第四章 公爵の陰謀 4
両手を握って、開く。特に違和感を覚えるような場所はない。
「痺れは残っていない?」
心配そうに尋ねてくるカレンにうん、と頷き返し、ミランダは先ほどまでロードライトが立っていた場所にかがみこんだ。
黒く焼け焦げた紙屑が、辺りに散らばっている。その欠片を摘み上げ、ミランダはすたすたとカレンの方に歩いて戻った。
「手がかりが引き出せそうな感じはする?」
次期大司祭と目されているカレンは、国の中でも一、二を争う技量を持った鉱術師でもある。大抵の術式ならばその癖や繋がりを見透かし、条件さえ揃えば術者の居場所の特定さえやってのける。
ミランダが、黒焦げの紙切れをカレンの手のひらにそっと乗せる。カレンはひとつ頷いて、懐から小粒の水晶を取り出し、紙切れとともにそれを両手で包み込んだ。
まぶたが伏せられ、彼女の黒髪が、青みを帯びて緩く輝く。まつ毛の先、柔らかな産毛にまで光が灯り、彼女自身が人ではない何かのようにさえ見える。神経を研ぎ澄ましている鉱術師の邪魔をしないように、その場にいた全ての者が息を詰め、じっと彼女を見守った。
カレンの様子が平常通りのものに戻り、彼女が薄いまぶたの下に隠された漆黒の瞳をランプの下に再び晒すまでに、そう長い時間はかからなかった。
結果を促すミランダの視線に、カレンは緩く首を左右に振った。
「全く駄目ですわ。術……人外の力が働いた気配は、確かに残っているのですが……」
「クラルテの術式ではない、と?」
黙ってことの成りゆきを見守っていたチェスターが、初めて口を開いた。
「他の国のものでもありません。少なくとも、この国と国交のある国の術式ではないです。残った気配が、まったく感じたことがない種類のものです……国交のない国のものか、全く新しく編み出された術か……」
ふらり、とカレンが姿勢を崩す。ミランダが慌てて片腕を差し出し、彼女の上半身を支えた。カレンの顔にくっきりと疲労の色が浮かんでいるのを目にして、ミランダが驚愕に顔をこわばらせる。
事情を聞かされ控え室にやってきた宰相が、難しい顔をして腕を組んだ。
「気配をたどろうとするだけで、カレン殿が消耗するような術式だったと? 親書は西部の……フォスター公爵が送ってきたものだったのでしょう。公爵はそれほどの術者を抱え込んでいたのでしょうか?」
「いえ、術式自体はさほど高度なものではないでしょう。ただ、私が全く存じ上げない類のものでしたので……。初めて訪れた町で、地図もなく目的地に辿りつこうとするのと同じような状態になってしまっただけですわ」
きっぱり言い切って、カレンがきっと顔を上げる。
術式面に対する王宮の防衛は、各神殿が提供する最高水準の技術が用いられている。必要であれば他国からも術者を招き、外国の呪術ですら跳ねつけられるように精緻に組まれた結界が、幾重にも王宮を包んでいるのだ。
四神殿のメンツを踏みにじられたも同然な状況だ。負けられない、とばかりにカレンは部屋の中央に視線を向けた。
「もう少しお時間をいただければ、恐らく何らかの手がかりは導き出せると思いますわ」
チェスターがそれにうなずいて、口許に手をやった。
「国外ならともかく、国内でさらわれたのであればロードライト殿下の身はとりあえず安全でしょう。特に公爵ならば――」
ロードライトが死ねば、鉱石からは薬効が失われ、クラルテという国の根幹が揺らぐ。現在の生活そのものが危うくなるのだ。そのことを、一定以上の地位にいるものは当然知っている。フォスター公爵は、無論「知っている」側の人間だ。自らの首を絞めるような真似を、簡単にはしないはずだ。
「あちらからの要求を待ちましょう。今この時期に王宮が揺れれば、他国につけいる隙を悪戯に見せることになりかねません。特にデリフェルとローオールは……」
「こちらがかけた圧力にも、かなりぴりぴりしていましたからね。それでなくてもずっと大国から圧力をかけられ続けてきた歴史があります。下手をすれば結託して攻め込まれ……」
そこまで続けて、カレンがはっと目を見開いて、両手で口もとを覆った。宰相の眉間に、深い皺が刻まれる。
「……ダリアス伯の、後ろにいたのは西部の有力貴族の可能性が高い。ここまでは何とか突き止められています。……武器をデリフェルとローオールに流し、火炎石を違法に採掘し。私服を肥やしたいだけかと思っていましたが、まさか」
「ですが、理由がありませんわ。西部は穀倉地帯です。確かに数年前の不作の余波をまだ引きずってはいますが、本来は豊かな土地のはずです。鉱脈にも恵まれているといいますのに」
「理由が富でないとするなら……」
だがそれ以上の理由に、宰相もチェスターも思い当たらないらしい。
難しい顔をして、小声で言葉を交わしている宰相とその息子の後ろ、小さな会議室があるであろう場所を、ミランダはじっと見つめた。そこには国王と、宰相を覗いた重臣達が集まっているはずだ。王子が王宮で何者かに攫われた事実を、まだ公にするわけにはいかない。
後ろに公爵がいる。それはつまり、あの部屋にいる重臣達の中にも、「敵」と通じているものがいるかもしれないということを意味している。
「……クライグ公爵は、幼い頃レイリア王妃陛下と懇意にしていらっしゃいましたね」
小さな呟きに、チェスターが後ろを振り向き、とカレンがはっとした様子でミランダを見た。
「まさか」
「西部に向かいます。事態は一刻を争うかもしれません。彼が執着しているのは財でも権力でもありません。『殿下が亡き者になれば、国が滅ぶ』というこの国のからくりは、恐らく公爵にとっては何の抑止力にもならないでしょう」
「……間に合いますか」
「分かりません。ですが、ここでじっとしていれば手遅れになる可能性が高い。そうなれば……」
「殿下がのらくらと敵の追及をかわしていてくださることに賭けるしかありませんな。カレン殿。殿下自身にもいくつか護りの術は施してあるのだろう?」
勿論です、とカレンが肯定する。ミランダと宰相が互いを確認するように視線を交わし、同時に首を縦に振った。
「早馬を出しましょう。ひとまずは公爵の城に。ミランダ様、先に発ってください。正式な討伐隊は明日の朝出します」
ミランダの眼光がきっと鋭くなる。
「……抑えておけますか? 明日の、朝まで」
「朝までならばなんとか。討伐隊に目が行っている間に、何とか城に忍び込んで殿下を救い出してください。あちらに着くまでには間者が何か情報を掴んでいるでしょう。合流方法は私などよりミランダ様の方がご存知のはず」
チェスターが、討伐軍の手配のために、慌しく部屋を後にする。
分かったというなり、ミランダもきびすを返した。
すぐに出るつもりなのだと気づき、カレンが慌ててミランダの前に回りこむ。人差し指でミランダの額から心臓までのラインを軽くなぞり、まぶたを伏せて、祈りの唄の一節を簡単に口にする。戦場に出て行く騎士に、神殿の神官や巫女が授ける祈りの言葉だ。
「鉱石の神の守護と祝福を。……簡略ですけれども」
「ありがと」
「ミランダ様、……私、も」
炸裂した術で壁に叩きつけられたせいで、カーティスもジグもまだろくに身動きを取ることすら出来ないでいた。腹の底から絞り出された声に、ミランダが振り返って駆け寄ってきた。その場に膝をついて、カーティスの顔をのぞきこむ。
「無茶をしないで。術の干渉をまともに受けたんだから、耐性のない普通の人間はまだ当分動けないはずだよ」
「ですが」
「……今のお前は足手まといになる。一晩休んで体調が回復したら、討伐隊として西に向かう一行に加わりなさい」
「上司の顔」で言われ、カーティスはぐっと下唇を咬んだ。その通りだ。まだ頭はくわんくわんと嫌な音を立てていて、酷い二日酔いのような気分の悪さが体中を支配している。早馬を乗り潰しながら駆け続けるような真似は、とても出来ない。現実を突きつけられ、それでもカーティスは目の前の小さな少女を一人で生かせたくない、という気持ちを止めることが出来なかった。
彼女の拳はさっきから固く握り締められ、小刻みに震えている。一見冷静に事態を把握しているように見えるが、その実、内面では怒り狂っているであろうことが、カーティスにははっきり感じ取れた。
一歩間違えれば、爆発しかねない……。
一人で行かせてはいけない、と警鐘が鳴り続けている。ミランダは今、冷静さを失っている。止められる人物を同行させなくては。だが、ユーロパは国王の傍から離れるわけには行かず、自分もカレンもジグも、今彼女と共にあることは出来ない。
ふらつく意識をなんとか保ちながら、カーティスはミランダの小さな拳に手を伸ばした。震えを抑えるように、自分の手のひらで彼女の拳を包む。
びくり、とミランダの小さな肩が震えた。
「――俺は、貴女が死ぬのは嫌です」
「カーティス?」
「どんな意味でもです。貴女が辛い思いをされるのも、歯がゆい思いをされるのも、それを糧とされるのならば構わないと思っています。ですが……」
肺に激痛が走り、カーティスはぐっと鈍いうめき声を上げて咳き込んだ。刺すような痛みの余韻を引きずりながら、それでも、歪んだ視界はあの薄茶色の瞳だけを、鮮やかに捉らえていた。
「……怒りに任せて振るわれた剣は、狂気と悔いしか生みません。それは、時には剣の使い手を精神的な死に追いやるのだと聞いています。……貴女は」
夜の色の真摯な瞳が、王子の一の騎士を真っ直ぐに見つめた。
「貴女は、将来の国王陛下を――クラルテの貴石を護り、支える方なのです。殿下と同じく、ミランダ様、貴女もまた、ここで消えない傷を負い、死してはいけない存在です。それをどうか、忘れないでください」
ミランダの拳の震えが止まり、込められた力がわずかに抜けたのを感じ取りながら、カーティスは意識を手放した。




