私はそのことを伝えたい。
私は最期の日も働かなければならないのか。
同僚の女の子も泣いてる。やはり、誰でも死ぬことに対して恐怖を感じる。当たり前のことだ。しかし、私の目からは涙がでない、いや、出してはいけない。私にはこの状況をこの国の人たちにも伝えなければならない。それが私の仕事だから。放送を流す準備ができたようだ。私が今から伝えるこの言葉は一体どれだけの人々に恐怖感を、絶望感を与えるのだろうか?
0時30分、臨時ニュースが始まった。私はそして言った。「番組の途中ですが、みなさまに重大なお知らせがあります。」
私は原稿に書いてあることを、そのまま伝えた。その時の私の表情はいったいどんなものだったのだろうか?私のこの最期の仕事は、9年間続いたこの仕事の最期はー
そうか、これですべてが終わるのか。
私の名前は喜多下 麻美。父親は戦場カメラマンで、よく、戦地へ行っていたので家にはなかなか帰ってこなかった。なので、私と弟を母親が1人で育ててくれたのだ。父親は家になかなか帰ってこない。それでも母親は父親を愛していた。たまに父親が帰ってくると父親は私たちに戦地の様子を伝えてくれた。私は当時、子供だったのでよくわからないことばかりだった。世の中には知らないことが多い。私が普通に生きていたら知ることはなかっただろうこの地球の現実を父親は教えてくれた。私はそんな父親が好きだった。
ある日、母親が泣いた。私たちの父親が死んだのだ。とある国で流れ弾にあたり、父親は死んだのだ。父親の死を知った私の心は締め付けられるようなものだった。涙が尽きるまで流れ落ち、声が出なくなるまで叫んだ。
それからだった。私は父親のようにこの星の状況をみんなに伝えるような人になりたいと思ったのは。
私はその夢を叶えるために必死に勉強した。そして、私はアナウンサーになれたのだ。運が良かったのかもしれない。私はいつのまにか名の知れたアナウンサーになっていた。夜のニュースの担当にもなれた。いつのまにか私の夢は現実のものとなっていた。
私の最期の仕事は終わった。最後の仕事で人類の最期について伝えることができた私はもしかしたら幸せなのかもしれない。そう、思うことにした。自分の中の死に対する恐怖感をそう思うことで抑えた。いつもなら一つの仕事が終われば片付けをするものだか、誰も片付けなどするものはいない。片付けても片付けなくても意味がないからだ。みんな、仕事が終えると逃げるように家に帰って行った。でも、私はひとり、残って片付けることにした。これは私の仕事に対する最期の敬意だ。もうすぐ死ぬということを考えないように無心で私は片付け、掃除もした。そして、本当に私の夢の仕事は終わったのだ。
仕事場から出て、私は振り返った。
私が9年間働いた場所を見た。
すると自然と涙が溢れてきた。
本当に終わるんだ。死にたくない。
私の父親も死の間際はそう思っていたのだろう。
父親が死んで随分経ってその思いを感じることになった。
そうか、死ぬのはとても怖い。
私はそのことをこの9年間で視聴者に伝えることはできていたのだろうか?
死ぬのは怖い。
みんながそう思っていたら戦争や犯罪は無くなっていたのかもしれない。
もし、今日、人類が滅亡しなければ、私はそのことを伝えたい。
18時過ぎ、喜多下 麻美の願いは叶わず、人類は約束通り滅亡した。