむき、助けてくれと懇願を始める。返事をせずに、茉莉は半分だけロードライト達に向き直って、男の様子を見せ付けるように一歩退いた。
「東照の術は、こういう側面を持っている。半端に手を出せば身を滅ぼされる危険と常に隣り合わせの技術だ。それを実証する、一番いい例がこれだろう。よく見ておけ」
鉱術師達が困惑した様子で互いの顔を見やる。彼女が国の重鎮をわざわざ指名したのは、東照の術を安易に使わせないための釘刺しだったらしいと悟り、宰相が渋い顔をして息をついた。
「助け……られないのですか」
あまりにあまりな様子を見かね、命を狙われたばかりだというのに、エレノーラが一歩前に進み出てそう申し出る。だが茉莉は静かに首を左右に振った。ロードライトが険しい表情を作ってうなり声を上げる。
「無理なのか。彼からは聞きたいことが結構あるんだけど」
「逆凪は反射と同じだ。熱いものに触れたら思わず手を引っ込めるように、跳ね返す側の理性や計算などとは全く無縁に働く。それでも私以外にかけられたものは順を踏んで力を他所に逃がしたが、私自身に向けられた攻撃を跳ね返したものは私にもどうにも出来ん。東照の民や術者はそれを叩き込まれて育つから、安易には術を使わない。『使えない』のではなく、『使わない』んだ。……今頃はデリフェルの国王も体調を崩しているだろうよ。こちらの国に害をなせ、と命じたのが本当に国王ならば、の話だが」
さらさらと崩れ続ける男を見ながら、茉莉は静かに続ける。
「命じることもまた呪だ。呪によってこの男と黒幕との間には接点が出来ている。跳ね返った力の一部が流れていくのを感じた。消滅まではいかんだろうが、今頃それなりに苦しんでいるだろうな」
おとうさま、と小さく呟いて、エレノーラが暗い顔になる。
「それで。どうする。完全に消滅しきるまでには時間があるが、何か男に聞いておくか? それとも」
一息に、楽にしてやるか――。肩が消え始めている男の顔は、苦悶に歪んでいる。エレノーラがついに顔を背け、数人の鉱術師や騎士たちも、耐え切れないように視線を逸らした。宰相に決断を求める視線をよこされ、ロードライトが静かに頷く。
「楽にしてやってくれ。そんな状態では聞くものも聞けないだろう」
「あ……あ……」
口の端から泡を飛ばしながら、男が茉莉を見上げる。
「では、一息に送ってやろう。……眠れ、圭陶」
白い指が夜空の一点を指す。
それが彼が生きて最後に見た光景だった。
全く熱を感じさせない炎が燃え上がる。それは男の体をみるみるうちに包みこみ、次の瞬間には一掴みの砂となり、それもさらさらと夜闇にきらめきながら溶けてしまった。
声もなく、全員がただ立ち尽くしている。役目を終え、茉莉が静かにロードライトのほうに向き直った。
「術者は片付けた。私の仕事は終わりだと見ていいな? もうここにいる理由もないと思うのだが。それともまだ私をここに留め置かれるか。こういうものを見せたんだ。異端者として弾圧しようとする動きは活発化するだろう。あらかじめ言っておくが」
夜風の向きが変わり、茉莉の髪が彼女の顔にかかる。それをかきあげてから、茉莉は言葉を続けた。
「私は戦に加担するつもりはない。力を他国をどうにかするのに使えということなのであれば、断固抵抗させてもらう」
深い森の匂いが、今は全く違った意味を持ってロードライトにのしかかってくる。ミランダまでもが動けずにいる中で、ロードライトはふっと肩から力を抜いて、前に進み出た。
茉莉の頭は彼の胸あたりまでしかない。見上げられているのはこちらなのに、とてつもなく強大な女神の前に立たされている気分になる。
「――僕は、生まれたときに預言を授けられていたらしいんだよね」
「預言?」
「そう。『東方の光を得るだろう』という預言だ。僕が生まれた日の夜に、四神殿の大司祭たちが揃って同じ夢を見たんだそうだ。日が昇る東から光が飛来し、王冠を戴いた国王の手の中にそれが舞い降りる光景を」
闇に金の髪を流して。漆黒の女性と、金色の男性が対峙する。挑みあうような、刺すような視線が視線が交差する。お前にこれが背負えるのかと、茉莉はそう言っているのだ。
「僕が得る『東方の光』は、君のことじゃないかと、僕は思うんだけど。どう思う?」
まつり、と。声に出さず、唇の動きだけで、ロードライトは彼女の名を呼ぶ。
「光、か。大層な呼び名だ。……勘違いしていないか、ロードライト。私は神でもなんでもない。東照では何人もの仲間を見殺しにしたし、人もこの手にかけている。私は」
茉莉の目が細められる。
「お前や、そこにいるお前の妹をこの国の呪縛から解放する者ではありえないぞ」
どうして、とカレンが小さく呟く。彼女にはクラルテ王家の呪いは何一つ話していないはずだ。宰相につつかれ、カレンは左右に首を振った。彼女たちの様子を見て、ロードライトはふんと鼻を鳴らす。
「自力でこの国のからくりに気づいたみたいだね。さすがと言うべきか」
「やはり機密だったか。気づかないふりを通した方がいいかと思ったが、お前は異国の客人に妙な期待をかけているようなのでな。釘を刺させてもらったぞ」
「別に解いてもらおうなんて思ってないさ。王家にかけられた呪いはよく出来ている。呪いと言ったって国にも民にも損害が出るものじゃない。要を失った時の被害は大きいけれどね。だがそういう危ういものの上に成り立っている社会は決して珍しくはないだろう? 見くびらないでもらおうか。僕は僕自身に課せられたものから逃げる気はないんだ。君にどうにかしてもらおうとも思っていない」
茉莉の目が揺れる。彼女でも動揺することがあるのだと、ロードライトは新鮮な気分になった。
「では何故私を留めおく事を望む? 私はここに混乱しかもたらさないだろう。東照の人間はここではまだ異質に過ぎる。術に対する警戒をしたいのならば、学生としてあちらの術者を招けばいいだけの話だ」
「茉莉」
はっきりと、声に出して名前を呼ぶ。茉莉の肩がぴくりと跳ねた。
「その程度の混乱なら、収束させる自信はある。君にはしばらく嫌な思いをさせるかもしれないけどね。茉莉を迎えたからと言って根幹が揺らぐほど、クラルテはやわな国じゃないし、国のトップも馬鹿じゃない。『お告げ』だって利用できそうだから利用する気ではいるけど、僕自身はそれだけで君をここに留めおきたいと思ったわけじゃない」
凛とした眼差し、涼やかで、無駄なところがない容姿。
容赦がなくて時に恐ろしいとさえ思うけれども、同時に全てを惹きつけてやまない清冽さをたたえた自然の具現のような女性だ。
「では、何を持っておまえは私をここに留め置こうというんだ」
真っ向からにらみ合う二人の間には、緊張感と腹の探り合い以外の空気は入り込むような隙はないように見えた。茉莉には軽薄な口説き文句は通用しない。自分の中にある本音を言葉にする術を、ロードライトは胸の中で探した。どうやったらこの気持ちを彼女に伝えることが出来るのだろう。
「――知りたいんだ。君が傍にいると何が起こるのか。次に何がおこるのか分からなくて、僕はずっとわくわくしてる。君自身のことももっと知りたい。何を見て、何を思ってきたのか。笑った顔も泣いた顔も、怒った顔も見てみたい。こういう気持ちにはどういう名前がつくのか、分からないんで一言では言えないんだけど」
唇の柔らかさや、肌の温かさ、髪の手触りも知りたいと思う。けれどそれは違う本能と直結しているような気もして、口に出すのはさすがにはばかられる。一応優先順位は下の方なので、黙っておくことにする。
しげしげとロードライトを見つめ、茉莉は軽く腕を組んだ。彼女の空気がふっと緩やかなものになったのを、ロードライトは肌で感じた。
「物好きだな」
「よく言われる。それで、君は出て行くの?」
笑顔で尋ねると、茉莉は半眼になってロードライトを見上げ、ついで溜め息をついてなぜかミランダの方に視線をやった。
「大変だろう、こいつの警護は」
「……はい。あ。いえ!いいえさほどで、も……」
無防備な状態で素直に返事をしてしまったあとで、ミランダは慌てて訂正しようとする。が、さすがに訂正も効かず、気まずそうに小さな体を縮める。同情できる状況に、彼女と同じ苦労を多かれ少なかれ味わっている騎士達の緊張が緩んだ。
自覚はさすがにあるので、ロードライトも咎めることはせずに苦笑するに留める。
「……ここに残ると、なし崩しにいいように扱われる気がするな」
「うん。残ってくれるなら全力で落としにかかるからね。どうせなら王妃になってもらいたいし」
「口説き文句ですの、それ。ロマンも情緒もございませんわね」
横からぼそりとカレンが突っ込みを入れる。
「いやだって東照風のプロポーズの仕方なんて知らないし、婉曲な言い回しは通じないみたいだしねえ」
ひらひらと手を振って、ロードライトはそのツッコミを軽くいなす。口説かれている当の本人は、照れることもせずに半眼でうさんくさそうにロードライトを見ている。
「……クラルテの文化をカレン殿から教えてもらっている最中だしな。ここで離れるのは勿体無い気はするか。東照の術がこの王宮に迷惑をかけたのも確かだ。侘び代わりに、しばらくはそこの王子くらいは護ってやる」
「よし、決まりだ。王妃になってくれればなおいいんだけど」
勢い込んで茉莉の方にロードライトが身を乗り出す。人形のような造りの顔を間近に見せつけられても、茉莉は顔色一つ変えない。
「ひとつ聞きたいんだが。クラルテでは王妃に迎えたい人間にこういう風に直球で妻問いをするものなのか?」
ロードライトを除くほぼ全員が「違うと思います」という言葉を測ったようなタイミングで口に登らせた。
(第五章 媛巫女の祝福 終わり)




