第七話 塵風魔帝・パズズ
すみません、遅くなりました……。
「以上が、今わかるパズズの全て。どう? 満足かしら?」
文子がファイルを閉じる音が、言葉を発することの無い本の多く締める空間である図書室だからこそ大きく耳を打つ。
水姫と翔太が聞いた情報は、あまり良いものではなかった。
曰く、古代に語られた神話に「神に決して膝を屈せず抵抗した」という表記があるように、古代の天人・妖人がどれだけ徒党を組んで討伐に向かっても逃げることなく威風堂々と正面から迎え討ったと言う。そして、現代まで代替わりなく存在する魔人。
故に、威風堂々たる風の魔王――
「ま、このオチビが言うように強大なのは確かね」
「オチビとはなんだ、ラトジエル!」
「今の世代に名持ちの魔人が現れること自体が珍しいもの。ジブリールやラジエルの契約者といっても尻込みはするでしょう。だけど、これだけは教えてあげる」
多くの本を抱える部屋でありながら、自身古びた文庫本という憑代でありながら、本にはあり得ない声を滔々と響かせるラトジエル。
「力だけが全ての判断理由ではない。キミたち人は他の動物に比べて〝頭でっかち〟だが他の生物よりも広い範囲で繁栄している――思考する。それは、知恵の代わりに野性を捨てたキミたちが為し得る、最大の武器だということを忘れてはいけない」
それは〝神の秘密〟らしい言葉でもあった。かの天使がもたらした知識は有名な箱舟製作にも関わっているのだから。
だからこの時も、人に知識を与える。それを己の役割に課している天使なれば。
「そんなキミたちに〝秘密の領域と至高の神秘の天使〟が言葉を贈ろう。パズズが扱う異能には風は勿論だが、現代の風とも言える変わった力もまた備えている」
「……変わった、力?」
「――〝風〟評だ」
水姫の疑問に間を置かずラトジエル。
「昔からそうだったんだが、人の噂というモノは風のごときものだ。それこそ風聞というくらいなのだから。評判の悪い人物はよく注意して見ることだ。大衆の観念をいいように掻き回す風でもあるからな。劇的に周りからの評価が覆る者を見つけたなら、気を付けろ」
そこで水姫と文子が翔太を見る。
「え? 何すか?」
「そう、その少年がラジエルのおかげで周りからの評価が変わったように、パズズもまたそう言った情報を掻き回す。惑わされることなく、良く考え、行動しなさい」
それは大きな力に惑わされる人に贈る言葉。
「怯える前に考えよ。我々もキミたちであっても、完璧な存在というのはありえない。相手が強大であればあるほど、活きる知識というモノがある」
力だけが、全てではないというのは敵にも当てはまる。
「恐れる前に疑え。己の眼で、耳で確認したことこそが、真に正しき知識となるだろう。風評に惑わされることなく、最善と思う行動を心掛けよ」
怯える暇があるなら、その恐怖を払拭するための方策を。
強大な相手だからこそ、力以外も備えているだろう用心を。
「知識、知恵といった材料をもとに、力という武器を研ぎなさい。若き人よ」
知識を司る大天使にふさわしい、助言と叱咤激励。
水姫と翔太は思わず顔を見合わせてから、
「そうね、戦う前から弱気になってた。文ちゃんから聞いた情報も鑑みて、どうにか有効な手立てを考えましょう」
「……風評、ね」
授けられた情報を噛みしめた。
◇◆◇◆◇◆◇
図書室を後に、廊下を歩く二人。
「……威風堂々たる風の魔王、か」
昨日とは違い、雲に隠れて夕日は見えない空を窓越しに眺めながら呟くのは水姫。
「熱病をもたらすと言われるだけあって、嵐だけでなく熱風もその権能に含まれているって言ってましたね」
横目でそんな水姫を見ながら翔太が返す。
「またその強大な力は厄除けの信仰対象にもなったそうね。並の力じゃ通用しないということでしょう。それに……風評操作」
放課後の為、内履きのゴムがこすれる音が大きい。まるでこの大きな学び舎に二人取り残されてしまったかのような錯覚。まだ明るいのに、どこか落ち着かない。
二人の風紀委員がそんな廊下を、特区内に潜む脅威について考察しながら歩いていく。
「搦め手まで持っているってこと……?」
水姫は疑問に首を傾げる。劇的に評価を覆すとは具体的にどういった能力なのかが予想できないのだ。ラトジエルはラジエルのように、と言った。確かにラジエルは風を司る大天使だ。彼女と契約した翔太の評価が大きく変わったことも事実だろう。
(でも、それは彼が妖人でありながら契約者になったという話題性のものだと思うんだけどなぁ……)
どうしてもイマイチよくわからないと、内心唸っていると、
「多分、前例が参考にならないとか、そんな感じの能力だと思うんで考えても無駄っすよ」
達観しているのか、それとも呑気なだけなのか判断に悩む声音で隣の翔太がぼやいた。
「え?」
「風評ってのは世間からの評価やその内容のことっすよね? それを劇的に変えるんですから要は前例がなく、度肝を抜くような何かまたは能力だと思うんです」
翔太は今までなるべく目立たぬように、高い評価を得ないように振る舞っていたので何となくわかる。評価とは継続した努力か、突出した結果でしか覆し得ないものだろうと。
「こっちの能力はさっきのラトジエルの言葉を借りるなら、疑う方でしょう」
「疑う?」
意外によく考えている後輩に感心しながらおうむ返しに返す水姫。
「自称にしろ他称にしろ、その能力または何かが本当に評価通りのモノなのかということをです。強大なのは確かでしょうけど評価で全てが決まるわけじゃない。評価はあくまで評価。いくら風評を操作しても相対するかもしれない俺達の実力までを左右するものじゃないでしょうし」
言われてみればその通りなのだが、この後輩に指摘されるとは思わなかったので目をパチクリさせる水姫だった。その意外感は翔太の相棒も同様だったらしい。
「……ちゃんと真面目に考えているじゃないか。見直したぞ翔太」
「そりゃ、お前。今ここで頑張っておけば後々楽できるかもしれねぇだろ? 戦闘は任せなさい、みたいな」
「……やる気のもとはそれですか」
呆れたようなジブリールの言葉に冗談だよと苦笑し、翔太は続ける。
「真面目にするべき時くらい弁えてるよ」
二人して一階まで降り、玄関で靴を履きかえる。今日は軽く校内を回って見て解散という方針だ。玄関から外に出るとちょうど翔太にとって見覚えのある顔が居た。
「あん? どうした、悟?」
「お? 翔太か。今帰り?」
玄関前にある短い階段に腰を掛けていた少年、斉藤悟に気が付いた翔太が声を掛ける。水姫は知り合いではないので少し距離を取り眺めていた。
「で、こんなとこで何してんの?」
「いや、特に何するわけでも無ぇんだけど……なんとなーく頭がちりちりしてな。厄介事だと嫌だから害の有無が確信できるまで様子を見ようかと」
曖昧な表現に首を傾げる水姫だが、翔太や悟のような妖人の中でもごく一部には感覚的に何かの前兆を感じ取るような者が居る。悟はそう言った感覚が昔から強かったのだ。因みに翔太は普段、そういった感覚は持ちえない。彼の場合は「シームルグ」の血を解き放ち異形と化した時のみ、そういった感覚が強くなる。
「……どこからだ?」
翔太は昔からの付き合いなので悟の〝勘〟が妖人の中でも極めて鋭いことを知っている。そして今まさに図書室でパズズの脅威を聞いてきたばかりだった。この状況で警戒心を抱かないという選択肢は取れない。
翔太の声音から何かあると確信した悟が立ち上がる。その間に翔太が水姫に悟のことを紹介した。
「こいつは俺の幼馴染で斉藤悟。妖人です。Zクラスですけど荒事に関しては信用できます」
「どうも、悟君。風紀委員長の穂澄水姫よ。事情はあとで翔太くんに聞いてもらうとして、委員長権限として臨時会員扱いさせてもらうけれど大丈夫?」
今まで水姫が一人で活動してこれた理由には彼女の実力もあるが、それ以上に委員長としての権限が大きい。各委員会の長はそれぞれの活動に於いて、足りない人員を成績・他薦などから判断し臨時の助っ人として活動に参加させることが出来るのだ。
また岩園学園の生徒はそう言った事情を知っていること、彼ら自身魔人の脅威に抗する教育を受ける自負を背負ったものが多いため、断る者は少ない。
「斉藤悟です。風紀委員長のことは有名なんで知ってます」
「それで、悟。嫌な感じはどこら辺から感じる?」
「ここから第二校舎の道に三つ。そしてもっと嫌な感じのが校舎裏の防風林に一つだな」
第一校舎の裏にはずっと広い範囲で木が植えられており、その向こうは北区の方へと続く街並みが広がる。天原は南に海、北、東、西を山に覆われた土地なので山から吹き下ろす風を防ぐ目的の林だった。
「……翔太君と悟君は第二校舎に続く道の方を、私は防風林の方へ行くわ」
「一人で大丈夫ですか? 全員で行動した方が……」
「ふふ、心配してくれるんだ。どう? ジブリール? 優しい後輩が出来たと思わない?」
「……良かったですね。今までは委員会室に置いてある、ぬいぐるみに行ってきますを言うだけでしたし」
「……ぬいぐるみ……」
「……うむ。実に健気な……」
翔太の確認、水姫の応答、ジブリールの暴露、悟の呟き、ラビエルの感慨を交えた後に、ただ一人顔を赤らめながら、彼らはそれぞれの目的地へ向かって歩きはじめる。
◇◆◇◆◇◆◇
木々のせいで余計に薄暗くなった場所を歩く。土と落ち葉を踏む音だけが聞こえる。夜行性の生き物が活動するには遅く、小鳥たちが囀るような時間はとうに過ぎていた。そんな学校内の防風林を、不気味な気配が漂う中を、場違いな少女が堂々と、真っ直ぐ進んでいた。
「……何か感じる? ジブリール?」
「いいえ、まだ何も。ただ、魔人の痕跡らしきものは僅かながら……」
周囲に目線を巡らしながら聞く水姫に、間隔を広く張り巡らせたジブリールが言う。木々の中ということが彼女たちの神経を削る。
太陽を遮る曇り空。
影を落とす木々。
刻一刻と夜を運んでくる時間。
すべての条件が、彼女たちにとって芳しいものではなかった。今まで名無しの魔人を多く屠ってきた。怪我もした。逃げだしそうにもなった。
だが、相手を探すために自ら危地に踏み込むことは初めてだった。
今まではただ力を振るうだけの敵だった。
しかし、名持ちともなると、こうも違うのかと水姫は思っていた。強大でありながら、ただ闇雲に突撃する単純さではない。強大であるからこそ、自らの力を最大に発揮するべき時を弁えているという機微。自らの力を最高に働かせるための謀略。
それが、酷く、恐ろしい――
ドッドッド、と聴覚を占めるのは体内の音。
次の一歩を踏んだ瞬間、あそこの木の陰から、何かが飛び出してくるんじゃないかと睨んでは、取越し苦労に深呼吸。
ドッ――心音――シャリ――足音――ふっ――吐息。
唾を呑んで、また一動作。
ドッ――心音――シャリ――足音――ふっ――吐息。
己の発する全ての音が、この静寂を振るわせて、敵に居場所を教えているようで。
ドッ――心音――シャリ――足音――ふっ――吐息。
色濃くなってきた影の中、己の手の白さが余計自分の存在を誇示しているかのようで。
ドッ――心音――シャリ――足音――ふっ――吐息。
「――ふうっ……」
そして、
自分の吐息と同時、
生温い〝風〟が、
肌を、撫ぜた――
◇◆◇◆◇◆◇
木が揺られると、茂らせていた緑を黒く変色させ急速に萎れる。落ちる葉は、枯葉というより炭化したソレだ。
影の中、うねるように迫る色は「赤錆」。
「――水姫ッ!!」
ジブリールの警告と同時に、後方にむかって全力で跳ぶ。
(あれに、触れたらダメ……!)
己の周りに泡沫による防御を展開しながら前方、更に左右を見るが敵の存在らしき影はない。
(どこから!?)
「――ここだ」
「水姫ッ! 飛びなさい!!」
「――ッ!!」
足元から噴水を射出し、その勢いで木々の屋根を抜ける。水姫の視界には黒く萎れた防風林。そしてところどころから立ち上る赤錆。
眼下には、一瞬前に居た場所で粘つくような竜巻が渦を巻いている。周囲に水の道を幾重にも張り巡らして距離をとる。徐々に大きく成長する竜巻から距離を取り、
(……直撃していたら今頃あの中で振り回されてる)
翔太たちと別れた後で耳に装着したインカムに手をやる。
「こちら風紀委員長、穂澄水姫。岩園学園委員会連盟の権限に於いて天原全住民に告げています」
学校の方から己の声が拡大され響き渡る。同時ゆっくりと上昇してくるのは擦り切れたローブを纏った「ナニカ」。
「現在、岩園学園敷地内にて魔人と遭遇、戦闘を開始しています。近くにいる住民の方、学園の生徒は速やかに避難してください。現状、私の管轄下にある風紀委員と臨時委員以外の戦闘行為は認められません。相手は、名持ちと推測できます。そのため速やかに避難してください――繰り返します……」
左手に、水が集う。形作るは一つの蕾。
「また委員会連盟所属の者は速やかに助力願う――状況は、レッド」
レッド――勝ち目が薄いという、報告。ブルー、イエローと風紀委員が扱う第一次接敵における彼我の実力差を表す簡易的な報告信号。水姫はたった一度の回避行動を経ただけで、悟った。有した力こそ互角かもしれないが、経験が違いすぎる。代替わりなしという魔人の培った脅威を肌で感じ取ったのだ。
あそこまで完璧に気配を殺し、ジブリールともども完全に索敵していたのにもかかわらず背後を取られ、自分のように水に形を取らせるようなワンクッションなしで力を解放、制御する。
故にレッド。しかし勿論負けるつもりもない。危機を手早く伝えるためと、学園内の実力者でもある水姫が初めてのレッドシグナル報告をしたことによって事の重大さを知らせるためでもあった。
(これで少しでも相手が動きづらくなる状況に、皆が持ち込んでくれれば……)
「……中々、やりおる。当代もまた良い契約者を得たものよ〝神の力〟」
眼前から掠れた声が投げかけられるのと同時、インカムにノイズ音。
『――水姫。文子よ。現在学園内に居る委員会連盟最高責任者が私だったため、こちらで戦闘許可をあげるわ。また図書委員長権限として現段階より当魔人遭遇戦における魔人の呼称を統一。相手を名持ちパズズと確認。当方では異称として〝塵風魔帝〟と統一』
一拍。
『塵風魔帝との戦闘を許可。生存、味方救援までの時間稼ぎを最優先に……死ぬんじゃないわよ……?』
「……ありがとう」
瞬間、眼下の防風林全てを薙ぎ払い、赤錆色の上昇気流が巻き起こり。
水姫の左手から放たれる水のレーザーがそれらを斬り裂き活路を開く。
過去二十年以来起こらなかった、名持ちの魔人との戦闘の第一幕が始まった。
誤字報告含め、ご意見・ご感想お待ちしています。
宜しくお願いします。




