第三話 天人・穂澄水姫
生徒たちが散開する。
異形と化したものは素早く、奇跡を行使する者は確実に。
跳躍した者がいれば追うように地面から木が生えてきて、炎を放つ者がいればそれを躱し四足による高速で肉薄する者がいる。獣のような姿が駆け人の姿のものが奇跡を扱う空間となったフィールドでただ一人動かない女子生徒。それを囲むのは他の生徒たちだ。
周りでは既に戦闘を開始した者がいるがそれは少数派。
「なんだ? どうして多くの者が距離を保って動かない? これではまるで……」
一対多ではないか、そんなラビエルの言葉が聞こえる。翔太がこの授業に参加したくない理由は彼女がほとんどの原因だ。
「周りで戦闘を開始したのは恐らく二か月前に高等部にて入ってきた奴らだろう。だからまだ知らない。突出した実力の一番警戒すべき、そしてまず皆で当たるべき人物を」
「それが、あの少女か?」
ラビエルが言い示した少女はきれいな黒髪を背中の肩甲骨あたりまで垂らしている。すこし切れ長のまなじり、日焼け一つシミ一つ見当たらぬ肌、それでいて血色の良い唇。
確かに目を引く容姿で突出はしていた。しかし整った顔は荒事に向いているようには思えず、人形の首を傾げるラビエル。
「――二年Aクラス。風紀委員長、穂澄水姫。校内屈指の天人だ。ハッキリ言ってあいつとその他全員でも勝負は見えている」
実際水姫を囲む生徒は十四人いたが全員顔が強張っている。彼らはわかっているのだ。彼女の契約した存在の強大さ、それを扱う水姫の戦闘技能。
巨大といえど、いや巨大だからこそ一人の生徒の情報が全員に知れ渡るということは中々稀である。だから周りの一年生だろう集団が普通に模擬戦闘を始めても不思議ではなかった。
「でもキミもイチネンとやらだろう? なぜキミはあの少女を知っていたんだ?」
「……普通は知ってるんだよ。あいつらは高等部からの入学組だろう。風紀委員長以外に攻撃を仕掛けているのは全員生まれながらの妖人じゃなく天人だろ? つい最近契約者を得た奴らだろう」
翔太が簡単に答えフィールドに意識を戻したとき。ポツ、と何かが地面を叩く音が耳に届いた。
当然参加している生徒たちにも聞こえる。既に戦闘に入っていた者まで何事かと警戒して動きを止めた。
その警戒は正しい。
初めに水姫を囲んだ選択も間違いではないだろう。
間違いは一つ。
水姫が動き出すまで身構えてしまったことだ。
「……警戒も過ぎると臆病になる。実戦で魔人は待ってはくれないのだから。まずは様子見の牽制、そしてどういった手段が有効かを見極めること。それを肝に銘じなさい。
あなたたちはまず私に牽制を入れることで、せめて私の行動パターンくらいは見ておくべきだった。まだまだ実力も経験も判断も未熟。でも、責めることはできないわね」
その声は鈴の音のように涼やかだ。しかし息を呑むほどに緊迫した闘気を秘めた声だった。周りの生徒全員がびくりと震える。まだ、動けない。
「その相手の実力を見極める眼だけは、ホンモノ。ただ模擬戦なのだからどこまで通用するかくらいは気概を見せてほしいな」
そこまで言われても動けないという、岩園学園の生徒ではない。妖人が地を駆け空を翔け襲い掛かる。天人が火を蔓を雷を地割れを水姫へと撃ち放つ。
「ジブリール」
「イエス。応えましょう、水姫。私の契約者」
その全てが水姫の眼前に生じた透明な膜に受け止められる。その膜に生じるのはいくつかの波紋。それ以外の効果は水姫に届くどころかその膜にも生じていない。
ただの水に、だ。
「……驚いた。現代で〝アレ〟の契約者になれる人間がいたとは……」
ラビエルが呻いた。実際実力の差はあまりに明確。秘めた力が鮮烈に浮かび上がる。
水姫の瞳が鮮やかな蒼になって輝く。
身体的特徴にまで現れる力を解放したのだ。
「〝神の力〟ガブリエル……!」
ポツ、ポツという音が増えてくる。雨が降ってきたのだ。屋内であるにもかかわらず。それだけの力。水を司る大天使。それが水姫の契約者。
水のあるところに干渉できない場所はないとまで言われ、自ら水を用意してしまえるほどの力だ。並大抵の契約者の天人、並大抵の血族の妖人にはまず抗えまい。
「うおぉぉぉぉ!」
牛の姿に似た妖人が雄叫びを上げる。見た目通り怪力が種族特性なのだろう。水の膜に触れた剛腕が徐々に波紋を生じながらめり込んでいく。
その力には目を見張るものがある、それは評価対象だ。
ただ水姫が悠長に待ち受ける理由もなく、そして既にその行為が許される状態は推移した状況によって消失していた。
今まで地面を打っていた雨粒が、軌道を変えたのだ。眼前の牛男へと。
「――群雨」
急に勢いを増した雨が牛男一人に集まり群がる。
その雨粒は例えるなら銃弾にも劣らなかったのだろうか。
妖人として頑強な肉体を持っていたそうだが連続した打撃音を引き連れ、横一直線に吹き飛ぶ牛男。当然、起き上がりなどしない。
「う、うあぁぁぁぁぁぁ!」
水姫の攻撃に本能的な危険を感じた天人が足元に手を着いた。
瞬間、第三校舎がぐらついた。
水姫も流石に膝を付く。それを引き起こした天人から水姫へと地割れが駆け抜ける!
「ほう、なかなか強力な力を行使する! それにこれで地面の水は地下へと呑みこまれたな」
ラビエルが感心する。未だ雨という脅威はあったが水溜りという足元の脅威を排除すると同時の攻撃。地割れとはいい契約者を持ったほうだろう。
それで水姫に通用するかはまた別だろうが。
全ての水が地割れに呑み込まれる前に、水溜りの一部が宙へと伸びる。
そこを悠然と歩む水姫。地割れはその下を空しく駆け抜けた。
「――鎖乱れ」
水姫が水の道、その上で両手を広げる。掌から延びるのは水で出来た鎖。
指の数と同数の鎖は瞬く間に十人の生徒を拘束する。
「うっ!」
「なにこれ!」
「は、はずれねぇ!」
鎖が暴れる。繋いだ生徒をがっちりと拘束したまま。
宙に放り出され、水滴の弾丸に撃たれるもの、地面に叩きつけられるもの、生徒同士でぶつけられたもの。方法は様々だったが十人があっという間に戦闘不能になる。
「……やられっぱなしで終われるかよ!」
飛び出したのは二人の妖人。二人とも翼を持った姿だ。一人は両腕が翼になった姿。もう一人は背中から翼を生やした姿。
宙に佇む水姫が水弾で迎撃するが、空中を翔る能力を生まれ持った妖人なだけはある。複雑な軌道を描いて躱し、肉薄していく。
「……しかし、残念。私はもっと鋭い飛行を行う男を知っている」
一言、水姫の言葉はその二人に届いたろうか。
水姫の足元、水の足場が流れを生む。
転瞬、二人の妖人の攻撃が空を切る――
「なっ!?」
「どこに!?」
高速移動の奇跡だ。既に水姫は彼らの眼下、棚引く波を足元に地に降り立っている。
水姫が軽く腕を振るえば翼を鎖に絡め取られ、次の瞬間には堕とされていた。
「……ここまでジブリールの力を見事に使うとは……」
「……真面目に勝負しようとすら思えない差だろ?」
観客席でラビエルが呆然の体で、翔太が苦く呟く。
最早水姫の独壇場である。
水の弾丸が残りの生徒を叩き、水の道で縦横無尽に移動し、水の鎖は逃げること許さず確実に捉え、攻撃は潮の流れに乗ることで回避する。
五分もすれば立っているのは、穂澄水姫その人だけになっていた。
◇◆◇◆◇◆◇
「こんなのが同じ模擬戦に参加するんだからサボりたくもなる」
「う、む……確かに圧倒的すぎるな」
他の生徒も弱いということはない。水姫と同じカリキュラムを割り振られたのだ。学園側としては相応の実力があると認められた、または期待されている生徒たちなのだ。彼ら全てを十分足らずで退ける水姫がやはり突出しすぎている。
「聞くが、翔太。彼女に匹敵する……いや対抗できる者はいるのか?」
「そうだな、さっき会った美樹と悟。あいつら二人はまだ持ちこたえるだろう。匹敵すると言われれば……生徒会メンバーに数人、各委員長クラスを含めた数人だな」
恐る恐る尋ねたラビエルに宙に視線を彷徨わせてから答える。
「やっぱり各委員長は実力者揃いだな。各委員会もこの学校ならではの活動があるから委員にも実力者を揃えてる。だが別格は各委員長、生徒会の面々……」
翔太がそこまで言って口をつぐんだ。ラビエルは何事かと見上げれば強張った顔が目にとれる。口元が引きつった顔はどこか危険を感じ取ったかに思える。
「どうした、翔……」
(静かに! まずいぞ……)
(……まさか、嘘だろう……?)
それだけで何かを悟るラビエルの感覚も相当鋭い。そっとフィールドに顔を向ければ、こちらを捉える、蒼の双眼。
「サボりは良くないな」
水姫は確実にこちらを認識していた。当然翔太は息を呑む。気づかれないと思っていたがどうやら甘い見通しだったらしい。
「あなたもこの学園の生徒ならもう少し真面目に授業に参加するべきですね」
(……他人の契約者にまで注意されるとは不真面目ここに極まれり、だな)
(……悪いが軽口に付き合う余裕はないぞ?)
(ふむ。戦闘になればキミも私の力を使えばいいではないか)
(お前の存在はできれば知られたくないんだよ。前例がない上に大天使とまで言われた契約者を得たと知れたら面倒事が増える……)
極力面倒事は避ける、翔太の性格だ。ラビエルは短い付き合いながらもそれだけはしっかりと把握した。
と、目前の空間が揺らぐ。反作用力場が何か別の力によって干渉を受けているのだ。気づけば地面がところどころ濡れている。いや今もその水量は増し水溜りになった。その水面に波紋が生じたことを認めた瞬間、
「一年生? 遅刻かな?」
すぐ、後ろ。翔太は冷や汗をかきながらも振り返ることはしなかった。いや振り返ることが出来なかったと言うべきか。空間跳躍の移動術。
「既に始まっていた授業に飛び込むことに気が引けたのかな? キミが良ければ今からでも私が相手になってもいいけど?」
「……俺に先輩の相手はムリですよ」
そっと息を吐き告げる言葉に答えるのは水姫ではなく、契約者のジブリール。
「あら? 水姫のコレは善意の提案でもありますが、不真面目なあなたを指導してあげる、と注意しているのですよ」
この言葉に反応したのも、言葉を向けられた本人ではなくその契約者。
(なんと! 堅物ジブリンに目を付けられるとは! その不真面目が仇となったか……短い付き合いだったな、翔太……)
(お前……。一応相棒だろう、少しは親身になってくれ)
声なき会話を交わす彼らの後方では一人顎に手を当て考えにふける水姫。その首元にある蒼い意匠のペンダントが軽く明滅して声を生む。
「水姫。強引に仕掛ければ彼も応戦せざるを得ないでしょう」
(おいおいおい……!)
驚愕するのは翔太。水姫クラスの実力者に挑まれるとハッキリ言って身が持たない。思考は逃走についてが九割、残りの一割は戦闘後に生存していられるか本気で心配になってしまった。
「ジブリール、それじゃあ犯罪のようなものじゃない。でも、そうね」
悪寒が奔る。その戦慄はすぐ背後から。
「やる気がないというのなら勝った方の言うことを聞く、というのはどうかな?」
どこかいたずらっぽい水姫の声。翔太も健全な男子である。かわいいと評せる女子に言うことを聞くと言われれば心が揺れる。当然受ける、とは言わない筈だったのだが、
「ふふ……揺れたということは、私はどうやら魅力的に見られているようね。ありがと。でも、だったらそんな女子からのお誘い、断ったりはしないわよね?」
背後で闘気が膨れ上がる。彼の内心をハッキリと把握し、心の揺れに付け込んで強引に話を成立に決めてしまったのだ。
(そりゃ、ねぇぜ……!)
「――刺斬華」
水姫の右手に水で出来た花が生まれる。それは水姫が呟いた花の名前――椿によく似たもので実際、椿科の花である山茶花だ――その蕾が花開くと数えきれぬ極細の水流が放射された。その様はまるでレーザーのようであった。
縦横無尽に水のレーザーが、刹那の間に駆け抜ける。
しかし翔太にそれが届かなかったことを水姫は目の当たりにした。
瞬きの間に翔太が異形へと変わっていく。両腕は翼に、手は鋭い鉤爪を備え、鷲に酷似した貌、獣のようなとんがった耳を頭頂に、瞳は黄金、茶の羽毛には黒の斑が見える。臀部に生える尾羽は長く優雅に。
鳥獣王の血統に従い姿を変異した翔太が翼を一打ち、一瞬で空気を置き去りに宙に舞う。
直後、彼がいた場所をも巻き込んで駆け抜けた水のレーザーは、轟音と共に観客席を瓦礫に変えたのだった。




