最期の人類は無力なのだ。
私、原内 友康は人類の滅亡の日に死ななかった。なぜなら私は地球にいなかったからだ。地球の外をまわる人工衛星内から私は人類が滅亡する瞬間を見たのだ。
しかし、生き逃れた私の命ももう時期尽きようとしている。地球の崩壊時、私がいる人工衛星は地球の強い引力をうしない、その反動により太陽の光が届かないような場所まで吹き飛んだ。太陽光からエネルギーを得ていたこの人工衛星は太陽光が当たらないためエネルギーの供給がストップし、水、そして酸素の供給ができなくなった。一応、予備の酸素と水はあったのだがそれも今では尽きてしまった。衛星内の酸素が完全になくなった瞬間、もしくは二酸化炭素濃度が限界に達した場合、衛星内にいる私を含む3人の命が尽きる。そういう状況なのだ。
太陽がどちらにあるのかもわからぬ闇の中を私たちはただなんの力もなく漂っていただけであった。そして、私たちはもう絶対に助かることはない。なぜなら、私たちが帰る場所はすでにどこにもないからだ。
地球はもうないのだ。
地球は崩壊したのだ。
地球はもう終わったのだ。
その地球の最期、それは意外にも美しいものであった。
私が人類の滅亡を知ったのは、あの大きな隕石を見たときだ。
大きな隕石が地球に確実に近づいてきていた。
大きな隕石の大きさはほぼ地球と同じぐらいの大きさであった。
私たちは地上に連絡をとったが誰も出なかった。
今から死ぬ。そんなときに誰も仕事などしていないというのが普通である。
地球上の人たちが今、何を思い、どう生きているのか?
最期のときをどこですごしているのか?
最期のときをだれとすごしているのか?
私は地球に妻と息子を置いてきた。
その妻と息子も私は失ってしまう。
私には何もできないのか?
そう考えると胸が痛くなった。
私の愛するものはいまからいなくなる。
私の帰る場所もいまからなくなる。
妻と出会い、結婚し、子供ができた。
私は宇宙飛行士になりあまり妻と息子に家族サービスなるものをしてやることができなかった。
いつか、必ず素晴らしい家族サービスをしてあげよう。そう思って、ついにかなわぬまま最期のときがきてしまった。
妻と息子はいつもと違う空を見ながら宇宙にいる私のことをどうおもっているのだろうか?
そして、その時はきた。
大きな隕石が地球にぶつかり、地球上を衝撃波が襲ったと思ったら、ぶつかった場所から凄まじい光が放たれた。
その瞬間、地球は隕石の衝突地からえぐれるように砕けていった。
隕石が地球の半分をえぐったとき、地球は大爆発し、その衝撃により私たちの乗る衛星は遠くに吹き飛んだ。
地球の最期の瞬間というのは1分もかからなかったと思う。
目の前に起こっていた景色はこの世のものとは思えないものであったが、しかし、それが現実であったのだ。
地球は崩壊し、人類は私たちを除き、滅亡したのだ。
人類は私たち3人だけになってしまった。
そして、私たち3人の命ももうすぐ尽きてしまう。
私は死ぬ前に手紙を書いた。
その手紙は誰宛でもない。
誰も見ることはないかもしれない。
でも私は手紙を書いた。
この地球、人類の歴史を私はその手紙を書いた。
人類の生きた証を私はここに残す。
最期に残った私たちができるただ一つのことだ。
それから、ひとり。
そして、もうひとり。
死んでしまった。
私、ひとりが残ってしまった。
私は最期の人類になった。
私が死ぬとき、人類の、地球の歴史は終わる。
これからどうすればよいだろう。そのような思考はすでにない。
私には振り返る過去はあっても未来はない。
そして、私の夢をたくす存在もいない。
そう、これが最期の人類。最期の人類は無力なのだ。
人はひとりでは生きれない。
こんなことを言っていた人たちはまだひとりではなかった。
本当にひとりになった私はそのことが本当にわかる。
人はひとりでは無力なのだ、と。
私は眼を閉じた。
そのとき、いろんなことが見えてきた。
ただ退屈に日々を過ごす人。
人に対して片想いをする人。
仕事に対して誇りを持つ人。
人を殺した人。
失恋を経験した人。
お金に溺れた人。
夢に向かってがんばる人。
知ることを楽しみとする人。
いろんな人の生きてきた景色が見えてきた。
人は生きていた。確実に生きていた。
それぞれの思いをもち、懸命に生きてきたのだ。
原内 友康は人類が生きてきた日々を思いながら最期のときを迎えた。
そして、人類の歴史は幕を閉じたのだった。




