第八話 風に乗る悪意
遅れました……!
待ってくれていた人(居るのか甚だ疑問がありますが……)申し訳ありません。
時間は少し遡る。水姫が第一校舎裏の防風林でパズズと接触する十五分ほど前、翔太と悟は第二校舎へと至る通路を歩いていた。
「……話は分かったけれどよ、風聞を掻き回すってんなら今すぐじゃわかんねぇんじゃねぇの?」
「うむ? 要領を得ない物言いだな。もう少しわかりやすく言うんだな、悟」
翔太が図書室で得た情報を含め、パズズという魔人が天原に侵入していると悟に説明したところの疑問である。
「いや、だから風聞って要は噂とか印象とかだろ? それって多くの人間に行き渡るまでに時間が必要なんじゃねぇの?」
「もう少し考えるんだな。噂が立つということはそれだけ〝目立つ〟ということだ。パズズの産み出した悪影響が行き渡る前に絶つ、と言っているんだ」
翔太と水姫は図書室で話を聞いてから互いの契約者を交えパズズの戦闘力以外の能力についてある程度の予測を立てていた。二人の出した答えは、敵の風評操作とは恐らく対象から得られる主観的・客観的両方の情報を大きく変化させるというモノだ。
「いいか、翔太もよく聞くと良い。ひとえに風と言っても、私たちのように人と契約を結ぶもの、魔人のように人に仇為すものからすればあまりに漠然的過ぎる。風とはそよ風から竜巻、それこそ嵐まで風と言えるのだから。
それでパズズの能力の考察に移るわけだが……過去の戦闘の記録でも、一週間前に翔太を巻き込んだ時も嵐が確認されていることから奴の風の本質には〝破壊〟が含まれていることは間違いない」
夕暮れに染まる細い道を歩く高校男児二人に得意気に説明するストラップ型の人形という図は傍から見ればシュールだっただろう。本人たちは至って真面目に話し、聞いているのだったが。
「力づくで吹き飛ばす、それは戦闘の際一つの脅威として立ち塞がるだろうが。私たちが向かっている、悟が感じた三つの気配は恐らくパズズが関与した人間だろう。大きく噂が書き換えられるほど〝力づくで弄られた〟可能性がある」
自身も風を司るだけあって風の能力については理解が強いのだろう。ラビエルはその風を以て〝災難・厄災を吹き散らす〟という性質を持っている。同じ風でも生じる効果や結果が違うという実例が目の前にいた。その彼女が語るパズズについての考察は翔太たちにとってやはり説得力がある。
「うーん、言われてみると風と言っててもいろんなものがあるよな……。つまり悟の気配を道標にしながら、どう捉えてもおかしなやつを探せばいいわけだ」
そろそろ第二校舎が見えてきそうなところまで来てしまった。悟が感じた気配というのも移動くらいはしているのかもしれない。
「さて、悟。三つの気配は今はどこら辺にいるんだ?」
当然のようにラビエルが尋ね、
「さぁ?」
当然のように悟が答えた。六月の夕方というには寒々しい風が吹いたのではと錯覚しそうな沈黙が場に満ちる。
「いつまでも嫌な気配を垂れ流しにしていなかったし。今はもうどこにいるかなんてわかんねぇよ?」
「なっ、なっ、なんだとう!? それでは私たちはなんのためにここまで出張ってきたんだ!!」
翔太のポケットからぶら下がる大天使様が大きく横に振れる。悟は中腰になって苦笑しながら宥めていた。
と、翔太が突然歩みを止めたので悟の顔とラビエルが衝突する。
「ぶっ」
眉をしかめて体を起こし翔太を見るが、珍しいことに少し目を瞠って硬直していた。ぽかんと口を開けて呆けていたのだ。
「あん?」
疑問に思い翔太の視線の先を追い、悟も固まる。彼も呆然と立ち尽くしてしまった。人間、予想外な場面に陥ると思考がフリーズするのだと身を以て知ることになったが一言だけ呟くことは出来た。
「………………なんだ、あれ?」
「なんだ? どうした? おい、見えないんだ。誰か説明しろ!」
ポケットからぶら下がり揺れることくらいしか出来ないラビエルは己の意志で視界を確保することが難しい。今も翔太の腿に額をくっつけるような形でぶらさがり喚いていた。
ラビエルからは見えないが、翔太と悟の視線の先には三人の上級生がいた。お世辞にも真面目の欠片も見当たらない風貌は翔太たちが知る由もないが、パズズと接触した不良生たちであった。
そして今、彼らの風貌はお世辞にもまともには見えなかった。
白目をむいた双眸。涎を滴らす口腔。首に、腕に浮き出た血管。どす黒く染まっている肌。何より膨張した筋肉は彼らの体躯を二メートル近いものにまで変化させていたのだから。
「……最早、風聞がどうのとか関係なくね?」
「……噂が立つどころか一見してお変わりになられてますもんね、羽根倉風紀委員?」
「こんな時に風紀委員を強調するのはどうかと思うぞ、斉藤臨時風紀委員」
翔太の右腿で四苦八苦揺れていたラビエルがなんとか視界を正面に向ける。彼女はそこで初めて己の相棒と同じものを目にして、
「……うむ。見事な風聞の破壊だ。流石、パズズ。やりおる」
『…………う、が、があああぁぁぁ!』
直後、三人の不良が明らかに尋常ではない雄叫びを上げ、これまた妖人ですら驚異の域に達しそうな瞬発力で地を蹴った。
「ありゃ風〝聞〟じゃなくて、風〝貌〟の破壊だろ!!」
「うむ。イマイチ捻りの足りない洒落だな」
内心、洒落になってねぇと毒づきながら翔太は悟と伴に踵を返して全力疾走を敢行する。確かに水姫と行った考察で導いた『対象を大きく変化させる』という答えは合っていた。ただし、外見的要素と言う視覚情報であったが。確かに目で見て評価するという過程を経るのだから見た目を変えるのが一番早いのだろうが、ここまであからさまに「どうも、敵です」と主張せんばかりの干渉だとは思わなかったのである。予想外なパズズの能力に軽くパニックに陥った二人と一体は夕日によって朱く染まる道を逆走する。
ドスドス踏み鳴らす足音はいかにも重量を感じさせる。重量級に変貌させられてしまった彼らの攻撃は、妖人であり一般的な肉体と比べると戦闘に特化された肉付きをしている翔太と悟の二人と言えども力での勝負は避けたい。
「――くそっ! あいつら変態しやがった!」
追ってくる不良たちの外見が更に変異を遂げる。くすんだ茶の鬣の獅子頭型の姿と黒一色の体毛に赤眼の狼頭型の陸生生物を象るベヒモト系血統が二人と、カエル頭型のリヴァイアサン系血統が一人。
「有りがちな変態だな。それに見たところ、それほど力を持っている家系じゃなく、派生した魔獣級の家系だ……一人は霊獣級だな」
妖人は陸生・水生・空生という括りで「ベヒモス系」「リヴァイアサン系」「ジズ系」と分けられ、更に各人の受け継いできた血の表れである「素体」から「神獣級」「霊獣級」「魔獣級」と区分できる。不良たちは格の低い魔獣級であるため数多く確認されている「ワーウルフ」と「ヴォジャノーイ」、そして霊獣級の「ヌリシンハ」の血統だった。
「おお! 言われてみれば! 良く見てんな、翔太! どうする!? やっちまうか!?」
「いや、待て! パズズの影響があるため実力が未知数だ! 不用意に戦闘を行うのは危険ではないか!?」
相手の情報を確認したことで少し落ち着きを取り戻した翔太たちだが、この問題にどう対処するかを決めあぐねていた。と――
「……え?」
前方から、か細いアルトの呟き。
一人の女子生徒が唖然とこちらを見て固まっている。高等部のブレザーではなくセーラー服だ。そのため少女が中等部の生徒だとわかる。手に持つファイルが高等部に用事があったことを窺わせるが、この場合不運としか言いようがない。
くりっとした真ん丸の目を更に大きく見開いて、栗色の三つ編みにまで緊張が伝わったかのように跳ねる。
「……悟!」
「わかってるよ!」
体を反転、不良たちと向き合う。ワーウルフとヴォジャノーイを翔太が、少女の目の前では悟とヌリシンハが対峙した。
「助力は?」
「いらん!」
ラビエルと短いやり取りの後、猛禽の姿に変わった翔太が両腕で軽く空気を弾き超低空を高速で滑る。人狼が大きく右腕を振りかぶりカエル男が口から舌を撃ち出したが掠りもしない。人狼の前に肉薄した翔太が身を屈め人狼の攻撃をやり過ごし、相手の顎へ掌底を放った。
「ガッ……!?」
崩れ落ちる人狼に最後まで目を止めずに再び羽ばたき、通常ではあり得ない長い滞空時間の後方宙返り。振り向いたカエル男の視界の外――頭上を通り背後を取った。
「……手助け甲斐のない相棒め」
カエル男が崩れ落ち、振り返る視界で対峙しているのは獅子男と悟。悟の背後には小柄な中等部の少女が震えていた、どうやら背に庇うことは間に合ったようだ。
悟の姿が、変わる。
赤茶の体毛が全身を覆う。その姿はアカゲザルに酷似していた。
「――そんな萎びたパンチが効くかよ!」
ベヒモス系、神獣級「石猿」。岩のごとき堅硬さを誇る体毛が獅子男の鋭い爪を伴う拳を難なく受け止め、
「憶えておきな。岩園学園の孫悟空たぁ、俺のことよ!」
その堅硬さからは想像もできないような身軽さで、拳と蹴りの連続攻撃。鈍い打撃音が連続し、畏怖を撒き散らす巨体のヌリシンハを数メートル吹き飛ばす。獅子男は起き上がることはなかった。
「少なくとも、間違いなく斉天大聖ではないが、その格好つけたセリフは私にお前に対する減点態勢を取らせるぞ」
「え!? 評価対象だろ!?」
「だから減点する姿勢を示すことになったと言っただろう」
緊張感なく、くだらないやり取りをするサルと人形。中等部の少女の無傷を横目で確認しながら、
「……呆気なすぎる気もするが、何が狙いなんだ?」
翔太が呟いた瞬間、校舎から拡大された音声が響き渡る。それは数分前に別れた彼らの先輩のモノであった。
◇◆◇◆◇◆◇
身を焼く風が周囲を駆け抜ける。眼下の林では、その熱に煽られただけで木々が茂らせた葉がしなびて落ちる。直接煽られようものなら幹が黒く焦げるほどであった。
その熱風の中、蒼き水の羽衣を纏う天女が一人。水姫だ。
水のレーザーが駆けまわるが届かない。赤錆色の風が水を押し返し、蒸発させる。
「どうした、神の力? 当代の実力はそんなものか」
水姫の頭上、ぼろきれを纏う不気味な男――の姿をしたパズズは悠然と佇むのみ。身動き一つなくただ風を操っていた。
(どこか、付け入る隙は……!)
やはり押され気味に推移する戦闘で必死に活路を探していた。確かに扱う異能の練度は凄まじいものがある。何世紀と生き続けた経験があるのだろう。そう易々と打ち破れる気がしなかった。
それでもどこか、おかしい。そう感じるのは間違いだろうかと先ほどから水姫は疑念を抱いていた。それは――
(どうして積極的に攻めてこないのかしら? 余裕? それとも何か狙いでもあるの?)
初めこそ不意打ちという形で先手を取ったパズズだがそれ以降主に攻めているのは水姫だ。あちらは広範囲の熱風による牽制と防御がほとんど。能力が広範囲を覆うので結果こちらにも害が及ぶと言うだけであからさまな攻撃が一切無かったのだ。
(何か責められない理由があるの?)
ジブリールを警戒しているのかと思ったが、首を振る。そんな単純な理由ではないと判断した。好機を待っているのではという考えが脳裏を過るがそれも否定する。自分がパズズにとって、正面からの力比べを避けるべきだと評価を得る実力の持ち主だと思えなかったからだ
渦巻く水が熱風を掻き分け、吹き荒ぶ赤錆が蒼を退ける。このままでは先に自分の集中力が切れてしまうと思った時、
「焦らないでください、水姫。大丈夫。あなたの相棒が誰だと思っているのです? 四大天使の中でもとりわけ名の知られた大天使ですよ? その名に恥じぬ力を授けているのです。神の力という二つ名の通り、力づくで叩き潰してしまいなさいな」
相棒の、自信に満ちた力強い激励。
「――そうね」
右手を天に突き上げる。雨が降るように、水滴が無数に宙を駆け巡り始める。ただし、下から上へと向かって。
「ぬぅ……っ!?」
魔人がこの相対で初めて唸る。
天女がこの相対で初めて歌う。
「それは恵み。それは涙。それは禍。それは母。あらゆる顔持つ奇跡の元素。四大の一を司る大天使の名のもとに、集い応えよ」
ジブリールとの二重奏。水の無い場所であっても、自分の元に攻防一体の力となる水を呼び寄せる祝詞。水滴の上昇速度が加速する。赤錆色の風が水を逸らす角度が鋭くなり、通り抜ける水の礫は徐々にパズズとの距離を詰めていた。
「覚悟してもらうわよ、パズズ!」
「当代〝神の力〟とくとご覧あれ」
そして、パズズの頭上まで覆うことになった水滴が上下左右あらゆる方面から加速してその中心へと殺到した。中心には勿論、
「ぬ、おぉぉぉぉぉ!?」
赤錆を蒼が穿っていく。
◇◆◇◆◇◆◇
蒼も赤錆も一切が消え失せて通常の色彩を取り戻した世界で呟きが零れる。
「……倒した?」
「いえ……恐らく逃げましたね」
未だ警戒を続け周囲の気配を探る彼女らの下、ぼろぼろになった林の中でぼろきれを失ったパズズが頭上を見上げていた。
「くくく……今回の契約者も中々のものよ。流石よな、神の力。だが我の力も面白い形で使えることが確認できた。少しは我の目的の時間稼ぎに使えよう」
露わになった顔に肉はなく。腐り落ちた頬からは骨が剥き出しで。眼下はぽっかりと黒い穴を覗かせる。
「この体も潮時よ。どれ、そろそろ本来の目的通り体を探そうか。この体で神の力たちを相手にするのは骨が折れる……ちょうどここにはおあつらえ向きにいい肉体が、集まっておるのでな」
パズズが不気味な笑声とともに林の生む闇へと身を進ませる。
同時、水姫が戦闘行為の終了を拡大された音声で特区内に告げた。それは水姫にとっては、彼女だけでなく校内の組織にとっても敵を討つチャンスを逃し見失ってしまうという失態であり素直に喜べるものではなかったが、特区民はひとまずの脅威を退けたことで胸を撫で下ろした。街中では「さすが風紀委員長」「神の力を信じていた」など喝采する声も上がる中、その報告に悔しそうに、憧れるように、渇望するように拳を握りしめ唇を噛む少年も居た。
その少年の肌を纏わりつくように、生温い、気持ち悪い風が撫ぜるように特区内を駆けていく。魔人との邂逅は始まったばかり。未だ終着点は、見えていない――。
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