第二話 天原区立岩園学園
翔太が目的地に着いたのは昼の一時を十分ほど回ったころである。
既に昼休みも終わり午後の授業が始まっていることが、目の前の校門より奥の敷地から聞こえる生徒たちの声でわかる。
「……ガッコウというモノの入り口は、皆ここまで豪奢な造りなのか?」
ラビエルがその小さな体をのけ反らせて聞く。ラビエルが呆然とするのも当然。彼らの目の前には、幅約十五メートル、高さ約十メートルほどの規格外に大きな門が構えられていたのだ。どこか東大寺南大門の荘厳さに似通った存在感だ。
「世界でも珍しいんじゃねぇか? この学園は天原の子ども、世間でいう小学校から大学四年までが通う場所だしな。建物の規模が違うんだよ」
翔太が答えながらその巨大すぎる門を通る。通る際門に懸けられた看板には「天原区立岩園学園」と書かれていた。
巨大な門は厚さも兼ね備えているらしくトンネルのようになっていた。翔太のポケットから垂れさがるラビエルは興味津々の体で、揺られるままに視線を飛ばす。
括り抜けた先には石畳できれいに舗装された道がずっと続いている。その先に一際巨大な建築物が一棟。周りに一回り小さな建物が三棟建っていた。
「……敷地が広すぎるってのも問題だよなぁ……」
門をくぐってから校舎に入るまででも十五分はかかりそうな距離に溜息を吐く翔太を誰が責められよう。
道から逸れると土のものであったり人工芝、天然芝のものであったり様々だが幾つかの校庭がある。それぞれに小学生と思しき集団が走っていたり翔太と同年代だろう集団が何やら分厚い鎧のようなプロテクターを身に付けて格闘技宜しく動き回っていたりする。
その景色の中を一人悠々と横切っていく翔太。途中彼を見つけた生徒の中には「またか……」というように苦笑する顔がほとんどであった。
と、その時生徒の一人が翔太へと声を掛ける。
「おい、翔太! お前今日も重役出勤かよ!」
プロテクターで横幅の広く見える、茶の髪をツンツンに逆立たせた少年が一人走り寄ってきたのだ。
「……お前か、悟」
「おいおい。そんな期待外れみたいな言い方はやめろよ。これでも心配したんだぜ、親友? 遅刻の常連、授業のサボりは数えきれぬほどではあっても欠席は一度も無かったお前が一週間も学校を休んだんだからな」
少年の言葉に呆れたのはラビエルである。契約者同士にのみ聞こえる声でやんわりと注意する。
(もう少し、真面目になったらどうだろう? なぁ、翔太?)
(損はしてないんだから、いいんだよ!)
さておき。
彼の名は斉藤悟。翔太と同じく妖人の生まれであり、ベヒモス系妖人族・石猿というのが彼の家系が受け継いできた血統である。
「まぁ、この一週間メールの返信も出来なかったことは悪かったよ」
翔太はちょうどこの時、悟と話しているうちに別の一人が近づいて来ていることに気が付いた。今度は女子生徒。カチューシャで前髪を上げた髪型はショートカットで、白い額が健康的な少女だ。
「悟! あんた翔太と話す名目で授業を抜け出すんじゃないわよ! 翔太も! 悟のことは相手にしなくていいからさっさと校舎で今日のスケジュールを確認してくる!」
「うわっ! それ俺を無視しろってこと? 美樹は冷たいなぁ」
悟に向かって威勢よく声を放った女子生徒の名を小暮美樹。彼女も翔太と顔見知りの生徒だった。
因みに彼女は翔太や悟とは違い天人である。そのため彼女と契約した存在が常に傍にいる。美樹の場合は右手首に巻かれた、蔓をあしらったデザインのミサンガだ。
「お久しぶりですね、翔太さん。一週間も姿を見なかったので心配しましたがご壮健そうで何よりです」
「おう、ありがとよ。お前は相変わらず丁寧だな、アムルタート」
美樹と契約した存在はアムルタートと呼ばれている。不滅と長寿を司り、植物を守護する豊穣の女神だと言われた存在だ。
(ほう。これはまた懐かしい顔だ)
(……知り合いか?)
というか顔は見えてないと翔太は思ったが野暮なことなので指摘はしなかった。
(もともと私たちは活動した土地が異なるだけで、互いに知らないというわけではないからな。神話などと体系化し対立したのは、かつての相棒達だよ。仲が悪いなんてことはないのさ。
まぁ、その対立も止めることのできなかった、かつての契約者たる私達も不甲斐ないのだけど……)
今まで風に揺られるようにひっきりなしに振り子運動をしていたラビエルが苦い過去を思い出したためか、急に動きを止める。まるで人形がいきなり重さを増したかのような不自然な停止だった。
(そう言えばお前さ、こんなに堂々としてるけどアムルタートとか他の契約者とかにはバレねぇの?)
(……ふっ。このラビエル。相棒の行いを止めることはできなかったとはいえ、かつては四大天使とまで定められた存在。ただの人形のフリなど、朝飯を抜いても余裕でお釣りがくるよ)
要は朝飯前だと言いたいらしいと翔太は解釈した。過去の行いをちょっと思い出しただけで浸ってるあたり、少し打たれ弱いのかもしれないとも思ったが。
「もう! アムルタートも翔太を引き留めない! 翔太と悟はそこそこ実力があるのに問題があるからZクラスなんだよ? あんた達より一つ歳上でも、腐れ縁のうち私一人だけAクラスなんて嫌じゃない」
「あれあれ? もしかして美樹さんってば、寂しいの?」
「なっ!? そんなわけないでしょう、バカ悟!!」
ニヤニヤ笑いからかう悟と怒鳴る美樹。当然周りの眼を集めないわけがなく、二人の背後により大きな人影が現れた。
「……斉藤、小暮。俺の授業はそんなにやりがいが無いか? だったらお前らは先生自らが相手をしてやろう」
その声を聴いて悟と美樹が見る見るうちに顔を青ざめさせる。
それもその筈。彼らの背後に立った教師はこの天原でも指折りの実力を持ち、岩園学園において全生徒に畏敬の念を抱かれる戦闘教官、熊ヶ谷重吾その人である。
「戦闘訓練の授業で雑談するほど余裕があるのは指導する立場としては手ぬるかったと反省せざるを得んな」
「いや、先生? 俺、そんな優秀じゃないんで、小暮さんにちょっとアドバイスを貰ってただけなんです」
「そ、そう! あまりにこいつが不甲斐ないから、ちょっとした助言を……」
熊ヶ谷はそれを聞き二メートル近い体の、これまた分厚い胸の前で太い腕を組む。
「ふん。幼少からの三人組で互いの実力も知っているんだろう? そこのバカはバカだが実力はまぁ及第点であることは間違いない。それは小暮。間近に見てきたお前も知っている筈だ」
バカとは悟のことらしいと、横で聞いていた翔太はあたりを付ける。実際自分たち三人は腐れ縁で、互いに家族に近しいくらいには知り尽くしている。それを指摘されると即刻破綻する言い訳を使った悟が考えなしなのだ。
「羽根倉もさっさと本校舎に行って今日のカリキュラムを確認して来い。貴様ら三人のうち二人がバカと不真面目であるために一人Aクラスになってしまった小暮があまりにも哀れだ。せめて頑張ってる姿くらいは格好つけろ」
そう言って熊ヶ谷教師は悟の首根っこを掴んで踵を返す。
「……先生、扱いが雑じゃね?」
その後ろに一つ溜息を吐き、翔太に向かって軽く手を振ってから、美樹が付いていく。
「シゴキ確定だな、あいつら」
翔太はご愁傷様と拝んでから止めた歩みを再開して本校舎へと向かう。
◇◆◇◆◇◆◇◆
本校舎は校門から入って見えた一際大きな建物である。本校舎に付随する一回り小さな三つの建物はそれぞれ第一校舎というように数が振られている。
本校舎の玄関で自分のロッカーから内履きを取り出して履き替える。玄関を出てすぐ、真正面には銀行で見るATMのような端末が廊下の壁に沿ってずらりと並んでいる。
翔太はそのうちの一つの前に立ち財布から取り出した学生証を機械に挿入した。
画面が切り替わり翔太の学生としての情報が表示される。
――羽根倉翔太・十五歳・高等部一年
――所属クラス:Z
――総合評価:C+
――詳細評価:戦闘実技B+ 座学C- 授業態度D- 生活態度C-
――新着メッセージ:なし
――本日の履修科目:午後から第三校舎で模擬訓練
「……なんだかよくわからないことが羅列されているな。私にも分かるように説明しろ、翔太」
人目が無いので普通に話すラビエル。街中では特に気にしない翔太ではあったが、校内では知った顔もいるので出来ればラビエルについては知られたくなかったのだ。ただでさえその不真面目さである程度の注目を集めるZクラスなのだ。注意するに越したことはないというのが彼の基本方針。
「あ~、聞きたいのか?」
「うむ。やはり世に出てきた以上、シャカイについて理解を深めねばなるまい」
その意見に特に反論も思い付かなかったので、面倒だとは思いつつも説明をすることにした。
「この学園では生徒一人一人の情報を学生証で管理してるんだ。生徒は登校してきた際にこの機械に学生証を差し込んで情報をチェックするんだよ」
岩園学園は普通の学校とは全く違うシステムで動いている。天原の設立目的が目的なだけに、学校で育成する人材に求められる能力も特殊なものになるのでそれに見合った教育方法を模索した結果である。
クラスというモノは勿論存在する。それは主に一般の学生が学ぶ教養も含めて、妖人、天人、魔人についての事柄や天原についてなど、将来の彼らに必要だと思われる専門知識を教える場だ。ただクラス分けが徹底した評価基準なので真面目なクラスとそうでないクラスに分かれる。A~Zに細かく分けたところに段階的に小さな差で済ませようとした学園の努力の跡が見て取れるが。(AとBには大した差はないが、AとZでは最終的な差が大きいので実際ただのごまかしである)
他に学園から毎日、あるいは毎週毎月など個人で振り分けられる期間は異なるが、生徒一人一人に「課題」が設けられる。宿題というわけではない。学園内で行われる、主に実戦に役立てるための授業を個人のレベルを学園側で測り、授業を振り分けているのだ。
評価が上がればクラスの異動もありえる。逆もまた然り。事実魔人という脅威に立ち向かうことを目的といた者が集まる学校なので意欲的かつ真面目に学業に励んでいる。だから毎日生徒は情報を確認して自分の至らない部分を確認するのだが……
「キミの頭が残念という評価を示しているんだな?」
「……その解釈はどうなんだ」
「だが見ろ。折角教えてもらっているのにキミの評価はDだ」
授業態度である。これらの評価はA~Dに+と-を含め計八段階。翔太の授業態度は最低評価だ。
「もっと真面目になって貰いたいのがキミの相棒としての率直な意見だな」
「……誰にでも得意不得意はあるもんだ」
保護者よろしく苦言を呈するラビエルに顔を背けて、本日の課題である模擬訓練に参加するため第三校舎へと向かう。
◇◆◇◆◇◆◇◆
第三校舎は校舎という名が付いてはいるが実際は巨大なドームである。
広いそこはいわゆる室内訓練場。妖人や天人の能力を十全に受け止められるように設計・建造された特別製の施設。
翔太はそこに入りはしたが、陣取ったのは客席に当たる部分。見下ろせば既に始まっている授業風景が見える。
色々なイベントが催されることもある第三校舎は客席も設けているのだ。授業を受けるためには必要とはされないが。
「どうしてキミはここで高みの見物を決め込んでいるんだ……」
またラビエルが嘆く。彼女は四大天使とまで言われただけあって基本真面目な性格をしているのだった。
「そりゃあ、既に授業が始まってるからな。今から行っても説教されるのが目に見える。これは自主的な見学だよ」
いけしゃあしゃあと言い放つ翔太は、サボりも慣れているのだろう。
そんな彼らの眼下では集まった生徒たちが教師から説明を受けているところだった。模擬とは言え能力を使い戦うのだ。毎回同じ内容ではあっても注意事項や禁止行為を伝えることも教師の役目である。
あらかた説明は終わったのか教師が一人その場を離れる。一分ほどして客席に軽い放電音がして不可視の力が働いた。
「うん? 見たことない力だな」
「ただの科学の産物だからな。天人の奇跡でも妖人の能力でもない。反重力システムを用いた反作用力場だよ」
これで客席にフィールドの影響が及ばないようにしているのだ。客がいなくても破壊してしまえばそれだけ修繕費などの面倒があるので当然の処置と言える。今回は一人観客がいたが。
ピーという電子音がどこかから聞こえた。眼下のフィールドで大体二十人くらいの生徒が――ある者は姿を変質させ、ある者は魔法のような奇跡を行使しながら動き出す。
模擬訓練が始まったのだ。